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 みなさん今日は、私は「ゆきやん」と申します。
 大和高原の小さな村に住み、高原の田畑と森を手入れする日々を送っています。
 森の木を最適な状況に管理し、間伐した枝を持ち帰り、薪(まき)と柴(しば)で風呂を焚きます。最近、「柴(しば)」と言っても若い人たちに伝わらなくなりました。ゴルフ場の芝ではなく、燃料にする「たき木」のことです。
 江戸時代の農民出身学者・新井白石のように柴を折り、燃料として利用する日々を過ごしています。海外から石炭や石油、天然ガスを輸入したり、原子力に頼らねば日々の生活が成り立たない現代社会にあって、江戸時代やはるか昔の縄文時代のような自然に近い生活を送っています。






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  004 2020/10/01

 「ゆきやん」の自己紹介 その2


 みなさん今日は、前回は段々畑や川岸の石垣を紹介しました。
 今回紹介するのは山の恵み「栗」です。



 昼の間に道に落ちているものを拾ってきました。今晩は、栗ご飯にしましょう・・・・。
 けれども、夜の間に地面に落ちたものは、人間のものではありません。イノシシやシカなど、自然の生き物のための食料です。

 どうして急にこんなことを言い出すのでしょう。
 私が産まれた昭和30年代、大和高原の森には落葉広葉樹がほとんどで、現在のようにスギやヒノキのような針葉樹の人工林はまだ多くありませんでした。森の動物たちは、腹いっぱいドングリや栗を食べていたのです。高原に住む人たちは、クヌギやナラの木の枝を4〜5年に一度伐採して炭を焼きました。決して落葉広葉樹を根元から伐採しませんでした。皆さんよく耳にする『里山』が守られ、虫や動物が生きていく環境が守られていたのです。
 ところが、「おやまのスギの子 かお出して、はいはいお日様今日は・・・・・」という歌がラジオやテレビから流れてくるようになるとクヌギ・ナラ・クリなどの落葉広葉樹はどんどん伐採され、スギやヒノキの山に変わって行きました。針葉樹林の森にはドングリなどの餌がなく、イノシシやシカは、人間の住む住宅や畑に出没するようになってしまったのです。

 家の周囲にイノシシやシカがやって来ますが、「ドングリ」や「栗」を腹一杯食べて人間との共存をするため、落葉広葉樹を出来るだけ残すようにしています。昼に落ちてくる「栗」は人間の、夜に落ちる「栗」は動物のものなのです。