【時の旅人】 の profil

 みなさん今日は、私は「ゆきやん」と申します。
 大和高原の小さな村に住み、高原の田畑と森を手入れする日々を送っています。
 森の木を最適な状況に管理し、間伐した枝を持ち帰り、薪(まき)と柴(しば)で風呂を焚きます。最近、「柴(しば)」と言っても若い人たちに伝わらなくなりました。ゴルフ場の芝ではなく、燃料にする「たき木」のことです。
 江戸時代の農民出身学者・新井白石のように柴を折り、燃料として利用する日々を過ごしています。海外から石炭や石油、天然ガスを輸入したり、原子力に頼らねば日々の生活が成り立たない現代社会にあって、江戸時代やはるか昔の縄文時代のような自然に近い生活を送っています。








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  017 2022/01/24

 山里の危機 その3




 ◎大和高原に、大きな危険が忍び寄る 

 名阪国道、旧都祁村のあるインターチェンジのすぐ北側。100メートルと離れていない所。かつて、のどかな、それはのどかな養豚場がありました。谷の小川では豚たちが水浴び(泥浴び?)に興じ、山肌の木陰では夏の日差しを避けて、のんびりと豚たちがお昼寝をしていました。


 ◎養豚場跡地に産業廃棄物が! 

 何とその、のどかな高原の谷間に大量の産業廃棄物が山のように積まれたのです。上の写真の奥、山となっている所は、かつて谷だった所なのです。土を覆い被せて隠そうとしているのでしょうか。
 20年か30年前だったでしょうか。養豚場とは異質な刺激臭が、インターチェンジ周辺にするようになりました。かつて50年前に三重県四日市市の1号線を通ったときのような。また、名阪国道沿いの三重県伊賀市治田インターチェンジ付近に山と積まれた産業廃棄物の匂いにも似ていました。 養豚場が閉鎖された後、豚たちが遊び、たくさんの子豚を作り育てていた谷は、見るも無惨な状態に変わっていました。


 ◎平和な養豚場のある谷 

 私の叔父が養豚場で働いていたために、母豚のお産の際、子豚たちが切ったばかりのヘソの緒にヨーチンをつけられ、暖かい電球のある産室で眠り、母豚の乳をのむ。そんな幸せな里の風景が、ここにあったのに。お茶を作っていた我が家は、この養豚場からトラック何台分もの「豚のうんこ」を肥料としてもらっていました。何度も「うんこ」を取りに行ったことを覚えています。


 ◎産業廃棄物の上には太陽光パネルが! 

 廃棄物の引き取りで儲けた業者は、そのお金を元に太陽光パネルを設置、さらに稼いでいる様子です。2020年までで再生可能エネルギーの全量買い取り制度は終わりました。もはや経済産業省からの認可は特例(農地の上にパネルを設置する方法)以外に下りることはありません。 


 ◎谷の下には奈良県民の「水がめ」が! 



 業者は、ここで一体何をしているのでしょうか?
 この谷の水は奈良県民の「水がめ」布目ダムに流れ込みます。
 「奈良県民の水源は大丈夫なのか。」
 「パネルの足場は見るからに風で飛びそうな様子。」


 ◎大和高原の将来を思う 

 業者は、今ここで一体何をしているのか。平和なのどかな谷間はどこへ行ってしまったのか。大和高原に住む我々が、自分の故郷をどのような場所にしようとしているのか。父祖の残した土地を、素晴らしい土地に変えることこそ私たちの使命なのではないでしょうか。