難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           
自民党総裁選の記事を検索していたら、討論会にあたって三人の立候補者たちが揮毫(きごう)をしたためた、とあり、その写真が掲載されていた。それで今回は、『政治家の揮毫展』でも開こうか。


総裁候補三名の揮毫がコレ。

政治家はことあるごとに揮毫を所望されるもので、従って政治家は書が上手い、というのが定説であるが、この三人の書は一目見てびっくり。
三人とも、チョー下手くそなのだ!
それぞれを拡大しておこう。

石破茂は「鷙鳥不群(しちょうふぐん)」。「鷙鳥はワシやタカなどの猛禽(もうきん)類。そういう強い鳥は群れない。弱い者は群れるが強い者は群れない」と説明したそうだ。でもね、政治家が何時まで経っても孤高のままだったら政治ができないでしょう。負けることに恰好をつけているみたいで自嘲的。

菅義偉は見ての通り。零細企業の社是みたい。これって、やると思えばどこまでやるさ、人生劇場的マッチョ指向の格言バージョンじゃん。菅サン、やっぱりね。

岸田文雄は「春風接人(しゅんぷうせつじん)」で、「春の風のように人に接したい」という意味なんだそうな。石破さんと同様、政治家としての本分とはズレた地点で、自己を美化していると思うな。


自民党総裁・内閣総理大臣の先輩のものを見てみよう。
安倍晋三君も麻生太郎君も揮毫を書く機会は多かったであろう、だから一生懸命お手本をなぞった、という感じはするのだが、

芸道とはおしなべてお手本の模倣で基礎能力を養うものだが、安倍君はお手本の外観だけをまねている。筆の勢いや筆遣いの流れ、つまり表現の根幹を見ていない。だからお手本とは似て非なるものができあがる。だから、「至誠」は見慣れた字であるはずなのに、『至誠』と読めないのである。書道の先生から、ぼろくそに酷評されるタイプの字である。

必勝祈願の書が最初の字から掠れて寸止まりになったのでは、縁起が悪いだろう。

麻生君は安倍君に比べると「手慣れた」感じに見える。


だが、一度身についた「手癖」が直らないようだ。なよなよした筆遣いが、署名になるとさらに顕著になる。先生が批評を断念するタイプである。批判されないから、いつまでたってもなよなよが直らない。


野党側を見てみよう。こちらも、下手くそさ加減においては自民三候補に劣らない。さらに悪いことには、揮毫をしたためるという行為そのものに文化的価値を認めていない、という思想が露呈している。長期にわたる野党の凋落の原因は、政策というより、文化政策の貧しさにこそあるのではないか、と考えたことがないのだろうか? スターリン時代の社会主義リアリズム以降、何か一つでも文化的な指向性を示したことがあっただろうか。ときおり大衆迎合の姿勢だけを見せるから、余計に離反を招くのだ。

野田佳彦

枝野幸男

福島みずほ


大阪維新を見てみよう。
アワワーッ! こちらは論評不能だわ。まるでヤンキーの書いた字。区役所の窓口で書類申請するとき、ハイ、こちらに名前と住所を書いて、と言われた時ぐらいしか、字を書いていない、という字。学校でもノートをきちんととらなかったこと、バレバレ。大阪人は、こんなおじさんたちに喜んで投票している訳だ。

松井一郎

橋下徹


気を取り直して、昔の政治家という気風を残した人の書を見てみよう。おお、流石だ。
小泉さんも小沢さんも、揮毫を所望する人が「どんな字を望んでいるか」ということまで見越して筆を振るっています。やっと政治家らしい書に出会えました。

小泉純一郎

小沢一郎


続いて前世紀の歴代首相の書を見て行こう。だんだんと昔にさかのぼる順序で。ここまで来ると、もう心安らかに書を観る気分になれます。

橋本龍太郎

村山富市

海部俊樹

竹下登

竹下登

中曽根康弘

大平正芳

大平正芳

福田赳夫


最後に、名人上手級の人を。
江田五月さんはすでに議員は引退されていて、現在は立憲民主党岡山県連合顧問。彼の書は本格派のものである。3点見つけた。

『龍翔』

『鷹撃長空』

この書には題が書かれていなかったが、安倍君の場合と違って、筆の勢い、気の流れ、つまり書家の表現行為そのもので字が崩されているので、きちん『破』と読める。字の意味がそのまま字の崩しになっていて、見事。政治家がまた文化人でもあった時代の人である。

 彼のお父さんの、江田三郎のことを思い出す。いわゆる「構造改革論」の論者であり、社会党主流派からはさんざん叩かれたが、最も現実主義に徹した考えであったと思う。白髪の紳士で口調も穏やか。国民的な人気があった。

「菅義偉 新内閣総理大臣 選出」という欺瞞
    『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』 その8
                   (2020年09月18日)



 

新内閣総理大臣決定のもたらす無力感


 おおかたの予想通り、というより、メディアが流しまくった風評どおり、菅義偉が内閣総理大臣になった。だが、このことを、ああ良かったと胸なでおろし、素直に喜んでいる国民はいったいどれほどいるだろう。
 菅義偉という個人に対する好き嫌いのことではない。それより先に、われわれ国民の手の届かないところで、われわれには理解しがたい方法で、国家元首が選ばれている、しかも、そうなって久しい、という無力感に捕らわれてしまう。気が滅入るのは、私だけではないだろう。

 いったい、内閣総理大臣とは、どういう風に選ばれるのだろう。
 日本国憲法を見てみよう。その「第67条」にはこう書かれている。

 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。

 国会が内閣総理大臣を指名するという、日本における議会制民主主義のあり方が書かれている。一昨日(9月16日)、国会で菅義偉が指名されたという報道があった。つまり、この原則どうりに事が進んでいるように見える。だが、それは、手続きの最後の手順、たんなる建前として、ではないのか?
 実際にはこのルールがどのように運用されているかといえば、与党第一党の自民党が、ごく内輪の方法で党総裁を選び、はい、これが次の内閣総理大臣です、と国民に差し出すのである。国民は、不承不承、それを受け取るしかないのだ。


菅新総裁選出の顛末


 この国会のさらに二日前、自民党の両議員総会で菅義偉が自民党総裁に選ばれている。
 これを、自民党のホームページはどう伝えているか?

 わが党は9月14日、都内で党大会に代わる両院議員総会を開き、安倍晋三総裁の後任に菅義偉内閣官房長官を選出しました。
 今回の総裁選は党則第6条第2項に基づき、党大会に代わる両院議員総会で選出する方式が取られ、全ての国会議員( 394人)と都道府県連の代表各3人( 141人)の投票によって行われました。


 おやおや、どうやら自民党には、新総裁を選ぶのに厳密な既定がないようである。本来なら総裁選は「党大会」で行われるはずなのだが、今回は「党大会に代わる両院議員総会」であったわけだ。わざわざ「党大会に代わる」などと2回も特記しているのが、取って付けた言いわけみたいで、いかにもわざとらしい。

 その経緯を、チラ見しただけなのだが、ニュース報道は次のように伝えていた。
 党の中枢は、安倍の後継として無難な管を新総裁にしたい、と考えている。だが、根回し・統制が十分に効くのは国会議員まで。地方の都道府県連では人心の一新を求める声が多く、石破の人気が高い。党大会で総裁選を行えば石破に持って行かれる恐れがある。そこで両議員総会だ。両議員総会なら、国会議員の比率が7割を超える …… 。
 何とも、人を馬鹿にした話しである。いや、もっと非道いこと、不謹慎としか表現できない策略が行われていたらしい。読売系のニュースサイトから、写真を2葉コピーしよう。テロップがあるので説明は不要だろう。



 憲法は「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。」と、議会制民主主義の原則を規定している。だが、その規定に「魂入れず」どころか、自分たちが好き勝手に振る舞うことを正当化するための道具として、逆に憲法を利用している。これが今の内閣総理大臣選出の内実である。
 党中枢に好き勝手に振る舞われても、それでも自民党員に止まっている人たち。主流派のなかの好位置に、自分と自分の派閥を置くことだけが目的で、票のとりまとめに奔走する国会議員たち。この人たちが責任政党である自民党の中核メンバーなのだ。
 ここには何の政策論争もない。


「政党支持率」「誰が次の首相・自民党総裁にふさわしいか」


 実際のところ、菅義偉が総理大臣になって、ああ良かった、と思っている人は、どれくらいいるのだろう。ネットで見つけた世論調査の数値を元に計算してみよう。たいして根拠のある試算にはならないだろうし、もとより何の目的もない。無力感の持って行く先がないので、ちょっと遊んでみるだけのことなのだが。

 使うのは、次の二つの表。左が「政党支持率」右が「誰が次の首相・自民党総裁にふさわしいか」、の調査結果である。どちらも二通りのデータが併記されているので、これを選んだ。



 これを見れば、そもそも "世論調査" の数値など、そのまま鵜呑みにすべきでないことがよく分かる。「調査方法」と「設問の立て方」で、結果はコロッとかわってしまうからだ。多少の誤差というレベルではない。見ての通り、倍から違うのである。


『政党支持率』の数値を読む


 左の『政党支持率』の2列のデータは、調査方法が違う。電話調査(赤字)ネット調査(青字)である。表の左上、自民党の支持率を見てください。

 自民党を支持する人
   
電話調査  29.2%
   ネット調査 15.4%


 倍から違いますね。
 電話調査とは固定電話が対象なのだろうか? そうだとすると、回答者の年齢層は、平均値より高年齢側にシフトするはずだ。電話回線を通してであれ、質問者と回答者がじかに相対するわけであるから、回答者は常識的で無難な回答をするようになるだろう。さらに、即答できるほどの支持政党がなくとも、無回答で済ますのではなく、無理にでも何らかの選択をしようと努力するだろう。その結果、各政党とも支持率は「高い目」に出る。
 それに比べると、ネット調査の場合、回答者はより若年層にシフトしていると思われる。おまけに、ディスプレイに向かうだけで質問者の存在が見えないから、とうぜん回答は遠慮気兼ねのないものとなる。面倒になれば、無回答。この場合は「支持政党なし」、が増えてしまう。
 その結果、多くの政党支持率は、電話調査の場合から半減してしまう。

 ネット調査では、支持政党なしが、67.4%、つまり、全体の "2/3"に達している。まさに、政党政治にとっては、危機的なデータ数値である。だが、改めて指摘するまでもなく、自民・公明連立政権は、この生産世代の政治的無関心と小選挙区制のトリックとによって、辛うじて余命を保っているわけである。
 逆に、維新・れいわ・N国、が、電話調査の場合より支持率を上げているのは、この3団体の支持層ががネット閲覧層と重なるからであろう。

 こう見てくると、積極的に自民党を支持する人の割合は、ネット調査の 15.4% という数値が、限りなく現実に近いもののように思える。年齢層の偏りを修正しても、20% を超えることにはならないだろう。


『誰が次の首相・自民党総裁にふさわしいか』の数値を読む


 続いて、右側の表『誰が次の首相・自民党総裁にふさわしいか』の数値を読んでみよう。
 1行目の菅義偉と答えた人の支持率を見てください。

 菅義偉が次の首相・自民党総裁にふさわしいと答えた人
   共同通信(左列)  14.3%
   朝日新聞(右列)  38._%


 こちらの結果数値は、倍以上違う。何じゃ、こりゃ?
 共同通信(左列)と朝日新聞(右列)では、設問の立て方が違う。

 共同通信(左列)の場合は、候補者名を限定せずに、単純に「誰が首相・自民党総裁にふさわしいと思うか」と尋ねているようだ。調査方法は「 RDD」(乱数番号法;Random Digit Dialing)とあるから、おそらく電話なのだろう。回答者の目の前に回答候補者名がズラリと並んでいる訳ではない。回答者は、自分の記憶によって、ある候補者の名前とイメージを思い浮かべ、人物を特定している。だから、回答できない人が増えるのは当然で、表に現われている数字を合計しても 70% に届かない。
 この質問方法は、回答者をミスリードしないという点において、調査結果は実勢に近い数値を示していると思われる。ただし、「次の首相」かつ「次の自民党総裁」の積集合を求めているので、自民党の支持者でなくても「自民党の中から一人を選ぶ」ことになる。だから、14.3% という数値が、そのまま、菅義偉に対する「自発的・絶対的」好感度率であると読むことはできない。実際はさらに低くなるはずである。せいぜい 10% 程度なのではなかろうか。

 朝日新聞(右列)も同様に「 RDD」であるが、こちらは、「菅、石破、岸田、この中にいない」から一つ選べ、の四択だったようだ。この四択なら、電話でも、提示するのに五秒もかからない。
 質問された人は困ったでしょうね。食いたくないかもしれないが、とにかく一つを選んで食え、と言われたわけだから。何たる問いの立て方だ! と怒り出す人もいただろう。だから、四択なら答えやすいはずなのに、数値を合計しても 100%にならない。

 この調査がまったく無意味である、とまでは言わない。だが、ネタ集めに事欠いて、ずさんな世論調査ばかりを繰りかえすようになると、弊害ばかりが目についてくる。朝日の紙面でこの表を見た人が、「ああ、菅さんは、国民の 38%から支持されているのだ」と思い込む確率はかなり高いだろう。こうなると見事に世論誘導である。


何故、菅が逆転したのか?


 一点だけ推論を述べておく。菅と石破の支持率順位が、共同通信と朝日新聞の調査では逆転している点について、である。共同通信の調査では、石破が2位の菅に対してダブル・スコアのトップなのに、朝日新聞の調査では、菅が逆転してトップに立っている。
 共同通信の調査は8月29・30日朝日は9月2・3日、にそれぞれ行われている。その差4日間である。この間に何が起こったか?

 この間自民党内で「菅一本化」が急速に進んだのではなかったか?

 ウィキペディアによれば、自民党の衆参両議員は、合計 395人。(前出のデータと1人違うが、このままで話を進める) これを、派閥別でみると、細田派 98 、麻生派 56 、竹下派 54 、二階派 54 、岸田派 47 、石破派 19 、石原派 11 、無派閥 63 、となる。
 このうち、細田派・二階派は早くから菅支持を打ち出していた。これに加え竹下派が菅支持に一本化したのが8月31日である。ちょっと足し算をしていただきたい、これだけで 206名、となり過半数を制するのである。これを見て、菅の仇敵麻生も、負け戦を回避して直ちに菅指示にまわった。これで、「次の自民党総裁・内閣総理大臣は菅義偉」ムードが一気に昂まる。メディアは政権の動きばかりを見ているから、ニュース・ショウはたちまち「菅義偉さんとは、こんな人」という話題で埋め尽くされたはずである。
 その結果、朝日新聞調査の『誰が次の首相・自民党総裁にふさわしいか』では菅義偉がトップに躍り出た。つまりこれは、菅義偉に対する支持率調査というより、より正確に言うならば、「菅義偉? 知ってる、知ってる、この人知ってる、令和おじさんだよ」というメディア露出度効果の調査なのだ。つまり朝日は、自分で仕込んだネタを「世論」として調査しているわけだ。(笑)
 これはもう、世論誘導・世論操作というより、世論捏造だね。


ここまで来た! 世論調査の世論捏造化。


 世論捏造と言えば、17日の大手メディアは一斉に「菅新内閣支持率」の調査結果を報じている。数値だけを引くと、朝日 75%、毎日 64%、日経 74%、共同通信 66%、とべらぼうに高い数値となっている。
 おかしいだろう、これ。いままで報道してきた数値との乖離が極端すぎるではないか。
 報道していて何の違和感も感じないのだろうか?
 今までの報道はウソでした、という訳か?
 世論なんて言うが、大衆の心なんて風の中の羽のようなものさ、ということか?

 冷静に考えてみよう。
 9月16日に発足した内閣の支持率が、なぜ、翌17日に数値に集計されて報道できるのか?
 そんなこと、不可能だろう。
 新内閣は、いくつかの方針表明をした段階で、まだ何の実績もあげていない。その内閣を支持したり、批判したりする根拠を、まだ誰も持っていない。


 この「高支持率?」も、『共同通信』から『朝日新聞』への4日間で、データが逆転したのと同じ理由による。
 菅義偉が自民党総裁に決定して以来、あらゆるメディアが「新首相菅義偉さんとは、どんな人?」キャンペーンを流しまくったであろう。その結果「新首相菅義偉の認知度が高まった」というだけのことである。
 つまり、これも、新首相支持率調査とはいうものの、内実は「新首相菅義偉さんを知ってますか? 知ってますね!」調査であったわけである。


気がかりな 安倍の発言 


 ジャーナリズムならば、世論調査ばかり繰りかえして遊んでいてはダメだろう。やるべき仕事は多々あるはずだ。
 前回、安倍晋三の辞任会見に触れたが、安倍は辞任表明に入る前に二つのことを述べていた。一つはコロナ対策であるが、もう一つは次の通りである。

 コロナ対策と並んで一時の空白も許されないのが、我が国を取り巻く厳しい安全保障環境への対応であります。北朝鮮は弾道ミサイル能力を大きく向上させています。これに対し、迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことができるのか。一昨日の国家安全保障会議では、現下の厳しい安全保障環境を踏まえ、ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針を協議いたしました。今後速やかに与党調整に入り、その具体化を進めます。

 ちょうど3年前、安倍自民党は「北朝鮮の脅威、そして少子高齢化。この2つの国難」を仮想的にして、衆院選に勝利した。この男、その成功体験の夢いまだ冷めやらず、なのか、北朝鮮の危機をまた持ち出してきた。
 「これに対し、迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことができるのか」と問いかけ、それに対し、「ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針を協議いたしました」と言う。
 これは一体どういうことなのか? 
 迎撃能力を向上させるだけではダメ、ということは、先制的攻撃力を持て、と言うことなのか?

 危ない、危ない。この男、憲法改正と「我が軍」のこととなると、とたんに元気がよくなるのだ。
 辞任会見以降は大人しくしているのかと思いきや、安倍君、9月11日にも、談話を発表していて、「ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針」につき、繰りかえし述べている。本当に病気なの、あんた?
 彼の談話は、どう読んでも、軍備を拡大して「抑止力を高め」るという風にしか読めない。
 私は、気になって仕方がないのだが、ジャーナリスム各位は気にもならないのだろうか?


気がかりな 菅の発言


 菅義偉だって負けてはいない。総裁選の前の段階で、こう息巻いている。

『毎日新聞』2020年9月13日 20時13分
 自民党総裁選に立候補した菅義偉官房長官は13日のフジテレビ番組で、中央省庁の幹部人事を決める内閣人事局に見直すべき点はないと明言した。政権の決めた政策の方向性に反対する幹部は「異動してもらう」とも強調した。石破茂元幹事長、岸田文雄政調会長と出演したフジテレビ番組で発言した。

 新任の挨拶ならば、実質はどうであれ、まずは、お互い協力してやりましょう、今後ともよろしく、と言うのが常識である。それが、この男、はなから対決姿勢なのだ。
 さらに、自民党総裁に選ばれた第一声がこうである。

 自身が目指す社会像として、改めて「自助、共助、公助、絆」と強調し、「役所の縦割りや悪しき前例主義などを打破して規制改革を進める」と訴えました。

 「自助、共助、公助、絆」というスローガンは、例えば災害現場など、自分自身も「自助」の自に含まれる場面なら、美しく有効な言葉であろう。だが、責任政党の党首が、就任第一声で国民に向かって投げかけるのなら、まったく違う意味になる。つまり、貧困層に向かって「お前で何とかしろ」と突き放しているわけだ。これは聞き捨てならない。

 「役所の縦割りや悪しき前例主義などを打破して規制改革を進める」の方も同様。「北朝鮮」「少子高齢化」に続いて「縦割りと前例主義に埋没した官僚」を仮想敵に昇格させた、ということだろう。こんな、乱暴な意見を、嬉々として言わせておいて良いのか? 大阪で橋下維新がさんざんこの手で役所を叩いて、その結果、医療・教育・文化がどのような状態になってしまったか、少しでも考えてみろ。大阪の今のコロナ感染者数を見てみろ。

 大阪のコロナ、と言って思い出した。
 この間の総裁選のあいだ、コロナ感染症問題は、いったいどうなっていたのだ?


  −−【その8】了−−  



   
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