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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……







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 040  2020年7月8日

 「罪と罰と償い」について考える 2
          〜さだまさしが歌う 「償い」 の場合〜


 さだまさしが歌う「償い」という曲は知人の実話を元に作られたものである。曲中では、交通事故の加害者であり真面目で優しい心の持ち主である「ゆうちゃん」をメインに、それを見守る友人の気持ちを歌詞にしたものになっているが、実際には、さだの知人である被害者の妻の体験と事実を元に詩が作られている。ちなみに、さだは「ゆうちゃん」に該当する加害者とは会ってはいないらしい。
 さだの知人の女性が交通事故で伴侶を亡くした。加害者の男性は真面目な人らしく、毎月わずかずつではあるが賠償金を郵送している。事故から数年経ってもその送金は続いたが、知人は茶道の師範として経済的にも自立できており、加害者の直筆の手紙を見る度、事故の事や亡き伴侶を思い出して辛い思いをすることがあるので、加害者に対して「もうお金は送ってくれなくて結構です」と返事の手紙を書いた。しかし被害者の許しと思える手紙を受け取ったはずの加害者は、自分の起こした罪を償い続けるために翌月以降も送金を続けた。この曲はこういう内容になっている。
 まずはYouTubeでお聴きいただきたい。



償い (1982年)  作詞・作曲  さだまさし

月末になるとゆうちゃんは 薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へ とび込んでゆくのだった
仲間はそんな彼をみてみんな 貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑っても   ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

僕だけが知っているのだ   彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ       哀しい誤ちを犯してしまったのだ
配達帰りの雨の夜      横断歩道の人影に
ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた

人殺しあんたを許さないと彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で 彼はひたすら大声で泣き乍ら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった
それから彼は人が変わった 何もかも忘れて  働いて働いて
償いきれるはずもないがせめてもと
毎月あの人に仕送りをしている

今日ゆうちゃんが僕の部屋へ  泣き乍ら走り込んで来た
しゃくりあげ乍ら彼は     一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えて     ようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

「ありがとう あなたの優しい気持ちは  とてもよくわかりました
だからどうぞ送金はやめてください あなたの文字を見る度に 主人を思い出して辛いのです
あなたの気持ちはわかるけど   それよりどうかもうあなたご自身の人生を
もとに戻してあげて欲しい」

手紙の中身はどうでもよかったそれよりも  償いきれるはずもないあの人から
返事が来たのがありがたくてありがたくて  ありがたくて ありがたくて ありがたくて

神様って思わず僕は叫んでいた  彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの    やさしい人を許してくれてありがとう

人間って哀しいね  だってみんなやさしい
それが傷つけあってかばいあって
何だかもらい泣きの涙がとまらなくて
とまらなくて とまらなくて とまらなくて






 このYouTube動画を見た人達からのコメント 

 真面目な青年が事故で人を死なせてしまった場合、一生かけて償い続けていく。しかし、故意に人を殺した場合、懲役を終えれば知らん顔して過ごせる(少年なら尚更)これっておかしくないですか!?

 歌詞にはない続き。ゆうちゃんは頂いた手紙に涙したあとも送金を続け、被害者の奥さんは手紙のあとも続く送金を感謝の気持ちで受け取った。やがて娘さんが大学生になりその後卒業して教員になれたお礼と、これで本当に彼を開放したい一心から、娘さんがゆうちゃんを訪ねた。 訪ねて来た娘さんを見たゆうちゃんは、一瞬で一連の事を悟り、また涙が止まらず、立ち止まったままだった。 やっと許された、ゆうちゃんが、そこにいた。

 人間って哀しいねだってみんな優しい、本来そうなんだよなぁ

 20年程前に父親が交通事故でその日の内に他界しました。その時の事を思い出して胸が熱くなり複雑です。加害者の男性の勤務中におきた事故でした。この曲の登場人物と同じように毎回詫びに来てくれる人でした。他界した父親は2度と戻る事はありません。ですが人としてきちんと対応してくれて、わざわざ3回忌までも来てくれました。その人を許すというのではないんですけど、父も人柄や礼儀を気にする人間でしたから、きっと天国から『もう、来なくていいよ。気持ちは伝わった』と優しく見守っていると思います、とお伝えしました。

 償えることではないんだけど、償おうとする気持ちが大切だよね。 償っても償いきれない事だからと言って開き直ったら、そこで人間として終了だよね。

 この曲は、涙無くては聴けない。 何故か聴いているだけで泣いてしまう。 吸い込まれてしまいました。

つい3日前に道徳でやりました。先生と僕たち生徒両方泣きながら授業をするという異様な光景を校長が見てました。

 さだまさしさんの音楽が素晴らしく、思わず胸があつくなってしまいました! 音楽が持つすごい「教育力」を感じました!

 思いっきり泣いてしまいました。この歌もこの挿絵も涙が止まらないです。こんなすごい歌があったんですね。

 償い、この事実を泣かずには聞けません。加害者の方も自分の為に生き欲しいです。長い間よく頑張ったと思います。

 さださんの歌唱力が、情景を脳裏に映してくださいます。 久しぶりに動画で拝見しましたが、やはり、泣けて泣けて仕方ありませんでした。 時代が変わっても、人の心が違ってくるわけではありませんもの…。

 曲にストーリー性が組み込まれていて、まるで国語の教科書を読んでいるようだった。それに力と情が込められて、ここまで泣ける悲しい曲になるのがとてもすごく印象に残る。この曲が事故防止等に役立てれば嬉しいと思う。

 この曲を初めて聴いたのはいつだか忘れてしまったけれど、毎回泣けてしまう。悲しみ、苦しみ、後悔、葛藤、許し、そして… 双方のさまざまな想いが伝わって来る。



 裁判での引用 

 2001年4月29日、東京都世田谷区の東急田園都市線において、4人の少年が泥酔した銀行員の男性から車内で足が当たったと絡まれ口論となった末、三軒茶屋駅のホームに降ろされた4人が、男性からの暴行に対応する形で男性の意識がなくなるまで暴行を加え、放置し、後に「くも膜下出血」で死亡させるという事件が起きた。
 後日出頭した4人の内、主犯格となった2名が傷害致死罪に問われて逮捕され、地方裁判所の公開法廷で審理が行われることとなった。裁判の中で2人は「申し訳なく思います」「自分という人間を根本から変えてゆきたい」などと反省の弁を述べた一方、事件自体は酔った被害者がからんできたことによる過剰防衛であると主張し、裁判中の淡々とした態度や発言から、真に事件に向き合い反省しているかどうか疑問を抱く態度を繰り返していた。
 2002年2月19日、東京地裁において判決公判が行われ、少年2人に対して懲役3〜5年の不定期刑の実刑判決が下された。判決理由を述べあげた後、山室惠裁判長は被告人2人に対し「唐突だが、君たちはさだまさしの『償い』という唄を聴いたことがあるだろうか」と切り出し、「この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と説諭を行った。



 裁判官が具体的に歌の題名を述べて被告を諭すことは異例のことであり、「償い説諭」はマスコミに取り上げられ話題となった。
 さだまさしは新聞社の取材に対して、「法律で心を裁くには限界がある。今回、実刑判決で決着がついたのではなく、心の部分の反省を促したのではないでしょうか」とコメントしたうえで、「この歌の若者は命がけで謝罪したんです。人の命を奪ったことに対する誠実な謝罪こそ大切。裁判長はそのことを2人に訴えたかったのでは」と述べた。



 最後に、放浪楽人から一言 

  どういう経緯であれ「殺人」を犯した者は、被害者の遺族に対し何をどんなに償っても、許されるということは無い。それはこの「償い」の歌詞からも分かる。
 奥さんからの手紙には、感謝や思いやりの気持ちは綴られていても「あなたを許す」とは書かれていない。ゆうちゃんも奥さんから手紙をもらったことは喜んでいるが、「許された」とは思っていない。だから送金を続けた。ゆうちゃんの友人の僕も神様に感謝をしているが、奥さんがゆうちゃんを許してくれたとは思っていないだろう。
 なぜか? それは、死んだ人が生き返ることはないからである。「殺人」は決して償えるものではない。

 だから、殺人を正当化する「戦争」なんか絶対にしてはいけないのだ!