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 011  2021年1月20日


 三池闘争から学ぶ奈良のつどい  〜60周年記念〜



 去年は三池闘争から60年の節目の年であった。大阪では10月に「三池闘争60年シンポジウムin関西」が行われ、奈良でも12月5日につどいが行われた。


 三池闘争(三井三池争議)とは何であったか。

 1959年から約2年間続いた三井鉱山三池鉱業所の大争議。三井鉱山は石炭斜陽化による経営再建のため,59年1月以来退職募集を中心とする対策をたてたが,成功せず,8月再び 4580人の退職募集を提案,さらに 12月三池鉱業所の 1278人の指名解雇を通告した。これに対し三池炭鉱労働組合は日本労働組合総評議会(総評),日本炭鉱労働組合 (炭労) の支援で白紙撤回を要求して対立,会社は 60年1月25日同鉱業所のロックアウトを実施,組合は無期限ストに入った。

 その後,三鉱連 (三井炭鉱労働組合連合会) 内部の動揺や三池労組内に第2組合が結成 (1960.3.) など炭労の全体闘争は挫折,中央労働委員会に斡旋を申請したが不調に終った。6月以降は生産再開の鍵ともいうべき三川坑のホッパ (貯炭庫) の仮処分をめぐって争われ,7月の総評のピケ隊2万人と警官隊1万人が対立,遂に労働大臣の勧告が出され,漸く衝突を回避,中労委の斡旋 (会社は指名解雇を撤回し該当者は自発的に退職する) により 11月1日,282日に及ぶストは中止,会社は業務を再開し,争議は終了した。

 この争議で労組側は約 21億円の闘争資金と延べ約 30万人の動員で支援,経営者側は大手 13社と三井銀行が支援,財界対総評の戦いとまでいわれた。また第1,第2組合員の衝突,家族に対する暴行,暴力団による第1組合員の殺害など約 300件にのぼる事件が続出,大きな社会問題となった。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)


 まず「三池闘争から学ぶ奈良のつどい〜60周年記念〜」に参加されたF Yさんの感想を紹介する。

◇はじめに
 2020年12月5日、「三池闘争から学ぶ奈良のつどい〜60周年記念〜」が天理市中央公民館で行われ、コロナ感染拡大で心配のなか、55人の参加がありました。午前、午後にわたる長い「つどい」でした。
 私は「三池闘争」ということばは聞いたことがありましたが、その内容についてはほとんど知りませんでした。今回この「つどい」に参加し、三池闘争がどのような闘いであったのか、その輪郭を知ることができました。この「つどい」のようすと感想を書いてみます。

 「つどい」の司会は、午前はTさん(いのちと平和を考える会)、午後は実行員会事務局長のNさん(映画・音楽を楽しむ会)でした。
開会のあいさつは、実行委員会副委員長の来住弘之さん(憲法を生かす奈良県民の会)で、「労働運動・社会運動の課題を考えるために、三池闘争から学ぼう。」と話されました。

◆基調提案…稲葉耕一さん(奈良県三池労働運動に学ぶ会)
 「つどい」の実行委員会委員長である稲葉耕一さんから「三池闘争を1960年の闘いだけでなく、それまで、その後の闘い、CO闘争も含めて歴史的にとらえよう。」との基調提案がありました。「私が三池闘争の中で感動して学んだことは、職場闘争(職制支配を排し、組合員全員の職場民主化など)、学習活動(貧乏の原因は資本主義のしくみにあり、労働者が社会の主人公であることを自覚する)、団結と連帯(特に家族ぐるみの団結、家庭の民主化、全国の労働者などとの連帯)等である。これらを一番大事に考えたい。そして、これらを知識として学ぶのではなく、私たちの今後の活動にどう生かすかが大切である。」と話されました。この会を立ち上げた熱い想いのこもった基調提案でした。

◆映画「ひだるか」(2005年製作)
 映画「ひだるか」は、大牟田市出身の港健二郎さんが原作、脚本を書き、監督をされたものです。映画の主人公は、自分の父が三池労組の組合員でしたが、第二組合に入って後悔しながら生きてきたことを知ります。そして、亡くなった父の遺志を継ごうと、自分も会社側の第二組合に入るよう勧められていましたが、それを断り、仕事を辞めさせられることを覚悟で今までの組合で闘う決意をするという筋立てです。現代から三池闘争を見つめ直すという設定で、闘争の実際の映像も入っていて、「三池闘争を若い人にも伝えたい」という港監督の想いをひしひしと感じました。


◆港健二郎監督のお話
 この日の「つどい」を知り、急遽かけつけてきてくれた港監督が挨拶をしてくださいました。「大牟田で三池闘争を見て育ち、『なぜ働く人があれだけ団結して闘ったのか』に関心を持つようになった。今こそ、三池闘争の教訓をくみ取っていくべきだと思い、映画を製作した。」と語られました。


◆「なぜいま、三池闘争か」…立山寿幸さん(元三池炭鉱労組書記次長)
 立山さんは、実際に組合活動をし、三池闘争を闘ってこられた方です。組合活動の中で、九州大学の向坂逸郎さんから学び次第に社会に目が開かれていったこと、会社の指名解雇に対して人権無視のやり方で怒りが湧いたこと、会社が雇った暴力団に久保清さんが殺された時、第二組合に怒りが湧いたこと、闘いの中で塹壕を掘り、電球の上の部分にガソリンをしみ込ませ警官に投げつけ、死ぬかと思ったことなど、実際に体験されたお話は、ことばの一つ一つに重みがありました。
 奈良総評から三池へオルグ団として参加された、今は亡き藤原好雄さんの遺品(三尺棒)についての説明もありました。ねじれのある太い棒で、何をするものかと不思議に思っていましたが、「木の根で作られ、穴を空けていて、警察に問われると『煙草のパイプだ』と答えたが、本当は自分たちの身を守るために腰にぶら下げていたものだ。」と言われました。闘う組合員の知恵が表れたものだと思いました。
 そして、「第二組合の人に対し憎しみしかなかったが、この人たちも人間だとわかってきた。腹がすわり本当の敵は誰かがわかってきた。そして第二組合への攻撃が減ってきて、私たちは強くなった。本当の敵は誰かということがわかるのが、三池闘争の本質だと思う。」と言われたのが、心に残りました。

◆「家族ぐるみの闘い」…畑三千代さん(アイ女性会議)
 1953年、三池主婦会が結成されましたが、これは夫たちと共に闘う主婦会でした。畑さんの資料の中に、家族会議の場面が載っていますが、これこそ主婦たちが闘いの中で力をつけてきた象徴ではないかと思います。「生活のため第二組合に行く。」という父に、子どもたちは「お正月が来ても何も買ってもらわなくてもいいから、裏切者の子どもにはなりたくない。」と言い、母が「労働組合ができた根本は、働く者同志が集まって家庭平和、しあわせを得るためだ。」と言って反対します。三池闘争の中で家族も学び、ものごとの正しさを見極める眼を養い、主張できる人間になっていったことがよくわかりました。

◆「三池災害CO中毒患者・家族、遺族と『資本』との闘い」…近藤雄二さん(天理大学)
 1963年の三川鉱炭じん爆発によって被災者と遺族の人たちは、現在まで闘い続けているのだと再認識させられました。爆発事故が起きたのは、会社が利益を優先し、安全性をないがしろにしたことが原因です。しかし、その企業責任が司法の場で明らかになったのは、30年後の1993年でした。しかし、三井鉱山は「いかなる形であれ、責任の表明は拒否する」、「哀悼の意は評するが、謝罪ではない。」等と発言しています。到底許されるものではありません。また検察庁は「労働者一人の社会貢献度より、三井鉱山の貢献度が大きいから三井鉱山を不起訴にした。」という、考えられない発言。検察庁、ひいては国家または行政が、三井鉱山の無責任さを許す土台になっているのだと思います。しかし、それを許してきた責任は、私たち国民一人一人にもあるのだと思いました。
 企業責任が明らかになってから毎年、「三池COと共闘の会」の方たちと三井鉱山との集団交渉が行われて要望書を提出していますが、残念ながら会社側の態度は変わっていないとのことです。三池鉱山(2009年からコークス工業)という資本、司法、国がどういう「本性」を持っているのかを改めて知り、怒りが湧いてきました。今後の集団交渉の行方を私たちは注視していかねばならない、と思います。

◆三池から生まれた文化(歌)…堀田美恵子さん(奈良脱原発ネットワーク)
 堀田美恵子さんから、「がんばろう」の歌は大牟田出身の荒木栄さんが作曲、森田ヤエ子さんが作詞し、「男も女もがんばろう」と、今までの労働歌のイメージを変えたものであること、「三池の主婦の子守歌」は作詞も作曲も荒木栄さんで、どちらもまさに三池闘争の中から生まれてきたものだとの説明があり、キーボードの伴奏で参加者全員が歌いました。三池闘争を闘う人たちの心を支えた歌だと思いました。


◆質疑・討論
 質疑応答も活発に行われ、討論では、今、まさに組合運動で闘っている人、かつて闘った人などさまざまな人からの発言がありました。関西生コンの組合員の方から、「連帯ユニオン関西地区生コン支部」に対して2018年以来、労働組合潰しの弾圧がかけられていることの訴えがありました。正当な組合活動をつぶそうという権力側の不当な弾圧に負けない強い意志を感じました。またかつて国労の組合で活動していた方が、民営化に伴い今までと全然関係ない部署に回されたり仕事をさせてもらえないなど、非常に冷遇されたことなどを訴えられました。ほかにも多くの人が発言され、充実した討論になりました。

◆まとめ…川瀬俊治さん(フリージャーナリスト)
 最後に実行委員の川瀬さんが「立山さんが第二組合が敵ではなく、本当の敵は誰かがわかったと言われたこと、生きるか死ぬかの闘争の中で女性も参加し、生活を守る闘争だったことが重要である。今も、労働運動なくして、現状を切り開くことができない。」とまとめられました。
 最後に「がんばろう」の歌を森本忠紀さん(さよなら原発奈良県ネット)の三線の伴奏で、参加者全員で歌い、加来洋八郎さん(ぷらっとほーむ奈良)の音頭による「団結がんばろう!」で閉会しました。

◇「つどい」に参加して
 今回の「つどい」では、映画、三池闘争の当事者、共に闘う人などの講演や報告、闘争から生まれた歌など、三池闘争をさまざまな角度から見ることができました。また、藤原好雄さんが三池へオルグ団として行かれた時の体験「ホッパー前の闘い」と、大阪在住の中山茂さんが、三池労組だった父と主婦会支部長の母の子どもとして、どのように生きてきたのかを書いた「小学校2年生の三池闘争、父と母、そして叔父の事」の2つの貴重な資料もいただき、さらに三池闘争に対する視野を広げることができました。
 また、講演、報告された方と参加者が質疑応答や討論の中で、「三池闘争」への想いを共有できたことが本当によかったと思いました。
 今後、三池闘争の教訓をどのように自分に生かしていくのかが課題ですが、「連帯ユニオン関西地区生コン支部」の闘いに連帯し、さらに三池闘争についてもっと学びたいと思います。


 さらに、参加された別のお2人の感想も紹介する。
 
S Kさん
 最後の質疑応答・討論のところで、Mさんが言っておられましたが、「格差や貧困が増え非正規労働者が多くなり、ひきこもり・DV・虐待・過労死・自殺……と毎日ニュースに載る。なぜこのようになったのか。それは労働組合が弱くなったからです。国労が潰され、郵政が民営化され全逓や日教組も弱くなり、総評に変わって企業内組合の民間労働組合が中心の連合になったからです。労働組合を再生するには、労働組合を産業別組合にし、政治課題や社会正義を掲げて闘うことです」
 まさにその通りだと確信しました。



K Eさん
 三池闘争から学ぶ大阪の集いに引き続き、奈良の集いにも参加させていただいた。
 三池闘争は、全体を通して「差別との闘い」であったということです。ニワトリの足を折り、「ニワトリが足を折ったので、食べてください」と職制の家に持参し、職場での仕事の割り振りで、良い仕事を回してもらうように抜け駆けすることとか、この時に、名前を呼び捨てにすることを許さないとかの闘いがあった。
 また、国鉄(JR)の職場でも、国労に入っているからと言って、本来の仕事から外され、売店の様々な仕事に回され、労働者として、本来の仕事の能力を発揮できなかったという報告もあった。正当な組合活動が恐喝として扱われ、不当逮捕され長きにわたる拘留を余儀なくされたという、関西生コン労組からの報告もありました。
 そして、まとめとして報告された、ジャーナリストの川瀬俊治さんの報告の一節にも、印象に残る話がありました。それは、「ジャーナリズムの中にも、地方紙と全国紙という、差別構造がある」
 つまり、「地方紙は下で、全国紙は上だという意識があり、地方紙の記者は、全国紙の記者を目指すという上昇志向のもとにある」ということであったと思います。
 日常的にこのようなことは考えたことはなかったために、川瀬さんの発言には、ここにも差別があるのだと知らされた思いでした。


 60年前の三池闘争は過去のことではない。資本による労働者(国民)への弾圧は「姿かたちを変えている」が、今なお本質的に存在する。60年前と同じだ。
 三池を学ぶことは、今を考えることである。今何をすべきか考え行動することである。