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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……







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 034  2020年4月19日

 舟木一夫が歌い演じた青春歌謡・青春映画A
                       〜学園広場〜


 

 「アベック歌合戦」という視聴者参加番組をご存知だろうか?60才以上ならきっと記憶にあると思う。元々はラジオ番組で、1962年10月から1968年3月まで、夜の7時台に放送されていた読売テレビ製作のテレビ番組である。タイトルのとおり、男女のカップルが出場して歌声を披露するというものだ。登場シーンで、司会のトニー谷が「あなたのお名前なんてぇの?」と拍子木を叩きながら、当時流行していたツイストをカップルに踊らせ自己紹介させるシーンが人気を集めた。また、番組冒頭の挨拶「レディース&ジェントルマン&お父さん、お母さんおこんばんは!!」や番組中の「?ざんす」などは当時の流行語にもなった。



 トニー谷は、赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に登場する「イヤミ」のモデルと言われ、後に前田武彦や大橋巨泉らが継ぐことになる、毒舌司会の元祖でもある。

 「アベック歌合戦」テレビ版のVTRはほとんど残っていないそうだが、映画「学園広場」で、舟木一夫松原智恵子が劇中の高校生役で出演するこの番組のシーンを見ることが出来る。その様子を是非お聴きいただきたい。





 映画「学園広場」1963年12月公開 企画 水の江滝子  監督 山崎徳次郎 
 脚本 倉本聰  斎藤耕一
 舟木一夫のヒット曲「学園広場」の同名青春映画。舟木のデビュー曲でデビュー映画となった「高校三年生」からわずか2ヶ月後に撮られた作品で、前作は大映だがこの作品は日活である。
 舟木は「高校三年生」では腋役だったが、「学園広場」では正義感に燃える高校生役として、セリフも多く準主役になっている。

 ストーリーは日活青春映画らしい、単純明快でドタバタの勧善懲悪だ。古いしきたりや理不尽な校則に高校生たちが立ち向かう、というものだ。
 東京から地方の男子校に転校してきた山内(山内賢 主役)が、古くからの伝統である“勇者の帽子"という校内で一番勇気のある者に与えられる帽子に、何ら価値観を見いだせず、周囲の生徒とトラブルを起こしながらも、最後はみんなで理解しあう。
その帽子が勇者の元から離れ、女子高に行ったり、悪だくみをする連中の所へ行ったりと、肩の凝らないコメディーとして笑いながら見ていられる。

 この映画には個性豊かで芸達者な役者がたくさん登場する。悪だくみ連中の一員としてお金を持ち逃げする役に由利徹桂小金治はクリーニング屋で出演。三代目水戸黄門の佐野浅夫や教師役の清川虹子もいい味を出している。男子高生徒の中には堺正章(舟木一夫映画の常連)がいて、三枚目役を演じて笑わせてくれる。



 女子高生徒では、松原智恵子田代みどりが出演。この頃の松原智恵子(日活三人娘)は「可憐」そのもので、今の女優には絶対いないタイプの清純派美少女田代みどりは歌手として「パイナップルプリンセス」等のヒット曲があった。後に「つなき&みどり」というカップルで「愛の挽歌」というヒット曲もあった。「つなき」とは元ブルーコメッツの三原綱木で、当時は夫婦であった。
 他にも、谷隼人かまやつひろし西尾三枝子も出ている。1960年代の雰囲気が物語に反映されており、映画を観終わった後は爽やかな気分にさせてくれる。



 歌「学園広場」1963年9月発売  作詞 関沢新一 作曲 遠藤 実

 「高校三年生」が6月発売、「修学旅行」が8月発売、その「修学旅行」からわずか1カ月後の発売で、この曲も大ヒット。当時の舟木一夫の爆発的な人気がよくわかる。
 この「学園広場」で、学園ソングという呼び名・ジャンルが確立したといっても過言ではないだろう。
 行進曲風の軽快な「高校三年生」や「修学旅行」から一転して、3拍子のワルツに曲調が変わり、愁いを帯びた感じが全面に出ている。
 
 

 作詞の関沢新一には、美空ひばり「柔」村田英雄「夫婦春秋」都はるみ「涙の連絡船」舟木一夫「銭形平次」などたくさんのヒット曲があるが、意外にも東宝専属の脚本家として活躍した人で、ゴジラシリーズやモスラなどの怪獣映画の脚本でも有名だ。

 作曲家の遠藤実は、「高校には行けなかったがずっと憧れがあった」と生前語っていた。その思いが「学園広場」のような、素直で夢見るメロディー作りの原動力になったのではないだろうか。
 遠藤の曲には彼自身に「若い頃に生きていくための苦労をした」という土台があるので、多くの人の心を和ませるものがあり、時代を経ても色あせない魅力がある。

 先日、私のブログを読んでくださったある女性からメールをいただいた。「私は行きたくても高校には行けませんでした。舟木一夫の高校三年生を聴くと、それを思い出し、未だに涙が出そうになります。」
 高校に行けなかったからこそ、何十年経っても高校を憧れる思いが心から離れない。人生ってそういうものかも知れない。その女性のメールで、「人生の深さ」について改めて考えさせられた。

 最後に、舟木一夫が歌う「学園広場」のオリジナル盤と映画のサントラ盤をお聴きください。



1 空にむかって あげた手に 若さがいっぱい とんでいた
  学園広場で 肩くみあって 友と歌った 若い歌

2 涙流した 友もある    愉快にさわいだ 時もある
  学園広場に 咲いてる花の 一つ一つが 想い出さ

3 ぼくが卒業 してからも  忘れはしないよ いつまでも
  学園広場は 青春広場   夢と希望が ある広場