有朋自遠方来 放浪楽人(さすらひのがくと)
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人生は旅。
知らない街を歩いてみたい
知らない海をながめていたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。
けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。
たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。
さて、どこまで放浪できるか ……

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「人生劇場」 その歌詞の意味を考えてみると

この歌詞、よくよく味わってみたら、実に興味深くて面白くて問題が多い。そこで私なりの解釈で歌詞を現代風に分析することにした。
1 やると思えば どこまでやるさ それが男の 魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ なまじとめるな 夜の雨
やると決めた事を最後までやり遂げられる人は男にも女にもいる。それを「男の魂」というのはどうかと思う。私の周りでは「初志貫徹」出来るのは女性に多く、男はどうも腰抜けが多いような感じがする。
さて、「義理」とは何だろう?

結局自分の思いや人情は切り捨てられる。これでいいのだろうか。自民党総裁選は、自分の派閥のリーダーを総理大臣に据えることより、党内での利益というパイの取り合いになってきている。80才を超えてなお、権力にしがみつきたい麻生さんや二階さんはある意味ご立派。まさに(自分のための)人生劇場、男の(醜い)世界!
2 あんな女に 未練はないが なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ 解るものかと あきらめた


しかし今の女性は男の願いとは違う! 「別れたら次の人」なのだ。(これっていろんな人から苦情がくるかもしれないが(笑))
3 時世時節(ときよじせつ)は 変わろとままよ 吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように 義理と人情の この世界
時世時節とは「その時その時の移り変わり。その時その時のめぐりあわせ。」という意味らしい。
吉良の仁吉(きらのにきち)ってどんな人だろう。江戸時代の任侠の世界の人だということは何となく知っている。任侠の人で私が知っている名前は「国定忠治」か「清水の次郎長」で、あとは「潮来の伊太郎」と「箱根八里の半次郎」ぐらいかな。

吉良の仁吉は実在の人物で、義理のために恋女房と離縁し、義理のために喧嘩で死んでいく「男の中の男」として芝居や映画で描かれているらしいが、実は結婚歴は無く、エピソードの多くは後に講談師や浪曲師などによって創作されたものである。「国定忠治」や「清水の次郎長」の話も創作が多く、義理のために生きた任侠の男とは言い難いというのが真相のようだ。

4 端(はした)役者の 俺ではあるが 早稲田に学んで 波風受けて
行くぞ男の この花道を 人生劇場 いざ序幕
あまり知られていないが、上記のような4番の歌詞も存在する。
さて最後に、男の本家村田英雄の「人生劇場」。そして歌詞もメロディーも人生劇場によく似ている曲として、演歌界のボーイッシュ畠山みどりの「出世街道」、不器用な男高倉健の「唐獅子牡丹」。この3曲を聞き比べていただきたい。

