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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……






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  024  2020年01月28日

 大河ドラマ 麒麟がくる  〜明智光秀を考える〜




 池端俊策の脚本で明智光秀の生涯を描き、主人公の明智光秀役には長谷川博己が起用され
た。長谷川の主演は池端のリクエストによるものであったという。長谷川博己といえば大ヒットドラマ「家政婦のミタ」(2011年)でのダメお父さんぶりが印象的だが、意外とカッコイイ役が多い。
 タイトルは仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」が由来となっており、モチーフとしての麒麟が何者で、如何にして何れの英雄の前に現れるのかを問うていく物語となるという。

 最新の研究成果も踏まえ従来と異なる新たな解釈で戦国時代の物語を紡ぎ、光秀の謎に満ちた生い立ちにもスポットを当て、英傑たちの父親の時代をも描き斎藤道三、足利義昭、織田信長、徳川家康らの活躍も見せてゆく群像劇として制作するとしている。

 当初、濃姫役には沢尻エリカがキャスティングされていたが、配役の変更措置が執られて11月21日に川口春奈が濃姫を演じることが発表された。沢尻の出演したシーンは全て撮り直しとなり、NHKは初回の放送日を当初予定の2020年1月5日から1月19日に変更することを発表した。
 私は個人的に沢尻エリカの演技を高く評価しており、川口春奈には悪いが沢尻エリカの濃姫(斎藤道三の娘で織田信長の正室 帰蝶と称されることもある)を収録した分だけでもいいから見たかった。

 前作「いだてん」の記録的低視聴率の影響がどう出るか、3年ぶりの戦国もの、といった話題性も豊かで、いつになく注目を浴びている。

 さて、明智光秀というと、主君織田信長を討った謀反人・三日天下・豊臣秀吉との天王山の決戦で敗退し、逃げる途中農民の竹槍で一命を落とす、といったマイナスイメージがあるが、本当のところはどうだろう。実はこの人の前半生は謎だらけで、年齢も定かではない。だからこそ脚本家の腕の振るい甲斐があるのだが。
 しかし最新の研究では明智光秀の謎の前半生もかなり判明してきたようだ。



 医者だった

 実は医者として生計を立てており、その働きから将軍足利義昭の家臣に抜擢されたらしい。しかも、光秀の医学の知識は、傷の手当から産婦人科のような専門的な施術まで多岐に渡っていた。光秀の主治医が曲直瀬道三(まなせどうさん)だったという説もある。

 比叡山の焼き打ちの首謀者だった

 従来のドラマで明智光秀は、比叡山の焼き討ちに「仏が怒り天罰がくだる」と反対して信長の怒りをかい、しぶしぶ実行したと描かれることが多かった。しかし光秀は目的のためなら手段を選ばない信長と似たところがあった。比叡山の焼き打ちの際、延暦寺に味方する者を皆殺しにする意味の「なでぎり」を指示した光秀と、「根切(ねきり)」つまり、根絶やしの手法をとった信長。戦国時代に生き残るための徹底した合理主義の側面は二人の共通点だった。

 信長以上の城づくりの名人だった

 光秀の居城・福知山城(京都府福知山市)は、近代性・防御性において、信長の安土城より優れていると専門家の評価が高い。現在の天守は1986年に再建したもの。
同じく居城・坂本城(大津市 琵琶湖畔)のあった周辺で、穴太衆(あのうしゅう)という戦国時代に活躍した石工集団に築かせたという石垣の存在感美しさは今なお素晴らしいものがある。
 本能寺の変の出陣地で有名な亀山城(現在は城跡だけ)は京都府亀岡市にある。亀岡にあるのになぜ亀山城なのか?調べたところ、幕末の頃に丹波亀山藩と伊勢亀山藩という二つの亀山藩があったのだが、丹波は幕府に味方し、伊勢は新政府軍に味方した。結果、勝者側の伊勢はそのまま亀山(三重県亀山市)を名乗ることを許され、敗者側の丹波は名前の変更を強要された。

 「高い山ではなく、低い丘で良かろう。亀丘でどうか」とどこかの偉いさんが言ったのだが、言われたまま「丘」にするのでは腹の虫がおさまらないので、せめてもの抵抗として「岡」の字を使い「亀岡」になったんだとか?
 もっともこれは放浪楽人の勝手な説(想像)だが(笑)

 鉄砲の名手だった

 1996年の大河ドラマ「秀吉」で、村上弘明演じる諸国流浪中の明智光秀は、火縄銃よりも短い銃を使いながら大暴れしていた。光秀が若くして鉄砲を使いこなしていたという文献も見つかったらしい。もし本当に鉄砲の名手だったとすれば、光秀のその知恵や技術を信長が活用したのかもしれない。武田軍を滅ぼした長篠の戦いの影のヒーローは光秀だったのかも?

 

 「麒麟がくる」の脚本はこれらの説を十分に考慮しているという。

 第1話の最後に、門脇麦演じる「駒」という女性が「いつか戦が終わるって。そういう世の中をつくれる人がきっと出て来る。その人は麒麟を連れて来るんだ。麒麟というのは穏やかな国にやって来る不思議な生き物だよ。それをよべる人が必ず現れる。」と光秀に言う場面がある。しかしこれは・・・?
 
 絵本作家の浜田桂子さんは「平和はあちらから来てくれるものではなく、能動的に作っていくものです。武力ではなく、知恵と勇気で。」と語っている。
 私達は、平和な世の中を維持していくために、いや今よりもっと平和な世の中をつくっていくためには、英雄とか救世主とかいう誰かの出現に期待してはいけないと思う。待っていても麒麟はやって来ない。浜田さんのいう一人一人の知恵と勇気の結晶こそが大切だと私は考える。