有朋自遠方来 放浪楽人(さすらひのがくと)
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人生は旅。
知らない街を歩いてみたい
知らない海をながめていたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。
けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。
たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。
さて、どこまで放浪できるか ……
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№027 2020年3月13日
歌声喫茶復活 春呼ぶコンサート
「歌声喫茶」ってご存知でしょうか? 1950年代に東京・新宿に登場したのが始まりとされ、ピアノやアコーディオンなどの生演奏に合わせ唱歌やフォークソングなどを客たちが一緒に歌います。やがてそれは全国に広がり、60年代末ごろまで流行りましたが、その後カラオケ機材の普及などで廃れました。最近は復活の兆しもあるそうですが。
以下は日本大百科全書(ニッポニカ)の解説です。
コーヒー、ジュースなど飲料を供し、アコーディオン、ピアノなどの生(なま)伴奏によって、司会者(うたごえリーダー)のリードで、参加者が歌集を持って共に歌を歌い合う場。「うたごえ喫茶」と表記されることも多い。
1954年、東京都新宿区歌舞伎(かぶき)町の食堂で、店内にかかっていたロシア民謡のレコードに合わせて客が歌い始めたことにヒントを得て、柴田伸(しばたしん)が「歌声喫茶 灯(ともしび)」を始め、50年代後半から全国に広がった。ただし、歌声喫茶という呼び方は当初無く、いつしか総称して歌声喫茶と呼ばれるようになった。
1960年ころには『北上夜曲(きたかみやきょく)』『忘れな草をあなたに』『北帰行(ほっきこう)』などが歌声喫茶で歌われることによってヒット曲になり、また『カチューシャ』『灯』『トロイカ』など数多くのロシア民謡が歌声喫茶を通して広まった。
第二次世界大戦後の復興の息吹、新しい時代への希望、労働運動、安保闘争などを背景として生まれた歌の数々、うたごえリーダーたちによって紹介された世界の歌の数々が歌声喫茶では歌われた。また集団就職などで都会に出てきた若者たちの孤独をいやす場ともなった。
しかし、1960年代の半ばころから客数が減少。安保闘争の挫折(ざせつ)、趣味の多様化、テレビの普及などが諸要因といわれ、歌声喫茶は次々と閉店し、70年代のカラオケの出現の後、80年代には廃れていった。
だが、1990年代半ばころから、出前歌声喫茶(うたごえリーダーと伴奏者を派遣し、喫茶店や公民館、ホールなどを会場とする)が盛んに行われるようになり、また、地域での一日歌声喫茶や定期的に開催される歌声喫茶が急速に増えた。関東地域だけでも100か所近くが定期的に開催されている。
「個」の文化が浸透し、バーチャルな世界が広がる一方で、人間同士の生(なま)のふれあい、ともに生きることを望む心もまた人々の間に広がっており、こうした動きが文化としての歌声喫茶の再評価につながっている。週末などに「うたごえ」を行う店は全国的に増えている。
私の学生時代は70年代で、身近に歌声喫茶は存在しなかったので参加した経験は残念ながらありません。でも昔の青春映画や山田洋次監督作品(寅さん映画でも)にもよく登場していたし、五木寛之の「青春の門」第2部自立編にも丁寧に描かれていたので、私はその雰囲気を感じることができます。
さて、私なりに熟年のための「歌声喫茶」をやりたくて、私が事務局を務める映画・音楽を楽しむ会で、年に数回の予定で音楽会・歌声喫茶を開催します。この2月23日(日)コロナウイルス騒動の中、第2回目を予定通り行ったところ、歌好きの皆さん(60~70歳代)にたくさん集まっていただきました。今回も昔懐かしい歌をキーボードの生演奏をバックに参加者みんなで歌い、歌の思い出や歌にまつわるエピソードを語り合いました。今回はその時の録音を聞きながらお読みください。もちろん参加者の皆さんには「テープまわしてるよ」と伝えてあります。ただ、「ブログで公開するよ」とは言ってませんが・・・
まず「早春賦」「春よ来い」千昌夫の「北国の春」という季節の歌から始まり、続く「幸せなら手をたたこう」では、手を叩こう 足鳴らそう 肩叩こう ほっぺ叩こう ウインクしようと動作を入れて歌いました。
次に、参加者の78歳女性Kさんから「有楽町で逢いましょう」のリクエストをいただきましたので、その思い出を語っていただきました。
「この歌が流行っていた頃私は二十歳前で、歌っていたフランク永井さんは低音の魅力と都会的な雰囲気で人気の流行歌手でした。その後同名の映画が大映で制作されたので見に行ったことをよく覚えています。当時私が好きだった川口浩が出演されていましたので、こんな都会的な恋愛を私は少女として夢見たように思います。でも現実は映画とは違いました。今の連れ合いと結婚して54年経ち、幸か不幸か別れもせず(笑)今に至っています。」とほんとうに素敵なお話でした。
この曲の2番はKさんお一人で歌っていただきました。初代コロンビアローズを思い起こさせる歌い方で素晴らしくかつ懐かしかったです。Kさんは現在、女性コーラスグループに所属されご活躍中です。
前半最後の歌は坂本九の「明日がある」でした。この歌は12番まであるということをご存知でしたか?せっかくの機会ですから全部歌いましょうと、1番と12番は全員で、2番から11番は順番で一人ずつ歌いました。
後半は「うさぎとかめVS浦島太郎」でスタート。これは参加者が2チームに分かれ1フレーズずつ交互に歌う歌合戦です。音程を外さずに大きな声で歌うことが目標でしたが、それ以前に自分のチームの番が来たときにまず歌詞が出てこないという、結局お笑いのコーナーになってしまいました。でも皆さん笑顔で良かったです。
続いて、フォーククルセダーズの「イムジン河」「悲しくてやりきれない」さらに「手のひらを太陽に」は振り付きで歌いました。これも振り付けを覚えるのに皆さん必死で歌声はあまり聞こえてきませんでしたけど(笑)
そして季節を感じる、舟木一夫の「高校三年生」卒業式の定番「仰げば尊し」と歌は繋がっていきました。参加者で元教員のⅯさんから、「仰げば尊しは40年ぐらい前から卒業式ではあまり歌われなくなり、代わりに卒業生の気持ちを素直に表現できる歌をジャンルにとらわれず、卒業生がみんなで選び歌うというスタイルになってきた。」というお話をしていただきました。
最後は、北山修・加藤和彦の「あの素晴らしい愛をもう一度」で歌い納めました。
生演奏でみんなが一緒になって大きな声で歌うって、本当に楽しいですよ!皆さんも近くに歌声喫茶があれば是非参加してみてください!
映画・音楽を楽しむ会第3回音楽会は、5月24日(日)14時から平和のいえで「琴伝流大正琴コンサート」を予定しています。どうぞお楽しみに!
歌声喫茶復活 春呼ぶコンサート
~懐かしい歌 みんなで一緒に歌いませんか~
「歌声喫茶」ってご存知でしょうか? 1950年代に東京・新宿に登場したのが始まりとされ、ピアノやアコーディオンなどの生演奏に合わせ唱歌やフォークソングなどを客たちが一緒に歌います。やがてそれは全国に広がり、60年代末ごろまで流行りましたが、その後カラオケ機材の普及などで廃れました。最近は復活の兆しもあるそうですが。
以下は日本大百科全書(ニッポニカ)の解説です。
コーヒー、ジュースなど飲料を供し、アコーディオン、ピアノなどの生(なま)伴奏によって、司会者(うたごえリーダー)のリードで、参加者が歌集を持って共に歌を歌い合う場。「うたごえ喫茶」と表記されることも多い。
1954年、東京都新宿区歌舞伎(かぶき)町の食堂で、店内にかかっていたロシア民謡のレコードに合わせて客が歌い始めたことにヒントを得て、柴田伸(しばたしん)が「歌声喫茶 灯(ともしび)」を始め、50年代後半から全国に広がった。ただし、歌声喫茶という呼び方は当初無く、いつしか総称して歌声喫茶と呼ばれるようになった。
1960年ころには『北上夜曲(きたかみやきょく)』『忘れな草をあなたに』『北帰行(ほっきこう)』などが歌声喫茶で歌われることによってヒット曲になり、また『カチューシャ』『灯』『トロイカ』など数多くのロシア民謡が歌声喫茶を通して広まった。
第二次世界大戦後の復興の息吹、新しい時代への希望、労働運動、安保闘争などを背景として生まれた歌の数々、うたごえリーダーたちによって紹介された世界の歌の数々が歌声喫茶では歌われた。また集団就職などで都会に出てきた若者たちの孤独をいやす場ともなった。
しかし、1960年代の半ばころから客数が減少。安保闘争の挫折(ざせつ)、趣味の多様化、テレビの普及などが諸要因といわれ、歌声喫茶は次々と閉店し、70年代のカラオケの出現の後、80年代には廃れていった。
だが、1990年代半ばころから、出前歌声喫茶(うたごえリーダーと伴奏者を派遣し、喫茶店や公民館、ホールなどを会場とする)が盛んに行われるようになり、また、地域での一日歌声喫茶や定期的に開催される歌声喫茶が急速に増えた。関東地域だけでも100か所近くが定期的に開催されている。
「個」の文化が浸透し、バーチャルな世界が広がる一方で、人間同士の生(なま)のふれあい、ともに生きることを望む心もまた人々の間に広がっており、こうした動きが文化としての歌声喫茶の再評価につながっている。週末などに「うたごえ」を行う店は全国的に増えている。
私の学生時代は70年代で、身近に歌声喫茶は存在しなかったので参加した経験は残念ながらありません。でも昔の青春映画や山田洋次監督作品(寅さん映画でも)にもよく登場していたし、五木寛之の「青春の門」第2部自立編にも丁寧に描かれていたので、私はその雰囲気を感じることができます。
さて、私なりに熟年のための「歌声喫茶」をやりたくて、私が事務局を務める映画・音楽を楽しむ会で、年に数回の予定で音楽会・歌声喫茶を開催します。この2月23日(日)コロナウイルス騒動の中、第2回目を予定通り行ったところ、歌好きの皆さん(60~70歳代)にたくさん集まっていただきました。今回も昔懐かしい歌をキーボードの生演奏をバックに参加者みんなで歌い、歌の思い出や歌にまつわるエピソードを語り合いました。今回はその時の録音を聞きながらお読みください。もちろん参加者の皆さんには「テープまわしてるよ」と伝えてあります。ただ、「ブログで公開するよ」とは言ってませんが・・・
まず「早春賦」「春よ来い」千昌夫の「北国の春」という季節の歌から始まり、続く「幸せなら手をたたこう」では、手を叩こう 足鳴らそう 肩叩こう ほっぺ叩こう ウインクしようと動作を入れて歌いました。
次に、参加者の78歳女性Kさんから「有楽町で逢いましょう」のリクエストをいただきましたので、その思い出を語っていただきました。
「この歌が流行っていた頃私は二十歳前で、歌っていたフランク永井さんは低音の魅力と都会的な雰囲気で人気の流行歌手でした。その後同名の映画が大映で制作されたので見に行ったことをよく覚えています。当時私が好きだった川口浩が出演されていましたので、こんな都会的な恋愛を私は少女として夢見たように思います。でも現実は映画とは違いました。今の連れ合いと結婚して54年経ち、幸か不幸か別れもせず(笑)今に至っています。」とほんとうに素敵なお話でした。
この曲の2番はKさんお一人で歌っていただきました。初代コロンビアローズを思い起こさせる歌い方で素晴らしくかつ懐かしかったです。Kさんは現在、女性コーラスグループに所属されご活躍中です。
前半最後の歌は坂本九の「明日がある」でした。この歌は12番まであるということをご存知でしたか?せっかくの機会ですから全部歌いましょうと、1番と12番は全員で、2番から11番は順番で一人ずつ歌いました。
後半は「うさぎとかめVS浦島太郎」でスタート。これは参加者が2チームに分かれ1フレーズずつ交互に歌う歌合戦です。音程を外さずに大きな声で歌うことが目標でしたが、それ以前に自分のチームの番が来たときにまず歌詞が出てこないという、結局お笑いのコーナーになってしまいました。でも皆さん笑顔で良かったです。
続いて、フォーククルセダーズの「イムジン河」「悲しくてやりきれない」さらに「手のひらを太陽に」は振り付きで歌いました。これも振り付けを覚えるのに皆さん必死で歌声はあまり聞こえてきませんでしたけど(笑)
そして季節を感じる、舟木一夫の「高校三年生」卒業式の定番「仰げば尊し」と歌は繋がっていきました。参加者で元教員のⅯさんから、「仰げば尊しは40年ぐらい前から卒業式ではあまり歌われなくなり、代わりに卒業生の気持ちを素直に表現できる歌をジャンルにとらわれず、卒業生がみんなで選び歌うというスタイルになってきた。」というお話をしていただきました。
最後は、北山修・加藤和彦の「あの素晴らしい愛をもう一度」で歌い納めました。
生演奏でみんなが一緒になって大きな声で歌うって、本当に楽しいですよ!皆さんも近くに歌声喫茶があれば是非参加してみてください!
映画・音楽を楽しむ会第3回音楽会は、5月24日(日)14時から平和のいえで「琴伝流大正琴コンサート」を予定しています。どうぞお楽しみに!