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壱拾 味覚を問うは、国賊 !
むかし映画館の闇は深かった。過去に甘美な色づけをして言うのではない。じじつ視覚的に、昔の映画館はたいそう暗かった。館内に入っても直ぐには動けない。空いている座席を探すには、目を慣らす時間が必要だった。
席に座り闇に目が慣れると立場が逆転する。映画が佳境に入っているのに、扉の暗幕をくぐって出入りする不届きものがいる。射し込んだ白色の矩形の中から、人物や風景は切り取られ、凝視していた映像がしみだらけのスクリーンであったことに気づかされる。遮断している外光が漏れ込んだと言うより、漆黒のエーテルが物語とともに逃げ出すように思えた。しかしそれは一瞬のこと、快楽という幸福は決して逃げ去ることなく、すぐに物語はつながる。まさにパンドラの箱。
しかしそのころ、私の家は未だ明治の精神で動いていた。家族で映画を観に行くという当時の習俗になじまなかった。カツドーみたいなショーム無いもんに銭使うもんやあらしまへん、と値打ちのないものの代表みたいに言われていた。雪ふれど明治は遠くならざりき。そこで私の映画体験は、よそのおじさんに連れて行ってもらうことで始まった。それはたまたまの機会であったので、子供向きの映画ではなかった。
映画は西部劇だった。何人も人が撃ち殺される。大きな銃声が響くと、大男がもんどり打って倒れ、のたうち回って絶命する。末期の苦しみを見せつけられて恐ろしかった。映画の最後で、驀進してくる汽車の前に女の人が立ちはだかる場面があり、私は眼を瞑って結末を看ないようにしたが、とっさのことで耳を覆うことまでは思いつかず、長く恐ろしい悲鳴を聞いてしまった。その夜は何度も悲鳴にうなされた。
次に観たのはフランスのフィルム・ノワールだった。西部劇は大いに罵りあった後、バギューン・ドギューンと撃ち合うから、ああこれはアメリカ人の喧嘩なのだと思ったけれど、こちらの方はぼそぼそとした普通の会話の途中で、やにわにプシュッと相手を撃ち殺す。フランス人は憎悪もなく人を殺す。その不条理さとピストルのクールな発射音に、その夜もうなされた。
小学校も半ばになると休憩時間に映画の話題が出るようになる。映画を封切りで観ることの出来るのは、ごく限られた子供たちだ。大半の子供は映画自慢の群れからそっと離れて行くのだけれど、どうしてもその話が聞きたくて、話を振られても返答出来ないのに、ぐずぐず居続ける子供もいるのだ。この子供たちはお互いを鋭くかぎ分け、映画が二番館・三番館と流れてくる頃には、連れだって場末の映画館まで出かけて行く。どうしても入場料が調達出来なくて、大勢の家族連れが来るのを待ち、その家族に紛れ込んで入場する猛者もいた。二周遅れでも三周遅れでも良い、映画の話題に加わるのは何故か嬉しいのだ。
このようにして観た最初の映画は『ゴジラ』だ。
ゴジラはもう怖い怖い。日本人はひたすら逃げまどうしかなく、ゴジラをやっつけるのは黒眼帯の世捨て人、芹沢博士の自決行為に委ねるしかないという日本人的宿命がさらに怖く、三日三晩うなされ続けた。今でもビデオでゴジラを観る時は、町内の大神宮様に二拍三礼二拍して、今夜はうなされませんようにと願掛けをする。
こう振り返ると私の映画体験とはつまり、うなされ続けたことで、これはそのまま、ホラーとエスニック・ジョークが映画の原点であることを証明しているかのようだ。何れにせよ、映画館の暗い空間とモノクロームの幻影は、子供にはどうすることも出来ない大きな力に対する恐怖心や、不条理な暴力への畏怖の念を、十二分に醸成させたようだ。
中学校にはいる頃からカラー映画が増えた。幻影に潜む魔性も薄らぐかに見えた。
森本君がたびたび私を映画に誘ってくれた。彼が「かぶぬしゆーたいけん」をたくさん持っていたからである。ただで映画を観ることが出来たが、映画館と期日が指定されていたので、観たい映画を選んで観る、という気ままはできなかった。そのおかげで大阪松竹座という上等の映画館で、エルビス・プレスリーの他愛のない映画を観る、という私たちにとってはアンバランスな贅沢ができた。
当時テレビの深夜映画でフレッド・アステアのミュージカルを何本か観ていた。効果音は靴音とドアが閉まる音だけのしけた吹き替えで、歌とダンスの場面になると急にサウンド・トラックに戻る。これは気を利かしてのことではなく、吹き替えする予算も時間も技術も気力も無かったからだろう。どんな映画も1時間と少しで終わったから、筋さえ分かれば文句も出るまい式のやけくそ編集であった。
アステアは旅先とか船の中とかで知り合った女の子を相手にナンパをはじめる。女の子の方も決して若くもなく男前でもないアステアに興味を示して親しくなる。至近距離で二人が見つめ合うと、君に出会ってから世界が変わって見えるなどと歯の浮くようなお世辞ソング。何と不謹慎な映画だ、出会ったばかりだろう君たちは。これが正直な印象でした。今では想像もつかないほどの禁欲的で面白みのない道徳律に縛られていたのですね。その後人格はすっかり入れ替わっています。今なら映画でほんの数秒アステアの引用があるだけで、またあの魔法のダンスが観たくなって、レンタル・ビデオ屋に駆けつけていくのに。
そんな、滋養第一、味覚を問うは国賊、といった、給食の脱脂粉乳のような感性でプレスリーを観るわけだから、映画のお気楽さは全く私の理解を超えていた。軍隊に入っているのに辛い訓練はない。アカプルコかハワイの青空の下、オープンカーの後ろ座席の背もたれの上に座り、ギターを弾いて歌いまくる。これ何本かの映画がごっちゃになってますね。
映画には苦悩も恐怖も暴力も説教も無かった。いや物語さえ無かった。周りに侍る茶髪・金髪・黒髪美女たちのビキニ姿がやたらまぶしい。映画が終わると、松竹座の高い薄緑のドーム天井の下、パラパラと散在するお客は、みんなばつが悪そうに身を固くしている。エルビスが歌っても誰も絶叫しなかった。きっとみんな「かぶぬしゆーたいけん」で来たのだろう。
途中から観たのだから、そこまで観てから帰ろうか、と森本君が言う。そやなもう一回アメリカの別嬪さん看るのもええやろ。このまばゆさが映画を観るとその夜うなされるという、暗黒の呪いを解いてくれるかもしれん。赤・青・黄色のビキニがちらついて寝られなければ、それは至福の夜や。
だがやはり、闇の恐怖は生きていたのです。本編の前のニュース映画の中に。
その当時ニュース映画は、映画館へ行くもうひとつの楽しみであった。テレビでもニュースはあったが、アナウンサーが手元の原稿を読みあるげのを、じっと聴いているだけのことだった。ときおり画面が電送写真に、タイミングが良ければ現像したての写真に切り替わるのが、唯一映像メディア的であった。このようなプレ・ビデオ時代に、洋画館なら、ワールード・ニュース、ワールド・スポーツの二本立て、遠い異国の出来事を、まだ一ヶ月もたたないうちに映像で観ることができるのである。近くの席の大人たちが、このフイルム、飛行機で運んできよるんやろな、高こうついてまっせ、と言い交わすのが聞こえる。映画の本編はどんどんカラー化が進んでいたが、ニュース映画はかなりの間モノクロームのままであった。
このワールード・ニュースが、たいてい暗くて怖かった。
朝鮮半島、インドシナ半島、スエズ、東欧、アルジェリア、キューバと、紛争戦火が絶えなかった頃だ。ニュースの最初は前線のレポート。行進する兵士たち、石畳の路面を破壊しながら進む戦車、発砲して駆け出す兵士を追うぶれた画面。次は東西両陣営巨頭の威嚇発言合戦。アイゼンハウアー、フルシチョフ、ドゴール、カストロ、ナセル、ネール。濃い顔立ちの指導者たちが、入れ替わり立ち替わり相手国を非難する。
さらに米国からは戦略兵器のデモンストレーション。パラシュート部隊の降下訓練、長距離爆撃機の空中給油、地対空ミサイルの発射、潜水艦から発射されるミサイル。
戦力強化のためのとてつもない先端技術。地対空ミサイルは俊敏な蛇のように首を振って進み、おとりの戦闘機をいとも簡単に追いつめ爆破してしまう。その浪費の感覚。責任者の自信に満ちたコメント。このために使われたであろう想像を絶する金品の量。
自分たちの日常感覚からは完全に隔絶されたところで、世界は確実に危機に向かっている。ちょっとした弾みで全面戦争になりかねないのに、極東のちっぽけな島国の子供は、ぼんやりとスクリーンを眺めている。つくづく個人の無力さを悟らされる。これがとても暗くて怖い。こちらは景品の鉱石ラジオに驚喜し、親が買ってきた洋服ダンスは扉もうまく閉まらない。
* * *
ところが何度か「かぶぬしゆうたいけん」で松竹座に通ううち、あることに気がついた。このワールード・ニュースの背後に流れる音楽には、限られた曲目が繰り返し使われているのだ。すべてクラシックの管弦楽なのだが、その中の二つの曲がとりわけ印象に残った。
一つはテンポの速い三拍子。冒頭から弦楽合奏が激しい動きのリズムを刻む。ニュースの伝える「大きな力がちっぽけな人間を蹴散らして進んでいる」といった暗いイメージにピッタリだ。しかし弦楽合奏はすぐに木管楽器とフレーズの受け渡しを行い、少し明るさと軽みを帯びる。激しさと軽さをのあいだを交互に行き来した後、急に明るいワルツとなる。その淡く軽く透明な感じがニュース映画の暗さを緩和する。
私はもう画面を見ていなかった。これは不思議な音楽だ。太陽が雲で見え隠れするように一瞬一瞬に変化する情緒。単純で魅力的な旋律。荒削りなまま放置された、ちょっとぎこちない小終止。音が少し足りないような透明な響き。
もう一つの曲もテンポが速い。こちらは2拍子。全合奏で、ラー・シー・ドーー、と単純な短調の音階を上がっていくだけなのだが、その各々に装飾音が付いていて複雑なリズム感を出している。これも「大きな力がちっぽけな人間を蹴散らして進んでいる」イメージにピッタリだが、あれっ、短調のはずなのに長調みたいになったぞ。あれっ、急に、ドー・ドー・ドー・ドーと同じ音・同じ長さの繰り返し。ダイ・ラケ(中田ダイマルさん・中田ラケットさんのこと、もう知らない人の方が多いでしょうね)の漫才やがな。ドー・ドー・ドー、はい! というやつ。
この、ドー・ドー・ドー・ドー、に尾ひれが付いただけの単調なリズムで、真っ直ぐに進んで小休止。すると90度回れ右してまた真っ直ぐに進む。広い地面に大きな四角を描いている感じ。魅入られる単調さ。もう冒頭の厳しいイメージは無い。
私は忘れないようにメロディーを反復しながら家路を急いだ。家に着くと早速音欠けオルガンで、この不思議な音楽の修復を図る。二つ目の2拍子の方は手に負えなかった。最初の3拍子の方はリズムが単純だったので何とか階名を探り当てた。調性もお馴染みのハ長調だ。間違いない。
でもレコード屋の店頭でこの旋律を歌ってみせて、店員さんにこれは何という曲でしょうかと訊ねるほどの勇気は持っていなかった。第一、ええそれなら有りますよ、とレコードを出してこられてもお金がない。それからしばらくは、道を歩いていると絶えずそのメロディーが浮かんで来るのであった。私は、漆黒の闇の中で出会った幻の美女の正体は何だろう、せめて御名だけでも知りたいものだ、と願いながら、メロディーを口ずさんでいた。
ソソ・ラソ・ラソ、ド・ド・ド、シド・ラシ・ドレ、ミーー、
しばらくして学校の図書室にあった『名曲解説全集 交響曲上』で、私はその美女の名を知った。
シューベルト 交響曲 第7番 ハ長調 『ザ・グレート』
3拍子の方は、その第3楽章。2拍子の方は第4楽章、でした。
お前だったのか、噂に聞くシューベルト最後の交響曲とは。この曲は、作品は作曲された順序通りに番号を打つと言う考えから、当時『第9番 ハ長調 ザ・グレート』と呼称変更がなされていた。しかし発売されたLPレコードの数も少なく、まだまだ定番として定着していなかった。何軒かのレコード屋をまわってみたが、どの店頭にも在庫がなかった。お金があっても買えなかったのだが。
―― 壱拾 味覚を問うは、国賊 (了)
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ゴジラはもう怖い怖い
『ゴジラ』(1954)
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芹沢博士とオキシジェンデストロイヤー
大阪松竹座いう上等の映画館
テレビの深夜映画でフレッド・アステアの
"Swing Time" (1936)
Fred Astaire & Ginger Rogers
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"The Last Dance"
給食の脱脂粉乳のような感性でプレスリーを観る
"Blue Hawaii"(1961)
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"Moonlight Swim"(1961)
シューベルト
交響曲 第7番 ハ長調
『ザ・グレート』
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