映画は観終えたあとから、もう一つの楽しみが始まる。
                             何故この作品がこれほどまでに私を楽しませてくれたのだろう? 
                             今度は私がホームズとなりポアロとなって謎解きの森に分け入る。








































































Eve Kosofsky Sedgwick
1950〜2009



"Between Men:
English Literature and Male Homosocial Desire"(1985)
の邦訳



表紙に引用されている
マネ『草上の昼食』



上野千鶴子さん
私と同じ年である。



この本はいわゆる学術論文集ではなく、雑誌に連載されたエッセイ風の論考をまとめたもの。上野さんの思想を効率よく知ることができる。おすすめ。引用文献のリストが豊富なので、次の思考へとうまくつながってゆける。





















































































































































































































皇后一行に道を譲るゲーテ、
歩み続けるベートーヴェン。
この後Bは、ことあるごとにこのGの振る舞いを吹聴して回ったので、二人の仲は険悪なものになった。
Bはイヤミなつきあいにくい男だったと想像できる。












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“パミーナ”と“レオノーレ” その《決断》の差

    残された時間は短い。
    じっくりとモーツァルトを聴こう。その7

                    2022/05/26



再構築された《男社会》


 前回の終わりの部分で、歌芝居『魔笛』のヒロインであるパミーナの人格設定について、次のように述べた。

 シカネーダーとモーツァルトは、そのような新時代にもっとも許容されやすい女として、さしあたり《パミーナという男社会に受け入れられそうな人格》を創造して、歌芝居の中に配置してみたのではなかろうか。

 それまでの文脈の結論として読み取っていただければ誤解されることはないだろう、と思うのだが、いささか説明を端折った感もある。若干の補足をしておきたい。

 ここでいう「そのような新時代」とは、改めて言いなおすと「啓蒙主義に先導されて、市民社会が形成されつつある時代」のことである。旧弊を打ち破ったはずの新時代が、実は、女性の解放に向かうのではなく、逆に《男社会》の再構築に向かったのだ、と私は述べている。それでは一般的な歴史認識(つまり、学校で教わるような歴史観)とは違うじゃないか、改革・革命で社会は進歩したはずじゃないか、といぶかしく思う人があるかもしれない。そのための補足説明である。

 啓蒙主義とは、アンシャン・レジーム( Ancien regime;旧社会 )を打ち壊そうとする思想的運動であった。啓蒙主義が掲げる理念が政治動向を改革・革命に向かわせた。フランスでは専制君主が排除され共和制が宣言され、イギリスでは紆余曲折を経て議会制民主主義が成立した。その長期にわたる持続的な努力は、市民社会の形成・豊富化と平行して進んだ。つまり市民社会とは、悪しき旧弊を克服して獲得された輝かしき成果物である。だから、どの階層に属する人間も、男も女も、前の時代よりはより多くの自由と平等を獲得したはずだ。
 これが、教科書的説明が描き出したこの時代の印象である。
 その悪しき旧弊を克服したはずの市民社会が、なぜ《男社会》だというのか?

 今となっては、改めて下手な説明をするまでもないだろう。
 啓蒙主義の時代から二世紀を経た今日、私たちは、市民社会は間違いなく《男社会》だった、と言い切ることができる。近代市民社会における組織体は、そのほとんどが、男社会のルールによって運営されてきた。この数年間、世界の多数の地域で、ジェンダーにまつわる差別的・抑圧的実情が、芋づる式にあからさまにされてきた。勇気をふるって告発の声をあげる人たちがいて、それに対しトンチンカンな謝罪をしてその場を逃れようとする人たちがいて、また、不当な言いがかりをつけられたような顔つきで居直ってみせる人たちもいた。
 これらの事実の数々を確認するだけでよい。近代市民社会は間違いなく《男社会》だったのだ。ただ、それについて「真正面から、真面目に、語られてこなかった」だけなのだ。


《男社会》の社会学的定義


 ここで改めて、市民社会の組織における《男社会的構成原理》とは何か? を、社会学の用語で確認しておきたい。ただしこれらの用語は、最近になってやっと社会学の用語として定着してきたものである。

1;
 近代市民社会(に、限らないが)の組織体において、個人と個人を結びつける力として働くのは、「ホモソーシャル(homosocial)」的原理である。
2;
 「ホモソーシャル」とは、女性と同性愛者の参加を排し、〈純粋の〉男性だけで緊密な人的関係を造りあげてゆこうとする指向性のことを言う。
3;
 「ホモソーシャル」が女性を嫌悪する指向を、「ミソジニー(misogyny)」とよぶ。
 ギリシャ語の「misos(憎しみ)」+「gune(女性)」が語源である。
4;
 「ホモソーシャル」が同性愛者を嫌悪する指向を、「ホモフォビア(Homophobia)」とよぶ。
 ギリシア語の「homo(同一性)」+「phobia(恐怖症)」が語源である。
5;
 これらの概念は、アメリカの文学者、イヴ・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick;1950〜2009)の著作『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』("Between Men: English Literature and Male Homosocial Desire";1985)で始めて提示された。


 どうですか、すっきりとするでしょう。私たちが「日本の組織における体育会的体質」というような言い方でぼんやりと表現していたものが、見事に概念として定義されるではないか。


私の中の男社会


 私自身に引き寄せて話してみよう。
 過去半世紀にわたって、私はずいぶんとたくさんの社会科学に関する書物を読んできた。だが、正直に白状するのだが、還暦を過ぎ2010年代に入って上野千鶴子さんの著作をまとめて読むようになるまでは、これらの言葉を知らなかった。
 思い返してみると、若い頃に高校の教員であった数年をのぞいて「女性の同僚」が存在したことはなかった。その後多くの会社を渡り歩いたが、「女性の上司」「女性の経営陣」は一人もいなかった。職場・職域で接する女性はみな私の部下であった。新卒や途中入社で入ってくる女性たちは、その気心が知れたころになると、競うようにして「寿退社」していった。三十路を越えても勤続している女性は、若い女子社員から「お局」などと揶揄されていた。自分よりうんと年上の、技能的に熟練した女性を部下に持ったこともある。最初は何とも居心地の悪い思いをしたが、そのうちに慣れてしまった。つまり《男社会》の矛盾に直面しても、その点に関する限り、思考停止する能力を身につけていたわけである。

 1990年代の終わり頃から「異変」が始まっていた。若い女子社員が「なかなか辞めなくなった」のである。私の勤めていたのはすべて中小・零細企業であったためだろう、女子社員は例外なく「一般職」として配属され、各部門の実務担当者として働いていた。そこに欠員が生じるとたちまち現場が回らなくなる。だから総務の人事担当は、いつも各部門の部課長を個別に呼び寄せては、「近々結婚して辞める可能性のある女子社員」の情報を集めていた。その「集計」に立ち会わされたこともある。人事担当者は、絶えず退社予想人数を若干上回る社員を確保するのに苦慮していた。
 だが1990年代の終わり頃から、女子社員が「なかなか辞めなくなった」のである。人事担当者が、来春の女子新卒採用はしなくても良いかもしれない、などと不思議そうに話していたのを覚えている。時代は変わりつつあった。だが、私の意識は変わらなかったのである。

 仕事から退き還暦をすぎてから、私に《男社会》について考える機会を与えてくれた上野千鶴子さんに敬意を表す意味もかねて、彼女が『立教大学ジェンダーフォーラム 2019年度 公開講演会』で行った『ミソジニーとは何か?』の講演録を転載させていただきます。是非、ご一読ください。上野さんと、立教大学に感謝いたします。


パミーナとロマン派オペラのヒロインはどこが違うか


 歌芝居『魔笛』に戻ろう。
 パミーナは『魔笛』のヒロインである。だが、登場するほとんどすべての場面で、「夜の女王の支配」と「ザラストロの支配」との二律背反に苦しみ続ける、嘆きのヒロインである。葛藤に耐えかねて自死に向かおうとする。自分を救いに来るというタミーノの存在に希望を託すが、その愛が得られないと勘違いして、また自死に向かおうとする。これほどまでに無力で受け身のままの女性を、それまでモーツァルトはオペラに登場させたであろうか? スザンナやロジーナ、ドンナ・アンナやツェルリーナなどを思い出してみよう。意思力と機知に長け、なおかつ、とても愛くるしい女性たちであった。
 この「無力で受け身のまま」のパミーナをそのまま増殖させてゆけば、リゴレット(初演;1851年)のジルダ椿姫(初演;1853年)のヴィオレッタ『ラ・ボーエム』(初演;1896年)のミミなど、ロマン派オペラヒロインの一つの典型に至りつくように思える。オペラの全編において彼女たちは苦渋の渦中にいる。そして苦難の末に死んでしまう。ジルダは身代わりとなって、後の二人は結核をこじらせて。私は、このような日本の新派劇風の、あるいはソープ・オペラ風のヒロイン設定があまり好きになれない。サディスティックな趣向で楽しめ、というのだろうか? もっとも私は、モーツァルト以外のオペラを熱心に聴いてこなかったので、勝手な思い込みに囚われているのかもしれないが …… 、

 彼女らとは違って、パミーナーが死から免れることが出来たのは何故か。それは、タミーノの試練に同行することを「自分の意思で決めたから」である。ここがロマン派の新派劇風オペラのヒロインと決定的に違う。この点は非常に重要だ。パミーナは、自分の意思で自分の行動を決定したことで自分自身を救ったのである。

 だが、この意思決定はまだ限定的である。パミーナは「タミーノの試練に同行すること」を選択した。ただし、多くの選択肢の中から、自由に、自分の行動を選び取ったのではない。「タミーノの試練に同行する」か、しからずんば「死」か、この二者択一しか選択枝がなかったのである。
 繰り返す。彼女は「伴侶となるべき人に従うこと」を決めただけなのだ。消極的選択権を行使したに止まる。男社会の中で一人前の男としての資格を獲得しようとするタミーノに、「貴方に、どこまでもついて行きますわ」と意思表示しただけなのだ。つまり「男社会に受け入れられそうな人格」としての自分を顕在化させた、というに止まる。その証拠に、彼女は、火と水の試練の中を、タミーノが吹く笛の音と共に無言で歩んで行くが、愛しい人と共に歩んでいることの喜びを歌わないし、愛しい人に励ましの言葉をかけることもしない。このあと歌芝居は一気に大団円に向かうが、パパゲーノ・パパゲーナの大はしゃぎに比べて、タミーノ・パミーナのカップルからは舞い上がるような幸福感が立ちのぼってこないのである。この二人、とにかく試練は乗り越えたものの、この先、幸せに暮らしてゆけるのだろうか?

 私の思念は一気に現代に飛ぶ。バブル経済華やかなりしころ、上昇志向を持つ女性たちが、交際や結婚の相手として選択する男性の条件は「3K」である、などど揶揄された。「3K」とは、高学歴・高収入・高身長、の三つである。
 さて現在、「3K」という基準を全うした男をゲットして、首尾良く「上級国民の主婦」の座を占めた女性たちは、どれほどの幸福を獲得したのであろうか?
 パミーナの行く末に、現代日本の「上級国民の主婦」の姿がチラチラと重なって見えるのは、私だけだろうか?


“フィデリオ” こと “レオノーレ”


 モーツァルトの創造したパミーナから、一足飛びに19世紀ロマン派オペラのヒロインたちに飛んでしまった。その中間に位置する、もう一人の重要な人格について触れておかねばならない。
 そう、ベートーヴェンの創造した “フィデリオ”こと“レオノーレ” である。
 レオノーレは、運命に立ち向かう女性という視点から見て、19世紀ロマン派オペラのヒロインたちとは対極に位置するように思える。つまりパミーナと同じ位置に立っている。だがパミーナとも異なる。では、パミーナとレオノーレは、どこが同じで、何が違うのか?


  フィデリオ パリ初演時のパンフレット

 囚われの身になっている配偶者(あるいは配偶者となるべき人)の救出に向かうという、基本的
プロットは二つのオペラに共通している。ただし『魔笛』の場合は、囚われているのは女であってそれを男が救出に向かうという、順当な設定になっている。しかし『フィデリオ』の場合はそれが逆。囚われている男を、何と、女が救出に向かう! のだ。しかも《男装》して。

 ヒロインの二人は、決意して行動に向かうことは共通している。だがパミーナは「一人前の男になろうと試練にむかうタミーノに、同行することを決意する」だけ。レオノーレはその遙か先を進んでいる。「政治犯として収監されている夫を救出することを、自分で決め、自分で戦術を立て、自分で実行する」のだ。パミーナは、自己を《男社会に受け入れられる人格》に変容させるが、レオノーレは《男社会の真っ只中に男として侵入し、男以上に男社会に適合した人格》として行動する。しかも、男という外見は偽装であるにも関わらず、若い女性に惚れられるという、宝塚歌劇の男役スター顔負けの活躍をする。しかもこれらの行動を、陰鬱な場面が続くなかでやってのける。
 この、「パミーナとレオノーレの決意の差」はどこから来るのか。
 
 『魔笛』の初演は1791年。フランス革命の勃発といわれる「バスティーユ牢獄の襲撃」(1789年7月14日)のほぼ2年後。この年、フランスでは憲法が制定され、『魔笛』初演の9月30日の翌10月には最初の選挙が行われ、立憲君主制擁護派のフイヤン派と共和制を標榜するジロンド派がせめぎ合いを演じていた。市民社会はまだ萌芽期で、その成熟する姿はまだ明確には見通せない段階だった。
 『フィデリオ』の第一稿が初演されたのは1805年。最初は10月15日に初演が予定されていたが、ナポレオン率いるフランス軍が11月13日にウィーンを占領したので、11月20日に延期となった。せっかくのドイツ語オペラであるのに、観客の多くがドイツ語を理解しないフランス兵であったため、上演はさっぱり盛り上がらなかった、という。


  現在上演されるフィデリオは第3稿。初演時の序曲がこれ。『レオノーレ第2番』

 時代が大きく変わろうとしている時である。初演の15年の差は大きい。だが、パミーナとレオノーレの決意の差は、時の経過だけで説明できるものではない。作者の「来たるべき市民社会の見え方の差」が、そっくりヒロインの人格に投影されているのではないか?


ベートーヴェンにとっての市民社会


 歌劇『フィデリオ』初演の前年、1804年は、『英雄交響曲』の完成された年として、西洋古典音楽愛好家にあまねく知られている。ベートーヴェンは、フランス革命の理念とその具体的体現者であるナポレオンに深く共鳴していた。その革命の精神に捧げるべく『交響曲第3番 変ホ長調 作品55』は書かれた。畢竟の力作。この私も、『ベートーベン交響曲全集』と銘打たれたCD5枚組のセットをよく買いますが、最初に聴くのはたいていこの第3番です。
 この曲の完成直後、ナポレオンがナポレオン一世としてフランス皇帝に即位したというニュースが伝わる。ベートーヴェンは激怒。総譜原稿表紙の、"Sinfonia grande"(大交響曲)と大書されている下に、「ボナパルト」という標題と「ナポレオンへの献辞」が記されていたのを、紙が破れるほどの勢いでグチャグチャに掻き消し、「シンフォニア・エロイカ ある英雄の思い出のために」と書き換えた、という逸話はあまりにも有名。
 共和制を排して皇帝の座についたナポレオンが、「革命を全世界に波及させる」と称して他国への侵略戦争を開始。ウィーンも瞬く間に占領されてしまう。そのフランス軍兵士たちが聴衆となった「アン・デア・ウィーン劇場」で、ベートーヴェンは『フィデリオ』第一稿初演を自ら指揮したのである。さぞかし複雑な心境であったと察せられる。上演がさっぱり盛り上がらなかったのは、指揮者自身のモチベーション低下が原因していたことが、本当の理由かもしれない。



 ベートーヴェンは啓蒙主義が標榜した新しい市民社会に理想を託していた。新しい市民社会を希求する彼の理念に曇りはない。それを示す逸話には事欠かないが、有名な「ゲーテとの散歩」のエピソードを振り返っておこう。
 1812年というから、ナポレオンがモスクワ攻めに躍起になっていたころ、ボヘミアの湯治場テプリツェで、ゲーテとベートーヴェンは邂逅する。ある昼下がり、二人が散歩をしていると、向こうから皇后マリア・ルドヴィカの一行がやってきた。ゲーテは道を空け恭しく頭を下げた。一方のベートーヴェンは「我々に道を空けなければならないのは、彼らのほうですよ!」と言って、そのまま道を歩き続けた。

 このようなエピソードを待たなくとも、あの『第九交響曲』最終楽章『歓喜の頌』の底抜けの明るさを聴けば、新しい市民社会への希求がどれほど明快・直裁なものであったかが想像できる。歌詞に採用されたシラーの『歓喜に寄す』は、シラー自身がフランス革命を称えて作った『自由賛歌』(Ode An die Freiheit)が元になっている。ドイツの学生たちは、その詩を『ラ・マルセイエーズ』の節で歌っていたのだ。
 ベートーヴェンの音楽は、力強く直截な表現で一貫しているように聞こえるが、実はさまざまな超絶的技巧が駆使されている。第九交響曲も、最初の三楽章は、前人未踏の超絶的技巧がびっしりと詰め込まれている。だから後世の作曲家たち、例えば、ベルリオーズ・ワーグナー・マーラーなどはここから多くの霊感を獲得しているし、指揮者によって演奏スタイルも大きく変化する。
 それが最終楽章になると一変する。音型が極端に簡単になって、誰がやっても同じような演奏になる(!)のだ。特に合唱のパートは素人にも歌えるよう超簡単に書かれている。ソナタ形式の厳格な呪縛が解け、短い楽曲が次々とつながってゆくだけの、言わば「接続曲」に平坦化されている。音楽教室の生徒たちが入れ替わり舞台に上がって、一曲ずつ歌ったり演奏したりする「発表会」を思わせる造りではないか。途中には、トルコの軍楽隊を思わせるような、打楽器のドンチャン騒ぎも侵入してくる。
 そう、ベートーヴェンは、お堅い古典音楽への「新たなる大衆参加」を狙っていたに相違ないのだ。今風に言えば、市民社会に受け入れられるために入念にマーケティングを行った後、交響曲のコンセプトを制作したのだ。

 “フィデリオ”こと“レオノーレ”は、このような新しい市民社会への期待を純粋培養することによって創造された人格であるように思える。


モーツァルトの場合


 モーツァルトの場合はかなり違う。
 確かに「15年前」という時間の隔たりはあるだろう。だが、それだけではない。
 いわゆる「啓蒙専制君主」との関わりで、繰り返し失望を味わわされてきた彼は、フリーメーソンの一員として、その仲間から、新しい市民社会の思想を急激に取り込んでいたと想像できる。しかし彼はもう少し慎重だった。ベートーヴェンのように有頂天にはならなかった。新しい市民社会の全体像はまだまだ見通せない時代だったのに、その「市民社会が、詰まるところ、どこに行き着くか」をも予見していたように思える。真の天才の直感でもって。

 もう一度、歌芝居『魔笛』の登場人物の人格を精査することで、モーツァルト、その人自身に迫ってみよう。
 懐古的趣味から言うのではない。これは極めて今日的な問題である。


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−−【その7】了−−    

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