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 みなさん今日は、私は「ゆきやん」と申します。
 大和高原の小さな村に住み、高原の田畑と森を手入れする日々を送っています。
 森の木を最適な状況に管理し、間伐した枝を持ち帰り、薪(まき)と柴(しば)で風呂を焚きます。最近、「柴(しば)」と言っても若い人たちに伝わらなくなりました。ゴルフ場の芝ではなく、燃料にする「たき木」のことです。
 江戸時代の農民出身学者・新井白石のように柴を折り、燃料として利用する日々を過ごしています。海外から石炭や石油、天然ガスを輸入したり、原子力に頼らねば日々の生活が成り立たない現代社会にあって、江戸時代やはるか昔の縄文時代のような自然に近い生活を送っています。






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  005 2021/03/12

 「ゆきやん」の現状報告






 みなさん、大変ご無沙汰しておりました。ウィルスが猛威をふるう中、いかがお過ごしでしたでしょうか。
 大和高原の小さな村に住む私にとって、数年前から風水害によって荒らされた田畑を修復する事が、まず第一の課題であり、毎日河岸の修理をしていました。
 上の写真は、その一例です。水害の際に30〜40メートル下に流された大きな石を元の場所に戻すのです。
 地上ではとても持ち上げたり、移動させること自体不可能なことも水の浮力を使えば、いとも簡単に移動出来るのです。その後は、力まかせに「えいっ。」と。百歳で亡くなった祖父が、我が家に嫁いできたばかりの母を助手にして写真の河岸を石で積んでいたのです。
 毎年、台風による増水で壊された部分があると、石垣の修理をしていた祖父の姿を、私は見たり手伝ったりしていました。いつかは自分も同じことをするのだと思いながら。祖父が、こんな風に大きな石を動かしていたなあと思い出しながら・・・・・・。
 
 天気の良い日には石積みをし、雨や雪の日には読書三昧の日々を過ごしていました。前回投稿した「天理に戦争があった 8月6日特集号」の中で、私は間違った記述をしていました。淵田美津雄が天理・大和基地にやって来て、8月5日の晩、竹之内町のお百姓さんの家に「民泊」。そのとき一緒に泊まった久安参謀の所属は、第3航空艦隊ではなくて海軍司令部(総隊)であったのです。私の記述が間違っていました。
 もっと分かりやすく言うと、奈良県の天理に日本海軍そのものが引っ越してこようとしていたのです。その為に海軍は、海軍司令部から久安房吉参謀副長と将校・兵士を、竹之内のみかん山に作られていたトンネルに送り込んでいたのです。
 誰も知らない間に、奈良県しかも天理が戦争の中心になっていたのです。「8月6日特集号」を改訂版に差し替えます。