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 005  2020年5月29日


 聖職のゆくえ
  〜働き方改革元年〜(2019年8月16日放映)から考える


 FNSドキュメンタリー大賞 福井テレビ「聖職のゆくえ〜働き方改革元年〜」



 
施行から半世紀の法を問う
 働き方改革が叫ばれる中、旧態依然と指摘されているのが教員の世界だ。なぜ教員の過労死や自殺が増えてきたのだろう。取材をすると、原因は授業以外の校務や事務作業が増えたことと、管理職による時間管理がないことが分かった。
 高度経済成長時代。「教員の特殊性により基本給の4%の調整額が設けられる代わりに時間外手当は支給しない」と定めた「給特法」。なぜこの法律が今もそのままなのか。働き方改革元年といわれる中、番組では、このままでは教育現場が危ない、この国の将来が危ないと警鐘を鳴らす。

 過労死ラインを越えて働く中学校教師は約6割。時間外手当の出ない「給特法」
 かつて教員は「聖職」と呼ばれ、地域の文化人、教養人として一目置かれる存在だった。しかし、高学歴化など社会の変化に伴い、いつの間にか教師の地域での地位は低下した一方で、過労死や自殺する教師が増えた。公然と「教師はブラックな職業」と言い切る専門家も出現して、保護者からも「大変だから学校の先生にはならない方がいい」との声も聞こえてくる。
 文科省によると過労死ラインを越えて働く中学校教師は約6割。うつ病を患い休職している教員は全国で5千人を超えているのだという。
 また、国の調査によれば、教師の時間外労働時間は、この20年間で3倍となった。中学校では平均70時間近くとなっている。要因としては国が教員の定数を増やすことなく、学習指導要領の改訂を行い「総合的な学習の時間」や「外国語活動」「主体的・対話的で深い学び」というような授業に関する要求が増えたことと、保護者はじめ社会全体が児童生徒の安全管理の徹底を学校に求める結果、教師の業務が増大したことが挙げられる。
 
 こうした中、昨年、岐阜県の現職教師が、文部科学省に3万2千人分の署名を提出し、ある法律の改正を申し入れた。1971年に制定された公立の教員にのみ適用される法律「給特法」だ。この法律により、教員には基本給の4%の調整額が支給される代わりに、時間外労働手当が出ないことが定められている。
かつては、夏休みや春休みも休めたが、現在は研修や部活動に追われているのが現状だ。教師たちの際限のない残業は「教師は聖職」という意識に加え、この「給特法」により、教師自体や校長や教頭といった管理職から、労働時間という概念が欠落していることが要因だと思う。
働き方改革元年といわれる中、50年前と変わらない「給特法」に対し改正を訴えてもいいのではないか。今回、文部科学省にも素朴な疑問をぶつけてみた。
 また、教員を志す学生が減ってきている現状も不安だ。全国の公立小学校の教員採用試験の倍率は2000年には12倍あったものの、年々減少し昨年度は3.5倍に。このままでは教員不足は近い将来、日本で起こりうる危機になりかねない。教育は国の基であり、国力を左右するものである。そして、人間形成に最も重要なものであり、かけがえのないものである。
 
 菅田将暉(ナレーション)のコメント
 「この度、語りを担当させていただきました。『3年A組』という作品に携わり、放送終了後も様々な反響が僕の元にも届きました。今回のナレーションのお仕事もその一つです。
 僕にできることは大それたことではないですが、受け取ってくださる方がいて、それを入口としていろんなことを“考える”機会が増える。僕らの仕事の意義はそこに在ると思いました。
 今の先生たちの現状に“このままじゃいけない”と声を上げる人がいます。決してその声は人を傷つける声ではなく、僕はとても優しい声だと思いました。そして、必要な声だと思いました。始まりは小さな声でもきっと僕らがちゃんと受け取り耳をそばだてればそれはとても大きな声になります。気持ちの良い音が乱反射する社会。そんな社会になればと願っています」
(以上 FNSドキュメンタリー大賞ホームページより)

 教員が聖職というのがそもそも間違っている
 聖職という言葉には「神聖な職」という意味があり「聖職者」というのは、何らかの宗教において、人々に教えを説き、人々を導く役割を果たしている人のことを指している。学校教師はただ教科を教えるだけでなく、人間としての生き方を教えることを期待されるので、しばしば「聖職者」と形容されるが、これは本来的な用法ではない。(ウィキペディア より)

 本来職業に貴賤は無いのであり、社会に貢献する職業はすべて尊いものだ。このコロナウイルス禍の中では、医療関係に従事されている方々こそ聖職者である
 教員を聖職者だといって、「子どものため、教育のため」に安い賃金で、しかも勤務時間などお構いなしに働かせるなんてとんでもないことだ!教員は労働者であり生身の人間だ。休養も必要だし、働きに応じた賃金も当たり前だ。自らが人間らしい生き方が出来なくては、子どもの教育などはとうてい出来ない。
テレビドラマ「熱中時代」の北野広大先生(水谷豊)も「3年B組」の坂本金八先生(武田鉄矢)も「教師びんびん物語」の徳川龍之介先生(田原俊彦)も、学校外やプライベートでは地域の人達と温かい交流をしながらいろんな経験を積み「人間力」を磨いていた! 



 「給特法」の率が問題ではなく、残業手当が無いことが問題
 「給特法」により教員には基本給の4%の調整額が支給される。教員は自宅に帰ってもその日学校で処理出来なかった仕事をし、明日の授業のために研修をして教材を用意する。このように教員の仕事の範囲は際限が無いのでそれを賃金として補うための「給特法」4%支給ではなかったのか。
 だからこれだけ残業させられているのに、残業手当が出ないことが問題だ。現状では今の賃金の2倍貰っても割に合わない。しかしお金のこと以上に今の働き方・働かせ方こそ大問題なのだ!

 採用試験の倍率の低さより、教員の仕事に魅力がないことこそ問題
教員を志す学生が減ってきているそうだ。これでは教員の質の低下に繋がるという声もよく聞くが、教員採用試験の倍率が問題なのではない。こういう教員受難の時代であっても教員を志す学生の存在はむしろ有難く心強く思う。
問題は、「教員はブラックな職業、魅力のない職業」と捉えられていることだ。今や学校・教員の地域での地位は低下し、保護者や地域の顔色を伺うといった状況だ。こうなったのは一体誰のせいだろう。子どもの教育については、学校・教員と保護者・地域は対等の責任者たるべきである。

 安上りで効果を得ようとする日本の貧しい教育行政
 小学校で英語が教科として導入された時、英語を教える先生もしくは英語と日本語が話せる外国人が職員として現場に加配されると思ったら、そうではなく基本的には担任が教えることになった。なぜか?新しい人材を確保するにはお金がかかるからである。
口は出すが金は出さない。改革や効率アップを望むが具体的には現場まかせ。我が国の教育行政とは、教員のお尻を叩くだけと思える!
 教員の忙しさとは、究極、人材不足から来ている。

 学校や教員ではなく、教育を取り巻く社会が変わらないと
 そもそも教育とは何、子どもたちにとって学校や先生は本来どうあるべきか、現状をふまえながら考え改善していかないと、教育が間違ったとんでもない方向に行きかねない。保護者・地域・教育行政・マスコミ、みんなが国民的課題として位置づけてほしい。