【時の旅人】 の profil

 みなさん今日は、私は「ゆきやん」と申します。
 大和高原の小さな村に住み、高原の田畑と森を手入れする日々を送っています。
 森の木を最適な状況に管理し、間伐した枝を持ち帰り、薪(まき)と柴(しば)で風呂を焚きます。最近、「柴(しば)」と言っても若い人たちに伝わらなくなりました。ゴルフ場の芝ではなく、燃料にする「たき木」のことです。
 江戸時代の農民出身学者・新井白石のように柴を折り、燃料として利用する日々を過ごしています。海外から石炭や石油、天然ガスを輸入したり、原子力に頼らねば日々の生活が成り立たない現代社会にあって、江戸時代やはるか昔の縄文時代のような自然に近い生活を送っています。








【時の旅人】Topへ


【有朋自遠方来】Topへ


【一握の知力】Topへ



  025 2022/06/16


 半跏思惟像に思う 


 ◎半跏思惟像に思う 

 前回、大和高原にある神野寺(こうのでら)の菩薩半跏像について文章を書きました。
 教科書に載っている奈良県斑鳩町中宮寺の半跏思惟像も、さすがに国宝といわれるだけあって素晴らしいものです。

次の写真(NHK「やまとの国宝」より)


 いったい何が素晴らしいと言うのでしょう。楠(くすのき)で作られた姿、とりわけ表情はアルカイック・スマイルと呼ばれエジプトのスフィンクス等と並んで古典的な謎と言われています。

 前回の中国・雲崗石窟を思い出して下さい。随・唐よりも前、北魏時代、
 「皇太子を産んだ皇后は、母として国政に悪い影響を及ぼす。」
 このように考えられて、男の子を産むと「死」が待っていました。せっかく皇太子を産んだのに殺される運命が待っていたのです。
 殺されていく皇后に、王を含め周囲の人たちは、最大の敬意を払ってその美しい姿をせめて像に残そうとしました。中国・北京郊外、雲崗石窟群には各時代の半跏思惟像があります。皇太子を産んだがために、国の流儀に従って命を落とした若き皇后を弔う石像です。


↑北魏・皇太子の母をモデルにしたと言われる半跏像。      (雲崗石仏第5窟)

 隋の時代、中国に渡った日本人が、この悲しい物語を聞いて、神野寺にある菩薩半跏像を求めたのではないでしょうか。また中宮寺にある楠(くすのき)・寄せ木造りの半跏思惟像を作らせたのではないでしょうか。
 「アルカイック・スマイル」とか「謎の微笑」などと言っている場合ではないのです。皇太子の王としての成長を願いながら、自らは死んでゆかねばならない葛藤の表情なのです。
 悲しい物語に手を合わせずにはいられません。