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人生は旅。
知らない街を歩いてみたい
知らない海をながめていたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街遠い海
夢はるか一人旅。
けれど、
遠くへ行かなくても旅はできます。
たとえば、
近所を散歩して知人に出会い
雑談するのも旅。
誰かに読んでもらいたくて、
こうやって文を綴るのも
私にとっては旅。
さて、どこまで放浪できるか ……
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ちなみに 関ケ原といえば
現代の科学的な調査と新資料の発見などにより、今までの日本史の常識を覆すような諸説が多々あることをご存じだろうか。例えば、
・聖徳太子は実在しない。
・蘇我入鹿は天皇の信任厚い忠臣だった。
・鎌倉幕府は1192年以前から機能していた。
・徳川幕府はペリーが来ることを事前に知っており、アメリカとの国交には積極的だった。
挙げればきりがないが、みんなそれなりに根拠がある。ただしここでは詳しく述べない。い
ずれ機会があれば。
関ケ原の合戦にも、もちろん諸説が出てきた。
1 東西合わせて十数万の軍が睨みあったが、全面的な激突はなく、局地的な小競り合いだけだった。
2 徳川家康も石田三成も9月15日には、関ケ原に居なかった。
3 家康の息子で徳川家の跡取りであった秀忠(幼少の頃一時期豊臣秀吉の養子になっていたので秀吉の「秀」の字を名前にもらっている)は、中山道で真田昌幸・信繁(幸村)親子に邪魔をされ合戦に間に合わなかったといわれているが、本当は家康にもしものことがあった場合に備え、徳川家存続のためにわざと遅れてきた。
これらも何らかの根拠があっての諸説だが、もちろん真相はわからない。しかし、関ケ原で大きな合戦が無かったとか、家康も三成も居なかったとしたら、現在関ケ原にある合戦場跡や家康・三成など大名の陣跡などは、その歴史的根拠を失う。司馬遼太郎の「関ケ原」の愛読者であった私は、これらの諸説に少なからずショックを受けた。
2017年に公開された映画「関ケ原」(原作 司馬遼太郎 監督 原田眞人)を観るのを私は楽しみにしていた。三巻に及ぶあの長編をどうやって2時間半に編集するのだろうか。家康を役所広司、三成を岡田准一、初芽を有村架純が演じ、私の贔屓する壇蜜も出るとのこと。予告編もカッコいい!
でも映画を観る前に前述の諸説を知ったせいか、結局映画館へは足が向かなかった。暫くして映画好きの兄が借りてきた映画「関ケ原」のDVDを観た。そして怒りが爆発した。(ここでは何に対しても悪口を書く気はなかったが・・・)こんなひどい映画は無い。司馬遼太郎の世界観、歴史上の人物に対する厳しくとも優しい愛情が全く感じられない!どんな新説を基にしても構わないが、歴史的根拠の無いただの作り話は駄目だろう!
それに比べて、1981年1月2日から3日間、7時間に渡って放映されたTVドラマ「関ケ原」は本当に良かった!こちらは、司馬遼太郎の原作を、忠実に早坂暁が脚本化してくれた。早坂暁(2年前に逝去)といえば代表作は吉永小百合の「夢千代日記」(湯村温泉がブームになった)だが、なんとTV時代劇の「必殺シリーズ」(中村主水が出ていない仕掛人やからくり人など)も数本手掛けている。テーマ曲を演奏するのはトランペットのニニ・ロッソ。
ここでは、家康は森?久彌、初芽は松坂慶子、島左近は三船敏郎が演じており、その他のキャスティングも原作のイメージ通りといってよい。山内一豊を演じた千秋実のひょうひょうとした演技も忘れ難い。とりわけ、本多正信を演じた三國連太郎は秀逸であり、森?(家康)とのやり取りなどはもうドラマではなく、歴史的事実の一場面を観ているようだった。私は今でも、どんな役でもこなせる日本一の役者は三國連太郎だと信じて疑わない。この日本一の役者の最後の役が「釣りバカ日誌」のスーさんであったことに、なぜか正直ほっとしている。
もう一人忘れてはならないのが、石田三成を演じた加藤剛(去年逝去)である。これも原作のイメージにぴったりで秀逸。加藤剛についてはまたいずれ語ることにする。
TVドラマ「関ケ原」で小早川秀秋を演じたのが、当時若手の二枚目俳優(この頃イケメンという言葉は無かった)の第一人者だった国広富之が演じていた。TV放映の前日に大橋巨泉司会の「クイズダービー」に国広は出演し(今で言う番組宣伝)「明日僕は(小早川秀秋)裏切ります」と言ったのが印象的だった。
はたして本当に小早川秀秋は西軍を裏切ったのだろうか。彼には自分が西軍だという明確な意識があったのだろうか。彼は彼なりに戦国時代を生き残るためのギリギリの判断をしただけで、何かをあるいは誰かを「裏切る」などという意識は無かったのではないかと私は想像する。実際、関ケ原に出陣するも、戦わずに何もしなかった大名もいた。これだって立派な裏切りではないのか。
関ケ原以降四百年「小早川」という名字の人はいつの時代も「裏切り者」というあだ名をつけられてきたのではないかと余計な心配をしている。ちなみに、巨人の江川投手を引退に追い込むきっかけとなったホームランを打ったのは広島の小早川選手だった。江川と小早川は法政大学の先輩後輩である。法政大学出身で江川ファンの目には、小早川は裏切り者に映ったのだろうか。
小早川秀秋は北政所の甥で一時期豊臣家のプリンスであったが、秀頼の誕生後小早川家へ養子に出される。このことが彼の心を屈折させたのではないか。まさに歴史に翻弄されたのである。
「小早川秀秋は関ケ原で裏切っていない!」という新たな説をどこかの歴史学者が発表してくれないかな。そうすればいつか、関ケ原の松尾山は「裏切り伝説」ではなく、源義経のような「悲劇の武将伝説」の山となる。
関東と関西の境目はどこかご存じだろうか。実は「関ケ原」なのである。関ケ原以東を関東、関ケ原以西を関西というらしい。ただしこれも諸説があり、三重県関市(東海道関宿)だという説もある。
さて、最後にお知らせです。私が所属するマリンバ教室の門下生による発表会が6月30日、大和郡山城ホールで開催されます。どうぞお越しください。えーっ、それって関ケ原と何も関係ない、と思いましたか?私にとって年に一度のこの発表会でのマリンバ演奏は、その出来不出来が今後の演奏活動にいろいろ影響します。私にとってはまさに「天下分け目の闘い」なのです?