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人生は旅。
知らない街を歩いてみたい
知らない海をながめていたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。
けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。
たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。
さて、どこまで放浪できるか ……
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思い出は映画と共にB パッチギ(2005)
〜鴨川とイムジン河〜
京阪電車に乗って京都の出町柳で降り、特に目的地を決めずに鴨川をぶらぶらと歩いて北上
したり南下したりすることが3年前から続いている。この鴨川散策が京都での今一番のお気に入りだ。季節に一度は行く。飛び石を渡り童心に帰る、川沿いを歩いて生き物と遭遇する、橋の上から川の流れや遠くの景色を眺める、いろいろな楽しみ方がある。
ここに来ると決まってある映画を思い出す。鴨川が重要な役割を果たす「パッチギ」という映画だ。
映画「パッチギ」は2005年1月公開で、監督は井筒和幸、主演は当時まだ無名であった塩谷瞬・沢尻エリカ・高岡蒼佑。1968年の京都を舞台にした日本人の少年と在日コリアンの少女との間に芽生える恋を中心とした青春物語である。
オール京都ロケで撮影された。当時の京都の町並みの多くは60年〜70年代の風景そのままの姿で残っており、CGで電線やアンテナ、ビル群などを消すことはほとんどなかったという。エキストラには朝鮮総連協力のもと、実際の在日朝鮮人が多数出演した。ただし、主要な役で「韓国人」「朝鮮人」「在日」の人はほとんど起用されておらず、映画で使われる朝鮮語はかなり片言の日本語訛りである。そのため、単語のみで会話するシーンが多い。 映画では日本社会とは完全に同化せず独立した共同体を築く在日韓国・朝鮮人の社会を描いている。
主人公が恋をバネに朝鮮人への理解を深めるという設定や、全編に「イムジン河」「悲しくてやりきれない」という曲を流し、「あの素晴しい愛をもう一度」をオリジナル形で映画主題歌に提供するなど、音楽監督の加藤和彦が力を入れた音楽面の充実が、商業映画としては難しいテーマであったにもかかわらず大ヒットにつながったといえる。
あらすじ
68年、京都。敵対する朝鮮高校に親善サッカー試合を申し込みに行くよう、担任教師に言われた府立東高校2年生の康介(塩谷瞬)は、そこでフルートを吹く女子高生・キョンジャ(沢尻エリカ)に出会い、一目惚れする。
ところが、彼女は朝鮮高校の番長・アンソン(高岡蒼佑)の妹だったのだ。それでも諦め切れない彼は、彼女が演奏していた『イムジン河』をギターで練習し、片言ながら朝鮮語を覚え、帰国船で祖国に帰る決意をしたアンソンを祝う宴会の席で、彼女と合奏。見事、仲良くなることが叶うのであった。
しかしその一方で、アンソンたち朝鮮高校と東高空手部との争いは激化するばかり。遂に、アンソンの後輩・チェドキが命を落としてしまう。悲しみの通夜、参列した康介は、遺族から日本に対する恨みをぶつけられ、未だ民族間に越えられない壁があることを痛感しショックを受ける。だがその夜、ラジオの“勝ち抜きフォーク合戦”に出演した彼は、複雑な心境を放送禁止歌の『イムジン河』に託して熱唱。それはキョンジャの胸に届いた。同じ頃、東高空手部との戦争に臨んでいたアンソンもまた、恋人・桃子の出産の報せに少年の季節が終わったことを自覚するのであった。こうして、それぞれの様々な壁をパッチギった(突き破った)康介たち。彼らは、未来へ向けて新たな一歩を踏み出す。
この映画の公開当時、私は映画館で映画を観るのは年3回ぐらいだったと記憶している。映画館へ行く機会は少なくなっていたがしかし、「パッチギ」は、大ヒットしている話題作である、在日韓国朝鮮人をテーマに据えている、加藤和彦が音楽監督で主題歌に「イムジン河」を使用している、これらの情報を得て、期待を持って映画館へと足を運んだ。
【その時の感想・疑問に思ったところ】
・沢尻エリカは日本人とアルジェリア系フランス人のハーフなので、コリアンにはどうしても見えなかった。
・「性」の扱いが下品でしつこい。これは井筒監督の好みかこだわりか?
・暴力シーンが多すぎる。一緒に観ていた若い観客が暴力シーンの度に大爆笑していて、たいへん不快に思った。山之辺三歩さん(このホームページ管理人)にこの話をすると「観客にうけることが最重要な商業映画だから仕方ない側面がありますよね。」と語ってくれた。
【その時の感想・良いところ】
・沢尻エリカの自然な演技に好感を持った。この時彼女が後の大女優なるとはさすがに想像しなかったが。
・在日韓国朝鮮人問題を、笑いや悲しみや恋愛や暴力や性といったものを散りばめながらもストレートに描いている。もちろん賛否両論あるが、井筒監督ならではの斬り方は評価出来る。
・康介がラジオ番組で歌う「イムジン河」をバックに、鴨川での乱闘(民族間の越えられない壁の象徴か)・アンソンの恋人桃子の出産・ラジオから流れてくる康介の歌にそっと涙を流すキョンジャの姿、が交互に映し出されるラストシーン(クライマックス)はこれぞ映画という臨場感溢れる素晴らしいものであった。
・アンソンの後輩・チェドキのお通夜で、名優笹野高史演じる在日コリアンの長老が、参列した唯一の日本人康介に悲しみと怒りをぶつけるシーン。
「わしは朝鮮から無理やり日本に連れてこられた。ハルモニ(祖母)が泣き叫んどったよ!」
「釜山(プサン)から船で。海へ飛び降りて死んだろか!と思った。」
「お前ら日本のガキ、何知ってる?知らんかったらこの先ずーっと知らんやろ!バカタレ!」
「生駒トンネル、誰が掘ったか知ってるか?請け負うたんは大林組か小林組か知らんけど。」
「国会議事堂の大理石、どこから持ってきて誰が積み上げたか知ってるか?」
「お前は何知ってる?一つも知らんやろ!帰れ!お前には居てほしくない!帰ってください。」茫然自失しながら何も言えずにこの場を立ち去る康介。涙が止まらない名シーンだ。この映
画のこれまでの不満はこのシーンで消し飛んだ。
これはもちろん康介たち高校生や若者のせいでは無く、日本の教育やマスコミの問題だ。いや、日本人全体の問題かもしれない。やはり「知らない」「知ろうとしない」ということは罪なことである!
話を冒頭の京都鴨川に戻す。
映画の最後の乱闘シーンは、賀茂川と高野川の合流地点の鴨川デルタ。お通夜から追い出された傷心の康介がギターを壊し鴨川に捨てた所は東山橋。康介がキョンジャに会うために渡ったのは鴨川の九条の辺り。鴨川が身近になった今、どの辺りでそれぞれ撮影されたか見当がつく。こんなにも鴨川が映っていたのかと、今再び映画を観て気が付いた。
康介がパッチギした(乗り越えた)であろう鴨川は、朝鮮半島を南北に隔てるイムジン河に例えられ、日本と在日コリアンの間に流れる深い川として描かれている。
では最後に、加藤和彦 北山修(フォーククルセダーズ) 坂崎幸之助(アルフィー)の歌う
イムジン河(ライブバージョン)をお聴きください。
1 イムジン河水きよく とうとうとながる みずどり自由に むらがりとびかうよ
我が祖国南の地 おもいははるか イムジン河水きよく とうとうとながる
2 北の大地から南の空へ 飛びゆく鳥よ自由の使者よ
誰が祖国を二つに分けてしまったの 誰が祖国を分けてしまったの
3 イムジン河空遠く 虹よかかっておくれ 河よ思いを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも 忘れはしない イムジン河水きよく とうとうとながる