映画は観終えたあとから、もう一つの楽しみが始まる。
                             何故この作品がこれほどまでに私を楽しませてくれたのだろう? 
                             今度は私がホームズとなりポアロとなって謎解きの森に分け入る。







木下恵介


























柱時計が8時を打つ
笑みを浮かべる友彦
表情を曇らす
わか


目眩がするのか、
額に手をあてがい座り込む



呪文のように呟かれる軍人勅諭 


出征行進のラッパが聞こえる
立ち尽くすわか 



駆け出すわか、最初に映されるのは足元だけ、その頼りなげな足取り


カメラさえわかを置き去りにする


彷徨うように進む 


沿道は壮行の群衆であふれている 


心は急げども転んでしまう 


「あっ 伸太郎!」これが唯一の台詞


言葉を交わす母と息子
歓呼の声に消されて、その会話は聞き取れない 



微笑む伸太郎


微笑みを返す母 


しかし群衆に揉まれて倒れ込む


見え隠れする息子の背中に向かい合掌、頬には涙 

 私は戦後の映画に登場する田中絹代しか知らなかった。老醜をことさらに強調した『西鶴一代女』は極端な例としても、中年以降の彼女しか知らなかったわけである。幼少の私にとって田中絹代は、最初から"おばさん"であった。しかしここに見る田中の初々しさはどうだろう。映画の目的から言っても、彼女は質素な着物を着ているし、髪はほつれたままだし、第一すっぴんである。しかしながら、息子に微笑んでみせる表情などはとても美しい。陸軍省の担当者は、この隠しようのない色香に戸惑い、けしからん、と激怒してみせたのかもしれぬ。


 

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なぜ「大石先生はただ泣くだけ」なのか?
 −− 『二十四の瞳』の小解析 その3 平成28年2月06日)


 人格の形成期に、たとえ束の間の夢であったとしても、甘い幻想を抱くことが許されるならば、それは良い時代である。夢や幻想は、次第に姿を露わにしてくる現実の前に敢えなく霧散してしまうものだが、この挫折のプロセスはあながち無益なものだとは言えない。一度は夢を見たということは、一個人にとってかけがえのない経験である。この経験があるからこそ、その後の長い人生において憂き世の柵に囚われて呻吟せざるを得ない時が続いても、なんとか持ちこたえ自分を客観視する手がかりを探ることが出来る。
 だから大石先生は、まだ良い時代が続いている、という風に振る舞って、卒業を控えた生徒たちに『將來への希望』という課題を与えた。しかし富士子から、私には書けないと、拒否されてしまう。拒否される予感はあった。岬の分校に赴任して以来「鳩の如く素直に」生徒に向かうことで、何とか良い関係を築いてこられた。しかし最近はどうも上手く行かない。生徒の進路に関しては、いくら話し合っても埒があかない。男子はあの子もこの子も兵隊になるのだと言い放つ。自分は何ら変節したつもりもないのに、校長からは、あんた、アカじゃと言われとりますぞ、と恫喝を受けるようになっている。だが、富士子の拒否に直面しては、先生も認めざるを得ない。自分も子供たちも、無防備なまま直接的に国家的原理の前に引き立てられていることを。
 大石先生は、その場しのぎの甘言で富士子を慰めにかかったりはしない。イデオロギー的言辞を弄して相手を煽る事など、なおさら出来ない。やっと絞り出せた言葉は「先生、無理なこと言っているようだけど、先生、もう他に言いようがないのよ」である。その後は「先生も一緒に泣いたげる」と言うより他はないのだ。

後世の木下批判は的を射ているか


 これを「すべての人物が被害者一色に塗りつぶされてしまっている日本流反戦映画」(大島渚)と批評するのは、後の時代だから言えることである。現実的問題として考えてみよう。「被害者一色に塗りつぶされることを拒否する」とは即ち「反国家主義者・反軍国主義者として闘え」と命ずることである。幾ばくかの反権力的イデオロギーが余命を保ち、お互いを牽制しながら並立しえた時代ならばまだしも、あの時代(1937年 日支事変、1938年 国家総動員法 以降)には、国粋主義的イデオロギー以外の思想はことごとく殲滅させられている。国家権力が剥き出しの暴力装置としてフル稼働していたのであり、「反国家主義者・反軍国主義者として闘う」ことなど、はなから出来ない相談であった。
 欧州ならば、ナチス・フランコ・ヴィシー等の政権に対する抵抗勢力が存在した。また一山越えれば(たいそう険しい山ではあるが)中立国という地理的条件もあった。しかしあの時代の日本は違う。少しでも「大日本帝国臣民」の倫理規範から逸脱する行為があれば、たちまち個々人は無防備なまま国家的原理の前に引き立てられたのである。

戦時中の木下作品『陸軍』を観る


 大島を始めとして後の世代からは様々な批判があるだろうが、木下惠介はこの「言葉を失い、泣くことしか出来ぬ女たち」をそのまま認め、そのまま描こうとする。それも、ただ無作為に描写していると言うのではない。確信犯的な意志力をもって表現している。
 ここで思い出されるのが、1944年(昭和19年)の『陸軍』である。この映画でも木下は「言葉を失い、泣くことしか出来ぬ女」を描いている。いや、もっと正確に言えば、この映画のラスト10分間は「言葉を失い、泣くことしか出来ぬ女」をカメラが追いかけるだけなのだが、それが尋常ならざる感動的なクライマックスとなっているのだ。
 近頃は有り難いことに、このような作品をDVDによって簡単に観ることができる。ネットで検索すれば、かなり詳しい情報も得ることが出来る。これは木下の四本目の監督作品であるが、題名の示す通り大日本帝国陸軍省の依頼で作られた国策映画で、目的は戦意高揚以外の何でもない。原作は朝日新聞に連載された火野葦平の小説。脚本は当時の常として陸軍省の検閲を受けており、その検閲済み台本通りに木下が映画に仕上げたもの。大東亜戦争開戦3周年と銘打って、1944年12月に公開されている。ポスターには「大松竹の演技陣技術陣の總力を結集、社運を賭してこの豪壮雄大なる劇映画の完成に邁進、一億国民の陸軍精神把握に些か寄與せんとす」とあった。
 と、これだけ書けば、腰の引けてしまう吾人も多いだろう。事実映画は、九州小倉の高木家の、幕末から当代に至るまでの三代記で、登場人物はことごとくバリバリの軍国主義者。三代目当主の息子が出征するまでが描かれるから、実質的には四世代に及ぶ登場人物が、如何に熱心に「お国のため、天子様のために」尽くそうとしたかという逸話を、これでもかと言うぐらいに並べている。

 ところがこの映画、冒頭の幕末のシーンこそ我々の感覚では理解しがたいところがあるのだが、それ以降はさほど違和感なく観ることが出来る。戦意高揚映画のはずなのに、私の眼にはほとんどコメディの様に映るからである。高木家歴代当主の軍国オヤジぶりが極端で「原理主義」的レベルまで達していて、それ自体が滑稽である。周囲の人たちは「標準的な軍国主義者」であるから、当然彼らとの間に次々と軋轢が生じる。映画はその顛末を丁寧に描いて行くわけだが、これらはもうドタバタ喜劇そのものである。第一代と第三代の当主を演ずるのが笠智衆で、彼はどんな映画に出ても笠智衆、どんな役を演じても笠智衆であるから、彼が極端な軍国原理主義者の台詞を重ねれば重ねるほど映画にはますます喜劇の雰囲気が充満してゆく。この笠智衆の朴訥熊本弁効果は強力なもので、それが証拠に、二代目当主を三津田健が演じている間、映画はコメディに変貌することを止め、ごく普通の軍国映画に立ち戻ってしまう。
 こんな風に映画『陸軍』は奇妙な軽さで観る者を裏切るのだが、ラストの10分でもう一度、ものの見事に観る者を裏切ってくれる。今度は劇的に。"You Tube" にはこの最後の10分間がアップされているので、是非ご覧になってください。https://www.youtube.com/watch?v=ywcDZp1hI2U 

映画『陸軍』ラストの10分間


 ここではその少し前から再現してみる。三代目当主の友彦(笠智衆)とその妻わか(●●)(田中絹代)それに息子二人の、団欒の場面である。明朝は長男伸太郎が出征することになっていて、今夜は四人がそろう最後の晩である。息子に肩を叩いて貰いながら友彦は、死んで己が名を残そう等という小癪な考え方は行かんぞ、などと相変わらず軍国原理主義者ぶりを発揮している。柱時計が8時を打つ。友彦は時計を見上げながら笑みを浮かべる。同時にわかも時計を見上げるが、その顔に苦悶の表情が浮かぶ。そのままフェード・アウト。
 それまでわかは友彦に負けず劣らず「軍国の母」であり、一貫して気丈夫に振る舞ってきた。息子を立派に育てるため、スパルタ的な教育も辞さなかった。ここで始めて、ほんの一瞬であるが心情の綻びを見せる。これが、この後のクライマックスがとんでも無い方向へ傾斜していくのではないか、と言う予感を観る者に与える。ここの演出、見事です。
 翌朝。伸太郎は出発した後である。わかは掃除をしている。隣家のおかみさんが、見送りに行かないのか、と尋ねるのに、私はすぐに泣いてしまいますから、みっともなくて、と答える。いったん天子様に差し上げたもんじゃけん、何も言うてやることはありません、と掃除を続ける。打ち水のあと身体をふらつかせるわか。目眩がするのか、額に手をあてがうとそのまま座り込んでしまう。この「悩める心」を「身体の不調」に置き換える手法が、10年後の『二十四の瞳』で再現されることを思い出そう。
 ("You Tube" の動画はここから)顔のクローズアップ。木下演出では、ここぞという時にしかクローズアップは使われない。何度かのため息。わかは何やら呟き始める。言葉が少し明瞭になり、それが軍人勅諭である事が分かる。何に気付いたのか、大きく目を見開く。カメラは一転して屋外。遠くから出征行進のラッパの響き。再び家の中。立ち尽くすわか。わかはいったん上手方向に画面から消え、カメラは下手方向にパンする、画面奥の土間を、表に向かうわかが横切る。
 隣家のおかみさんが怪訝に思い背後から近づくが、わかは気付かない。顔をラッパの響く方に向けたまま手は自ずと襷を解きはじめる。背後の隣人に気付いて一礼し、フラフラと走り始める。でもどこへ向かえば良いのか、路地で戸惑い、表通りを駆け抜ける人たちに気付き、それに従う。何とも頼りなげな足元。カメラはアップし、わかの全身を正面から捉えるが、他の人たちと同じ速度で背走するカメラは、わかを画面の奥に置き去りにしてしまう。
 わかは出征の行列に行きつこうとするが、まるで彷徨うかのようである。やっと前方に行列の姿を認めるが、心急ぐわかは転んでしまう。ここでもまた『二十四の瞳』の松江の後ろ姿が想起される。群衆に揉まれながら息子の姿を探すわか。行列の中に息子の姿を認めて、あっ、伸太郎、と叫ぶ。これがこのシーケンスでの唯一の台詞である。やっとの事で追いつき、言葉を交わす親子。しかし群衆の歓呼にかき消されてその言葉は聞き取れない。それでも親子は微笑みを交わすのだ。そしてわかの眼には涙が …… 。
 このあたり映画の完成度は完璧と言えるもので、観る者に強烈な印象を与える。後になって思い出すだけでも、わかの悲しみがひしひしと蘇ってくる。こんな風に戦意高揚とはまったく別の感動を喚起させて映画は結末にむかう。
 当然のことながら軍部は激怒した。映画はすぐ上映打ち切りになったとか、ラスト10分がカットされたとか、諸説紛々であるが、そのあたりは確かめようがない。確かなのは、木下は松竹に辞表を出し戦争が終わるまで映画を撮る事がなかった、ということである。

イデオロギー区分によるレッテル貼りに根拠があるか


 木下の真意に関しても意見が分かれるようである。国策映画であることに変わりはない、という見方から、密かに反戦の意志を込めたのだというものまで。しかし、彼のイデオロギー性を推し測り、それでもって白黒を付けようとするような議論には意味がないと思う。何度も述べてきたように木下は、右であれ左であれ、イデオロギー的表現に荷担することを強固な意志でもって避けてきたのである。どの様な状況下に置かれていようが、その時〈人 = ほとんどが女〉は、どんな風に喜び、どんな風に悲しみ、どんな風に希望をつなぎ、どんなふ風に絶望せざるをえなかったのを、そのまま表現しようとした。いつの時代の映画であろうが、どの様な内容の映画であろうが、この基軸は変わらない。この〈絶対にブレないこと〉が木下の本質である。
 私たちは往々にして、ある人物の表現を巡って、彼(あるいは彼女)が右なのか、左なのか、と評定しようとする。レッテルを貼って片付けてしまうと、妙な具合に安心できるのである。今までの論考にお付き合いいただいた方なら、木下惠介とその作品にレッテルを貼ることなど出来ないことに同意いただけると思う。

 もう一度素直に彼の作品を思い浮かべてみよう。すると分かってくる。私たちは木下を様々に解釈しようとしてきたが、逆に、木下が私たちに問を投げかけているのだ、ということを。
 彼は問う。とことん追い詰められ、言葉を失い、ただ泣くだけの女を、貴方はそのまま認めることが出来るか、と。
 認めることができます、などと簡単に答えてはいけない。屁理屈を覚え、それを駆使することに慣れた者は、往々にして「ただ泣くだけの女」など意識の埒外に放り出している。ここにこそ木下の人間性に対する批判意識がある、と思われる。

現代社会の超貧相なイデオロギー状況

 
 イデオロギーとは単独で存在しうるものではない。現実の総体に対して様々なイデオロギーが存在し、お互いが的(まと)を外すことなく検証しあえるという条件下において、始めてそれらは現実の核心に向かう力を得る。他の敵対的なイデオロギーに媒介され、また他のイデオロギーに影響を及ぼすという相互作用を繰り返して、それは少しずつ現実に接近してゆく。しかも現実の核心に向かうと言っても、それは政治的ムーブメントのある切断面を照射する、といった程度のものでしかないのだ。
 もしイデオロギーが単独で存在しうると錯覚しているのなら、さらに、イデオロギーが現実世界の多くを解き明かしているのだと錯覚を重ねるなら、それはドグマ(独断・教条)でしかない。

 ところが昨今は、とうていイデオロギー(政治的理念)とは呼べないような、貧相な講釈にすぎないものを、これが絶対的に正しいと認めよ、と万人に迫る乱暴な理屈が横行している。酔えば同じことを繰り返す横町のご隠居ならご愛敬として許せもするが、一国の総理大臣や政令指定都市の首長が先頭を切ってそうするのだから質が悪い。
 昔の総理大臣は、野党議員の意見表明に対して「ご意見として承っておく」と返して答弁を終えたものだ。真剣に聞いてもいないのに「ご意見として承っておく」とは、人をおちょくった言い方ではあるが、「意見・見解は様々あって然るべき」という民主主義の前提を尊重した表現ではあった。
 しかし今の総理大臣は、野党議員からの反対意見に対して、数十秒に要約できる自説を投げ返して、この理屈が「ご理解いただけなくて残念である」と言う。反対意見の存在すら認めようとしない傲慢な言い方であり、「オレの言うことが分からないヤツは、馬鹿だ、日教組だ、左翼だ、反日だ」と言っているに等しい。
 大阪の某首長などは、自説に反論する者あらば必ず「対案を出せ」と息巻くことを常としている。この考えは根本的に間違っている。野党や在野の勢力は政策案など出す必要は無い。出来るわけでもない。政策案を創案し議会に提出することは行政府とその首長の仕事である。だから彼らは、行政府の中核にいて政策案を作文するための情報と組織を独占しているのである。一方、野党とか在野の勢力の役割は、それを点検吟味し必要とあらば変更とか廃案を迫ることにある。これが議会制民主主義が運用されていく通常の姿である。某首長には、議会政治と企業のマーケティング企画会議との区別がつかないだろう。
 総理大臣と大阪の某首長に共通するのは、自分の振り回しているドグマ(独断・教条)以外はすべて誤りであると信じこもうとする幼児性である。上手く説明できる言葉や言い回しを手に入れると有頂天になり、相手を言い負かすことが出来れば自分の考えの正しさが証明された、などと無邪気に信じているのだろうか。いや、それ以前に、振りまくドグマに食らいついて、賛成だの反対だのと言う床屋談義好きの人たちを、国民だとか市民だとかと勘違いしていないだろうか。割合とか比率のことを言っているのではない。無責任な床屋談義など、一頻りもて弄(もてあそ)んでマンネリ化したら、贔屓の球団の勝ち負けや芸能人のゴシップに新たな憂さ晴らしのネタを求め始めるのだ。街頭インタビューのマイクを突き出されて床屋談義の続きを喋る御仁の一言を、世論などと思ってはいけない。少しでも真面目に考える人なら、あのような一問一答式の無責任な街頭インタビューなど黙して拒否するだろう。

 くどいようだが、最後にもう一度まとめを。
 今の政治家の駆使するイデオロギーの質は問わないとしても、イデオロギーがかすめ取るとることが出来るのは人間の生業のごくごく表層にすぎない。
 必要とあらばイデオロギー的言辞を駆使しうるような人は少数者である。真面目に考えている人ほど、横行しているイデオロギーもどきに失望し沈黙している。大多数の「言葉を失い、泣くことしか出来ぬ女」を視野の外に追いやっている様なイデオロギーは、最悪のイデオロギーである。

 たまには「古典」に接して、現実を見る眼を養いたまえ。安倍君、橋下君、麻生君、森君 


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−−【その3】了−− 
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