映画は観終えたあとから、もう一つの楽しみが始まる。
                             何故この作品がこれほどまでに私を楽しませてくれたのだろう? 
                             今度は私がホームズとなりポアロとなって謎解きの森に分け入る。





『キクとイサム』のポスター 



『キクとイサム』のスチル写真
日本映画における最高のスチル写真の一枚



しげ子婆さんの北林谷江
この頃はまだ四十歳代だったはず
。 







『にっぽん泥棒物語』のポスター



刑務所での入浴シーン
この絵は後の『網走番外地』でも再現されている。 




江原真二郎と土蔵破り 



伊藤雄之助の刑事との丁々発止
このシーンだけでも見る価値がある。 




恋女房の佐久間良子
この映画で三國廉太郎は例外的に女にやさしい。










『二十四の瞳』の教室シーン
まず川本松江の空席が映し出される。 



「うちで、新聞を撮っている人?」
「はーい。」


小言を言う校長先生
プロレタリアートという言葉は、この校長の台詞に置き換わっている。 

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なぜ「大石先生はただ泣くだけ」なのか?
---- 『二十四の瞳』の小解析 その1  (平成28年1月15日)


 映画に限らず文芸一般に対する時、最も大切なのは、感動に出会える期待を育みながら作品の内にゆっくりと踏み込んでゆくことである。忌避すべきは、それより前に、作者の風評とか標題の外見的なイメージから根拠のない独断に陥ってしまうことであろう。
 映画『二十四の瞳』を例題として文章を書いている時、『日本会議』のシンパならこの映画をどんな風に観るのだろう、と何度も考えた。難しいことは言わぬ、ただ虚心坦懐に古典の森に踏み入るだけで良い。そうすれば、アルマジロの甲羅のように凝り固まった彼らの感覚も、幾許かは解き放たれるのではないか。
 でも、ちょっと想像できなかった。おそらく観ないだろうな。六十年前の地味な映画など彼らの関心の埒外にあるだろう。ビデオを突きつけて、一度観てくれと迫ったらどうだろう。その時はこう言うだろう、『二十四の瞳』は傾向映画である、木下惠介はともかく、原作者の壺井栄は「反戦文学者」だ、とか何とか。ちょっと耳学問のある男なら、夫が壺井繁治であることや、宮本百合子、佐多稲子、平林たい子、らと交友関係にあったことを言い立てて、「サヨク・反日」のレッテルを貼ろうとするだろう。確かに私は勝手な想像を膨らませているのだが、『日本会議』とその追随者が言っていることを聞けば、それ以外の可能性は無いように思える。
 繰り返す。文芸作品に対しては、とにかく無心に作品の内容に踏み込んでゆくことが大切だ。しかし昨今は、いとも簡単にレッテルを貼って古典と真面目に向き合わないという風潮が幅を利かせている。これは危険な兆候だ。好戦的思想の拡大には敏感に反応する人たちは多いが、この古典的作品の無視という現象に警鐘を鳴らす人はあまりいない。
 今まで映画『二十四の瞳』を例題として『日本会議』批判の記事を書いてきた。言わば、古典的映画を出汁にして議論をしてきたわけである。今回はその無礼を詫びて、木下惠介と『二十四の瞳』を主題として取りあげる。この一文が、どのように古典的文芸作品に接するのか、の一例になり得ていれば幸いである。

傾向映画は傾向的か?


 先ほど「傾向映画」という言葉を使ったが、この言葉ですぐに連想される映画作家たちがいる。例えば今井正とか山本薩夫などがそうだ。彼らは撮影所で組合運動をしたり、レッドパージで追放された後は独立プロを起こすなど「闘いながら」映画を作り続けた人たちであった。共産党員でもあった。しかし私の経験から言えば、彼らが撮った作品を観て、これは傾向映画だ、などと感じた事は一度もなかった。
 彼らが盛んに映画をリリースしていた時代を思い返してみよう。それは一言で言えば「戦後民主主義」の時代である。国会議員の数こそ保守政党が過半数を占めていたものの、ジャーナリズムとかアカデミズムとかにおいては民主主義と改革運動の流れが一般的であった。そんな時代であったから、彼らの「傾向性」が目立たなかったのだ、という理屈が成立するかもしれない。でも、そうでは無い。実際の映画作品で確かめよう。
 昨今はたいていの古典的映画をレンタルDVDで手軽に観ることができる。最近の新作映画は、過剰な視覚効果と重低音(?)に依存した見せ場を五分ごとに並べただけの代物が多いので(いや、そうでないモノもありますが)、勢い昔の古典的名画ばかり観ることになる。有名な映画でありながら今まで観る機会がなかったものもあれば、昔観たことを懐かしく思いだしながら改めて観る映画もある。この自分史的リバイバル上映がまた楽しい。今あげた二人の監督作品で言えば、『キクとイサム』(今井正 大東映画 1959年)と『にっぽん泥棒物語』(山本薩夫 1965年 東映)がそうだ。さすがにディテールは忘れていることが多かったが(特に『キクとイサム』は、だって私はまだ小学生だった)、昔リアルタイムで観た時の印象と今回との間に、大きな差があるとは感じなかった。
 『にっぽん泥棒物語について一言。これはもう第一級のコメディですね。半世紀前の映画だからと言って、こちらが身構えなければならない点は何一つない。主人公は大泥棒でペテン師(三國連太郎)。彼を師と仰ぐ子分(江原真二郎)、愛憎相半ばする関係の刑事(伊藤雄之助)、惚れ込んだ恋女房(佐久間良子)。この三者との掛け合いがじっくりと描かれることで、主人公の「魅力的な低俗さ」が生き生きと彫刻されてゆく。その流れがあるから後半の法廷劇で映画はさらに密度を増し、三國連太郎のノンシャランとした下世話な話しぶりが、法廷の威圧的な権威をことごとく崩壊させてゆく痛快さに観客は酔うことができる。こう言ったことは現実ではまず起こりえないことで、言わば幻想〈ファンタジー〉なのだが、これこそ映画の効用であると言える。
 お分かり頂けるでしょう、映画監督の政治的イデオロギーがどのようなものであれ、それと彼の作り出した『作品』との間には、本質的には何の関係も無いのです。映画は映画として完結しており、けっしてプロパガンダの道具とはなり得ないのだ。

木下惠介の脱イデオロギー性


 さて木下惠介の場合はどうだろう。この「イデオロギー性」という観点から見れば、彼は自分の作品をあらゆるイデオロギー性から無縁の位置に置こうとした作家であると見なされている。(晩年、彼は急激に「社会性」への接近を試みるが、今はこの点に立ち入らない)
 ただしそれは、世事に疎く政治性と相容れなかったから、ではない。また、ただただ無邪気に映画作りだけに執心した「天然的映画馬鹿」であったから、というのでもない。極めて自覚的に、自分の作品からイデオロギー性を排除していた。これが私の見方である。
 『二十四の瞳』の場合、原作も容易に読むことができる。そこで原作と映画とを比較してみる。すると木下惠介がどれほど慎重に自分の作品からイデオロギー性を排除しようとしたかが良く分かる。その一例を示す。

 昭和八年。すでに満州事変、上海事変が起こっており不況が深刻化している。五年生になった生徒たちは本校に通うこととなり、再び大石先生が担任になる。ところがある日、同僚の片岡先生が警察に引っ張られる。『草の実』という反戦思想の文集を所持しているという嫌疑で。『草の実』が見つからなかったので片岡先生は直ぐに帰されることになるが、実は綴り方の授業で使うために大石先生が持っていたのである。教頭(映画では校長)は慌ててそれを燃やしてしまう。その後の教室の場面である。
 
 原作では、こうだ。

 その日国語の時間に、大石先生は冒険をこころみてみた。生徒たちはもう「草の実」とその先生のことを知っていたからだ。
「うちで、新聞を撮っている人?」
 四十二人のうち三分の一ほどの手があがった。
「新聞を読んでいる人?」
 二、三人だった。
「赤って、なんのことか知っている人?」
 だれも手をあげない。顔を見あわせているのは、なんとなく知っているが、はっきり説明できないという顔だ。
「プロレタリアって、知ってる人?」
 だれも知らない。
「資本家は?」
「はぁい。」
 ひとり手があがった。その子をさすと、
「金持ちのこと。」
「ふうん。ま、それでいいとして、じゃあね、労働者は?」
「はい。」
「はい。」
「はあい。」
 ほとんどみんなの手があがった。身をもって知っており、自信をもって手があがるのは、労働者だけなのだ。大石先生にしても、そうであった。もし生徒だれかに、答えをもとめられたとしたら、先生はこういったろう。
「先生にも、よくわからんのよ」

 それが映画ではこうなる。

(五年生の教室。空席の川本松江の机。それに大石先生の独白が重なる。)
「松江さん、赤ちゃんのユリエちゃんは本当に可哀想なことをしましたね。でももう、それは仕方がありませんから、心の中で可愛がってあげることにして、あなたは元気を出しなさいね。学校へは何時からこられますか? 先生は毎日松ちゃんの空っぽの席を見て、マッチャンのことを考えています。」
(そのまま授業のシーンになる)
「では、家で新聞を取っている人?」
「新聞を読んでる人?」
「三人きりなの?」
「アカて何のことだか知ってるひと?」
「知らないよね。」
「じゃぁ、資本家は?」
「はい。」(と、挙手)
「はい。」(と、指名)
「金持ちのこと。」
「うーん、まぁそれで良いとして。」
「じゃあね、労働者は?」(この台詞と同時にフェード・アウト)

 ほとんど原作どおりと言って良いが、木下惠介が慎重にイデオロギー性を排除してシナリオを完成させていることが良く分かるでしょう。
1) 原作ではこの少し前に出てくる川本松江への手紙を、この場所へモノローグとして割り込ませている。原作でも映画でも、ストーリー展開上、政治的な台詞のやりとりがしばらく続く場面である。そこへ個人から個人への呼びかけの言葉をそっと忍び込ませることで、映画がイデオロギー的に傾斜し空疎に陥るのを防ごうとしている。
2) 大石先生の台詞から「プロレタリア」という言葉を削除している。大石先生は「プロレタリア」という言葉で自分の思想を語るような「主義者」ではない。また、人を「プロレタリア」という言葉を使うから「主義者」であると決めつけるような弾圧者でもない。その両方が大石先生には似合わない。映画ではこの後校長に、反戦思想の持ち主を非難する符号として、「プロレタリア」と言わせている。
3) 原作では児童たちの「労働者」という言葉への親和性の言及があるが、映画ではそれを省略してフェードアウトする。原作のように説明を加えると、あたかも子供たちが潜在的「主義者」であったかのような印象が生じる。
4) 原作ではこのシーンの前に、警察から解放された片岡先生が「小林多喜二」について語るシーンがある。若干の説明もある。映画ではそれを省略。

 如何でしょうか。この映画が作られたのは戦後民主主義の時代である。原作にある「多少の傾向性」は当然のこととして容認された時代である。だが木下惠介はその流れに安易に乗ろうとはしなかった。原作の字句を慎重に腑分けして、「傾向的」と見なされる可能性のある部分を丁寧に削除している。何故か? 次回はこの解析から 

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−−【その1】了−− 
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