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人生は旅。 
知らない街を歩いてみたい 
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ行きたい 
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。

けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。

たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。

さて、どこまで放浪できるか ……






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 004  2019年5月31日

歌謡曲と私B 〜我が憧れの青春スター 舟木一夫 その2〜


 それは1972年のことであった。舟木一夫が失踪し、しばらくして自殺を図るが未遂に終わった。この事件は世間に大きな衝撃を与えた。原因はもちろん本人にしか分からない。
 舟木がデビューしてから御三家ブームが起こり、それからグループサウンズ(ザ タイガース・ブルーコメッツ)、和製ポップス(黛ジュン・伊東ゆかり)、ムード歌謡(東京ロマンチカ・クールファイブ)、ニュー演歌(森進一・藤圭子)、フォークソング(吉田拓郎・井上陽水)とめまぐるしく歌謡界は変化した。
 青春歌謡の舟木は、「高原のお嬢さん」から大人の歌手へと脱皮を図り、それからもヒット曲を連発し、映画から舞台へと活躍の場を広げていったが、70年あたりからスランプに陥った。
 72年といえば、御三家ライバルの橋幸夫は持ち歌で「子連れ狼」をヒットさせ、舞台では「木枯し紋次郎」を演じ、健在ぶりをアピールした。西郷輝彦はアメリカンポップスを歌うことで、日本の歌謡曲との橋渡し役を担い、明くる年73年「どてらい男」で俳優に転身する。
 一方舟木はといえば、この頃よくバラエティー番組に出演し「ダジャレ王」などと言われていた。「舟木よ、何してるんだ!」多くのファンが不安を感じている中、この事件が起こった。それから完全に舟木一夫は表舞台から消えた。 
それでも何年かに一度、舟木の姿をテレビで観ることはあった。ビートたけしのお笑いウルトラクイズでは、お笑い芸人さんに混じり、なぜか時代劇の浪人の衣装を着て笑いのオチにつかわれていた。「舟木さん大丈夫かな!?」と、たけしに心配されながら。いったい舟木ファンはどういう思いでこの姿を観ていたのだろうか。でも私は、生きて元気でいてくれたらそれでいいと思っていた。
 
 月日は流れ21世紀に入った頃、舟木は懐メロ番組や対談番組によく出るようになった。舟木の話によると、地方の営業は昔のファンでどこも大入り満員。「還暦を迎えたら、赤い学生服で高校三年生を歌う!」と言うと客が大喜びしてくれる。都市部でも年に数回のペースで舞台をやっている。いちばん人気なのはなんと「銭形平次」
 1966年から84年まで、大川橋蔵主演で「銭形平次」はTV放映されていた。一時期、海原千里こと上沼恵美子もレギュラー出演していた。舟木は♪男だったらひとつにかける♪と主題歌を歌っていた。舟木にとっては異色のヒット曲で代表曲だ。舟木に何があってもこの主題歌は19年間変わらなかった。大川橋蔵亡きあと舞台で舟木が演じていて、それも大人気だと聞いて私は嬉しくてたまらなかった。
 懐メロ番組のオープニング・エンディングといえば出演者全員で「リンゴの唄」か「青い山脈」を歌うのが定番だったが、舟木が出るとそれは「高校三年生」になる。これは誰もが歌詞を知ってる青春のスタンダードナンバーだ。そういえば今、子どもからお年寄りまでみんなが歌える流行歌なんてあるのだろうか。
 舟木の昔の映像を観ると、無表情で何だかイヤイヤ歌わされているように思える。「徹子の部屋」で舟木は「今は歌うことが楽しい」と語っていた。そういえば懐メロ番組の舟木は終始笑顔で楽しそうに歌っている。藤圭子(宇多田ヒカルの母)も懐メロ歌手になってからは、大きな動作と明るい笑顔で歌っていた。(残念ながら自殺してしまったが)学園ソングを歌う青春スターも演歌の星を背負った宿命の少女も、それを演じるには苦労が多かったのだろう。
 舟木一夫にはこれからも元気で青春歌謡や学園ソングを歌い続けてほしい、銭形平次を演じ続けてほしい。また「人生は山あり谷あり、でも前を向いて歩いていこう、きっといいことあるよ。」といった熟年への応援ソングもぜひ歌ってほしい。
ちなみに
 「高校三年生」の作詞家丘灯至夫と作曲家遠藤実は共に高校生活を送っていない。この曲は高校に通えなかった二人のノスタルジーなのだ。
 遠藤実の弟子にとても歌の上手な青年がいて、遠藤は彼が歌手デビューをする時は「舟木一夫」という芸名を与えるつもりだった。しかし後に自分のもとを離れデビューすることになった。「橋幸夫」という名前で。橋幸夫と舟木一夫は遠藤実門下の兄弟弟子だったのである。
 舟木の「高校三年生」や「学園広場」など多くの青春映画に狂言回しの役割で、十代の頃の堺正章が出演している。(スパイダースに入る前かな)笑いの間をとるのがとても上手、さすがである。1970年のTVドラマ「時間ですよ」より7年も前に松原智恵子(若奥さん)と堺正章(けんちゃん)は「学園広場」で共演していた。
 1960年代の若手人気映画俳優は、歌手もやっていた。その多くは下手くそであったが。本間千代子・松原智恵子・和泉雅子もレコードを出していたが、ヒット曲があるのは和泉雅子だけである。それは、永六輔作詞・ベンチャーズ作曲・山内賢とのデュエット「二人の銀座」で、日本レコード大賞の企画賞を受賞している。もちろん「二人の銀座」というタイトルで日活が映画化している。

 「仲間たち」という舟木一夫の曲がある。 ?歌をうたっていたあいつ 下駄を鳴らしていたあいつ? そういえば私の学生時代の仲間たちや仕事をしていた頃の仲間たちは今どうしているのだろう。そうだ!こいつには今晩電話してみよう。あいつにはメールを送ろう。そうそう、45年前京都の大原へ一緒に行った二人の先輩(恋多き女と恋に疲れていた女)には手紙を書いてみよう。