弐   春風の不思議



 私たちは、団塊の世代と呼ばれるだけあって、人数はやたら多い。中学校のクラス数は15、昨年までのほぼ2倍。一クラスの定員を、教室に机を並べることのできる最大値55人に設定して、この結果である。

 長堀橋交差点から東北に3ブロックほど入ったところに、分校の建設工事が進められていたが、入学式時点では未だ躯体も立ち上がっていない有様であった。そこで15クラスは3グループに分割され、校区内の3つの小学校地下室を間借りして授業は始まった。ついこの間、仰げば尊し我が師の恩と涙の卒業式を終えたばかりの我が母校へ、再び登校するという、希有な体験をした生徒が大勢いたのである。
 私たちはまず量として計られ、次にこの頭数をどう捌くかという能率性で処置されることに慣れていたから、特段の不平もなかった。

 苦肉の策とは言え、子供に地下室とは最適の取り合わせではありませんか。この年齢の子供達は乱歩先生と同じで、地下室が大好きだ。普段は侵入が禁止されている場所。そこへ堂々と入って行ける。
 ひんやりとした冷気、モルタル臭のしみ込んだ空気の停滞感。しかし照明のスイッチが入ると一転して、整然と並べられた机や椅子が、蛍光灯の白い光に浮かび上がる。理科準備室なんかが隣にあり磨りガラスの向こうに、うっすらと人影の様なものが見えたりすれば最高。きっと骸骨か筋肉むき出しの人体模型だ。
 当時の学校の照明は暗く、アダムスキー型空飛ぶ円盤を上下に引き伸ばして厚みを持たせたような白熱灯照明が、言い訳程度にぶら下がっていただけなのに、地下室の方は桁違いに明るかった。地上階の照度は自然光をもって行うを旨とす、なんて規則があったのかもしれない。そう言えば窓開け当番というのがあって、まず窓とカーテンを開け放ち、朝の光と空気を採り入れて一日が始まった。

 そもそも生徒を収容する器がないのだから、大変だったはずである。地下室での分散授業開始までかなりの混乱があったはずなのに、不思議とその印象はない。何となくフワッと授業が始まった。
 この、何となくフワッという感じ、一寸はぐらかされた様な感じは、どこから生じたのか。それは進学時に相応しい檄が、ほとんど飛ばなかったことによる。中学生になったのだから心機一転勉学に励めとか、少年よ大志を抱け、とか言う科白は、終ぞ聞かなかった。もっとも檄を受けたからと言って私たち生徒が、よしやるぞ、なんて奮いたったとは思えない。しかしあるべきものが無いと、やはり納まりが悪いのだ。
 小学校の先生に叩き込まれた通り、よぉーく観察すると、どの教師も異様に緊張している。繰り返し私たちに、くれぐれも小学校に迷惑をかけないように、もし此処を追い出されたら、何処へも行くところはないのだ、と真顔で言うのであった。

 ところが一ヶ月たち、やっと教室に慣れてきたと思った頃突然、別の小学校の地下室に移れと指示が出た。頭数の問題なら既にあちこちに分配して上手く収まっているのに、と不思議に思う間もなく、さらに一ヶ月すると、三つ目の小学校の地下室へと移動させられた。この頃になると生徒たちにも見当が付いてくるのだ、教師達の本音が。
分校が完成し、一つの閉鎖空間に閉じこめられると、それは疑いから確信に変わり、そして確信は現実となった。(次節で)

 分校への登校が始まったのは7月初頭。すでに夏休みまでは3週間足らず。来年・再来年の為に校舎は両翼に延長される計画で、ベランダは両端から人が落ちることの無いよう、木製の安全柵が設置されていた。安全対策が必要ということは、元々そこが危険であるから。きっちりベランダでプロレスごっこをしていた生徒二人が、柵ごと地上へ転落。幸い2階だったこともあり、二人は怪我無くすんだ。木製の安全柵はすぐに抜け替わる前の乳歯の様にグラグラになったが、生徒たちは自主規制して、その後誰一人として転落する者は無かった。
 一方、グランドは瓦礫の山で、体育の時間は瓦礫ならし。瓦礫はいくら取り除いてもまた下が瓦礫だから、達成感がわきません。そこで始まるのが投石合戦。
 コンクリ・石ころ・砂埃り、おでこに当たって、血がタラタラッ。

      *       *       *     

 しかしとにもかくにも新校舎での授業が始まったのです。嬉しかったのは音楽の授業が始まったこと。特別教室は他に一室も無かったけれど、一つ余った普通教室にピアノが入り音楽室となった。担当の先生は白いブラウスのすてきな、音楽学校卒業したてのお嬢様。では教科書の最初から、4月の歌で『春風』。ハ長調で、そーれっ。

 ソーーラソミレド、ドーーーラーーー、
 ソーミーミーード、レーーーーー・・。

 3ヶ月の地下生活の鬱憤を晴らすべく、大声が響き渡った。あまりの元気良さに先生けたけた笑うものだから、男子生徒はさらにいきり立ち、女子生徒も負けじと金切り声張り上げ、

 吹け、そよそよ吹け、春風よ。
 吹け春風吹け、柳の糸に。

 春風じゃなく暴風気味だったけれど、盛り上がったんです。入学以来始めての事だ。あっという間に授業終了。あー今日は楽しかったな、生徒たちは顔を赤火照らせドヤドヤと退室。すぐに女子生徒が数人ピアノの周りに集まり、先生を取り囲む。

 実は私には音楽の先生にぜひ教えて貰いたいことがあって、最初の授業を心待ちにしていたのだ。しかしクラス全員が唱っているのを聴いているうち、よく分からないけれど、何か発見したぞという、もやもや感を感じていた。授業が終わり静寂が戻ると、このもやもや感が、むくっと膨れあがった。それで女性徒達に先行されてしまったのだ。私は遠慮するようなタイプではありません。
 女子生徒達は『キラキラ星』とか『猫ふんじゃた』を数小節ずつ弾き合い、はしゃいでいた。女の子達の輪が解けるのを待ちながら、私はこのもやもや感の輪郭を定めようとしていた。

 今日は全員が『春風』を斉唱しているのを聴いた。自分も唱ったけれど、始めて『春風』を聴き手の立場で聴いた。そしたら先のもやもや感が湧き起こったのだ。
 うん、そうだ、歌詞と旋律が、ずれている。
 むくむく感の輪郭がはっきりとしました。この歌『春風』は歌詞の内容とはうらはらに、メロディーが寂しすぎる。これはどういう事だ。

 もやもや感はさておき、教えて欲しかったのは、ピアノの弾き方であった。
 中学一年生の音楽教科書には、見開き2ページに一つの唱歌が納まっていて、最下段にピアノ用の大譜表が添えられていた。今までそんなものは見たこともなかったが、上段のト音記号の付いた五線は右手の旋律、下段のヘ音記号の付いた五線は左手の伴奏、と見当を付け、例の音欠けオルガンで『春風』を弾こうと試みた。
 入学式より前、教科書を手にして直ぐの頃です。はい、誰にも教わらずに。それはそれは難儀いたしました、ですよ。

 右手の旋律は何とか弾けます。
 しかし左手の伴奏が、田口先生のブン・チャ・チャ・チャ・でなく、

 ドソミソ・ドソミソ・ドラファラ・ドラファラ
 ドソミソ・ドソミソ・そソし ソ・レソし ソ
             (ひらがなは、さらにオクターブ下)

という分散和音になっていた。四苦八苦したけれど、まあこれも弾ける様になりました。問題は右・左を同時に弾くことです。
 
 ソー ーラ ソミ レド (右手)
 ドソ ミソ ドソ ミソ (左手)

 右手のソは、付点付きの四分音符で一拍半。右手のドは、八分音符で半拍。
 まず、右手のソ、一拍半に意識を集中すると、左手のドも一拍半に延びてしまう。
 逆に、左手のド、半拍に集中すると、右手のソも半拍で終わってしまう。

 これは運動機能の問題だから、幼児が転び転び歩行を学ぶように、自ずとできるまで慣れるしかない。しつこく粘っていると、ある瞬間、スッとできる様になるのですね。これ自然の摂理。できるようになる瞬間というのがまたスリリング。私の場合は、後頭部のさらに後ろの方に、少し焦点距離の長い、楽譜のずっと先で焦点を結ぶ、第三の眼が出来た、という感じでした。
 しかし『春風』はなかなか我流練習者の入門を許さない。この十六小節の曲は、一番標準的な、A‐A‐B‐A の形式。このB、いわゆるサビの部分で、右手メロディーが下降型に転じると、左手分散和音もこの部分だけ破格の動きをする。これが出来ない。弾いてはみるのだけれど、音楽にならない。
 これに苦しんでいる時に、始めての音楽の授業となったわけです。

 その授業は一日の最終であったから、時間には余裕がありました。私がじっと控えているのを見て先生は、他に質問のある人がいるようだから、と上手く人払いをしてくれた。私はゆっくりと先生の側まで進み、教科書の大譜表の9小節目を指さして、ここが弾けないんです、と言った。
 先生は一瞬、あれっ、という表情をした。
 ほう貴男が、という感じで。
 
 先生は、ピアノの正面に私を立たせ、最初から弾いてごらん、と促した。ピアノなど今まで弾いた経験がない。音欠けオルガンとは鍵盤数が違う。左右にズラッと遙か水平線にまで鍵盤が並び、何処を弾けば良いのか、さっぱり見当も付かない。ここが一点ハよ、と先生が指さす点から探って、左、右の順に手の位置を決め、思い切って弾いた。
 が、音が出ない。スカスカ言うばかり。あのね、ピアノの鍵盤は、押さえるのではなく、叩くの、こう、という先生のお手本を見習うと、何とか音が出た。改めて弾き始めると、上手く音が出たので、そのまま最後まで、通して弾いてみた。

 上手いじゃないの。
 でも、ここは違っていませんか。 (と9小節目をさす)
 そこだけ、弾いてごらん。    (私、弾く)
 それで、良いと思うよ。
 ふぅーん、先生弾いてみてよ。
 これで、い、い、ん、で、しょ。 (先生、弾く)

 驚いたことに、先生が弾いても、音楽にならないのであった。

 先生。この楽譜通りに弾いてないの。
 そうよ。
 エーッ、じゃ、どの様に弾いているの。
 うふっふっ、そこらテキトーに。

 この素敵な先生は、その後も私に便宜を図ってくれた。授業が終わり生徒たちが退室すると、後で職員室へ持ってきてくれれば良いわ、と言って、ピアノと部屋の鍵を手渡してくれるのだ。初夏は『浜辺の歌』、夏は『椰子の美』、初秋は『夏の名残のバラ』(オー・ダニー・ボーイ、ハリー・ベラフォンテだ、日本演歌と同じ臭さだ)、こんな風に私は楽しみを増やしていった。すると蘇ってくるのである、『春風』の不思議が。

 春風にしちゃあ、旋律が寂しすぎるぜ。

 教科書には、ステファン・C・フォスター作曲、とある。
 あの、田舎の『草競馬』ドゥダァー・ドゥダァー、バンジョーを持って出掛けたところです『おお、スザンナ』泣くのじゃない、のフォスターさんだろう。当時からフォスター合唱曲集というのはレコードの定番品でした。ロジェ・ワグナーとか、ロバート・ショウとかの合唱団のレコードが、お店には並んでいた。しかし学校の帰りレコード店で調べても、フォスター合唱曲集に『春風』と題された曲はない。
 しかしあっさりと謎は解けました。ある日テレビ番組でフォスターの特集があり、そこでこの曲が、『主(あるじ)は冷たき土の下に』という題で紹介されていた。何だ、お弔いの音楽だったのだ。旋律が寂しくて当たり前なのだ。

 小津安二郎監督の『東京物語』にこの『春風』が引用されている。
 『東京物語』は、私が改めて言うまでもなく、希有の完成度に達した傑作だ。そのラスト・シーン。季節は夏。母親の葬儀をすませて数日後、平山家の末娘京子(香川京子さん)は学校にいて、わり算の問題を解く生徒たちの間を歩いている。京子は左手の腕時計に眼をやると、窓際に歩み寄り、校舎の下を走る線路を見下ろす。最後まで葬儀につき合ってくれた兄嫁の紀子(原節子さん)の乗った午後の汽車が、通る時刻なのだ。やがて列車の姿が現れる。
 この時に流れるのが、少女達によって唄われる『春風』だ。学校の音楽室から流れてくる実際の歌声が、そのまま映画の効果音楽になるという、絶妙の使い方である。明るい陽光が射し込む教室、無心に問題と取り組む生徒たち、彼方から少女達の歌声。否の打ちところのない背景の中、京子の心は、様々な別離の寂しさを耐えている。機関車が轟音とともに目前をすり抜けると、一転して客車の中。音楽は消えレール音だけが響く。堅い座席の紀子は、京子より長く生きた分だけ、さらに多くの別離に耐え、生きることの不可思議さに沈んでいる。誰もがここで、つい先ほどの姉妹の会話を思い出し、自分たちそれぞれの人生を思うのだ。

 (京子) 厭ね、世の中って。
 (紀子) そう、厭なことばっかり。

 巨匠監督が、明るさの中の寂しさ、を描く時、背後に『春風』を流しているのは、彼の心象風景にこの曲がもたらす感興がぴったりと一致したからであろう。だとするなら、春風にしちゃあ旋律が寂しすぎるぜ、という中学生の私が持った印象は、あながち間違ってはいなかった、という事だろう。
 もし私が中学入学時に必死になって『春風』に取り組むという経験をしていなければ、映画の中の『春風』は聞き流していたかもしれない。それほど、かすかに、かすかに、聞こえてくるのだ、歌声は。この様に子供の時に熱中した『春風』は、その時に多くの楽しみを与えてくれただけでなく、大人になってからも映画を味わう力を与えてくれている。この能力も、経験で獲得できる一つの技術力だと思う。



           ―― 弐  春風の不思議 (了)  

           ―― Page Top へ
           ―― 次章へ
 ◆◆◆ 2024/04/01 up ◆◆◆



『一握の知力』 TopPage へ


『山之辺古文書庵』 総目次 へ


『味覚を問うは、国賊!』 目次へ






私たちは、団塊の世代と呼ばれるだけあって、人数はやたら多い

教室はすし詰めでした


校庭に整列するとこの通り、左端の列が我々だ!


この年齢の子供達は乱歩先生と同じで、地下室が大好きだ

『パノラマ島奇譚』の映画化
『天国と地獄の美女』より
地獄のパノラマが地下にあるのは良いとして


天国まで地下に造ってます。


アダムスキー型空飛ぶ円盤を上下に引き伸ばして厚みを持たせたような白熱灯照明

こんなヤツ、学校・病院、などの照明はコレが多かった


分校への登校が始まったのは

大阪市立南中学校分校
4階、右隅の教室を音楽室として使用していた


では教科書の最初から、4月の歌で『春風』

このようなページの下隅に、ピアノ譜が載っていた























































































































教科書には、ステファン・C・フォスター作曲、と

Stephen Foster


↑画像クリック
『春風』の元歌
"Massa's In The Cold, Cold Ground"



小津安二郎監督の『東京物語』に

小津安二郎

『東京物語』
← 左の埋め込み動画は、『春風』の出てくる少し前から再生するようにしています。
別離の寂しさを描くラストなのに、なぜ観る者の心を癒やしてくれるのでしょうか。