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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……







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 049  2021年1月13日

 映画「ひだるか」 三池闘争・テレビ局の内幕・労働組合
          〜 キラリと光る珠玉の名画 〜


 ひだるかとは福岡県大牟田市の方言で「ひもじくてだるい」つまり「お腹が空いている」のに「食べる気力さえ湧かない」という意味である。

 映画「ひだるか」を昨年10月に初めて観てから3か月経つ。すぐこのブログで紹介するつもりでいたが、事情があって12月にアップする予定となった。しかし、あの人が読んでくれるとなったとたん急に書けなくなった。私が「ひだるか」な状態になったのだ。すなわち「書きたいのに(いろいろ考えすぎて)書く気力が湧かない」のである。そこで決心をした。とりあえず文章化して、ネットにアップする前にあの人に読んでもらおうと。



 去年は三池闘争から60年の節目の年であった。

 さて、三池闘争(三井三池争議)とは何であったか。
 1959年から約2年間続いた三井鉱山三池鉱業所の大争議。三井鉱山は石炭斜陽化による経営再建のため,59年1月以来退職募集を中心とする対策をたてたが,成功せず,8月再び 4580人の退職募集を提案,さらに 12月三池鉱業所の 1278人の指名解雇を通告した。これに対し三池炭鉱労働組合は日本労働組合総評議会(総評),日本炭鉱労働組合 (炭労) の支援で白紙撤回を要求して対立,会社は 60年1月25日同鉱業所のロックアウトを実施,組合は無期限ストに入った。

 その後,三鉱連 (三井炭鉱労働組合連合会) 内部の動揺や三池労組内に第2組合が結成(1960.3.) など炭労の全体闘争は挫折,中央労働委員会に斡旋を申請したが不調に終った。6月以降は生産再開の鍵ともいうべき三川坑のホッパ (貯炭庫) の仮処分をめぐって争われ,7月の総評のピケ隊2万人と警官隊1万人が対立,遂に労働大臣の勧告が出され,漸く衝突を回避,中労委の斡旋 (会社は指名解雇を撤回し該当者は自発的に退職する) により 11月1日,282日に及ぶストは中止,会社は業務を再開し,争議は終了した。

 この争議で労組側は約 21億円の闘争資金と延べ約 30万人の動員で支援,経営者側は大手 13社と三井銀行が支援,財界対総評の戦いとまでいわれた。また第1,第2組合員の衝突,家族に対する暴行,暴力団による第1組合員の殺害など約 300件にのぼる事件が続出,大きな社会問題となった。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)
 
 61年前に九州の三池炭鉱で大がかりなストライキを含む闘争があったことは知っていたが、詳しい内容は分からなかったので、去年10月に大阪で開催された「三池闘争60年シンポジウムin関西」でいろいろ学ぼうと思い参加した。そこで映画「ひだるか」に出会った。


 映画「ひだるか」(2005)
 福岡県大牟田市出身の映像作家・港健二郎(みなと けんじろう)が、故郷の大牟田で体験した「三井三池争議」を題材に撮り上げた人間ドラマ。デジタル化の波が押し寄せる大きなうねりの中、ある女性キャスターの成長を描く。プロデューサー、監督、カメラマン以外は全て福岡、大牟田在住のスタッフでそろえた。

 あらすじ
 原陽子(岡本美沙)は、地元のテレビ局・福岡中央テレビ(HCT)の売れっ子ニュースキャスターだが、職業上の大きな曲がり角に立っている。経営難に直面したHCTの企業合理化で、キャスターとリポーターの兼任を迫られたのだ。HCT自体が、キー局のBSデジタル放送や地上波のデジタル化という地方局の根幹を揺るがす事態に直面していた。陽子は、職場の上司で恋人・森嶋純一に、キャスター専任を働きかけるが、彼の反応は鈍い。森嶋自身が製作部長に抜擢されたばかりで、リストラを推し進める立場に立っていたからだ。
 陽子の相談相手であり、局内で唯一心を許している深町誠治は、社会部の放送記者でHCT労働組合書記長だ。ある夜、陽子深町と出かけたバーで、劇団女優の塚本詩織という若い女性と出会う。陽子は、詩織が大牟田市の出身だと聞き、彼女に親近感を覚える。大阪で生まれ育った陽子だが、父親の謙作は大牟田出身だったからだ。数日後、陽子詩織の舞台を鑑賞する。詩織の故郷・大牟田を舞台にした『ひびきの石』という演目で、40数年前の1960年、石炭合理化にともない1200名もの指名解雇撤回を求めた「三井三池争議」を、現代の若者の視点で振り返る意欲作だ。陽子は、かつて三池の炭鉱労働者であった父・謙作の謎の沈黙を大きな契機として、そのとき「三井三池」で何が起こったのかを検証し始める。

 監督の港健二郎はドキュメンタリー番組や映画を多く撮っていた人だけあって、映画の後半では昔の白黒映像を巧みに使い、三池闘争を誰にでもよく分かる教材のように映像化している。また当時の遺跡を「物言わぬ歴史の証人」のような撮り方をし、遺跡の説明はせず代わりにバイオリンの音色をBGMに使うなど、観客の心に迫る演出にはついつい引き込まれてしまった。
 三池闘争の歴史を知りたい私は、正直言って前半の展開は無駄なシーンが多いなあと感じていた。しかし映画を観終わったら、無駄なシーンと思っていたものが全て後半への伏線になっていると気付かされ驚かされた。やっぱり映画はこうでないと。


 三池闘争(60年前)と福岡中央テレビの企業合理化(現代)との共通点

 日本のエネルギー資源の転換「石炭から石油へ」は実はアメリカの石油資本からの圧力があったからといわれている。石炭を掘らないのだから炭鉱労働者は要らない。だから合理化という名の首切りが必要。(今も昔もアメリカの意向次第)
 経営難の福岡中央テレビにドイツ資本が参入して、東南アジア向けのテレビ局に再編しようとする。
 デジタル化に伴い古い技術者は要らない。だから合理化という名のリストラが必要。
(2005年実際に起こったフジテレビとライブドアの問題もこれに酷似している)

 首切りをするのであれば、労働組合の指導者からと考える会社側。それに対しストライキで抗議し労働者を守ろうとする労働組合。(ストライキは法律で認められた正当な権利である)
 リストラするなら、外部スタッフやパート労働者、テレビ局の意に沿わない者からと考える会社側。それに対し会社の内部事情を調べ、外部資本に頼らないで会社を再建する方法を模索しリストラを許さないと行動する労働組合。(ストライキという戦術は考えないらしい)

 会社の言うことを聞くなら首切りはしないという誘いに乗った者で構成された第2組合をつくり、労働者の分裂を図った会社側(アメリカのやり方を見習ったといわれている)
 会社の立場に立つ中間管理職も含めた実力者で構成された第2組合をつくり、労働者の分裂を図る会社側。(主人公・原陽子も誘われ入ろうとするが、疑問を感じ次第に「ひだるか」な状態になっていく)


 私が三池闘争を学びたいと思ったのは、「60年前の出来事から見えてくる今日的課題とは何か。」「逆に今日的課題の発端やその解決のための糸口は60年前の出来事にある、とはどういうことか。」の2点だった。この映画は私のそんな問題意識に対して見事に応えてくれた。

 映画のいろんな場面に名言が散らばっている。例えば、原陽子の後輩の深町の言葉「三池闘争の時代に比べて今は豊かになったが、何か大切なものを失ったような気がする」
 陽子の行きつけのバーの女将の言葉「衛星放送もいいけど、やっぱり地元の情報を流してくれるテレビ局がないと困るし寂しい」
 陽子のかつての恋人橋本の言葉「陽子の仕事は社会正義に向き合っていて、大きな影響力がある。福岡の地方局であっても陽子の伝えるメッセージは大きな力を持っている。テレビを見ている人が千人であろうが1万人であろうがそれはとても大切なことだ」
この橋本の言葉は、この映画づくりに関わった人全ての心意気ではないだろうか。


 主人公・原陽子は「三池闘争」を題材としたドキュメント番組をつくろうと、企画・構成・出演・演出・編集を自ら行い、取材を通して現場に足を運び、三池に関わった人と出会い話を聞き、三池炭鉱で働いていた自分の父親の過去も含めた様々な真実を知る。やがてテレビ局の合理化問題に揺れる陽子自身もそれまでの「ひだるかな心」から脱却し、人生の岐路に立ち向かおうとする。(仕事をする陽子の姿から港監督の姿が重なって見える)

 人は誰でも「ひだるかな心」を持っている。このままではいけない、何かをやろう変えようと思っていてもなかなか実行が出来ない。人間とは弱いものだ。しかし、選択し実行しなければならない「人生の岐路」は誰にでもいつか訪れるのだ。その時どうすればよいのか。
 映画「ひだるか」は、60年前の三池闘争の歴史、外国資本参入で揺れるテレビ局の内部事情、労働組合の本来のあり方とは何か等、今まで映画界では扱うことタブーとされてきた事象を通して、「人生の岐路」について考えさせてくれる紛れもない名作だった。

 では「ひだるか」予告編をどうぞ。





 さて、この内容であの人はどんな感想をくれるのだろう。怖いような、楽しみなような・・・。