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 みなさん今日は、私は「ゆきやん」と申します。
 大和高原の小さな村に住み、高原の田畑と森を手入れする日々を送っています。
 森の木を最適な状況に管理し、間伐した枝を持ち帰り、薪(まき)と柴(しば)で風呂を焚きます。最近、「柴(しば)」と言っても若い人たちに伝わらなくなりました。ゴルフ場の芝ではなく、燃料にする「たき木」のことです。
 江戸時代の農民出身学者・新井白石のように柴を折り、燃料として利用する日々を過ごしています。海外から石炭や石油、天然ガスを輸入したり、原子力に頼らねば日々の生活が成り立たない現代社会にあって、江戸時代やはるか昔の縄文時代のような自然に近い生活を送っています。








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  030 2023/01/12


 山の神  
 



 1月7日の夜は、我が大和高原のいくつかの集落にとって「山の神」と呼ばれる樫の木のご神木に、今年一年の願い事をする日です。



 樫の木の太い幹にそれぞれが持ってきた1〜2メートルの栗の木の枝を引っ掛けます。
 「何故こんなことをするのだろうか。」
と、小さい頃から不思議に思いながらも、父や祖父に聞くこともなく現在に至っています。
 今やっと、
 「そうだったのか。」
と、合点のいく理屈にたどりつきました。それは『もののけ姫』を観たことがきっかけでした。
 大和高原の私たちの住む小さな村には、縄文時代草創期の集住遺跡があります。縄文時代に70もの竪穴住居遺跡が存在するのは、当時としては非常に大きな集落であったと言うことです。
 狩猟・採集の縄文生活をおくるうえで、「栗の実」は、非常に大切な食料であったと考えられます。
 やがて高原の周囲に「米作りの文化」、弥生文化が大勢をしめる時代がやってきます。弥生文化の中で生きる里の人たちは、山の中で木の実を集め、シカやイノシシ、ウサギを猟って生きている縄文の人びとを、
 「なんだ、あの変な奴らは。」
と見るようになります。実際、顔面に入れ墨をし、大きな耳輪を付けた縄文人は奇異に映ったでしょう。『もののけ姫』に描かれた「山の民」「里の民」の出会いは、まさに縄文人と弥生人の出会いであったのです。
 神社神道は、一年を通じて米作りの豊作祈願に貫かれています。それに対して、「山の神」信仰は、自然の恵みに対する祈りなのです。
 集落の人びとは、神木の前に「栗」「干し柿」「こうじ(みかん)」「餅」を供え、山の神に平和と豊饒を祈ります。
 また、固い栗の木で剣を作って供えます。私は幼少の頃から、剣で戦国時代をイメージしていたのですが、そうではなく、獲物を狩るモリではないでしょうか。北海道などの縄文遺跡から出土する動物の骨にするどい石器を埋め込んだ狩猟道具を連想します。



 私たちの集落では、かつて縄文の文化をもつ人たちがだんだんと弥生の文化(米作り)を受け入れながらも、神々への信仰を絶やすことなく今日に至っていると言えるでしょう。
 キリスト教文化が入ってきたヨーロッパで、原住民であるケルト民族の人たちが「森の精霊」信仰を絶やさなかったことにも似てはいないでしょうか。