【港のケンジロウ 大牟田 三池】   profil



港健二郎(みなと けんじろう)
映画監督 脚本家

映像づくりを生業にして50年。

劇映画、
ドキメント番組、
PR映像と
様々な分野の映像を制作。

それにともなうシナリオも
ほぼ自前。

終生のテーマは、
三井三池闘争の完全映画化。

映画制作中に世を去るのが理想。




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   006 2021/05/10




 港謙二郎まつり(その1)


 メーデ−と憲法記念日に挟まれた5月2日午後、奈良県橿原市で「港健二郎まつり」なる催しが
開かれました
 この日上映された映画は私が2007年に作った長編ドキュメンタリー映画『荒木栄の歌が聞こえる』で、以下は上映にあたっての解説です。


 「港健二郎まつり」など面映ゆいというか背中が痒い感じがするけど、了解させて頂いたのは、私個人がどうのこうのではなく、私のあるミッションを果たす機会の一つを与えて頂いたと思ったからです。そのミッションというのは、私の故郷・大牟田で今から60年ほど前に起こった三井三池争議を、映像を通して伝えていきたいということ、私が映画作家を目指した原点でもありました。  

 ところが、
 実は、私は大牟田時代、大学時代は「荒木栄(あらき さかえ)」を全然知らなくて、鹿島建設の子会社の鹿島映画に入って、社員組合を作るなど労働運動に目覚めてから初めて出会います。何故かというと、私の父は三井病院の職員で、アンチ組合派。栄さんら働く側の文化は届いていない。分断は、そうした文化面でもありました。

 私が荒木栄の歌を聞いた最初は、大久保の音楽センターで栄の作品集「不知火」、カセット版で「心はいつも夜明けだ」。ショック。何だこりゃあ!気持ち悪い・・・実は、高校時代ブラバン少年で、才能がないのに気づいて音楽家の道を諦めていたんですが、そんな私がまったく聞いたこがない気持ちの悪い「音楽」でした。余談。自分だけでなく、うたごえに参加した若い女性の中にもそんな感想をもらす人もいたそうです。

   

 この映画は、実はある音楽ビデオの続編。1992年、今から30年前、私も40になったばかり、まだ髪の毛が残っていた時代に作ったのが、「労働者作曲家・荒木栄」。制作した音楽センターといううたごえ運動の営業部隊が、営業上の理由で50分という半端な時間になったのが残念でしたが、撮影は、黒澤映画「どですかでん」の福澤康道さん。「荒木さんには好きな女性がいた」っていう証言なども採用して、うたごえ内部では毀誉褒貶きよほうへん 意味は、ほめたりけなしたりすること)があったのですが、人間・荒木栄はそれなりに描けていると自負しています。
 ただ、大きな宿題も残りました。それは栄の歌が、その後人々にどのような影響を与えたのかが描き切れていませんでした。

 それもあって、今回の「荒木栄の歌が聞こえる」では、(栄の歌は、合唱曲がほとんどですが、)うたごえ運動に関係していないいろんなタイプの歌い手さんに歌ってもらいました。
その中のある若いアーチストが、「栄は音楽的に天才だ」と言っていたのが印象に残っています。
                                        
 では、上映時間95分。多くの人にとっては、青春時代を回想しながらご覧頂ければ幸いです。



  映画『荒木栄の歌が聞こえる』予告編



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