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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……






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  003  2019年5月30日

歌謡曲と私A 〜我が憧れの青春スター 舟木一夫 その1〜


 今楽しくてしかたないのが、YouTubeで昔の歌謡曲を聴くことです。先日いろいろ探していると、舟木一夫の動画にヒットしました。舟木一夫が1963年に「高校三年生」デビューしてから私はずっとファンで、当時小学校2年生でした。舟木の歌う青春歌謡・学園ソングは歌詞が爽やかで甘酸っぱくて覚えやすく、メロディーもシンプルで歌いやすいという印象があり、私はこれらの歌を聴きながら、数年先の自分の高校時代を想像したものでした。
 あの時代、舟木や橋幸夫や西郷輝彦などのアイドル歌手(当時そんな言葉はありません)がレコード化した曲は、そのまま映画の題になり、主題歌になり、もちろん本編は本人が主演しました。昔も映画の予告編はテレビでやっていましたし、映画のポスターは町のいたるところに貼ってありましたので、映画情報は子どもでも知ることが出来ました。
 舟木の歌は白黒テレビやラジオから聴けるので、私はレコードを欲しいとは思いませんでした。でも彼の青春映画は観たくて観たくてたまりませんでした。要するに未来の高校生活を映画という媒体を通して体験したかったのでしょうか。しかし子どもだけで映画を観るのは無理な話でした。私の兄は、東宝の怪獣映画をよく観に連れて行ってくれてそれは本当に嬉しかったのですが、さすがに舟木の映画を兄に観に連れて行ってくれとは言えませんでした。結局1本も観ることは出来なかったのです。
 あれから50数年が経ち、舟木一夫の歌をバックにあの頃の映画が短く編集されて、それをYouTubeで観ることが出来たのです。その晩は興奮して寝られませんでした。映画での舟木の相手(恋人)役は、本間千代子・松原智恵子・和泉雅子の3人が印象的で、なぜか当時私はこの3人が3人共大好きでした。この3人が他の映画で舟木以外の俳優の相手役になった時は、何だか裏切られたような浮気をされたような気分になったことを今でもよく覚えています。だから舟木にはこの3人の誰かと結婚してほしいなと本気で思っていました。ファン心理って本当におもしろいですね。それとも私が変わった子どもだったのかな(笑)
 以下映画の印象的なシーンを紹介
 「学園広場」♪空にむかってあげた手に 若さがいっぱいとんでいた♪
恋人同士の舟木と松原智恵子は、高校生の男女付き合いに偏見を持つ大人達への抗議のため、トニー谷司会のアベック歌合戦(本当にあった大人気のTV番組)に出場する。ツイストを踊る松原が可憐で可愛い。
「絶唱」?愛おしい山鳩は 山越えてどこの空 なぜ死んだああ小雪?
旦那様(志村喬)と若様(舟木)が私・小雪のことで喧嘩をしていると山道を泣きながら走る和泉雅子。顔立ちが整っているので、泣き顔さえも可愛い。梶芽衣子が恋敵役で出演。梶(当時は太田雅子)も可愛らしくて「さそり」のイメージにはほど遠い。
 さて、「ねえ君たち、君たちがいて僕がいる!」とはチャーリー浜の持ちギャグだが、その元ネタは舟木の歌である。ご存知だろうか?
「君たちがいて僕がいた」??心の悩みをうちあけ合って 眺めたはるかな山や海??
 傷心の舟木を励まそうと、彼に向かって一人大きな声で歌いだす本間千代子。本間が舟木に見せる笑顔が愛くるしい。この映画、千葉真一が教師役で出演。「七色仮面」をしていた頃かも。
短く編集されていたとはいえ、子どもの頃に観れなかった映像を観れて最高に幸せでした。

 私にとって舟木一夫は、年齢を重ねていっても永遠の青春スターであるはずでした。
それがそれが・・・
 次回をお楽しみに!