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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……






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 007  2019年6月15日

歌謡曲と私C 〜あー懐かしのぼやき漫才・責任者出てこい?〜


 昔、「ぼやき漫才」と呼ばれた人生幸朗・生恵幸子(じんせいこうろう・いくえさちこ)という夫婦コンビがいた。大柄で黒縁メガネ、ダブルのスーツの人生、それに対して、小柄で上品な着物姿の生恵。見た目のコントラストも面白い名コンビだった。
 
 彼らの鉄板ネタは、歌謡曲のタイトルや歌詞に難癖をつけることだった。例えば、美樹克彦の代表曲「俺の涙は俺がふく」に対して人生が言う、「当たり前やがな、何甘えとんねん!」奥村チヨの大ヒット曲「恋の奴隷」の歌詞「♪あなた好みの、あなた好みのお、おんなになりたーい〜〜♪」に対して人生は「そんなん言うて、お前の彼氏がSMマニアやったらどうすんねん!」と叫ぶ。伊東ゆかりの歌謡曲でのデビュー曲「小指の想い出」の歌詞「♪あなたが噛んだ小指が痛い 昨日の夜の小指が痛い♪」に対して人生は「若い男女が指を噛んだり噛まれたり、夜に何やっとんねん!」と怒鳴る。とまあこんな調子である。


 
 「小指の想い出」(作詞 有馬三恵子)の歌詞について、上岡龍太郎(漫才コンビ ミキの叔父)は以前、「この歌の出だし、♪あなたが噛んだ小指が痛い昨日の夜の小指が痛い♪こんな衝撃的な歌詞をかつて聞いたことがない。なんというインパクト!もうこの歌詞を超えるものは二度と出で来ないであろう」と絶賛していたのを覚えている。

 人生幸朗は、戦後初のヒット曲並木路子の「リンゴの唄」からぼやいていたそうだ。こんなぐあいに。舞台で突然、生恵幸子が歌いだす。♪赤いリンゴに唇寄せて だまって見ている青い空♪生恵幸子は良い声でもないし、特に歌がうまいわけでもない。この程度の歌で金儲けが出来た唯一の人かもしれない。
 生恵が歌っている途中に「やかましい!」と人生が歌を止める。人生「まあここまでの歌詞はええわ。しかしその次が気に入らん!」生恵「えーどこがやのん。」人生「♪リンゴはなんにも言わないけれど♪?当たり前やないか、リンゴが夜中にしゃべりだしたら、果物屋のおっさん、やかまして寝てられへんがな!」

 私は「リンゴの唄」のネタをこのコンビで聞いたことがない。あるものまねタレントのネタを通してここまでなら知っている。もし私が漫才作家ならこう続ける。人生「リンゴの気持ちはよくわかる♪?果物の気持ちがわかるって、お前はコリン星のりんごももか姫か!?」生恵「誰やのそれ?」人生「さあ?・・・リンゴの気持ちはわかるのに、なんでワシの気持ちはわかってくれへんのや、並木路子!」生恵「あんた並木さんのこと好きやったん?」人生「うん!」生恵「あほか!並木さんが嫌がるわ!」人生「なんにしても、リンゴの気持ちがわかるやなんて、気持ち悪いぞ!」生恵「あんたのぼやいてる顔のほうがよっぽど気持ち悪いわ!」
 
 歌謡曲ネタで有名なこのコンビだが、実はそれだけではない。こんなネタもある。人生「ある男が自殺をしようとしてビルの屋上から飛び降りた。しかし間が悪いというか、下を歩いていた人にぶつかって、その結果歩いていた人が死んでしまい、飛び降りた男が生き残った。自殺男に他殺され、とはどういうことや!」生恵「何いうてんの、このドロガメ!」
人生「私が街を歩いていたら目の前で、ある女性が車にはねられて大けがをした。その車はよく見たら単車やった。人をけがさせといて、スクーター(救うた)とは、なめとんのか!」生恵「しょうもないダジャレをいうな、このヨダレクリ!」
 当時総理大臣だった佐藤栄作の経済政策に対し、人生「佐藤君、もっとええ策(栄作)はないのかね!」生恵「怒ってきやはんで、このハナクソ!」

 生恵さん、見かけは上品で笑顔が愛くるしいのだが、まあ下品で意味のよく分からないツッコミを入れる。でもそれはそれで面白い。そして人生の決まり文句「責任者出てこい!」となる。生恵「そんなん言うて、ほんまに出てきゃあはったらどうすんの?」人生「その時は謝るがな!」生恵「謝んねんやったら最初からそんなこと言うな!」すると人生「母ちゃんゴメン!ゴメンチャイ!」と今までの赤鬼のような人相から、急にお茶目な顔になりユーモラスな仕草で謝る。このパターン、分かっていても何度見ても笑ってしまう、まさに名人芸。

 人生幸朗が74才で亡くなったのは1982年。その翌年、読売テレビが「好きなお笑い芸人」のアンケートを一般視聴者向けに行い、現役世代をおさえて人生幸朗・生恵幸子が堂々の1位になった。結果発表の会場に駆けつけた生恵幸子(2007年83才で没)は、「人生幸朗が亡くなって以降、こんな嬉しいことはありません。昨年テレビ局から、私たちの漫才が収録されたVTRをたくさんいただきましたが、実はまだ1回も観たことはありません。でもこのビデオテープの中にお父さんは生きていると自分に言い聞かせています。どうかこれからも人生幸朗をよろしくお願いいたします!」と必死で涙をこらえながら感謝の意を述べた。会場からはあたたかい大きな拍手が沸き起こり、多くの人はもらい泣きをしていた。この深い夫婦愛に感動しない者はいないだろう。

 このように昔の芸人さんは、その時代の世相や政治に対し、あくまでも庶民の視線で、笑いというオブラートに包んで批判した。庶民はそれを大笑いしながらも、共感し留飲を下げた。漫才・漫談・落語といったお笑いには本来「理不尽なものを糾弾し、強いものに反抗し、権力を持つものを揶揄する」といった側面があった。破天荒芸人・自己破滅型芸人と呼ばれた初代桂春団治や横山やすしも、あくまで彼らなりの価値観ではあるが、舞台の上で世相や政治を斬っていたという。

 そういえば、人生幸朗のような「一般大衆に代わりもの申す」芸人を最近見なくなったのは、どうしてだろう。