有朋自遠方来 放浪楽人(さすらひのがくと)
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人生は旅。
知らない街を歩いてみたい
知らない海をながめていたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。
けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。
たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。
さて、どこまで放浪できるか ……
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048 2021年1月6日
映画「日日是好日」
日日是好日(にちにちこれこうにち、にちにちこれこうじつ)とは、禅語のひとつで、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。
そこから、「毎日が良い日となるよう努めるべきだ」とする解釈や、さらに進んで、「そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり、常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ」とする解釈がなされている。
『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)は、エッセイスト・森下典子による自伝エッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』を原作とした、2018年10月公開の日本映画。 監督・脚本は大森立嗣。主役の典子を黒木華、典子が通う茶道教室の先生を樹木希林、典子と一緒に茶道教室へ通う従姉妹を多部未華子が演じている。
あらすじ
大学生の典子(黒木)は、突然母親から茶道を勧められる。戸惑いながらも従姉妹・美智子(多部)とともに、タダモノではないという噂の茶道の先生・武田のおばさん(樹木)の指導を受けることになる。
大学を卒業しても、就職もせずに30代に突入した典子。大学を卒業して茶道を辞めすぐに就職をし、お見合いをするために退職し結婚をして子どもも生まれた美智子。典子は美智子との間に遠い距離を感じていた。
そんな中、10年間辞めずに続けてきた茶道でさまざまな後輩との出会いを通して大切なことをたくさん学んだ典子は、やっと出版社に面接をしに行くことになった。だがそれもダメで、ずっと付き合っていた彼氏とも別れて落ち込んでいた中、父親の死を知り、武田のおばさんと泣いた。 それから典子は立ち直りもう一度全てやり直そうと決意する。
この作品は、映画らしい起承転結やドラマチックな展開、どんでん返しなどは全く無しで、主人公のおよそ24年が、お茶のお稽古と共にゆっくり淡々とユーモラスに進んでいく。ではなぜ名作と捉えたか、理由は2つ。まず、名言の宝庫であるということ。次に、お茶をたてる(お点前というらしいが)という行為考え方が、実は日本人の魂にぴったり合っていると理解できるということだ。
映画のレビュー(批評・感想)をいくつか紹介する。
コロナで疲れた今だからこそ
コロナでいろいろな価値観が変わろうとしている今の世の中にまさにぴったりでした。まるで、導かれて作られたように思えました。
今まで私たちは心に空いた穴を埋めよう、何かを手に入れて満たそうとするやり方が当たり前になっていたと思います。
この映画を観て、ひとつの物事を丁寧に感じることの豊かさを知りました。私たちは毎日窮屈な日々を過ごし、四季の移り変わりを感じながらゆっくり時間を過ごすことで心を満たす術を持っておらず、必死に何かで心を埋めようとしてそれでも埋まらない、そんなことを繰り返していると思います。
雨はうっとうしいだけで雨音を楽しむなんて考えにもならず、寒さの厳しい日は春が待ち遠しくなり、寒い中でこそ感じる楽しみに気付けていない、とこの映画で知りました。
映画を観るまで、「日日是好日」の言葉さえ知りませんでした。映画ではその意味を丁寧に教えてくれています。鑑賞した人みんながこの思いを受け取って、毎日自分らしく幸せに過ごせていけたらいいなと思いました。
映画の序盤は茶道の所作の教材ビデオみたいで、難しそう…となるのですが、等身大の主人公たちなので追体験が出来てどんどん引き込まれました!
茶道のお話ですが、興味がなくてもこの映画を通じて様々な事が見えてきました。人生について考えさせてくれる素敵な映画でした。
樹木希林から黒木華へ日本的美意識の継承
多くの映画ファンにとって心の母、心の祖母であった樹木希林。昭和顔で親しまれ高い演技力が内外で評価される黒木華。この二人が茶道を介して対峙する。なんとも贅沢な企画ではないか。茶道の先生から決まりごとと所作を教わる長い年月の中で、主人公が人生の大切なことを学ぶという物語だが、撮影現場での演技のやり取りを通じて、樹木から黒木へ女優としての矜持、ひとりの人間としてのあり方が伝授されたようにも見えた。それはきっと、茶道の根本にある日本的な美意識とも相通じるものだ。
大森立嗣監督は、初めて「美」に真正面から取り組んだように感じた。俳優たちの所作はもちろん、茶の道具、和菓子、和服、庭の自然などをとらえた映像もみずみずしく、ため息が出るほど美しい。
全てのものに意味がある
すぐ理解できることはすぐ行き過ぎていくけれども、すんなり入らないことはゆっくり入っていく・・・というセリフが最後の方に出てきます。
「お茶の作法に意味があるか?」と先生に問いかけ、順番を覚えることに一生懸命になっている主人公たちですが、続けることによって理解できてくるところがある、そういうことなのだろうと思います。
私は子供のころから習字を習っていました。高校の授業の時に書道をしたときは、墨をすって授業の開始を待つまでのひと時が心を落ち着ける作業なのだと自然と理解できていきました。子供のときに墨汁で半紙に書いていたときとはまるで異なりました。無駄な作業のように思えることも実は無駄ではなく、儀式でもなんでもそうですが、それに伴う作業や衣装を身にまとっていくことによって、普段の自分から少し離れて心構えのようなものができていくのだ、と今では理解しています。
最近ソロキャンプが流行りでその動画を見ると、小川のせせらぎに癒されるというコメントが多く見られます。私もその一人です。この映画ではさまざまな水の音を聞かせてくれます。沸いたお湯をお茶碗に入れる、水をお釜に入れる、季節ごとの雨のさまざまな音。さみだれ、しぐれ、はるさめ、日本語にはたくさんの雨の呼び名がありますが、雨の呼び名に限らず、言葉の種類が多い対象は、その言語を使う人とのかかわりが深いのだと聞いたことがあります。昔の日本人は雨を単なる「天気が悪い」現象とは思わず、家の中でその物音を聞きながらゆっくり生活をして思いを巡らしてつきあってきたのだと気づきました。
茶道から生まれた言葉「一期一会」。映画の中でも語られますが、昔は今ほど簡単に人と会うことはできない、特に遠方の人とは。もう一生会うことは無いかもしれないという出会いは現在よりもっと多かったであろう、だからこそ生まれた言葉なのでしょう。現代よりも昔の人の方が1日1日を大事に生きていたのだろうと思いをはせました。この映画のタイトル通りだと思います。
あまり興味を持って見始めた映画ではなかったのですが、思わぬ拾いものをしました。これは樹木希林さんに負うところが大きいと感じます。お茶を点てる姿、正座している姿、手をついておじぎをしている姿、どれも自然体で演技ではなく、にじみ出てくる感じでした。いい役者さんでした。
紹介した3人の方のレビュー(批評・感想)に私もまったく同感であるが、樹木希林のことだけは私の思いを少し書かせていただく。
若い頃からおばさん役や老け役が多くずっと脇役だったが、晩年主役をするようになった稀な俳優である。こういう人は他には市原悦子ぐらいしかいない。この映画では「武田のおばさん」というお茶の先生役だが、喋り方・所作・雰囲気が樹木希林ではなく、実在する「茶道の先生」にしか見えない。演技をしているとは思えないまさに自然体なのである。演技派とは「演技をしているように見せない俳優」をいうのだろう。亡くなってから何年経つのだろうか、生きていれば77才。惜しい、まだまだ活躍出来ただろうに。
では、予告編と樹木希林へのインタビューをどうぞ!
さて2021年は深刻なコロナ禍の中、明けました。何にも「めでたく」はないのですが。年頭にあたり、あえてこの映画の話を選びました。映画をご覧になられていない方にも、その世界観や雰囲気を感じていただければ幸いです。
今の世の中、確かに不満や不安がいっぱいあります。腹が立つことだって当然あります。言うべきことは言いましょう!
でもそれとは別に、この映画の主題でもある「身のまわりの小さな変化に目を向け、耳を傾け、心通わせることで、新たなものを発見しそれを幸せに感じること」「毎年同じ時期に同じことが出来ることの大切さや有難さを感じること」とは何でしょうか。これから読者の皆さんと一緒に考えていきたいです。今年もよろしくお願いします。
映画「日日是好日」
〜 こんな時代だからこそ、観てほしい・感じてほしい名作 〜
日日是好日(にちにちこれこうにち、にちにちこれこうじつ)とは、禅語のひとつで、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。
そこから、「毎日が良い日となるよう努めるべきだ」とする解釈や、さらに進んで、「そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり、常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ」とする解釈がなされている。
『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)は、エッセイスト・森下典子による自伝エッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』を原作とした、2018年10月公開の日本映画。 監督・脚本は大森立嗣。主役の典子を黒木華、典子が通う茶道教室の先生を樹木希林、典子と一緒に茶道教室へ通う従姉妹を多部未華子が演じている。
あらすじ
大学生の典子(黒木)は、突然母親から茶道を勧められる。戸惑いながらも従姉妹・美智子(多部)とともに、タダモノではないという噂の茶道の先生・武田のおばさん(樹木)の指導を受けることになる。
大学を卒業しても、就職もせずに30代に突入した典子。大学を卒業して茶道を辞めすぐに就職をし、お見合いをするために退職し結婚をして子どもも生まれた美智子。典子は美智子との間に遠い距離を感じていた。
そんな中、10年間辞めずに続けてきた茶道でさまざまな後輩との出会いを通して大切なことをたくさん学んだ典子は、やっと出版社に面接をしに行くことになった。だがそれもダメで、ずっと付き合っていた彼氏とも別れて落ち込んでいた中、父親の死を知り、武田のおばさんと泣いた。 それから典子は立ち直りもう一度全てやり直そうと決意する。
この作品は、映画らしい起承転結やドラマチックな展開、どんでん返しなどは全く無しで、主人公のおよそ24年が、お茶のお稽古と共にゆっくり淡々とユーモラスに進んでいく。ではなぜ名作と捉えたか、理由は2つ。まず、名言の宝庫であるということ。次に、お茶をたてる(お点前というらしいが)という行為考え方が、実は日本人の魂にぴったり合っていると理解できるということだ。
映画のレビュー(批評・感想)をいくつか紹介する。
コロナで疲れた今だからこそ
コロナでいろいろな価値観が変わろうとしている今の世の中にまさにぴったりでした。まるで、導かれて作られたように思えました。
今まで私たちは心に空いた穴を埋めよう、何かを手に入れて満たそうとするやり方が当たり前になっていたと思います。
この映画を観て、ひとつの物事を丁寧に感じることの豊かさを知りました。私たちは毎日窮屈な日々を過ごし、四季の移り変わりを感じながらゆっくり時間を過ごすことで心を満たす術を持っておらず、必死に何かで心を埋めようとしてそれでも埋まらない、そんなことを繰り返していると思います。
雨はうっとうしいだけで雨音を楽しむなんて考えにもならず、寒さの厳しい日は春が待ち遠しくなり、寒い中でこそ感じる楽しみに気付けていない、とこの映画で知りました。
映画を観るまで、「日日是好日」の言葉さえ知りませんでした。映画ではその意味を丁寧に教えてくれています。鑑賞した人みんながこの思いを受け取って、毎日自分らしく幸せに過ごせていけたらいいなと思いました。
映画の序盤は茶道の所作の教材ビデオみたいで、難しそう…となるのですが、等身大の主人公たちなので追体験が出来てどんどん引き込まれました!
茶道のお話ですが、興味がなくてもこの映画を通じて様々な事が見えてきました。人生について考えさせてくれる素敵な映画でした。
樹木希林から黒木華へ日本的美意識の継承
多くの映画ファンにとって心の母、心の祖母であった樹木希林。昭和顔で親しまれ高い演技力が内外で評価される黒木華。この二人が茶道を介して対峙する。なんとも贅沢な企画ではないか。茶道の先生から決まりごとと所作を教わる長い年月の中で、主人公が人生の大切なことを学ぶという物語だが、撮影現場での演技のやり取りを通じて、樹木から黒木へ女優としての矜持、ひとりの人間としてのあり方が伝授されたようにも見えた。それはきっと、茶道の根本にある日本的な美意識とも相通じるものだ。
大森立嗣監督は、初めて「美」に真正面から取り組んだように感じた。俳優たちの所作はもちろん、茶の道具、和菓子、和服、庭の自然などをとらえた映像もみずみずしく、ため息が出るほど美しい。
全てのものに意味がある
すぐ理解できることはすぐ行き過ぎていくけれども、すんなり入らないことはゆっくり入っていく・・・というセリフが最後の方に出てきます。
「お茶の作法に意味があるか?」と先生に問いかけ、順番を覚えることに一生懸命になっている主人公たちですが、続けることによって理解できてくるところがある、そういうことなのだろうと思います。
私は子供のころから習字を習っていました。高校の授業の時に書道をしたときは、墨をすって授業の開始を待つまでのひと時が心を落ち着ける作業なのだと自然と理解できていきました。子供のときに墨汁で半紙に書いていたときとはまるで異なりました。無駄な作業のように思えることも実は無駄ではなく、儀式でもなんでもそうですが、それに伴う作業や衣装を身にまとっていくことによって、普段の自分から少し離れて心構えのようなものができていくのだ、と今では理解しています。
最近ソロキャンプが流行りでその動画を見ると、小川のせせらぎに癒されるというコメントが多く見られます。私もその一人です。この映画ではさまざまな水の音を聞かせてくれます。沸いたお湯をお茶碗に入れる、水をお釜に入れる、季節ごとの雨のさまざまな音。さみだれ、しぐれ、はるさめ、日本語にはたくさんの雨の呼び名がありますが、雨の呼び名に限らず、言葉の種類が多い対象は、その言語を使う人とのかかわりが深いのだと聞いたことがあります。昔の日本人は雨を単なる「天気が悪い」現象とは思わず、家の中でその物音を聞きながらゆっくり生活をして思いを巡らしてつきあってきたのだと気づきました。
茶道から生まれた言葉「一期一会」。映画の中でも語られますが、昔は今ほど簡単に人と会うことはできない、特に遠方の人とは。もう一生会うことは無いかもしれないという出会いは現在よりもっと多かったであろう、だからこそ生まれた言葉なのでしょう。現代よりも昔の人の方が1日1日を大事に生きていたのだろうと思いをはせました。この映画のタイトル通りだと思います。
あまり興味を持って見始めた映画ではなかったのですが、思わぬ拾いものをしました。これは樹木希林さんに負うところが大きいと感じます。お茶を点てる姿、正座している姿、手をついておじぎをしている姿、どれも自然体で演技ではなく、にじみ出てくる感じでした。いい役者さんでした。
紹介した3人の方のレビュー(批評・感想)に私もまったく同感であるが、樹木希林のことだけは私の思いを少し書かせていただく。
若い頃からおばさん役や老け役が多くずっと脇役だったが、晩年主役をするようになった稀な俳優である。こういう人は他には市原悦子ぐらいしかいない。この映画では「武田のおばさん」というお茶の先生役だが、喋り方・所作・雰囲気が樹木希林ではなく、実在する「茶道の先生」にしか見えない。演技をしているとは思えないまさに自然体なのである。演技派とは「演技をしているように見せない俳優」をいうのだろう。亡くなってから何年経つのだろうか、生きていれば77才。惜しい、まだまだ活躍出来ただろうに。
では、予告編と樹木希林へのインタビューをどうぞ!
さて2021年は深刻なコロナ禍の中、明けました。何にも「めでたく」はないのですが。年頭にあたり、あえてこの映画の話を選びました。映画をご覧になられていない方にも、その世界観や雰囲気を感じていただければ幸いです。
今の世の中、確かに不満や不安がいっぱいあります。腹が立つことだって当然あります。言うべきことは言いましょう!
でもそれとは別に、この映画の主題でもある「身のまわりの小さな変化に目を向け、耳を傾け、心通わせることで、新たなものを発見しそれを幸せに感じること」「毎年同じ時期に同じことが出来ることの大切さや有難さを感じること」とは何でしょうか。これから読者の皆さんと一緒に考えていきたいです。今年もよろしくお願いします。