にせおおかみおとこ ひゃくにちの ねこかわかぶり

  四   贋狼男百日猫姿        



 小学校の地下教室に幽閉された一年生は、本校の上級生と接する機会が無かった。しかし上級生の兄・姉を持つ生徒から、本校の情報はどんどん入ってくる。それによると上級生の中には、相当な悪ガキがいるらしい。近年とみに悪さが増し、先生たちはその対応に苦慮している。中学生も高学年になると、大人並の体格の奴だっている。警官隊が来たこともある。うわさ話は、不安の感覚をさらに増幅させる。
 暗ぁーい話だ、厭ぁーな話だ、学校という組織体は、そんなに脆弱だったのか。
 私は中学校に過度の期待をしていた訳ではない。しかし私は、丸刈りを嫌って最後まで坊ちゃん刈りのままでいた友人達を尻目に、あっさりと頭を丸めた。学生服というアナクロニズムも黙って容認した。それは上級学校というものに、ごく常識的な期待感を持っていたからである。
 本という体裁に近づいてきた教科書。教科毎に専門教官が担当するというシステム。これらはより高度で本格的な授業の雰囲気を感じさせた。高度な事を教わるのだから、それに相応しい心構えを持ち、礼儀をわきまえようとしていたのである。

 どこの学校にも悪ガキぐらいいるさ。それは何処の学校にも宇宙人みたいな先生がいるのと同じ事だ(宇宙人のみなさん、ごめんなさい)。多少標準規格から外れた人間がいようとも、大筋において学校は学校として機能するだろう。これが当然の感覚だと思う。だって世の中とは、そんなもん、だから。

 7月始め、竣工した分校への登校が始まったが、すぐ夏休みとなる。
 9月、2学期を迎える。始めての満月の夜、先生のうち何人かが、狼男の様に恰好よく無いけれど、むくむくと変身した。生徒が羊の皮を脱ぎ捨てるより速く、先生は被っていた猫の皮をはぎ取った。
 やれやれ、やっと学校らしいところへ来たぞ。ここはピッタリと閉鎖された空間だ。もう他者の眼を気にして、びくびくせずに済む。この3ヶ月間、良く耐えて来たものだ。あー、ホッとする。ぼちぼち自由に振る舞うとするか。

      *       *       *     

 私のクラス、9組の担任Nは、すでに入学早々、私の授業への幻想を第一番にうち砕いていた男だった。担当は社会科地理。
 それまでの私は、都道府県名や世界各国の特産品を覚えるのが地理、とばかり思っていた。しかし新しい教科書を見れば、地図の描き方一つをとってみても、幾何学的な手法を駆使して様々な用途からの要求に応える地図が工夫されており、地図帳の各ページの下には何図法で描かれたのかが、きっちりと記されている。各図法の名は、作図の方法や目的を最短で表現したものだが、多くの図法にはその考案者由来の別名がある。今までは西欧といえば、べたでステロタイプなイメージしか無かったのに、国による名前のニュアンスの違いが面白い。メルカトルとか、ボンヌとか、グードとか。ここのところが、このNにかかるとどうなるか。

 地球は丸いですな。それを紙に書こうと思たら、縁の方は、こう押しつぶして広げなあきまへんな。こう蜜柑の皮押しつぶすみたいに、ペチャーッと、ペチャーッと。

 先生それは地図をみて誰もが想像するイメージやで、その正確な説明が教科書に書いてあるがな。それ教えんかい。アリャー、それで説明終わりかいな。次へ行ったらあかんがな。
 Nの授業は、教科書を手抜き坊主のお経のように棒読みし、自分が解説可能なところだけに講釈を付け足すもので、生徒が一人でゆっくりと教科書を読む以上の価値は、一切無かった。
 まあ、仕方ないか。宇宙人リストに入れておくか。  

 しかしこの男が、白秋の満月の晩、真っ先に変身したのである。
 ホーム・ルームの時間。それまでは中学校へ入った感想とか調査用紙の記入とかで、時間を潰していたのが、急に人生訓を垂れだしたのだ。曰く、私の名前は私の父親がつけてくれた。大抵そうやがな、向かいのおっさんやったら、話ややこしいで。黒板に大きく自分の名前を書く。訓読みにすると(それまで、そう思っていた)極めてありふれた名前に聞こえるのだが、彼は音読みにした。そう読むと大層大げさな響きで、僧侶の名のように聞こえる。完全に名前負けしてるで。
 私は、お寺の長男として生まれたこと、そしてこの名を授かったことを、感謝しております、と続ける。なんや、やっぱり坊主やったんか。それにしても声の汚い坊主や。この声でお経やられたら、ほとけさんも往生でけへんで。三途の川で足止めや。旧陸軍の兵隊が上等兵に返事をするときのように、斜め上の天井を見て、がなり声を出すのは止めてくれ。深夜映画で見た『真空地帯』思い出して気分悪いわ。あれ、涙声になっとる。ちょっと、やばいのとちゃうか、このセンコ。

 ひとしきりの自己陶酔の後、彼は突然宣言した。
 今から持ち物検査をする。
 吉本新喜劇だったら全員がずっこけるところだ。今までの話とどない繋がるんや。持ち物検査やと、小学生の話や。ハンカチ・ちり紙・連絡帳の認め印など、忘れてはならないものを、親に揃えて貰うのでなく、自分で準備できる様に躾られた。ほぼ全員ができる様になり、程なくこの訓練は終了した。小学校4年生の時や。

 Nは、今持っている持ち物を全部机の上の上に出せ、と指示した。
 何やてぇ? 持ってくるべきものをきちんと持っているか、の検査と違うのか。学校に持ってくるべきで無いものを、持っていないか(あぁややこし、言い難ぅ)を、調べるんかいな。
 狼男の次は魔女狩りの証拠探しか。何がご希望だ。煙草か、ナイフか、エロ本か。

 中学校一年ともなれば、みだりに人の持ち物を詮索したりする事の無礼を、既にわきまえている。窃盗とか変態とかの疑いをかけられるのはもっての他だ。仮に思わず見てしまったものがあっても、見なかった振りを装う。それも礼儀のうちだ。それを教師ともあろうものが。いやはや。
 そんな生徒の気持ちは全く意に介せず、Nは私の席とは反対側の列から点検にかかった。Nは猫背の背中をさらに丸め、顎を突き出し、得意げに歩いていた。左手を上着のポケットに入れたまま、時々右手の指三本で汚物を摘むように、生徒の所持品の山をひっくり返した。だが、獲物は何も引っ掛からなかった。
 Nは教室の中程の列まで来た。やはり何も出なかった。Nは多少焦っている様に見えた。最後に私の座席を含む2列の前まで来た。まだ何も出ない。Nは完全に焦っていた。ザマ見さらせ、坊主がぼうずとは、よくでけた話やないか。
 とうとう残りは、私を含む4人だけとなった。Nは先ず私を見た。私は彼を睨み返したので、Nは直ぐに私から眼をそらし、他の三人の顔を見比べた後、私の隣の女子生徒Kさんを標的と定めたようだ。NはKさんのノートを繰り始めた。何冊目かのノートの最後のページで、Nの手が止まった。彼の頬が微かに弛んだ様に思えた。

 そこには歌の歌詞が書かれていた。ナンセンス・ソングの歌詞が。昨日私が『ありがたや節』を教えたら、Kさん大層面白がって、今度は自分が『大学数え歌』の歌詞を調べてきたのである。
 Nはその歌詞がけしかんと言い出した。神聖なノートに流行歌の歌詞を書くなど、学校を何と心得ておる、というめちゃくちゃな論理であった。予期せぬ論理というのは、とっさに反論出来ないものである。Kさんや私たち周りの生徒が、当惑のあまり何も言葉を返せずにいると、Nは調子にのって、Kさんを虐め始めた。クラス全員が聞く中いじめは長々と続いた。終いには、今すぐ親を呼べとまで、言い出した。Kさんはとうとう泣き出してしまった。

 同じ頃、隣の教室10組では、担任Kが、むくむく変身を始めていた。悪いことに、此奴は武闘派だった。


―― 四 贋狼男百日猫姿 にせおおかみおとこひゃくにちのねこかわかぶり (了)  
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 ◆◆◆ 2024/04/06 up ◆◆◆



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始めての満月の夜、先生のうち何人かが、

生徒がこうなるより前に、


先生がこうなった!


私は、お寺の長男として生まれたこと、

谷町筋、松屋町筋はお寺だらけ、
担任Nは、このどれかの寺の住職だった。


深夜映画で見た『真空地帯』

『真空地帯』初版 河出書房


その著者の野間宏


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映画『真空地帯』


その監督の『山本薩夫』


当時流行していた守屋浩さんの

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