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 010  2020年10月28日


 危機の宰相 立ち向かえぬなら退陣やむなし
              〜駒野 剛 「多事奏論」より〜



 9月2日の朝日新聞「多事奏論」(編集委員 駒野 剛)を読み、さすがは朝日新聞の記者だ、新旧の事柄を上手く融合させ、いい記事を書いていると感心した。

 【感染者の発生が確認された場所を地図上に赤い点で示して知らせる、スマートフォン用のニュースアプリが提供する新型コロナの情報マップを見ていた。首都圏・関西圏・東海圏などが真っ赤に染まっている
 そっくりだと思ったのは、先の大戦、アメリカ軍の長距離爆撃機B29による空襲被害を示す地図だ。1944年6月末から翌年8月15日まで全国各地の都市が空襲された。空襲回数、死傷者など被害が集中したのは、原爆が投下された広島・長崎を除けば首都圏・関西圏・東海圏など。
 こうした地域に集まっていた航空機など日本の武器生産の拠点の破壊が狙いだったが、次第に国民の戦意を砕くことを目的とした無差別爆撃になっていく。住宅地であろうと容赦なく、火災や高熱で人を殺し住宅を焼きつくす焼夷弾がばらまかれた。



 無論、人と人が殺し合う戦争と、人と自然が戦う感染症は同じではない。しかし、どうくいとめるか、被害を小さくするかは、人の営みが左右する点で同じだ。】

 コロナの感染情報マップから、先の大戦の空襲被害を連想するその着眼点には恐れ入ったが、空襲被害の地図を改めて見ると、確かに大都市に集中しているが、日本全国に及んでいることも分かる。都会だけでなく、田舎にも空襲はあったということだ。戦争(人殺し)とは酷く恐ろしいものだと怖くなった。
 
 記事はこう続く
 【本土空襲が激化したとき、首相は陸軍出身の小磯国昭だった。前任の東条英機が、本土防衛のためには失ってはならない絶対国防圏の一角、サイパン島をアメリカ軍に奪われて、退陣に追い込まれた後、朝鮮総督から「危機の宰相」として起用された。
 就任前からB29の本土空襲は始まっており、国民の命を守りたいなら和平の道の模索が急務だが、無為に時間を浪費した。
 それどころか困った時の神頼みへ走る
 1944年12月8日、開戦3年を迎えて国民への放送に臨んだ小磯は、「1億同胞諸君」「最も重要なる提案」として、こう呼びかけた。「一人残らず、それぞれの神社に参拝して、もって皇国の先勝を祈念し、あわせて米英撃滅の誓いを固めて頂きたい」
 
 この時代を「暗黒日記」に残したジャーナリスト清沢 洌(きよさわ きよし)は12月12日、こう書いた。
 「今日午後1時22分、国内をあげて、伊勢大神宮に必勝祈願をした。小磯首相の提案で、かねてから、そういう演説をしていた。神風を吹かせるようにというのである。20世紀中期の科学戦を指導する日本の首相は神風をまき起こす祈願を真面目にやる人なのである。」
 神風は吹かなかったが、翌年3月10日、「東京大空襲」にさらされる。死者10万人以上、被災者は100万人以上とされる。
 清沢は嘆く。「科学の力、合理的心構えが必要なことを、空襲が教えるにかかわらず、新聞やラジオは、依然として観念的日本主義者の御説教に満ちる。この国民は、ついに救済する道なきか」】

 あの戦時中であっても、清沢 洌のような常識あるジャーナリストや文化人は少なからずいたのであろう。
 鎌倉時代の元寇において、台風は来たかも知れないが、元軍を壊滅させるようないわゆる神風は無かったというのが現在の歴史の定説である。無かったことをあるように見せかけ歴史的事実を捻じ曲げる。それを自分たちのために都合よく利用する。歴代の権力者がみんなやってきたことだ。情けないことだ!

 さらに記事は続き、こう締める。
 【あれから、私たちは何か得ただろうか。感染症に対する備えを怠った上、全所帯に配布したのは、2枚ほどの、それも寸足らずのマスク。本気で国民を守るために、どれほどの科学的検討があったのだろう。
 流行中に「Go To トラベルキャンペーン」を実施した。感染症抑制に逆効果という人の移動に税金を投じ後押しする。
 何よりも疑問だったのは、安倍首相のかくも長き「不在」だった。国民の苦衷を激励し、ともに病疫を克服しようと訴え続けるべき人が、まともなメッセージを出さない。
挙げ句の果て、我らの「危機の宰相」は退陣を表明した。持病が悪化したという。
 さて小磯であるが、本土決戦を唱えるだけで何の具体策もなく、アメリカ軍が沖縄本島に上陸した直後、神頼み内閣は総辞職した。国難のなか、無為無策なら退陣は当然だ。

 3年前、「まさに国難とも呼ぶべき事態に、強いリーダーシップを発揮する。自らが先頭に立って国難に立ち向かっていく。これがトップである私の責任であり、総理大臣としての私の使命であります」といって衆議院を解散するなど国難を連呼した宰相は、まごうかたなき国難のまっただ中に去っていく。
 そんな宰相が長く君臨した時代を、後世の人はどう呼ぶだろうか。】



 安倍前宰相は、退陣後2カ月も経たない間に、靖国神社を2回参拝した。英霊に対しての参拝だと言う。あなたもやっぱり神頼み内閣の宰相だったのかと思わず言いたくなる。
 それにしても、モリ、カケ、サクラをはじめ、こんな身びいきばかりでスキャンダルまみれの宰相も珍しい。宰相をやっていた年月が長いだけでこれといった実績もない。

 菅宰相といえば、官房長官時代そのままに、素っ気ない答弁は相変わらずだ。そもそも国民に向かって真摯に熱く語りかけたことがあったのだろうか。言葉を持たない宰相か。情けない。

 こうやって宰相の歴史を振り返ってみると、歴代の宰相の力量の無さを嘆くべきなのか、それともそんな宰相を選び支持する国民が情けないのか、坂本龍馬ではないが思わず日本を洗い直したくなる、と叫びたい。