映画は観終えたあとから、もう一つの楽しみが始まる。
                             何故この作品がこれほどまでに私を楽しませてくれたのだろう? 
                             今度は私がホームズとなりポアロとなって謎解きの森に分け入る。











Wolfgang Amadeus Mozart
(1756~1791)






















T君の描く 母校のキャンパス



T君からの 絵手紙




























Claude Lévi-Strauss
(1908~2009)



網野善彦
(1928~2004)












Pierre Clastres
(1934~1977)



『グアヤキ年代記
―遊動狩人アチェの世界』
(著)ピエール・クラストル : 1974
(訳)毬藻充 : 2007



『暴力の考古学』
(著)ピエール・クラストル : 1977
(訳)毬藻充 : 2003































小野小町(菊池容斎画)

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残された時間は短い。じっくりとモーツァルトを聴こう。
                    2021/11/22



【1】

 残された時間は短い。じっくりとモーツァルトを聴こう。

 残された時間は短い …… 、
 などと書き出すと、あぁ、この人も年齢相応に爾後の経過が楽観できない疾病に取り憑かれてしまったのか、と思われそうだ。だが、そうではない。私は“表面上”きわめて平穏無事に暮らしている。確かに、齢を重ねるごとに体力・気力は低下し、食事の後に飲む薬の量は増すばかりだが、それは血圧やら採血やらの検査値を正常値の範囲に収めるための薬剤である。
 それでも、私に残された時間はそう永くは無い。
 最近とみにそう思い知らされる。

 誰にでも旧知の友という存在があるだろう。私は人づきあいが良いとはいえない。だから友人の数は多くはないのだが、それでも高校とか大学以来の友人たちが何人かいる。壮年期にはお互いの生業・育児と教育・介護などに忙殺され、賀状の交換ぐらいで凌ぐしかなかったのであるが、老境に入って再び緩やかな交友関係が復活してきた。そういう友人たちである。
 親友と呼ぶにはいささか違和感がある。たまに会うことがあっても、やたらと昔を懐かしがって高歌放吟するようなことは無い。お互い仕事内容は違う。てんでんばらばら。では同好の士なのかと言えば、そうでもない。日常の生活ぶりも、趣味も、好奇心の向かう先も、みな微妙に違う。

 だがこの友人たちとは、五年・十年・二十年という間隔が開いていても、再会した瞬間から、この前会ったのは昨日か一昨日だったように話を始めることが出来る。そして数時間の時をともに過ごすのだが、彼ら・彼女らの言動は、たとえどんなことであっても微笑んで見守ることができる。つまり「絶対許容の間柄」とでも形容するのがふさわしい。そんな関係が半世紀も続いてきた。

 その大学以来の友人たちが、この数年、次々と病に襲われた。
 申し合わせたように、全員が “癌” である。


【2】

 2019年の初夏の頃、愛媛に住むT君が、一度みんなに会いたいと連絡してきた。母校のキャンパスで落ち合う。昨年の暮れ癌の摘出手術をした、幸い早期発見だったのでサッサと手術を済ませ患部は全摘した、経過は良い、と言う。ビールなんかを飲みながら大声で喋る。神戸在住のF君が、店内の他の客に聞こえるじゃないか、とその大声をからかうと、耳が遠くなったからだ仕方がないと、さらに大声で言い訳をする。いかにも元気そうに見えた。
 しばしの談笑の最後にT君が、みんなに会えるのはこれが最後になるかと思う、だから愛媛から出てきた、と言うのを、私は真剣に聴いてはいなかった。癌という敵を私は甘くみていた。

 その年の暮れ、京都のYさんが、年末に手術の予定だと知らせてくる。メールの文面から病状の深刻さが伝わってくる。それからしばらくは、M君(Yさんの夫)が経過を詳しく伝えてくれる。翌2020年の年明け、Yさんが退院したという知らせと相前後して、こんどはM君が、僕にも複数の腫瘍が見つかったと伝えてくる。すぐには手術ができないほど腫瘍は大きい。まずは放射線照射で患部を小さくして、手術の可能性を待つのが治療方針なのだと言う。
 それからは、Yさんは抗がん剤治療、M君は放射線治療と夫婦共々の治療が続く。抗がん剤治療も放射線照射もきわめて肉体に過酷である。まさに闘病の渦中。おりからの新型コロナ感染拡大もあり、容易に見舞いにも行けない。

 秋になって、やっとM君が手術。何とか患部は摘出した、という状態で手術は終わる。引き続き抗がん剤治療のあと、二度目の手術の予定となる。
 同じ頃、購読している雑誌にジョン・レノン没後40年の特集があった。愛媛のT君はジョン・レノンが大好きだったので、同じものを彼に送った。だが、返ってきた礼状には、転移が見つかって抗がん剤治療中だと書かれている。彼は絵を描くのが趣味なのだが、副作用がきつく今は絵筆が握れない状態だと。
 その旨を神戸のF君に伝えると、いやぁ、実は僕も先月手術をしたのだと聞かされる。ただし、検診で早期発見できたので簡単な手術で済んだ、心配するな、と言う。一応、彼の言い分を信じておくことにする。

 今年、2021年の夏、T君が、抗がん剤治療が一段落した、少し体調が回復したのでと絵手紙を送ってくれた。そのコピーをF君に転送したら、僕も転移があったので再手術をしたと返事が来る。今回も早期発見だったから心配するなと言うが、これで二度目だ。もう言葉どおりには受け取ることができない。

 この頃から京都のM君の容態が悪化した。再手術の見込みがたたないのだとYさんがもらす。認知症の症状も進んで、一日中ぼんやりと過ごしていると言う。もともとM君は筆まめな人で、私がこのサイトにアップする駄文にも、その都度、携帯の SMSで的確なコメントを返してくれていた。時にはメールで長文の解析をしてくれた。それが支えにもなって、このサイトを続けてこられたのだと思う。
 発病以来それが途絶えがちになり、最近では自分から電話をかけることも出来ない状態になっていた。


【3】

 ところが、8月の終わり、とつぜんM君が電話をかけてきた。医者にもう永くは生きられないと宣告をうけた。しかしまだ自分の死を受け入れることが出来ない、と涙ぐむ。彼が泣くのに接したのは初めてのことだ。私は返す言葉を探しあぐね黙するしかなかった。

 ようやく私の口から出た言葉は慰めの言葉ではなかった。
 M君も、ごく普通の会話のように言葉を返してくる。

私;  僕たちは、もっと、レヴィストロースとか網野善彦の話をしておくべきだったな。
    議論しておきたいことがいっぱいあったのに。
M君; ほんとうにそうだ。残念なことをした。
    網野史学は長い間、僕の愛読書だったからな。

 この会話を理解していただくには、私とM君との「思想的背景」を明かしておく必要があるだろう。第三者には退屈な内容になるだろうが、しばらくご辛抱いただきたい。

 私の大学での専攻は、カント、ヘーゲルのドイツ古典哲学からカール・マルクスにいたる流れ。と言っても、あの“大学紛争”の真っ只中のこと、ゼミなどはほとんど休講のまま(あっても受講しなかっただろうが)。ひたすら独学(ドイツ哲学)を独学(つまり我流に)して四年を終わったわけだ。どんなに虚飾しようが、堅実に哲学を学んだとは言えない。それでも「とりあえずの結論」のようなものに至りついていた。それは、
 西欧近代が作り上げた「ものの考え方」が現代世界を支配している。それが行き詰まってきている。だからその先を見据えるには、いったん《前・西欧近代的な共同性と共同的思考形態》に立ち戻って、意図的に《西欧近代を対象化する》必要がある。確かに『資本論』は偉大な書物であり、混沌の底に埋もれた真実を鷲づかみにするような思考の威力を教えてくれるが、あくまで西欧近代社会の「経済学批判」の書である。そこから私の興味の向かった先は、つぎの二つ。

  1、レヴィストロースを巨頭とする文化人類学
  2、柳田國男・折口信夫・宮本常一と続く日本民俗学

 これらに「未練」と呼んで良いほどの関心を内に秘め、その後の私は中小・零細企業を転々として月給取りとしての人生を歩む。


 M君の経歴は私とは対照的である。彼は現代フランス思想が中心。サルトル、メルロ=ポンティの実存主義から、ソシュール、レヴィストロースの構造主義、という系統。私より2年後輩であるから、専門課程に進む頃には大学も落ち着きを取り戻していた。熱心に勉学に励み、大学院に進み、留学をし、講師となり、三つの大学で現代哲学とフランス語を教えていた。
 だが彼も同じ時代の児、研究の対象は、意図的に《西欧近代を対象化する》という方向に向かった。世紀が改まる前後から、レヴィストロースの批判的継承者であるピエール・クラストルの著作を精力的に翻訳する。同様に《定住稲作の農本主義的歴史観を対象化する》網野史学の「大ファン」であった、と彼は言っていた。


【4】

 残念ながら私は網野善彦のリアル・タイムの読者ではなかった。ごく最近になって、中沢新一さんとか赤坂憲雄さんの著作を読むようになってから、そこに登場する網野善彦に興味が向いた。幸いなことに、隣町の図書館が岩波書店版『網野善彦著作集』をズラッと並べてくれているので、この数年のあいだ原著の発行年代順に読んできた。
 メモを取る習慣がないのでどの著作か断定できないのだけれど、網野善彦がピエール・クラストルに言及している箇所があった。そのことをM君に話したことがある。

私   王権つまり強権的支配に結びつかない共同体の事例として、
      網野さんがクラストルの調査のことに触れていたよ。
M君  クラストルだけでなく、フランス人の思想家には、
      無政府主義に対するあこがれがあるんだ。

 たったこれだけのやり取りだったのだが、レヴィストロースを始め《未開のなかの原始共同体》を探ろうとする文化人類学者には、フランス人が多いことの理由を理解した。

 彼からの電話で、私が「僕たちは、もっと、レヴィストロースとか網野善彦の話をしておくべきだったな。」と言ったのは、こういうやり取りを念頭に置いてのことであった。

 この電話でのやりとから一ヶ月もたたないうちに、M君は他界してしまった。


【5】

 私がこのホーム・ページを立ち上げたのは、2015年秋、安倍晋三内閣が『安全保障関連法案』を強行採決したのがきっかけである。だが、もとより、田舎住まいの初老の男が、いたって地味なホーム・ページでどのような御託を並べようとも、世論に何らかの影響を及ぼすことが出来るなどと考えたことはない。いわば鬱憤晴らしの行為であったと言える。

 しかし、記事を書き続けるうち次第に明白になってきたことがある。
 「絶対許容の間柄」の友人たちと、語り合える時間はもう多くはない。私たちに残された時間は短いのだ。だから、たまに会う機会があったとき、その貴重な時間を、唾棄すべき政治的世界に対する愚痴話に費やすべきではない。そのために、あらかじめ私の愚痴をホーム・ページに書くことで済ませておこう。そうすれば友人たちと出会ったとき、即座に「すべき話」に入ってゆける。つまり私は、世間に向けて持論を開陳していたのではなく、友人たちに自分の愚痴を聞いてもらっていたのである。
 そして、今、その最良の愚痴の聴き手を一人失った。聴き手があっての愚痴である。
 いまさら、何を愚痴ればよいのか?


【6】

 冒頭に戻ろう。だから、私は、

 残された時間は短い。じっくりとモーツァルトを聴こう。

と書き出したのであった。

 この場合、モーツァルトとは、語るに値する価値あるものの代表である。だから話題はモーツァルトに限定されることはないだろう。でも、とっさに頭に浮かんだのは、やはりモーツァルトだった。
 ここしばらくは、私のモーツアルト、を書いてみたいと思う。
 もう、あんまり長い文章を書くのは止そう。
 そのかわり、思いつくままを次々と書いていこう。
 友人を偲ぶにはそれが一番だ。


    ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 今日の最後に、ふと、思い浮かべた歌を一首。

  あはれなり わが身のはてや浅緑 ついには野辺の霞と思へば  小野小町(新古今)

 歌人の尾崎左永子さんは、この歌を次のように評している。

 これは春の哀傷歌だが、私はこの歌がたいそう好きである。
  …… 、小町は美女というイメージがあるだけに、どことなくほのかに美しい。いっていることは仏教的な「無常」についてなのだし、「野辺の烟」は火葬の烟で、ほんとうならもっと切実な訴えかけのあるはずの内容なのである。しかし、ここの「浅緑」「野べの霞」の、たゆたうようなほのかな味わいには、たとえば式子(しょくし)内親王や俊成女(しゅんぜいのむすめ)にみられるような、鋭さや過酷さがない。 ……

          『尾崎左永子の 古今和歌集 新古今和歌集』(集英社文庫)206p.


 私が原稿用紙換算12枚を費やして書きあぐねている気持ちを、昔の歌人はわずか三十一文字ですっきり表現しています。脱帽。
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--【その1】了--    

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