七  バッハの響き        



 俺のおやじ、仕事で何しとる思う、 …… 。
 流しやってまんねん、流し。
 連れと二人でギター抱えて、3曲唄うて、200円ですと。
 客が唄う時は、ジャン・ジャラ・ジャンと、伴奏ですわ。
 ミナミの酒場、おひとつどないだす、言うて、
 毎晩あるいてまんねん。

 ある日、まったく唐突に、沢崎君がこう切り出した。
 私は記憶を反芻するタイプのようで、ほとんどの記憶は演劇の台本のように加工され、上書き保存されている。しかしこの記憶は、闇夜にフラッシュを焚き一瞬を切り取ったかのように、沢崎君の言葉だけが鮮明だ。前後の事は何も覚えていない。
 沢崎君の言葉は、家族会議、もっと有り体に言えば、夫婦喧嘩のお母さんの科白をそのまま再現していたようだ。大阪のお母さんは、どんなに惚れあい添い遂げた相手であっても、攻撃するときは情け容赦しない。

 あんた、流しか、へっつい(竈、かまど)か知らんけど、一晩歩いて、なんぼのお足に成りますのや。え、200円。一曲唄うてでっか。え、3曲唄うて。えぇ、2人でかいな。えぇっ、2人がかりで、3曲唄うて、200円。

 これの攻め方はきついわ。わてやったら、何も言わんと家飛び出します。家でてから公園で泣きます。そこまで言わいでも、ええやないか、あうっー。この地は御浄瑠璃の本場や。お母さん、この一字一句に節付けて、お父さんの目前でオガオガやったに相違ない。きっちり、4・4・5、の調子になっとるがな。続くは、5・7・5や。

 さんきょく うとおて にひゃくえん。ベン・ベン。
 おとうさん あおなにしおと しょげまする。
 テーンツ・テンテーン。
 さて、どうする、どうする。

 沢崎君一家は長屋に住んでいた。長屋と聞いて、昭和30年代・40年代の、レトロな風景を思い浮かべてはなりません。そんな浪漫的なものじゃない。
 商店主でさえ、売場に目一杯の面積を割くものだから、住居である2階へ上がるには、垂直階段を上らなければならない。そう言う土地柄です。潜水艦の内部をイメージしていただければ正解です。お母さん、食事時には左手に、鍋・釜・茶碗抱えて、右腕一本で梯子を上ります。お父さん、見あげんでもええがな、今さら。
 ましてや飲食店の従業員や、関連サービス業従事者ともなれば、住む家の狭いこと、狭いこと。終電の後でも歩いて自宅へ帰れる、という条件を満たすなら、自然とそうなってしまう。

 沢崎君一家の長屋は2階建てだった。2メートルほどの路地をはさんで、左右に玄関扉がズラーと並んでいる。それは壮観でした。各戸の床面積は、当時の平均的なアパートより遙かに狭いのに、各戸ごとに玄関扉を付ける。その間に2階住人のための玄関扉がはさまるので、玄関密度は、さらに2倍。クイズ・ダービーやあらへんで。何故それほどまでに玄関扉にこだわるのかというと、玄関扉があれば、アパートではなく文化住宅と称して、若干でも家賃が高くとれたから。
 さてこの長屋は、通りに面した左右各一戸だけが、店舗付き住宅になっていた。1・2階を両方借りて、下を店、上を住居にするのである。幸い左側の一戸が空いていたので、一家はそこに移り、マッサージ室を開業した。お父さん、とうとう流しを止めさせられたのです。

 急な転業だったけれど、結構客が付いたのは幸運だった。水商売の兄さん姉さんたちは、長時間の飲酒と不規則な生活から、いつも肩が凝るし身体が怠い。それに日銭が入るから、店屋物とかマッサージに金を使いたがるのだ。
 喫茶店マーブルのマスターは、仕事からあがったら隣の喫茶店バンビでコーヒー飲みよる。パチンコ・新共栄の店長は、筋向かいのニュー・パラダイスでパチンコして帰りよる。クラブ・じゅんの支配人は、キャバレー・グランドで年増の姉さん指名しとる。何でスッと帰れへんのや。翌朝(翌昼か)ああしんど、モーニング食うたら、ちょっと按摩してもらお。歓楽街とは内らで金を使い回すところだ。付加価値付ける労働なんぞ滅多にあらへん。

 マッサージ沢崎の営業時間中は、2階が空いている。私はその時間帯を狙って遊びに行った。路地側の勝手口から入れてもらい階段を昇ると、お客の背中を揉みほぐしているご夫婦の後ろ姿が見えた。まだ白衣が身に着かぬ感じで、その白がやけに眩しく背中は寂しげだ。私も子供の出入りが商売の邪魔にならぬよう、そっと足を忍ばせて2階へ向かう。
 私は頻繁と彼の家に通ったが、彼のお父さんの顔は全く覚えていない。覚えていないのは道理で、お父さんは何時も私たちから顔をそむけていた。背中の印象ばかりが残っている。その背中は、面目無い、面目無い、と言っている様であった。
 それ程激しく、お母さんはお父さんを攻めたてたのだろうか。いい年をして、まだ絵や音楽に現を抜かして、お金もうけはさっぱりやないか、この甲斐性無し安家来そう、とか言って。反抗期の息子も、その事になると、母親と同調しお父さんを罵ったのだろうか。 
 私は無干渉・無詮索で通していたので、その点はよく分からない。しかしお父さんが異常なまでに寡黙で、息子の眼を避けるようにしていたのは事実であった。
 マッサージ室に客が途絶えると、お父さんは2階の隣部屋へあがってきて、小さな音でレコードをかける事があった。聞こえてくるのは渋い古典音楽であったが、たいてい20分もすると音は途絶えた。その後はしわぶき一つ無い。

 ある日、一寸した騒動が起こる。
 マッサージ室が休憩となり、お父さんが隣室で小さくレコードをかけだした。沢崎君は、ちぇっ、またレコードかけてくさる、と呟いた。彼はやにわに立ち上がると、五月蠅いぞ、静かにせえ、と壁越しに怒鳴る。怒鳴ったついでに、壁を蹴りつけた。どーん、どーんと数回。さすがに私はたしなめたけれど、彼は聞かず、あんな奴には、こうしたったらええんじゃ、と言いながら、さらに数回蹴りつける。表情は冷静だけれど、今日は思い詰めたものがある。
 今日は私が側にいるから、わざと突っ張って見せるのか、と一瞬疑ったが、それは沢崎君のやり方ではない。歯止めが利かなくなる場合を恐れ、私の制止を期待しながら、感情を吐き出しているのかもしれない。いや、それも違う。自分が何かの結論に向かっていることを、他者の眼で見ていて欲しい、という思いだろうか。これが一番近いはずだ。彼の問題は畢竟彼の問題だ。私にはどうすることも出来ない。しかし同行する事、見守る事ならできるかもしれない。長いつき合いじゃないか。

 私はやっと言葉を見つけた。
 もう止めとけ、壁が壊れるで。また金が要るやないか、あない苦労して稼いではるのに。彼は素直に従った。そうやのう、すまんかったのう。この時も壁の向こうからは、何の反応も返って来なかった。お父さんは壁の向こうで、息を潜めているのだろうか。お父さん、お願いだから、こっちへ出てきておくれよ。とにかく出てきて、沢崎君を正面から見据えてやってくれ。話なんか出来なくったって、いいからさ。

      *       *       *     

 その数日後の事だったと思う。彼はすでに核心に迫っていた。

 お主、どう思う。バッハとかベートーベンは、偉大だとか感動するとか、よう言うやろ。あれほんまやと思うか。どうも、わし分らんのや。聴いとっても、あんまり面白ないんや。偉い学者や先生が、ええわ、ええわ、というから、口だけ合わせて、そう言うとるだけやないか。
 
 沢崎君は、バッハやベートーベンの教科書的な知識を、欲していたのではない。ソルやタレガの名品を、あんなに見事に弾きこなす沢崎君なら、私より数等優れた鑑賞力を持っていたはずである。
 彼は、彼のお父さんにおけるバッハやベートーベンが、どういう意味を持つのかを、確認したかったのだ。先日お母さんにやり込められて、不本意にも職を変えたお父さん。いや、ギターの流しも、決して好きで始めた仕事では無かっただろう。そして今は、自分もお父さんに反抗している。あれだけ熱心に水彩画やギターを教えてくれたお父さん。それが今では、視線も合わせず、話もしてくれない。ずっと落ち込んだままだ。それを見ると、こっちまで苛々してくる。

 普通お父さんは家族のためにお金を稼ぐ。その事に没頭せざるをえないから、次第に無趣味な存在となりはてる。うちのお父さんは逆だ、絵や音楽が大好きだ。自分にも水彩画やギターを教えてくれた。だが趣味に拘泥するあまり世事には疎く、最後はギター流しで日銭を稼ぐ生活となった。お母さんの言うとおり、絵や音楽に現を抜かす事で、家族に犠牲を強いてきたのだろうか。
 だが待てよ。自分も絵が好きだ。音楽も好きだ。これはお父さんが教えてくれたものだ。そんな親父は珍しいみたいだ。学校の生徒を見ても、たいていの奴は無趣味・無教養や、俺が言うのは可笑しいけれど。彼奴ら良い成績をとる事だけが関心事や。絵や音楽は、授業にあるからつき合っているだけで、誰も本気で取り組んでいない。ひどい教師に、どんな屈辱を受けても、虐められても、十把一絡げの扱い受けても、じっと我慢している。というより何も感じていない。良い内申点もらって、進学高校に受かって、それが全てか。もう大人になった時の、姿・形が見えている。アホ丸出しや。わしゃ、そんなん御免被るわ。
 しかし親父も、ちっとも幸せそうでないぞ。

 実際、思春期のこの問いに答えることは難しい。問いそのものも言葉でまとめてしまうと、嘘っぽく響く。的は外していないが、黒丸をピシッと射抜いてもいない。何度言い換えても、一向に心情がすくい取れないもどかしさに捕らわれる。
 詰まるところこの難問の答えは、自分自身が何かを決意する事、何かを選択する事、何かを捨てる事、等々の、主体的な営為の中で、実感として見えてくるものだろう。

 私の答えは極めて常識的なものであった。
 俺もバッハやベートーベンは、そんなに面白いとは思わん。君の言うとおり、人が良いというから、良いと言っている奴がほとんどやと思う。しかしや、面白さの分かる人がいるから、昔の音楽が今まで伝わっとるんや、そうちゃうか。
 わしにも面白いから何遍も聴く曲がある。そんな曲も最初は何や訳が分らんかったわ。やっぱり修行がいるんや。

 沢崎君は私の言葉に頷くと、お父さんのコレクションから1枚のLPレコードを取り出した。SPレーコードと同じサイズの、25センチLPだった、と思う。彼は慎重にレコードをターン・テーブルに乗せ、ピック・アップのアームをレコードの縁に下ろした。想像していたより手慣れた手つきであった。

 その音楽は突然始まった、何の前触れもなく。チェロの独奏が凄まじい勢いで駆け巡り、音楽の核心へ聴き手を一気に引きずり込んだ。その勢いは力ずくで暴力的ですらあった。今までにこの様な始まり方をする曲は、一度も聴いたことが無い。
 部屋の空気が一変する。長屋の一室、畳敷きの三畳ほどの空間が、鉱物質の香しい物質に置き変わってしまったかのようだ。瞬く間に数分が過ぎ、次の曲が始まると部屋の空気は、また別の密度と芳香を持ちはじめる。
 空気を変える力を持つ音楽。衝撃的であった。しかし二人の少年はその音楽を即座に理解する事はできなかった。なかなかええやんけ、と言うわけにはいかなかった。しかし何じゃこんなもんと言って否定する事も出来なかった。二人は暫く突っ立ったまま音楽に聴き入った。二人は何も言葉を交わすことが出来なくて固まっていた。
 LPの片面を聴き終えた時、表行こか、という沢崎君の言葉で、やっと我に返った。戸外の風景はなま暖かく、ものの輪郭が曖昧に見えた。
 
 もしあの時沢崎君のお父さんが部屋へ入ってきて、お前ら、何を突っ立っとるんじゃ、バッハをな、バッハを聴くときは、こう、正座するんじゃ、座れぃ、と言ったとしたら、私たちは素直に正座しただろう。そしてバッハ拝聴の指南を請うたであろう。そして忽ちバッハを理解し、チェロを買うためにアルバイトをする、などと言い出したかもしれない。しかしお父さんはやっぱり出てこなかった。
 
 でも、それで良いんです。お父さんはバッハを聴くのが好きで、子供にバッハを聴く機会を与えた。それだけで十分です。それ以上何を望みましょう。

 子供は思春期になると、それまで在るがままの状態で受け入れていたものに違和感を覚え、受け入れ難いものとして意識化しはじめる。これはどんどん先行する肉体の成長に、精神が必死で追いついて行こうとする動物的な営みらしい。彼ら彼女らは受け入れられなくなったものを見極め、対象として措定する。続いてそれに立ち向かい、それを乗り越えて行こうとする。
 この時大切なことは、対象として措定されている側が、あまりにも低レベルで無惨な姿をさらしていると、子供の方はいとも簡単に、鞍部の一番低いところで対象を乗り越えてしまう事だ。
 お父さんは社会の中で揉まれ、それなりの人生を耐え、年齢相応の成熟を得ているはずなのに、子供に無趣味・無教養の濡れ落ち葉の姿を曝しているから、オヤジと呼ばれてしまう。オヤジと呼ばれる本人も惨めであるが、それで親や大人を乗り越えたつもりになる子供はさらに悲劇である。なぜなら、乗り越える対象の高みこそ、子供の成長そのものだから。
 沢崎君は相当の悪ガキであったが「一匹狼の群れ」に混じる事を潔しとせず、絶えず「正しく」悩んでいた。彼をそうさせたのは、幼少から彼に水彩画やギターを丁寧に教えたお父さんである。
 お父さんは息子の反抗を受けしばし沈黙の人となったが、その背中は雄弁に何かを語っていた。その指し示す処にバッハがあり、それに遭遇する事で二人は芸術の力を感じ、大人の世界、今ある世界とは、そう簡単には乗り越えられないものだ、と悟ったのである。

 音楽を通じて人と人が結びつき、何かを成し遂げる、という映画がありますね。ストコフスキーの『オーケストラの少女』以来綿々と。でも私はああ言う映画はあまり信用していません。其処で音楽は、人と人を結びつける道具として取り扱われている。
 そんなに旨く行くわけがない、というのが実感です。芸事とは人と人を競い合わせるという残酷な反面を併せ持っている。だから、音楽にまつわって人が離散していくという話の方に、よりリアリティを感じてしまうのだ。ビートルズ神話はその典型でしょう。
 私たちにおけるバッバとは、そのような道具として有ったのではない。私たちはほんの一瞬、バッハと邂逅したに過ぎない。バッハの音楽そのものを理解できたのは、私の場合ずっと後年のことである。しかしその一瞬のバッハとの邂逅が、思春期に苦悩する事の意味を教え、大人の背中に漂う寂寥の意味を教え、それから先の長い人生の道のりを、見据える力を授けてくれたのである。

 曲名は全く覚えていなかった。高校生になってからFM放送で聞いて曲目を特定出来たのです。珍しくト長調が出てきました。

 J・S・バッハ 無伴奏チェロ組曲 第壱番 ト長調



  

     無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
     バッハの妻アンナ・マクダレーナによる写譜




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 ◆◆◆ 2024/04/09 up ◆◆◆



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流しやってまんねん、流し

横須賀最後のギター流し
「カズ」さん
『横須賀経済新聞』より
(2012.05.23)


流しか、へっつい(竈、かまど)か知らんけど

へっつい = かまど
漢字で書くと "竈"
『鬼滅の刃』竈門炭治郎
の "竈" です。


テーンツ・テンテーン

「テーンツ・テンテーン」とは、
浄瑠璃三味線の音色
↑ 笑福亭松之助『軒づけ』
ぜひ通して聴いていただきたいが、「テーンツ・テンテーン」が出てくるのは16分あたりから。
ただし "You Tube" の音源は、このレコードとは別のものです。


沢崎君一家の長屋は2階建て

ピッタリの写真が見つかりません。
この長屋でも大きすぎる。
間口は二間(3.6m)もなかった。


























































































































































































ストコフスキーの『オーケストラの少女』以来

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なぜこの少女は、キチンと事情を説明しないのだろう、人の話をきかないのだろう、
これが最初の印象でした。









J・S・バッハ
無伴奏チェロ組曲
第壱番 ト長調


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パブロ・カザルスの演奏

上の裏面
今となっては、誰の演奏だったのか確かめようもないが、もっとも可能性の高いのはカザルスの演奏か?


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ピエール・フルニエの演奏
録音が鮮明だったような記憶があるので、フルニエの演奏だったかも?