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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……







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 066  2022年 3月 6日

 こんな時だから聴いてみよう
        加藤登紀子が歌う「ロシアのすたるじい」


 ロシア民謡とは
 ロシアにおいて、民謡は「ナロードナヤ・ペースニャ」と呼ばれる。狭義のロシア民謡は、農村で歌われてきた「叙情歌」をさし、フォークロア(伝承)としてのロシア民謡を中心的に担ってきたのは農民であったが、職人やスコモローフ(中世ロシアで活躍した芸能人)など、中世までに農民以外の社会層によっても歌われてきた。



 18世紀後半には、これらの民謡と西欧文化との融合によって、ロシア語の歌詞と西欧的な和音伴奏の形態を特徴とする「ロシア歌謡」と呼ばれる新たなジャンルが生まれた。さらに19世紀に入ると、都市化の発展によって招き寄せられた農民層から御者、船曳き、兵士、盗賊、囚人など多様な社会層が派生し、それぞれが独自の民謡を持つに至る。19世紀後半には労働者層による「仕事の歌」が重要なジャンルとなり、20世紀初頭の革命歌は、こうした労働歌から生まれた。

 ロシア民謡の日本への浸透
 日本に流入し「ロシア民謡」と呼ばれたソ連の流行歌は、日本ではロシアの民衆の間で長年にわたって歌い継がれてきた民謡であると信じられた。日本人の好みに合わせ、短調の歌が多く持ち込まれた。そのため、ロシア民謡には他のヨーロッパ各国の民謡に比べて短調の曲が多いという批評がなされるようになった。

 日本とロシア帝国やソ連との政治的関係は元々あまり良好とはいえなかったが、ロシア民謡は日本で非常にポピュラーなものとなった。明治の中期頃から戦後まで日本語の訳詞あるいは作詞がなされ、「カリンカ」「ヴォルガの舟歌」「黒い瞳」「アムール河のさざ波」「行商人」「ともしび」「一週間」など、その数は数十曲に上る。「トロイカ」、「ポーリュシカ・ポーレ」などのように、ロシア語と日本語の間で歌詞の意味が大きく異なる曲もある。

 日本においてロシア民謡が悲しいメロディーであると言う典型が出来上がった背景には、そうしたメロディーの方が日本の民謡に近いものがあったということが挙げられている。また、ロシア民謡は、特にシベリア抑留から解放された帰国者によって日本に多く持ち込まれた。そのため、流刑囚の歌や当時現地で流行っていた戦時中の歌(最新の歌も多少はあった)が多く、内容的にも物悲しいものが多かったことは特徴として挙げられる。

 戦後、日本においてロシア民謡がポピュラーになるのに大きな役割を果たしたのが、「灯(ともしび)」をはじめとする歌声喫茶である。テレビ普及前であった当時、歌声喫茶は大勢の若者が楽しむ娯楽でもあった。ロシア歌曲を得意とするダークダックスが、積極的にロシア民謡を取り上げたことも、日本中に浸透するのに一役買っている。

 日本の歌謡界でレパートリーとして歌っている歌手もいる。イギリスのジーン・ラスキン作詞作曲のヒット曲のはずだったが、後でロシアの大衆音楽作曲家ボリス・フォミーンのロシア革命直後ごろの作曲であることが分かった「悲しき天使」が、漣健児訳詩で、森山良子や南沙織らに歌われていた。「ポーリュシカ・ポーレ」を仲雅美が歌っていた。ソ連の歌手アーラ・プガチョワのヒット曲「百万本のバラ」が、加藤登紀子によって歌われヒットして第40回NHK紅白歌合戦(1989年)出場曲となった。加藤登紀子は、CDアルバム「ロシアのすたるじい」で、古今の有名無名のロシア歌謡を歌っている。
                            (以上、ウキペディアより抜粋)



 ロシア民謡とかロシア歌謡といってもジャンルが広いのだが、我々日本人が親しんでいるロシア民謡は、長年のロシア帝政の頃に、労働者をはじめとする多様な社会層から生まれ発展したものらしい。したがってその歌詞の内容は反戦思想のものや恋の歌、労働や苦しい生活を歌ったものも多くある。

 ロシア民謡とは直接関係ないが、「誓いの休暇」(1959年)というソ連時代の素晴らしい反戦映画を高校生の時にテレビで見たことをふと思い出した。主人公の少年兵の誠実さが今も心に残っている。

 私は今あえて、ロシア民謡をはじめとする素晴らしい文化を育んできたロシア国民に思いをはせてみたい。ウクライナ侵攻はもちろん許されるものではないが、だからといってロシア国民一人一人にどれだけ罪があるというのだろう。
 本当に悪い奴は誰か。また、「戦争反対」「ウクライナを支援する」と叫びながら、結果として戦争に協力している勢力はないのか。ここは、歴史から戦争の本質を学びたい。

 今、ロシアが世界中の敵役となって非難されているが、非難されるべきはプーチン大統領を中心とするほんの一部の勢力である。ロシアの多くの国民は平和を愛する善良な人々であると信じている。

 
 さて、1971年にLPレコードとして発売され、1994年にはCDアルバムとしてリリースされた加藤登紀子の「ロシアのすたるじい」を聴いていただきたい。
 1971年といえば、加藤登紀子は28才。「知床旅情」や「琵琶湖周航の歌」など、それまであまり世に知られていない名曲を発表し大ヒットさせた年である。その傍ら、ロシア民謡のLPレコードも製作していたのである。改めて彼女の音楽性の豊かさに感心する。

 ロシア民謡は学校の音楽の授業でも多く使われ、日本の民謡や演歌などにも通じるところがあり、日本人にとってどこか懐かしく親しみやすいメロディーが多い。
 
 加藤登紀子は、シンガーソングライターであるので、フォーク・ニューミュージック系と思われがちであるが、元々はシャンソンを歌っていた。そういえば、巻き舌で人生の哀歌を歌うということでは、ロシア民謡とフランスのシャンソンは相通じるのかも知れないと、加藤の「ロシアのすたるじい」(全14曲)を聴いてそんな思いがした。



1 カチューシャ        2 道
3 暗い夜           4 街灯
5 満洲の丘に立ちて      6 モスクワ郊外の夕べ
7 灯(ともしび)       8 赤いサラファン
9 ウラルのグミの木     10 ブブリチキ
11 淋しいアコーディオン    12 黒い瞳の
13 サラベイ(浮浪児の歌)   14 草原





  読者のみなさんからのレビュー(感想)
      第65話  村田隆子バイオリンWith岡本美沙ピアノコンサート


 もう65話ですか、すごいですね。本当に出版できますよ。文章も楽しく読めますし。 
      (カンタービレさん 年齢不詳女性)

 バイオリン、ピアノのデュオ、楽しく聴かせていただきました。音楽は本当にいいですね。いろんなことがあった時、傷ついた時など、癒してくれる不思議なパワーがあります。
      (モリトモさん 40才代女性)

 村田隆子さんのDVD買います。よろしくおねがいします。 増々村田さんのファンになりました。   しかし、放浪楽人さんのこれまでの作られた作品を所々見せていただきましたが、凄いなー、ビックリ。
      (カオリさん 70才代女性) 

 あのコンサートは凄かったと、今更ながら感激に浸って思い出します。「宙と土」の上映も、美沙さん、村田さんのコンサートも早くやりたい。 
      (シンフォニア 佐々木邦子さん)

 コロナ第5波にも負けず、後日に無事に開催されて良かったです。ピアノとヴァイオリン、マッチしてますね。 
      (イクミさん 高校生女性)

 このコンサートを去年YouTubeで見ました。高画質・高音質ならブルーレイを買わせていただきます。村田隆子・岡本美沙のコラボレーション、まさに夢の顔合わせですよね。次回は生で見たいです。
      (中年ジェットさん 60才代男性)

岡本美沙さんは様々な年代の方と交流されたり、いつも活躍されていて本当に尊敬です。
      (カホミさん 高校生女性)