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参 〈口上〉この文章の由来
いま読んでいただいている一文は、私自身がある目的のために書きはじめた《作文》が元になっています。
私はごく普通の勤め人でした。とりわけ勤勉でもなく、極端に怠惰でもなく、人並みに《がんばる》勤め人でした。ところが長い間の不摂生がたたってか、五十代半ばで激しい心身の不調を覚え、日常の立ち振る舞いにも難儀するようになりました。やむなく仕事を辞め、不調の原因と思われる諸疾患を一つ一つ治療しようとしました。しかし快方に向かっているという気分は、いっこうに訪れてきませんでした。
時間ばかりが徒に経過していきます。ずっと直視する事をさけていたある疑いが、次第にハッキリとしたものとなってきました。ある日決心して精神科の診察を受けました。結果はやはり《うつ》。しかも発症はかなり以前に遡るだろうと診断されました。
それ以降、お医者さんの指示はよく守り節制に努めました。それ以外でも身体と精神に良いと思われることは、熱心に試してみました。手を変え品を変えあれこれと。しかしどうしても、あるレベル以上の改善が見えてこなかったのです。つらい日々が続きました。
濁った頭で考えました。診察の中で、あるいはカウンセリングで、先生は私に何を指摘していただろう。先生が指摘されたことで、一番のポイントは何だったろう。せっかく言葉で聞いていながら、ぼんやりと聞き逃している重大なことはないだろうか。
そこで思い当たったのが、私のなかの《怒り》或いは《憎悪》の蓄積、というテーマでした。先生は何度もそれを指摘していたと思います。私の心の底に澱のように沈殿し、次々と鬱の気分を吐出させている怒りや憎悪。これはなかなかリアルなイメージで、一つのヒントになりました。よし、一度これをきちんと正視してみよう。
無趣味な私ですが、なぜか西洋古典音楽だけは子供の頃から大好きでした。音楽に関して言えば想い出もたくさんあります。音楽のことですから当然、愉快で喜ばしい想い出がほとんどなのですが、全く正反対の、怒りや憎悪もいっぱい詰まっているようでした。
よし、これを掘り起こしてみよう。思考がぐるぐると循環してしまうのを避けるため、ゆっくりと作文して、文章に定着させることにしよう。
始めてみて驚きました。出てくるわ、出てくるわ、ねじれた憎悪が次々と、読み返すのがはばかられるほど。大変なことを始めてしまった。後悔の念がわき起こってきます。
しかし、しばらく続けていると、その中に点在する良き想い出が、とても素敵なものに思えてきたのです。良き想い出は芳香を放っていました。それは怒りや憎悪にまったく浸触されていないのです。こちらは嬉しい驚きでした。私は自分の《感情の込もった確かな記憶》のなかの素敵な思い出を、何度も読み返すようになりました。自分のことでありながら何故か新鮮で、何度か声をあげて笑っていました。
そしてこの繰り返しが、流行の言葉を援用すれば《癒し》の効果をもたらしたようです。ここからまことにゆっくりですが、快復の過程が始まったように思えます。私はどんどん作文を続けました。意識の奥底にある怒りと憎悪を摘出するために始めた作文が、徐々に素敵な思い出を掘り当てる作業に変わっていきました。
そして1年がたちました。それまで長い間、自分のことしか考えてこなかったのに、突然、他の人たちが見えてきたのです。同じ苦しみの中にいる人たちが。胸まで泥沼につかり、喘ぎもがく人たちが。
おそらく沢山おられるであろう、その様な人たちを思って、私は自分の作文を公表してみようと、考えるようになりました。症状は人によって様々です。どなたにも参考になるとは言えません。しかし私の体験を、ああそういうことだったのかと、膝を打つ思いで読まれる方も、きっと多いはずです。自分の体験を整理し、一般論として説明しようとすると失敗するでしょう。それでは一番大事な「感じ」が飛んでしまいます。そこで作文の中から、私の記憶がまとまって述べられている部分を、そのまま抜粋しました。行きつ戻りつして書いていったものですから、なかなか旨く抜粋できませんでした。厭な記憶もあります。下手な講釈も混じっています。ただし書かれた順序はそのままにしてあります。この〈口上〉の挿入だけが例外です。どうしても前後がうまくつながらない部分以外は、修正とか、書き直しはしていません。
いつ頃からか自分の五感に違和感を覚え、好きなことに没頭しようとしても、気がつけば冷えた鉛のような焦燥感に囚われてしまっている。最近は何一つ満足にやり通せない。もし貴方が、そのような兆候を感じておられるなら、一度問うてみて下さい、
最近の私は、人に語って聞かせるような、感情の込もった確かな記憶を創造しているだろうか、と。
もし答えがノーならば、これはヤバイ。たいへんヤバイ。
しかし慌てることはありません。まず自分の《過去の記憶》を思い出して下さい。ゆっくりと掘り起こし復元するのです。普段は忘れている《良き想い出》が、きっと貴方の生きてきた実感を思い出させてくれるはずです。他者が与えてくれる出来合いの癒しは、どんなに甘く香しく思えても、この際あまり役に立たないでしょう。また貴方の業績や地位、財産などもさしあたっては無関係です。貴方の貴方たる所以は、貴方が実際にしてきたこと、つまり現在という時点から見れば、貴方の想い出の中にしかないのです。今風に言えば、良き思い出の中に自分のアイデンティティーを再発見するのです。
どうか私の掘り起こしている気分を読みとってください。それがきっかけとなって、貴方の良き想い出が甦ることをお祈りします。
もちろんこの作文は、心身ともに溌剌とされている方がお読みになっても、昭和の想い出話として、それなりに面白いと思います。
―― 参 〈口上〉この文章の由来 (了)
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