有朋自遠方来 放浪楽人(さすらひのがくと)
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人生は旅。
知らない街を歩いてみたい
知らない海をながめていたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。
けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。
たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。
さて、どこまで放浪できるか ……
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№067 2022年 6月 22日
ウトロラウスっていっても恐竜じゃないよ!
観光船の事故で一躍全国の注目を浴びることになった「知床」であるが、さて、知床(しれとこ)といえばあなたはまず何を連想するだろか。
桜田淳子のCM「グリコ知床しぶき」というふりかけを思い浮かべた人はかなりの年配かもしれない(笑)
「知床しぶき」にはふりかけだけではなくお茶漬けもあったとか。
知床とはアイヌ語の「シㇼ・エトㇰ(シレトク、sir etok)」または「シㇼ・エトコ(sir-etoko)」(地山の先、あるいは地山の突き出た所、陸地の突端部、岬)を意味している。元々は知床半島全体を指す地名ではなく知床岬の東側にある小さな岬の地名だったとされている。(ウキペディアより)よく知られている「地の果て」という意味ではないようだ。
(左の写真は知床岬。船やヘリコプターなどでの立ち入りは禁止。歩いて知床連山を縦断して行くしか方法はない。ヒグマに出会う可能性が高い。向こうに見えるのは国後島)
私は知床に2回行ったことがあるが、次に北海道へ行く機会があればやっぱりまた行ってみたい。それは北海道知床にしかない大自然があるからだ。
斜里町宇登呂(ウトロ)から観光船に乗って知床岬にも行った。行ったというより船から眺めただけだが。観光船でウトロ港から知床岬まで往復約4時間かかる。行きは知床半島の西側の珍しい景観を見ながら、青い空と青い海、カモメの群れがずっと一緒について来る。快適そのものだった。
しかし帰りは全く同じ航路を辿るので退屈そのものだったが。
ウトロは知床半島の西の玄関。漁港であり観光船の発着港がある。何といっても「夕景」が素晴らしい。最初は黄金色に海がキラキラと輝き、そのうち海全体がオレンジ色に染まり、やがて海の色が藍色になって夕陽が真っ赤に燃えながら沈んでいく。この間約2時間。
こんな自然が演出するショーを堪能したことがあった。
ウトロは映画「男はつらいよ 知床慕情」の舞台(ロケ地)にもなった。
さて、ウトロから知床半島の付け根にあたる知床横断道路を車で走り、知床峠で休憩し知床連山最高峰「羅臼岳」を仰ぎ、向かった先はウトロの反対側東の玄関、羅臼(ラウス)町。
羅臼町は観光地というよりは、のどかな漁師町の趣だ。
標高167メートルの高台に、「羅臼国後(ラウス クナシリ)展望塔」が設けられている。「知床旅情」の歌詞の通り、この丘に登ればはるか国後島が見える。
この時、私は国境を肉眼で見たのは初めてなので、今まで経験の無い戦慄が体を走ったことを覚えている。
羅臼港はスケトウダラの水揚げが盛んで、質の良い「タラコ」の生産地として有名だ。その多くは福岡県などに運ばれ「明太子」に生まれ変わる。北海道で採れたものが、九州の名物となるこの不思議。
また羅臼町といえば、ドラマ「北の国から2002遺言」で主人公の純(吉岡秀隆)が身を潜めていた町(ロケ地)だ。海のそばの露天風呂や純が住んでいた番屋(ばんや 漁民が漁場の近くの海岸線に作る作業場兼宿泊施設)跡は今や観光名所になっている。
羅臼港の近くにある「しおかぜ公園」には「オホーツク老人の像」と名付けられたブロンズ像が立っている。
下の像の写真をよく見ていただきたい。誰か有名人に似ていないだろうか。
そう、森繫久彌。実は森繁が主演した映画の主人公をモデルにしたらしい。公園には森繁直筆の知床旅情の歌碑も建っている。
1960年に羅臼町で、東宝映画の長期ロケが行われた。戸川幸夫の小説『オホーツク老人』を原作とした映画化で、主演は森繁久弥。
ロケ期間中のあるとき、森繁は『オホーツクの舟歌』という歌を仲間に歌って聞かせた。それは、知床住民の間で昔から歌われてきた曲を基にした歌で、歌詞の採集やメロディーの採譜には、ある若手助監督が重要な役割を果たしたと伝えられる。
歌詞は、知床の冬の厳しさに続いて、春の訪れの喜びと国後への望郷の思いを表現したもの。
ロケの最終日、森繁は集まった羅臼の人びとに、『さらば羅臼よ』という歌を披露した。それは、『オホーツクの舟歌』のメロディーに、今日『知床旅情』として歌われている歌詞をつけたものだった。
終戦時、1万7291人が暮らしていた北方領土の元島民は、2021年12月末で5532人。およそ3分の1に減っていて、平均年齢は84歳になるという。
ウクライナとロシアの領土問題は何百年と続いているが、日本とロシアの領土問題(北方四島)も70年以上続いている今日的課題である。
では最後に「知床旅情」の元唄である「オホーツクの舟唄」を倍賞千恵子の歌で聴いていただきたい。
オホーツクの舟唄 作詞作曲 森繫久彌
オホーツクの海原 ただ白く凍て果て
命あるものは 暗い雪の下
春を待つ心 ペチカに燃やそう
哀れ東に オーロラかなし
最涯(さいはて)の番屋に 命の火チロチロ
トドの鳴く夜は いとし娘が瞼に
誰に語らん このさびしさ
ランプの灯(ほ)影に 海鳴りばかり
スズランの緑が 雪解けに光れば
アイヌの唄声 谷間にこだます
シレトクの春は 潮路に開けて
舟人のかいな 海に響く
オレーオレー オーシコイ 沖の声 舟歌
秋あじだいエリャンサ 掲げる網ゃ大漁
霞むクナシリ 我が故郷
何日の日が詣でむ 御親(みおや)の墓に
御親(みおや)の墓に ねむれ静かに
読者のみなさんからのレビュー(感想)
第66話 こんな時だから聴いてみよう 加藤登紀子が歌う「ロシアのすたるじい」
加藤登紀子さんの歌声すごく良かったです。本当に一流の歌手は、どんな歌でも歌いこなされますね。素晴らしい!!記事もすごく勉強になりました。
(モリトモさん 40才代女性)
東京駿河台や北海道にはロシア正教会の教会などありますね。ソ連になってロシアとの関係がおかしくなりましたが、江戸時代後期以来、比較的人的交流は親和的でしたね。ロシア料理しかり革命から逃れた亡命ロシア人を受け入れましたし。今回はプーチンによる権力維持のため、野心のためのウクライナ侵攻です。何も知らされず戦地ウクライナに投入されたロシア人、経済制裁で苦しむロシア人もまた犠牲者です。
プーチンを排除してウクライナに平和が、そして自由なロシアがと願うばかりです。なかなか妙案はありませんが。名古屋市でしたか、ウクライナの人とロシアの人が共に反戦を訴えているのが救いです。どこぞの国の元首相が核共有など吠えるのとは大違いです。
(ワタルさん 50才代男性)
加藤登紀子さんのファンです。友達にシャンソンをやっている人がいて(元同僚)私より年上ですが今でも教室に通って喉を磨いています。コンサートもコロナ以前に何回か開いています。加藤さんの歌をkeepして何回も聴かせていただきますね。
(カオリさん 70才代女性)
こんな時に何故ロシアの話題って、始めびっくりしましたが、読んでいるうちに、本当に音楽も文化もすばらしい国なのに…と悲しくなりました。私の知り合いの人は、ロシアが大好きで、何回も訪れ、たくさんのマトリョーシカを集めて、私も一つ持っています。バレエもフィギュアスケートも素晴らしい。悪魔の大統領がそれを全て壊している。歌を聞いていると、プーチンを許せないという怒りと悲しさで胸いっぱいです。
(カンタービレさん 女性)
懐かしい。ソ連へ行った頃を思い出します。音楽のことはほとんどわからんが放浪楽人さんのこれを読んで「そうか」と学ぶことばかり。すごい。ロシア民謡はダークダックスの影響は確かに大きいね。加藤登紀子さんの唄もいいね。ロシアは戦争やめないと、歌も傷つけるよね。
(頑固一徹さん 70才代男性)
戦争って何だろう?喧嘩は一対一なら納得できるが、国などと言う幻想の中で、見ず知らずの人を殺すなど意味不明である。地球の命は本来調和と循環の中で互いに助け合って存在するものだと私は思っている。かつて利権屋に情報操作されて来た歴史を思い出してほしい。敵味方は無い。あるのは同じ地球の命。
(シンフォニア 佐々木邦子さん)
ゆっくり聴かせていただきました。普段吹奏楽をしていても、このような音楽はあまり聴かないので新鮮で素敵だなぁと思いました。それと本当に美しい歌声だとしみじみと感じさせられました。いろんな音楽に触れる機会を与えてくださって嬉しいです。
(カホミさん 高校生女性)
「ロシアのすたるじい」最高です。若い頃聞いていたLPレコードの雰囲気や匂いがして懐かしい、まさにノスタルジー。10曲目の「ブブリチキ」が特に気に入りました。いかにもロシア民謡という感じで、踊りたくなるメロディーとリズム、それでいて人生の哀愁を歌うシャンソンの香りもして。加藤登紀子の語りもいいですね。毎日聞いています。
(中年ジェットさん 60才代男性)
プーチンがにくい。ウクライナどうなる?八つ裂きにプーチンしてやりたい。
(樹梨さん 70才代女性)
ウトロラウスっていっても恐竜じゃないよ!
~私の知床旅情~
観光船の事故で一躍全国の注目を浴びることになった「知床」であるが、さて、知床(しれとこ)といえばあなたはまず何を連想するだろか。
桜田淳子のCM「グリコ知床しぶき」というふりかけを思い浮かべた人はかなりの年配かもしれない(笑)
「知床しぶき」にはふりかけだけではなくお茶漬けもあったとか。
知床とはアイヌ語の「シㇼ・エトㇰ(シレトク、sir etok)」または「シㇼ・エトコ(sir-etoko)」(地山の先、あるいは地山の突き出た所、陸地の突端部、岬)を意味している。元々は知床半島全体を指す地名ではなく知床岬の東側にある小さな岬の地名だったとされている。(ウキペディアより)よく知られている「地の果て」という意味ではないようだ。
(左の写真は知床岬。船やヘリコプターなどでの立ち入りは禁止。歩いて知床連山を縦断して行くしか方法はない。ヒグマに出会う可能性が高い。向こうに見えるのは国後島)
私は知床に2回行ったことがあるが、次に北海道へ行く機会があればやっぱりまた行ってみたい。それは北海道知床にしかない大自然があるからだ。
斜里町宇登呂(ウトロ)から観光船に乗って知床岬にも行った。行ったというより船から眺めただけだが。観光船でウトロ港から知床岬まで往復約4時間かかる。行きは知床半島の西側の珍しい景観を見ながら、青い空と青い海、カモメの群れがずっと一緒について来る。快適そのものだった。
しかし帰りは全く同じ航路を辿るので退屈そのものだったが。
ウトロは知床半島の西の玄関。漁港であり観光船の発着港がある。何といっても「夕景」が素晴らしい。最初は黄金色に海がキラキラと輝き、そのうち海全体がオレンジ色に染まり、やがて海の色が藍色になって夕陽が真っ赤に燃えながら沈んでいく。この間約2時間。
こんな自然が演出するショーを堪能したことがあった。
ウトロは映画「男はつらいよ 知床慕情」の舞台(ロケ地)にもなった。
さて、ウトロから知床半島の付け根にあたる知床横断道路を車で走り、知床峠で休憩し知床連山最高峰「羅臼岳」を仰ぎ、向かった先はウトロの反対側東の玄関、羅臼(ラウス)町。
羅臼町は観光地というよりは、のどかな漁師町の趣だ。
標高167メートルの高台に、「羅臼国後(ラウス クナシリ)展望塔」が設けられている。「知床旅情」の歌詞の通り、この丘に登ればはるか国後島が見える。
この時、私は国境を肉眼で見たのは初めてなので、今まで経験の無い戦慄が体を走ったことを覚えている。
羅臼港はスケトウダラの水揚げが盛んで、質の良い「タラコ」の生産地として有名だ。その多くは福岡県などに運ばれ「明太子」に生まれ変わる。北海道で採れたものが、九州の名物となるこの不思議。
また羅臼町といえば、ドラマ「北の国から2002遺言」で主人公の純(吉岡秀隆)が身を潜めていた町(ロケ地)だ。海のそばの露天風呂や純が住んでいた番屋(ばんや 漁民が漁場の近くの海岸線に作る作業場兼宿泊施設)跡は今や観光名所になっている。
羅臼港の近くにある「しおかぜ公園」には「オホーツク老人の像」と名付けられたブロンズ像が立っている。
下の像の写真をよく見ていただきたい。誰か有名人に似ていないだろうか。
そう、森繫久彌。実は森繁が主演した映画の主人公をモデルにしたらしい。公園には森繁直筆の知床旅情の歌碑も建っている。
1960年に羅臼町で、東宝映画の長期ロケが行われた。戸川幸夫の小説『オホーツク老人』を原作とした映画化で、主演は森繁久弥。
ロケ期間中のあるとき、森繁は『オホーツクの舟歌』という歌を仲間に歌って聞かせた。それは、知床住民の間で昔から歌われてきた曲を基にした歌で、歌詞の採集やメロディーの採譜には、ある若手助監督が重要な役割を果たしたと伝えられる。
歌詞は、知床の冬の厳しさに続いて、春の訪れの喜びと国後への望郷の思いを表現したもの。
ロケの最終日、森繁は集まった羅臼の人びとに、『さらば羅臼よ』という歌を披露した。それは、『オホーツクの舟歌』のメロディーに、今日『知床旅情』として歌われている歌詞をつけたものだった。
終戦時、1万7291人が暮らしていた北方領土の元島民は、2021年12月末で5532人。およそ3分の1に減っていて、平均年齢は84歳になるという。
ウクライナとロシアの領土問題は何百年と続いているが、日本とロシアの領土問題(北方四島)も70年以上続いている今日的課題である。
では最後に「知床旅情」の元唄である「オホーツクの舟唄」を倍賞千恵子の歌で聴いていただきたい。
オホーツクの舟唄 作詞作曲 森繫久彌
オホーツクの海原 ただ白く凍て果て
命あるものは 暗い雪の下
春を待つ心 ペチカに燃やそう
哀れ東に オーロラかなし
最涯(さいはて)の番屋に 命の火チロチロ
トドの鳴く夜は いとし娘が瞼に
誰に語らん このさびしさ
ランプの灯(ほ)影に 海鳴りばかり
スズランの緑が 雪解けに光れば
アイヌの唄声 谷間にこだます
シレトクの春は 潮路に開けて
舟人のかいな 海に響く
オレーオレー オーシコイ 沖の声 舟歌
秋あじだいエリャンサ 掲げる網ゃ大漁
霞むクナシリ 我が故郷
何日の日が詣でむ 御親(みおや)の墓に
御親(みおや)の墓に ねむれ静かに
読者のみなさんからのレビュー(感想)
第66話 こんな時だから聴いてみよう 加藤登紀子が歌う「ロシアのすたるじい」
加藤登紀子さんの歌声すごく良かったです。本当に一流の歌手は、どんな歌でも歌いこなされますね。素晴らしい!!記事もすごく勉強になりました。
(モリトモさん 40才代女性)
東京駿河台や北海道にはロシア正教会の教会などありますね。ソ連になってロシアとの関係がおかしくなりましたが、江戸時代後期以来、比較的人的交流は親和的でしたね。ロシア料理しかり革命から逃れた亡命ロシア人を受け入れましたし。今回はプーチンによる権力維持のため、野心のためのウクライナ侵攻です。何も知らされず戦地ウクライナに投入されたロシア人、経済制裁で苦しむロシア人もまた犠牲者です。
プーチンを排除してウクライナに平和が、そして自由なロシアがと願うばかりです。なかなか妙案はありませんが。名古屋市でしたか、ウクライナの人とロシアの人が共に反戦を訴えているのが救いです。どこぞの国の元首相が核共有など吠えるのとは大違いです。
(ワタルさん 50才代男性)
加藤登紀子さんのファンです。友達にシャンソンをやっている人がいて(元同僚)私より年上ですが今でも教室に通って喉を磨いています。コンサートもコロナ以前に何回か開いています。加藤さんの歌をkeepして何回も聴かせていただきますね。
(カオリさん 70才代女性)
こんな時に何故ロシアの話題って、始めびっくりしましたが、読んでいるうちに、本当に音楽も文化もすばらしい国なのに…と悲しくなりました。私の知り合いの人は、ロシアが大好きで、何回も訪れ、たくさんのマトリョーシカを集めて、私も一つ持っています。バレエもフィギュアスケートも素晴らしい。悪魔の大統領がそれを全て壊している。歌を聞いていると、プーチンを許せないという怒りと悲しさで胸いっぱいです。
(カンタービレさん 女性)
懐かしい。ソ連へ行った頃を思い出します。音楽のことはほとんどわからんが放浪楽人さんのこれを読んで「そうか」と学ぶことばかり。すごい。ロシア民謡はダークダックスの影響は確かに大きいね。加藤登紀子さんの唄もいいね。ロシアは戦争やめないと、歌も傷つけるよね。
(頑固一徹さん 70才代男性)
戦争って何だろう?喧嘩は一対一なら納得できるが、国などと言う幻想の中で、見ず知らずの人を殺すなど意味不明である。地球の命は本来調和と循環の中で互いに助け合って存在するものだと私は思っている。かつて利権屋に情報操作されて来た歴史を思い出してほしい。敵味方は無い。あるのは同じ地球の命。
(シンフォニア 佐々木邦子さん)
ゆっくり聴かせていただきました。普段吹奏楽をしていても、このような音楽はあまり聴かないので新鮮で素敵だなぁと思いました。それと本当に美しい歌声だとしみじみと感じさせられました。いろんな音楽に触れる機会を与えてくださって嬉しいです。
(カホミさん 高校生女性)
「ロシアのすたるじい」最高です。若い頃聞いていたLPレコードの雰囲気や匂いがして懐かしい、まさにノスタルジー。10曲目の「ブブリチキ」が特に気に入りました。いかにもロシア民謡という感じで、踊りたくなるメロディーとリズム、それでいて人生の哀愁を歌うシャンソンの香りもして。加藤登紀子の語りもいいですね。毎日聞いています。
(中年ジェットさん 60才代男性)
プーチンがにくい。ウクライナどうなる?八つ裂きにプーチンしてやりたい。
(樹梨さん 70才代女性)