難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           

 
↓ タブロイド紙のいろいろ ↓

"THE SUN" (イギリス)
発行部数世界一 約340万部

「精神病患者に1200人が殺された」なんて書いてある。とても扇情的。 


"THE SUN"の日曜版 かな
「死からから生還した男」だって。顔のアザがもっともらしい。右は「この美女をものにしたのは誰だ」 さて、どちらを先に読もうかな。



"SUNDAY SPORT” もイギリス
「行方不明機、月面で発見される」 撮影に使った望遠レンズの倍率はいかほどか? 


"NEWYORK POST"(アメリカ)
大統領中間選挙の途中経過らしい。オバマさん苦戦の様子。アメリカで大統領になると、こんな格好までさせられる。わが安倍君なら耐えられるかな? Tsunami がそのまま英語として通用している。


こちらは北京の『新京報』 
スティーブ・ジョブスの訃報。紙面はとても綺麗だが中味は退屈そうだ。 


香港の無料紙だそうだ。
トニー・レオンもすっかりおじさんになっちゃったね。 

↓ 昔のスポーツ新聞 ↓

1961年の記事。グレート・アントニオさんは来日するたびにバスを引っ張ったが、レスリングはとても弱かった。単なるデブだと僕は思った。


やられているのはザ・デストロイヤーか? 覆面レスラーは大勢いたから確定不能。


『週間ファイト』は新大阪新聞社が出していたプロレス専門紙。全面を写真にしてやる気出してますね。ジャイアント馬場さんはシルエットだけでも彼だと分かる。スゴイ人だ。 


覚醒剤の歴史は長い。
「第二次世界大戦当時には連合国軍と枢軸国軍の双方で、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に、士気向上や疲労回復の目的で用いられた。」(ウィキペディア) 
民間でも軍需工場などで生産向上のため使用が奨励されていた。戦後も1951年までごく普通に用いられていた。

覚醒剤を一般化させたのは軍国主義だった、と言うことをマスコミは言わない。
下二つは、新聞広告である。







若き日のルキノ・ヴィスコンティ 


『地獄に堕ちた勇者ども』のポスター
この映画を観ると、悪趣味の表現には高貴な精神が必要なことが良く分かる。



『ベニスに死す』のタッジオ
アッシェンバッハでなくとも心動かされます。 


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「 …… が分かりました」で分かること
 −−−自滅するジャーナリズム その3 (平成28年3月13日)

 
 タブロイド紙(誌)というジャンルの新聞メデイアがある。事件(特に猟奇的な)をことさら扇情的に報じたり、政治家や有名人(昨今では "セレブ" と言うらしい)に関するゴシップの有る事無い事を書き立てたりすることで、売上げ部数の拡大を図ろうとする大衆紙のことである。タブロイドとはもともと紙面の大きさを表す規格のことであったそうだが、欧米のスタイルに倣って、日本でもこの1/2サイズの夕刊紙が創刊されたのは1970年前後のことだったと記憶する。それ以前でも、いわゆる「スポーツ新聞」はタブロイド紙的な大衆紙であった。
 これらは普通の新聞のように朝夕家庭に配達されることはない。仕事を終え家路につく勤め人が(その大半は殿方である)駅の売店で買い求める。しかしさほど熱心に読まれることはなく、ざっと目を通した後は、重賞レースの予想などが載っている場合などを除き降車駅のゴミ箱に放り込まれてその役割を終える。電車の網棚に放置されるものも多数あって、ばつの悪さを我慢して手を伸ばせば誰でもタダで読むこともできた。
 私の通勤はそのほとんどがクルマであったのでうんと昔の記憶に頼るしかないのだが、駅売店の前を通過する時『馬場流血 16文炸裂』とか『毛沢東死亡』とかの大きな文字が眼に飛び込んできたものだ。あの「プロレス活字」は不思議と読んでしまうものだが、それ以上の感興がそそられることはなかった。16文炸裂、なんて言ったって私にはどうでも良いことだったし、毛沢東死亡、などは何度繰り返されたかもしれない噂話に過ぎないことが分かっていたから。

 皮肉った表現になってしまったが、私はこのような媒体があっても良いと思っている。いや、それどころか、もっと多種多様に豊富化してほしい、とも思う。世の中はそうそう立派なものばかりで出来ているわけではないし、判断する主体によって〈どうでも良いこと〉が〈とても大切なこと〉になる場合だってある。今は立派なものと見なされているものでも、その元をたどれば、たいていは猥雑さや低俗性の中にその出自を持っているものだ。好きなものは好き、面白いものは面白い、で良い。断じて「健全さ」などといった物差しは持ち出してくるべきではない。それはたちまち「絶対に守り通すことのできない道徳律」とか「非常時における国家原理」にまで自己増殖し、ちゃちな権力を握って有頂天になるような連中がこれを振りかざせば、あっという間に文芸や歌舞音曲の森は枯れ果ててしまうことを、私たちは近い過去の経験によって知っている。

 ただし断っておくが、これは表現行為の一般的原則を述べているのであって、タブロイド紙がしていることを、大組織のジャーナリズムやテレビ局がそのまま真似して良い、という意味ではない。前回の終わりに、日本のジャーナリズムは「なすべきことをしていない」かわりに「してはならないことばかりしている」と述べたのは、この事である。さっそく具体例に入る。

兵庫県議会「号泣」議員の N氏 の場合

 
 はっきり言って、私はこの件に関して正確なことは何も知らない。今さら知りたくもない。
 一昨年の夏、ニュースの画面に中年男の泣き顔が大写しになった時、激しい嫌悪感に襲われた。テレビには映して良いものと悪いものがあるだろう。直ちにチャンネルを変えたが、廻したチャンネルの先でまたこの男が泣いている。さらに局を変えても同じこと。一体どれほどの大事件だと言うのか。仮に相当の事件だとして、どの局もこの局も中年男の歪んだ泣き顔を延々と映し続ける必要がどこにあるのか。十年落ちの32型画面でさえこれほど見苦しいのに、フルHDや4Kテレビの5.1chサラウンド音響で観ていたならば、多数の失神者が出たのではなかろうかと危惧した。
 不祥事が発覚してその釈明の記者会見のはずなのに、しおらしく振る舞うどころか、先に名刺をよこせだの、暴言や恫喝があったら会見は打ち切るだの、と記者を牽制する態度に出たことが、記者団の神経を逆撫でしたであろうことは想像するに難くない。(この事情は今ネットで検索して知ったのだが) 記者たちはムッときて、ようし、それなら、と反撃の構えとなった。しかるに、あろうことかN氏は精神の制動力を喪失し号泣を始めた。自ら餌食となって格好の「絵」を提供したのである。

 N氏は勝手に「維新の会」を僭称して当選したというから、無党派・無会派の人なのだろう。それも、物事が良く分かっていない人なんでしょうね、おそらく。
 ここから想像できることがある。
 党派・会派の人間なら、先輩諸氏から色々と教わるはずだ。その第一は、如何にして金を捻出するか、という方法を。規則・規定をどんな風に活用(つまり悪用)してお咎めを受けることなく金を手に入れるか。どこまでなら慣用の枠内であると容認されて、どの線を越えるとヤバくなるのか。やり過ぎてバレた場合どの様な手を打てば良いのか。釈明の場に立たされたら、どの様に振る舞い、どの様に言い逃れをすれば深手を負わずにすむのか、等々。
 残念ながらN氏は、こう言ったノウ・ハウを誰からも教授されることがなかった。自分が初心者であることを自覚して、誰かに教えを請うこともしなかった。こういったごく当たり前の手順が踏めない人はけっこういる。ただ、県会議員になればかなりルーズに議員特権を享受できると、ぼんやりと考えていたのだろう。前職の市役所勤務時代に、傍若無人に振る舞っている(と、彼には見えたのだろう)議員の姿を見ていたのかもしれない。
 つまり、自覚のない馬鹿が馬鹿なことをして追求を受け、どう対応して良いか分からず孤立無援のまま多立ち往生した、というだけのことである。馬鹿なことをしたのだから、一回は客観的事実を具体的に報道して、手厳しく批判を加えるべきである。しかしテレビ局は、数日間ニュースで取りあげたあと、ニュース・ショーに場所を移して何日も報道し続けた。平均的な日本人なら、延べ何回あの「絵」を見ることになったのだろう。しかし、N氏は、全国ネットのテレビ局が寄って集って叩きまくらねばならぬほどの玉ではない。お主も悪じゃのぅ、と言われる越前屋を演ずるには未熟に過ぎる。
 ジャーナリズムとかテレビ局ならもっと他にやるべきがあるだろう。

 想像しうるN氏の才覚から推し測って、彼があれほど大胆で阿漕な手法を「自ら創造した」とはとうてい思えない。上手く立ち振る舞えば見逃されたかもしれない「慣例」を、不器用かつ野方図に踏襲しようとして「目立ってしまった」だけではないのか? 彼のしでかした悪は、言わば「氷山の一角」で、巨大な悪の総体は水面下に隠れたままなのではないか? 
 地方議員や行政の首長などの金銭不正事件や不祥事は、あまりにも沢山報道されていて、いちいち覚えておれないほどである。最も卑近な例で示せば、私の住む町(行政的にいえば "市" だが、実感からすれば "村" だね)は、かって歴代の市長さんが連続三回任期中に逮捕されて辞任したという輝かしい歴史を持ち、首長連続逮捕記録三回だか四回だかの盆地の反対側にあるもう一つの町と覇を競っていた。幸い前の市長さんからは、そう言った不祥事から逃れているので、もうそれだけで彼は神様に見える。こんな風に、地方行政とは汚職・利権の乱用・不祥事の巣窟である、というのが偽らざる実感である。いちいち覚えておれない、のではなく、もう覚えておくのもイヤなのである。
 最近の例も必要かと思い、嫌々ながら「市議 不正 大阪」でググってみると、出てまいりましたよズラズラと。東大阪市では、自民党東大阪市議団が、実際には広報誌を作っていないのに、その制作費として政務活動費を1600万円受け取っていた、とか。堺市では、大阪維新の会の女性市議が、こちらも架空チラシ等で1000万円の返還を求めれていて、おまけに架空チラシの発注先が同じ大阪維新の会の市議であった、とか、費用のかからないはずのブログ作成にまで費用計上していた、とか。大阪市では、大阪維新の会の市議が、政務活動費を自家用車のローンに当てていた、とか。あほくさ、書き写すのも怠いわ。

 最近のゲームでは『ダンジョン(dungeon,donjon)』という概念が市民権を得たようですね。元々は西洋古城の天守の意味で、守備兵達が防御するもっとも堅固な部分であった。それが「財宝が隠されていたり怪物が住み着いていたりする地下牢」というイメージに発展した。プレーヤーはあの手この手を使ってこのダンジョンを陥落すべく闘うのだ。
 テレビ局よ、お前もジャーナリズムの端くれなら、ダンジョンに入り損ねて腰を抜かした男など放っておいて、ダンジョンそのものを攻めなさい。「知る権利」という概念は、まさにこういう対象に向かう時に使う言葉ではないのかね。

かってのプロ野球名選手 K氏 の場合

 
 日本は法治国家である。学校でそう教わった。授業内容などはすでに忘却の彼方であるが、確かに教わったはずである。何故なら私は『法治国家』という言葉を諳んじているし、その『法治国家』という言葉でかなり具体的なイメージを思い描くことも可能であるから。こんな風に。
 人間は誰でも弱さを持っているから、誤って罪を犯してしまうことがある。社会とは人と人の交わりであるから、ちょっとした行き違いで他人をあやめてしまう場合もある。そのような場合でも、人は法によって裁かれ、法が下した刑に服することで罪の償いをすることができる。また、間近に罪を犯した者がいても、その人を蔑んだり嘲笑の言葉を浴びせかけてはならない、ましてや私刑を加えてはならない。他者に浴びせかけた憎悪は増幅されて投げ返されてくる。それがまたあらたな争いの種になる。法の手に委ねることで、罪人も更正が可能となり憎悪の連鎖も断ち切ることができる。
 思春期の頃、自分の感情が制御できなくて苦しんだ記憶がある。言い争いもした。喧嘩もした。吹き出てくる憎悪の凶暴さに自分自身で怯えた。強い相手にしたたか打ち据えられた後など、今度はこっちが痛めつけてやるぞとあれこれ復讐の手立てを考える。思い描く復讐は次第に残忍さを増す。それが飽和点に達すると、急に自己嫌悪が湧き出てきてそれに取って代わる。憎悪は鎮まっているが、いつかは制御できない時が来るのではないかという怯えに捕らわれる。
 ちょうどこのようなタイミングで『法治国家』という言葉を習ったのである。
 感情の起伏に翻弄され暴力に対する怯えと自己嫌悪を交互に味わっていた少年は、このときハタと気付いたのである。そうか、国家とか社会とかいうものもこのオレと同じなんだ。暴力と後悔の繰り返しという長い長い "暗黒の前史”を経験したあと、やっと『法治国家』という知性的概念を獲得したのだ。これはかけがえのない理念だ。確かにこの理念はまだ完成されてはいない。まだまだ法の手の及ばぬ領域があるし、法を扱う人間が暴走することだってある。でもそれは、未だ成就されない弥陀の本願みたいなものだろう。このオレとこの社会にまだまだ努力の余地が残されていると言うことだ。
 この考えは不思議と私の心を軽くしてくれた。何かしら「安心感」のようなものを与えてくれた。それに勉学に対する多少の意欲も。社会科なんて科目は、建前ばかり並んでいる退屈な科目だと思っていたが、そうではないのかもしれないぞ …… 。
 このような原始的な法解釈は、法律の専門家から見れば突っ込みどころが多数あるだろうが、私は今でも、この無邪気な『法治国家信仰』は正しかったと信じている。何事につけ、昔は、昔は、と言わざるをえない年齢となった今でも、暴力とか狂気とかいった魔物は依然として心の底で眠っているようだ。死に絶えたとは言い切れない。『法治国家』という昔習った概念は「知性による保険」として今でも機能し続けているように思える。

 もとプロ野球の名選手K氏が、覚醒剤を所持し使用していたというかどで逮捕された。覚醒剤の所持・使用は法律違反であるし、K氏は「超大物」の有名人であるから、ニュースとして取りあげられるのは当然だろう。しかしその報道の過熱ぶりは常軌を逸している。あらゆる放送局が、あたかもK氏個人に恨みでもあるかのように、彼の人間性を卑しめ、人格を否定し、社会復帰への道を徹底的に閉ざすような報道を繰り返し行っている。この国のマスコミは『法治国家』という美しい偽装をかなぐり捨ててしまったようだ。
 あえて言おう、彼が覚醒剤を使用していたということは、それほど悪いことなのだろうか?
 彼は、人の肉体と精神を破壊する覚醒剤を、そういうものであると知りつつ、製造・販売し大儲けをしたというのだろうか? あるいは、覚醒剤欲しさに犯罪に手を染め、人を殺めてまでそれを手に入れたというのだろうか? あるいは「新たな顧客」とするために「気持ちが良くなるから試してごらん」と、むりやり他者を覚醒剤依存症へ導いたとでもいうのか?
 この様なことを生業としている極悪人どもがごまんといるはずなのに、検察・警察の必死の捜査によって彼らが根こそぎ逮捕された、と言うようなニュースはついぞ聞かぬ。せいぜい、空港で数キロのブツを所持してた運び屋が捕まった、とか、今回のK氏のように、有名人が数グラムの所持で捕まった、とかで大騒ぎするだけである。
 日々の生活において、この瞬間が耐え難いという「生き難さ」を忍ばなければならない時がある。人一倍の努力に勤しみ、競争に打ち勝ち、たぐいまれな高みに登りつめた人ほど、栄華のあとに迷い込む闇は深いものだろう。K氏は抗しきれなかったのだ。ちょっと楽になりたかったのだ。
 だが、人は言うだろう、覚醒剤の使用は法律で禁止されているぞ、と。よろしい、それならば、法の下で裁きをうけ、それの定める所で贖罪をすることを彼に許しなさい。先に述べたように、日本は法治国家なのだ。落ち武者に集団で襲いかかり、竹槍を突き立て、鎧から甲から身ぐるみ剥いでいくような野盗行為は今すぐ止めなさい。

テレビタレント Bさん の場合

 
 誠にお気の毒としか言いようがないのが、タレントのBさんである。今年に入ってまもなく、全てのテレビ局による彼女の袋叩きが始まった。その有様は壮絶で、まさに十字砲火のようであった。しかし ……
 一体、彼女が何をした、というのでしょう?
 若い女が恋愛をしてはいけないのだろうか?
 恋に落ちた相手がたまたま妻帯者だった。ただ、それだけのことではないのか。

 恋に落ちる、とはよく言ったもので、いつ恋の虜になるか、誰に「ほの字」になるかは、神のみぞ知ることである。よほど自分の心を偽らない限り、自分の意志ではどうすることもできないものである。不幸にして三角関係の一つの角に陥った場合、とてもやっかいな問題が生じる。だがそれとて、死ぬの生きるのと大騒ぎになったとしても、つまるところ本人たちに固有の問題である。他人がとやかく言うべき筋合いのものではない。昔から言うではないか、それは野暮なことだよ、と。
 先のN氏の場合と同様、事の子細など知りたくもないで、当てずっぽうで書くのだが、Bさんがブログや会見の場で「嘘をついた」ことが「心証を悪くした」のだろうか。でも、自分の恋愛に釈明を求められたとして、嘘偽りなくペラペラ喋る人間なんて、この世にいるものか。それとも、嘘をつかれたと感じた記者たちが、テレビに向かって嘘をつくなんて、とご立腹あそばされたのだろうか。もしそうだとしたら、テレビ局の傲慢さ、ここに極まれり、である。
 それにしても、BさんをCMキャラクターに起用していた企業が、次々と彼女を降板させたらしいが、これは一体どういうことか? Bさん、なかなかやるじゃない、気に入った、次も彼女で行こう、と「大人の対応」をする企業が一社もなかったとは驚きだ。これこそ日本の大企業に巣くう俗物どもの民度の低さをそのまま示すものである。何が『先進国』だ、何が『一流企業』だ、何が『誇りある日本』だ、笑わせるな。私はフェミニズムの活動家ではないが、ひとこと言いたくなる。なぜ貴方たちは未婚の女性タレントにだけ、奇妙な「処女性」を要求するですか、と。タレントが男なら、ここまで拘らないだろうに。変態野郎とはお前たちのことだ。

 映画監督のルキノ・ヴィスコンティは「ファシズムは絶対に守り通すことのできないモラルを大衆に強要しようとするものだ」(注)と述べている。テレビ屋さんたちよ、この言葉をじっくりと噛みしめてみなさい。高市早苗が「偏向報道が続けば電波停止」と言ったので、君たちは多少騒いでいるらしいが、今さら反抗のポーズをとることもあるまい。君たちこそ、政府より先に、悪しき時代へ向かう道筋で、せっせと地ならしに取りかかっているじゃないか。


 (注)残念ながら私は勉強家でも蔵書家でもないので、この言葉の出典を示すことができない。しかし、ヴィスコンティをよく知らない人のために一言だけつけ加えておく。彼は貴族の出でありながら反ファシズムの活動家でもあった。第二次大戦の末期(1994年)、レジスタンスを匿ったかどで逮捕され銃殺刑の宣告を受けるが、連合軍のローマ解放の数日前に脱獄に成功する。まるで映画そのものですね。


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 −−【その3】了−− 

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