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№001  2020/01/21
文楽 「世話物」 雑感



 №001  2020年01月21日

 文楽 「世話物」 雑感


 初めまして。平群の山在住の「葉広 熊樫」です。「一握の知力」管理人さんからなんでも良いので一度投稿をと去年の秋から何度も何度も言い含められつつも雑事にまみれ正月の有り余る時間も空費して、遂には来月マレーシアに避寒の旅に出る前には一片の投稿をと自ら重荷を負わせたは良いが、果て何を?…何も思いつかずまた思案に数日。はたと初春公演で友人と観てきた文楽の「雑感」を書くことを閃き、ようやく机に向かい得ました。

 ところで文楽「雑感」に入る前に、我が家内の筆なる額に、以下の徳川家康の遺訓が行書体で書かれてあるのをこの正月じっくり読み下し、6回目の子年を数えて甚く人生に反省の感あるものと思い及び、このするめのごとく味わいを行年来年過ごしおられる方々に向けて掲げて置きたくなりました。老婆心故なるを、ご容赦のください。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」


 2019年の直木賞受賞作「渦: 妹背山婦女庭訓魂結び」が選ばれていたのを、知りながらまたも雑事にまみれ忘れていたのを、年末に友人から改めて紹介されました。主人公は近松半治という、江戸時代中期(宝暦〜明和)に活躍した浄瑠璃作者で、その作品の数々は現在の文楽公演にはなくてはならない演目として毎年のように公演されて、またその多くは歌舞伎の演目にも置き換えられて、これも今の歌舞伎の代表的な演目になってます。



 因みに半治は近松門左衛門との縁戚関係はなく、半治が生まれたころに門左衛門が没しており、その名声を慕って近松の姓を半治が名乗ったものとなっています。

 文楽といえば必ず、太夫(浄瑠璃を語る人)、三味線(物語の情感を三味線で奏する。太夫の伴奏ではない!)、それと人形(主遣い、左手遣い、足遣いの三人で人形一体を扱う)の三位一体が主体で、演目の作者にはあまり関心がなく、近松の心中物のほかはあまり気に留めてなかったものを、この本でぐっと作者が前に出てきた感があります。これからは戯作者が誰であるかにも注意を払って鑑賞すればまた文楽鑑賞も面白くなりそうです。

 さて文楽の演目全般を、大きく分けると「時代物」と「世話物」に大別されて、世話物とは江戸時代の庶民を扱った人情ものやら心中物があり、時代物とは演目の時代が室町時代以前のものとなります。ただし「仮名手本忠臣蔵」などは、江戸時代に起こった騒動ではありますが、お上を憚って時代を室町時代に置き換えて時代物として扱われています。
 ところは上方中心で(大阪、京都、奈良、伊勢、和歌山界隈)がほとんどで江戸や地方は珍しい。

 それでは『とうざーいー、とうざいー、ただ今よりの「雑感」は〜世話物の話となりま〜す。演じますは、たたみこも へぐりのやまの はびろくまかし とうざーいー、とうざいー

 では世話物とはまさに現代に生きる我々からは、江戸時代の庶民の暮らしや習慣やまた時代のイデオロギー(庶民:義理人情、武士:忠義)に縛られた人々の喜怒哀楽が時代を超えて迫ってきます。(太夫の語る人物の情が今の我々の心の奥底を揺さぶります。三味線が人物の心情を激しく響かせます。人形は人間以上に心の奥の情を我々に訴えてきます。)また舞台はそれらの情景を映してなんともきれいで歌舞伎の舞台の艶やかさにも退けは取りません。特に心中物の道行き(死に場所へ二人してこの世の名残を胸にして向かっていく道中)や、死んでゆく場面がなんとも美し過ぎるくらい美しい。
 (オフェーリアの死の描写も美しいし、ジュリエットの死も痛ましく胸に迫る。シェークスピアとの時代の同一性を感じるが死の美しさの深堀は後日にします。)

 心中はなさぬ仲(大概は遊女との)を儚んで死ぬというのが多いのですが、「心中天の網島」紙屋治兵衛遊女小春に絡む女房おさんの哀れさは胸を打ちます。心中物ではほかに「曽根崎心中」遊女お初徳兵衛は男の意地を通した心中、「心中宵庚辰」お千代半兵衛は義理に迫られた珍しい夫婦での心中、「冥途の飛脚」遊女梅川忠兵衛で「封印切の段」の止むに止まれぬ男の意地や「新口村の段」の忠兵衛の実父孫右衛門との親子の別れや雪の細道に二人を逃がす孫右衛門の子を思う切なさはいつ見ても胸を打ち、また雪が津々降る情景の中、追手が迫る緊迫感を残して遠景に逃れていく場面は胸に染み入る名場面です。(遠くに逃れて行くときの人形は小さめの人形を使って距離感を表現しています。)

 心中以外の世話物ではいろいろありますが、今回は季節感のある出し物で夏になると結構多く演じられる「夏祭り浪華鑑」「伊勢音頭恋寝刃」「国言詢音頭」など紹介します。「夏祭り浪華鑑」の団七は粋な団七縞と称される浴衣(帷子)を着ていて、その下が全身刺青の侠客義のある棒振り(行商)魚屋で天神祭りの宵、義父のいじめに堪えかねて壮絶な殺しに至る場は、太夫の掛け合いの迫力に息をのみます。井戸で血を洗う水は本水を使う季節感。天神祭りのお囃子が緊迫感を高めます。「伊勢音頭恋寝刃」、「国言詢音頭」は共に同じような筋ですが、こちらは武士が入れあげた遊女にもてあそばれて、意趣返しの皆殺しに及ぶ不気味さ恐ろしさが迫ってきます。事終わって本物の水の夕立の中、かっこよくパっと番傘ひらいて悠々と帰っていくときにチョ〜ンと柝入って幕になります。

 文楽世話物の夏の演目紹介もここらで柝が入って、次回は時代物の代表演目をお披露目いたしたく存じ上げま〜す。(文楽の場合、歌舞伎と同じで柝が入って、幕が締められるとそれでおしまい!挨拶も何もありません。あわただしく席を立って帰ります。)
(浄瑠璃の聴き所、泣き所の『くどき』の名調子などもまたの機会に聞いてください。)

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 画像は上から
★ 妹背山婦女庭訓 三段目 山の段
「古は神代の昔山跡の、国は都の初めにて、妹背の初め山々の、中を渡るる吉野川、塵も芥も花の山、実に世に遊ぶ歌人の、言の葉草の捨て所 …… 」
★ 心中天網島の紙屋治兵衛;土門拳撮影
★ 二世瀬川如皐『牟芸古雅志』より「曽根崎心中」  倉田喜弘『文楽の歴史』より
 中央右端から左向きに三味線弾き、太夫竹本筑後掾、竹本頼母ツレ語る、人形遣いは辰松八郎兵衛と書かれている。