おそざきのこい ちくじゃくのえし

  五  遅咲恋竹雀絵師        



 階段室を挟んで隣は10組、担任はKという国語の教師だった。
 Kの授業は、長年生徒の前で喋ってきた実績を伺わせ、面白みもある、と最初は感じた。しかし暫く経つと投げやりな口調が混じる様になる。顎から先だけで大儀そうに喋る事が多くなる。
 ある日の授業中、彼は突然、お前らなぁー、と叱責の怒鳴り声を上げ、生徒たちを驚かせた。その直ぐ後に、てな事言うたら皆びっくりするやろ、と自分で混ぜかえし、ふん、とため息をつくと、沈黙してしまう。生徒はこの時こそ笑ってみたものの、何回もこれが繰り返されるので、不気味に感じ始めていた。
 分校へ移ってから気付いたのだが、怒鳴って沈黙しているKを見ると、身体が前後に揺れている。今日はいつもより更に顔が赤黒い。私は沢山の大人の醜態を見てきたので、直ぐにKの乱調の理由を理解した。
 酔うてるな、この男。

 ある日、授業終了のベルが鳴ってしばらくすると、背後の階段室の方から、Kの怒鳴り声が聞こえ、続いて、ビシッ、という厭な音が響いた。何事かと階段室に飛び出すと、Kと私の友人の沢崎君が、二尺の距離で対峙している。Kの身体は例によってゆらゆら前後に揺れており、じっと立ちつくす沢崎君の左の頬に、たちまち赤い手形が浮かび上がってきた。
 Kがまた怒鳴る。何を言っているのか聞き取れない。Kは右手を斜め上にさしあげ、斜め下へ一直線に振り下ろす。身体はゆらゆら揺れているのに、Kの手の平は確実に沢崎君の左頬をヒットする。ビシッという音が、階段室の吹き抜けに響く。
 突然始まった暴行はショッキングだ。だがそれ以上に叩き方が異様だ。叱っているという風でなく、吹き出てくる憎悪の念を生徒にぶつけている。その憎悪は目の前の生徒に由来するものでなく、K自身の心の闇から溢れ出てくるようだ。Kから放射される邪気が辺りに充満し、暴力以上に恐ろしい。もうこれ以上叩くと、周りの生徒たちから悲鳴が上がる、と思われた瞬間、Kの手は停止した。彼はじろりと周囲の生徒を一瞥すると、ふらふらと階段を降りていった。

 帰り道、私たちは無言で歩いていた。
 沢崎君は、あのガキ …… 、と言いかけたが、それっきり黙ってしまった。他の面々は、彼の受けた屈辱の大きさに見合う慰めの言葉を見付けることが出来ず、黙って歩くしか無かった。やがて沢崎君は、一緒にいたI君に向かって、I、今度はお前がやられるぞ、気ぃつけや、と言った。I君は、えぇ?、と嗄れ声を出した。沢崎君は続ける。あいつは、人を憎んどるんや。気にいらん奴は、顔見ただけでむかつくんや。
 沢崎君は相当の悪ガキであったが、聡明、敏捷、という美しい資質を持ち合わせていた。一方のI君は残念ながら、えらい鈍くさいやつ、だった。彼は幼少の頃の大怪我のおかげで、かなり奇異な風貌をしていた。同じ理由によって、声は嗄れており、身長は子供のままだった。天は不公平を徹底させるのか、彼の成績は最低、家は極貧であった。虐められない為に彼は、私たちのグーループに紛れ込むしか無かったのだ。私たちはソクラテス指向派であり(団子理屈をこねる、とよく言われた。賞賛と、とっておこう)、徒党を組んで不安を緩和する事を拒み、他のグループの介入を制していた。
 
 沢崎君は二度とKに殴られることがなかった。彼は持ち前の機敏さで災難を回避した。その代わり彼の予言通り、I君は何度もKの餌食にされた。場所は決まって階段室であった。
 ある日、私のクラス9組の生徒数人が、ひそひそと話し合っている。

 10組のI知っとるか、あいつ授業中に大便たれたらしいで。ほんまか。ほんまや、それを新聞紙に包んで机の中に隠しとったんや。授業中Kが、臭い、ここ臭い言うて、机の中の新聞包みを見付けよった。何じゃこれはと新聞紙持ち上げたら、ババがコロコロと転げ落ちた。それで殴られとったんか。アホやなあいつ。ほんまアホや。

 嗚呼、何と情けない。アホはお前らじゃ。ちょっと外見が普通でない奴を見付けたら、自分で正体を確かめる事もせず、うわさ話を膨らませ、相手を異世界へ追いやってしまう。お前ら何時の間に、一丁前の馬鹿な大人になったのか。
 授業中に、一番前の席でズボンをおろし、新聞紙に排便し、後始末の紙と一緒に包んで机の中に入れ、すました顔で授業を受ける、やと。そんなことできるもんなら、やってみい。それだけで飯喰えるわ。えらい臭い芸やけど。
 Iは虐めの標的にされたんや。Kは新聞紙で犬の糞を持ち込んだ張本人を捜しもせず、手っ取り早くIを生け贄にしたんや。何でやと思う、Kも一緒になってIを虐めたいからや。犬の糞ほりこんだ奴も、Kがそうすることを読んどったはずや。要するに両方ともぐるや。相談はせんでも一瞬にして連みよる。これが虐めのテクニックや。そんなこと見んでも分かるやろ。

 帰り道、私たちはまた沈黙して歩いた。沢崎君の時と同様、私たちは誰もI君に、お前何で殴られたんや、とは聞かなかった。虐めを受けたものは、自ら進んでその事に触れようとはしない。人に触れられる事も嫌がる。
 
 子供は誰でも例外なく、虐められた経験を持っている。またたいていの場合、他者を虐めた経験も持っている。虐められても、虐めても、子供はこの事を、親や先生には告げようとはしない。
 もし子供が、ママ虐められたの、と泣いて帰ってきたとすれば、そんなガキの言うことは無視して良い。ママが仕返ししてくれれば、それですむと思っているなら、その子の自尊心は全く傷ついていない。タフでダイ・ハードな奴だ、安心しなよ、ママ。でもその子は、ママがかんかんになって怒っても、恐らく改心しないだろうな。全く、喰えないガキだぜ。
 昨今テレビの画面で、まさか自分の子供がこんなに虐められていたなんて思いませんでした、とか、うちの生徒に虐めがあったという事実は承知しておりませんでした、などと、平気で宣う大人がいる。自己申告されるような虐めなんか、あるものか。自己申告できる子供なら虐められたりしない。
 だから大人は、自分の大切な子供たちの心に、自分の方から踏み込んで、虐めの痕跡を探さなければならない。そのためには自分が体験した虐めのリアリティを忘れてはならない。虐められた事による傷であっても、虐めた事による痛みであっても。もし自分に虐めの経験がないというなら、可能性は二つしかない。本物の天使か、余程の鉄面皮か。たいていは後者だろうが。

      *       *       *     

 とんでも無い先生の話が続いた。当然ながら善意の先生だってたくさんおられた。そのうちお二人の思いでを語ろう。

 英語の先生は、日本猿の子供みたいに可愛い先生だった。
 この先生に好感を持ったのは、外国語を学ぶ時はためらい恥じらいを捨て、大きな声で明瞭に喋れ、どんどん喋れ、というポイントを、きっちりとお手本で示してくれた事だ。先生はこの事を、理屈で言わなかった。ほんとに小柄な先生が、教卓の後ろにちょこんと腰を下ろし、大きな口を開け、教室一杯に朗々と声を響き渡らせた。先生が大きな目玉をクリクリさせて、白い頬を紅潮させると、生徒も負けじとそれに応じた。授業にストレスを感じ無かったし、みんな結構良い成績をもらえた。
 生徒たちは先生の教えを尊重し、先生にぴったりのニック・ネイムを送った。
 パキット・マンキィ。
 大阪弁英語の無抑揚発音でなく、きちんと、パ、マ、にアクセントを置くのが、流儀であった。

 私の英語の成績は散々なものだったけれど、40歳に近くなってから、どんどん西欧への出張をこなせたのは、最初の先生がパキット・マンキィ、だったからだ、と思う。当座必要な語彙だけを準備すれば、どうにでもなるさ、ネイティブじゃ無いんだからね。私にしては例外的に気楽な姿勢は、彼女の贈り物だったと思う。

 美術の先生は渋いおじさんだった。
 とにかく絵が上手かった。画用紙と格闘している生徒の間を行き来し、生徒が悩んでいると、いつの間にか机の横に立っていて、うーん、この部分ねえ、どういう風にしようかな、と中性的なアクセントで呟くのであった。一寸良いかな、と言って生徒から筆をとり、今筆が含んでいるままの色で、さらさらと加筆し、もう一度考えてから、パレットに出ている色から幾つかを選び、あと少し手を加える。するとそこには、思いもかけぬ絵が現れてくるのだった。生徒は先生の筆跡を見て、自分の筆で、今使っていた色で、これが書けるのか、とひとしきり感嘆するしかないのであった。

 先生は言った。よく自分の思ったとおり書け、とか言いますが、それは名人になって初めてできることです。その時はもうすぐ死ぬときです。(笑い) 筆がなかなか進まない人は、友達の絵でも画集でも良いから、気に入った人の絵を真似てみる事です。あのね、真似をするなんて、言わない方がいいです。たいていの先生、怒りますから。(笑い) 真似は難しいですよ。真似が出来れば、身近なモノで写生をしてみる。ちょっと前よりは、書きやすくなっています。
 私も竹に雀ぐらいの絵は描くんですが、というとき、先生はとても小声で、恥ずかしそうだった。なるほど、自分の得意なことを吹聴してまわるのは、野暮ということか、と全員が理解した。少し絵の上手い子に、なかなかお上手ですね、というと、言われた方が、いいえ滅相もない、竹に雀ていどです、と応えるコントがクラスで流行した。

 1年生の最後の頃、英語のパキット・マンキィ先生と、この美術のおじさん先生が婚約した、というニュースが飛び込んできた。私たちは、心から喜んで、私たち流のおめでとうを述べたのである。この美術の先生は、名前が、赤、で始まり、色黒で顎のえらが張っており、かみそり負けで首がただれていた。この事をちょっとイメージしてください。そうでないとこの段の、落ちがつかないから。
 ある日、教室に駆け込んできた生徒が言う。

 美術の先生、パキット・マンキィと結婚するらしいぞ。
 ほんまか。やったぜ、赤蝮!


―― 五 遅咲恋竹雀絵師  おそざきのこい ちくじゃくのえし (了)  
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私たちはソクラテス指向派であり

ソクラテス


























































英語の先生は、日本猿の子供

英語の教科書は"Jack and Betty"
たしか表紙はこのデザインだった。

私も竹に雀ぐらいの絵は描くんですが

おそらく、先生はこんな絵を描いていたのだろう。


やったぜ、赤蝮!

心斎橋筋に「サカモト漢方」という薬局があり、「赤まむし」というブランド名の薬品が知られていた。”


今は心斎橋筋にはないようだが、京都の新京極にあるらしい。これはその店頭の写真。感じはそっくりだ。