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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……






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 013  2019年9月20日

 思い出は映画と共に@ 〜日本映画史に残る傑作「砂の器」〜


  

 「砂の器」(すなのうつわ)は、松本清張の長編推理小説。1960年から1年間読売新聞夕刊に連載され、61年7月に光文社から刊行された。
東京都内、大田区蒲田駅の操車場で起きたある殺人事件を発端に、刑事の捜査と犯罪者の動静を描く。清張作品の中でも特に著名な一つ。ハンセン病を物語の背景としたことでも知られ、大きな話題を呼んだ。ミステリーとしては、方言周圏論に基づく(東北訛りと「カメダ」という言葉が事件の手がかりとなる)設定が重要な鍵を握る、などの試みがなされている。

 これを原作として1974年10月に封切りされた映画「砂の器」(監督 野村芳太郎 脚本橋本忍 山田洋次 音楽監督 芥川也寸志 撮影 川又昂)は、前評判も高く、封切り後も客足が絶えないという大ヒットになり、原作を超えた数少ない映画の1本といわれている。
その頃洋画派の私でもかなり早い段階で観に行った。当時の日本映画は2本立てが基本だったので、「宇宙人は地球にいた」というドキュメンタリー映画と共に観たことを覚えている。
 物凄く感動した! 当時の映画館は入れ替え制では無かったので、2回続けて観た。映画を観ていた人はほぼ全員が泣いていた。映画館を出てから、「砂の器」というタイトルの意味や「宿命」とは何かを大学生だった私は真剣に考えた。
 
 70年代の日本映画といえば、東映はヤクザ路線、日活はロマンポルノ、シリーズものは松竹の「男はつらいよ」東映の「トラック野郎」ぐらいで、まさに冬の時代。そんな中で「砂の器」は1年近くに及ぶ異例のロングラン上映。その後も、「男はつらいよ」や松本清張原作作品と併映し、4年ぐらいは全国どこかの映画館で上映されていたように記憶している。当時の日本人の3分の1は映画館で観たのではないだろうか。数年後、もちろんテレビでも繰り返し放送された。

 当時の俳優達の名演技が光る。刑事の丹波哲郎・天才ピアニスト兼作曲家の加藤剛・元亀嵩駐在所巡査の緒形拳。他にも佐分利信、加藤嘉、笠智衆、渥美清、浜村純、殿山泰司、花沢徳衛、菅井きん、と豪華多彩。さすがに45年経つと皆さんお亡くなりになっている。

     

 今も健在の俳優では、現千葉県知事の森田健作がいる。当時24才で、テレビでは高校生役が主で、学生服を着て「若者たち」などを歌っていた。その森田健作が初めての大人役として若い刑事を演じており、これが映画での彼の代表作になった。

 この映画の最大の見どころは、3場面が同時進行するラストの30分である。映画評論家の荻昌弘はこう表現した。「これはまさに人形浄瑠璃の世界である。刑事の丹波哲郎の語り(義太夫)と天才音楽家の加藤剛のピアノ演奏(三味線)で、放浪する哀れな親子(人形)を踊らせている。」
原作者の松本清張も「小説では絶対に表現できない」とこの構成を高く評価した。まさに映画史に残る名シーンである。


 
 映画監督の黒澤明は『砂の器』のシナリオを読み、一蹴した。映画の撮影開始前、黒澤は電話で橋本忍を自宅に呼び出して言った。「君と野村監督を引き合わせたのは僕だし、僕にも多少の責任があると思って、『砂の器』の脚本を読んだ」
 「この本はメチャクチャだ」「シナリオの構成やテニヲハを心得ている君にしては、最も君らしくない本だ。冒頭に刑事は、東北へ行って何もしないで帰ってくる。映画ってのは直線距離で走るものだ。無駄なシーンを書いてはいけない。それに愛人が犯人の血の付いたシャツを刻んで、中央線の窓から飛ばす。そんなものはトイレにジャーッと流せばいいじゃないか」と批判した。
 そのうえで、「これを野村監督に渡しといてくれ」と、クライマックスの演奏会シーンの絵コンテとカメラ位置を指示した紙を橋本に渡した。結局、橋本は黒澤の言葉を全て無視した。映画『砂の器』は公開後、大ヒットした。それを見た黒澤は、何も言わなかった。『砂の器』の大胆なシナリオがいかに型破りだったかを物語る挿話である。

 映画において、ハンセン病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫が放浪するシーンや、ハンセン病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン病患者協議会(のち「全国ハンセン病療養所入所者協議会」)は、ハンセン病差別を助長する他、映画の上映によって“ハンセン病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。

 しかし製作側は「映画を上映することで偏見を打破する役割をさせてほしい」と説明し、最終的には話し合いによって「ハンセン病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、製作が続行された。
 また協議会の要望を受けて、刑事の今西がハンセン病の患者と面会するシーンは、シナリオの段階では予防服着用とされていたが、ハンセン病の実際に関して誤解を招くことから、上映作品では、背広姿へと変更されている。

       

 そういえばここ最近、映画「砂の器」はテレビで放映されない。ハンセン病を扱っているから、テレビ局が自粛しているらしい。テレビドラマ(これまで7度ドラマ化している)「砂の器」では、ハンセン病は物語の背景になっていない。
 映画「砂の器」でのハンセン病の表現が良かったか悪かったか、今も賛否両論があることは知っている。しかしどんな形であれ、ハンセン病の歴史や現状を多くの国民が知り、論議をすることは大切なことである。「知らない」ということは場合によっては罪になるものだ。
原作に基づきハンセン病を取り上げ映画化した製作スッタフの努力や心意気に対し、テレビ局の事なかれ主義の情けなさに本当に腹が立つ。

    



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