映画は観終えたあとから、もう一つの楽しみが始まる。
                             何故この作品がこれほどまでに私を楽しませてくれたのだろう? 
                             今度は私がホームズとなりポアロとなって謎解きの森に分け入る。













"Mary Poppins" (1964)
Bert's "The One-Man Band"












































































































































































































































トルコ軍楽メフテル(Mehter)




















Friedrich von Schiller























































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第九交響曲『合唱』に、トルコ音楽の響きを聴く

    残された時間は短い。
    じっくりとモーツァルトを聴こう。その16

                    2023/06/10



 前回、シンバルと太鼓の伴奏付き『トルコ行進曲』を聴いていただいた。シンバルと太鼓は、そっと添えられるという程度の慎ましやかなものではなく、ドスン・ドスン、シャン・シャン、と無遠慮にかなりの大音響で響きわたった。ちょっと驚かれたことと思う。しかし、ただ単に新奇なものに出会って驚いたというのではなく、あっ、そうか、『トルコ行進曲』は、こんな風に弾かれるほうが面白い、曲想にピッタリじゃないか、という新鮮な発見が伴っていたと思う。
 そばに伴奏者が控えてはいなかった。フォルテピアノ自体にシンバルと太鼓を鳴らす仕掛けが備わっていて、フォルテピアノの演奏者自身がペダル操作で鳴らしていたのである。演奏者は一人。どこかユーモラスであり、コミックバンドか冗談音楽のようだ。私などは、映画『メリー・ポピンズ』(Robert Stevenson:1964)に登場する、大道芸人バート(Bert)を連想してしまいました。まさに "The One-Man Band" 。
 でも、この「真面目な顔でいちびっている」感じこそ、『トルコ行進曲』の本質ではなかろうか。


ベートーヴェン 第九 最終楽章 に出現する 〈トルコ風〉


 演奏動画のすぐ後に、「ベートーヴェンの『第九交響曲 合唱付き』 …… 最終楽章に、まさに "alla turca" (トルコ風に・トルコ軍楽風に)と呼ぶべき部分がある」と、書いた。
 えっ、『歓喜の頌』にトルコ風の部分があるって、どこ、何のこと? と、ここでも驚かれた方も多かったのではなかろうか。
 そういう私も、『第九交響曲 合唱付き』は永きにわたって、もう何回聴いたか分からないぐらいなのに、最終楽章の〈その箇所がトルコ風であること〉を意識したのは、そう古いことではない。

 『第九交響曲』最終楽章は、これと特定できるような楽典的形式を持っていない。強いて云うなら、〈変奏曲風接続曲〉だろうか。内容に即して云うなら〈脱宗教 啓蒙主義賛歌 オラトリオ〉か。いずれにせよ、交響曲の最終楽章がソナタではなく、独唱・重唱・合唱が加わり、演奏に30分近くを要するまでに拡大されたのは、前例がない。
 ハイドンやモーツァルトの交響曲なら、全楽章がスッポリと収まるほどの長さなのに、冗長になることがない。エンディングにむかう楽興の昂まりは見事にコントロールされている。楽章の半ばでいったん中くらいのクライマックスに達し、全休止のあと中間部分がはさまって気分がかわり、そのまま後半になだれ込み徐々に最大のクライマックスに向かう、という流れが鳥瞰できる。
 この〈気分の変わる中間部分〉の前半がまさに〈トルコ風〉なのだ。

 その箇所を聴いてみよう。我が敬愛する、鈴木雅明さんとバッハ・コレギウム・ジャパン。オリジナル楽器(古楽器)による演奏である。 "You Tube" を検索して、〈気分の変わる中間部分〉の前半がまさに〈トルコ風〉であることが良くわかる演奏を選んでいったら、結局この演奏に行き着いた。シェイプアップされた現代オーケストラの分厚い響きとは違って、〈ベートーヴェン初演のころの演奏はかくありき〉を彷彿とさせる、すっきりと骨格の見通せる演奏となっている。

 下の埋め込み動画プレーヤーは、「楽章の半ばで一度中くらいのクライマックスに達する」その少し手前から再生するように設定しておいた。くだんの〈気分の変わる中間部分、トルコ風〉が始まるのは、中間クライマックスの後の、全休止("3:36")が終わってから、である("3:39")。




確かに "alla Marcia" 「行進曲風に」と書かれているが ……


 全休止のあと、音楽はゆっくりと最弱音で始まる。むかしLPレコードで聴いていた時は、きわめて質素な再生装置だったこともあるだろうが、針音とハム音に埋もれてこの部分はよく聴き取れなかった。しかしCDの時代になり、容易にピアノ・ピアニッシモまで聴けるようになり、さらに映像で演奏者の姿まで見えるようになった。幸福、としか言いようがない。

 なるほど、ブォン、ブォン、と吹いているのは、ファゴットとコントラ・ファゴットのユニゾンなんだ。画面には映っていないが、大太鼓も鳴っているようだ。続いて歓喜の主題の変奏がピッコロとフルートのユニゾンで入ってくる。
 作曲家はここに "Allegro assai vivace alla Marcia" 「きわめて速く、生き生きと、行進曲風に」と書き込んでいる。解説者のほとんどは、それを頼りにしてか、「ここから行進曲が始まる」とか「爽快な軍楽調になる」とか書いて済ませている。えっ、そうかい、それにしちゃぁ、ちっと歩きにくくはないか? これらの文言は、観光バスのガイドさんが、せっかくの景勝地を通過しているのに、交通標識を見て「ここは制限速度50キロでございます」と解説するようなものだろう。解説を書くなら、もっと真面目に書きたまへ。

 歓喜の大合唱のあとの突然の静寂、急に沈静化させられる高揚感、静かにはじまる奇妙なリズム。大広間から急に居室に閉じこもったかのような場面転換の雰囲気。これは「行進曲・軍楽調」と呼んで済ませるほど単純なものではない。


拍子の「入れ子構造」&「裏拍子」


 ここは確かに、2拍子のマーチ風に聞こえる。だが拍子に敏感な人なら、それまでの " 4/4 拍子" から、 " 6/8 拍子" に変わったことに気付くだろう。奇数拍子なんだ! 極めて速いテンポだから、3拍分を1拍として、小節内を2拍子と数えることができる。上手い例えではないが、リズムが「入れ子構造」になっているわけだ。

 さらに2拍子だとすると、何と、2拍目が強い「裏拍子」になっているではないか。全休止をはさむファゴットの、ブォン、ブォン、も、その後のピッコロ・フルートも、ゥン・チャ、ゥン・チャ、の裏拍子である。これを真に受けて行進すれば、颯爽と前に進むより、ふざけて上に飛び跳ねてしまって、「そこぅ、真面目に歩け!」と教官から叱られること請け負いである。

 楽譜で確認しておこう。先ほど、居ながらにして音楽の細部まで聴きとることができることの〈幸福〉を述べたが、少し検索すれば、交響曲のパート譜まで見ることができる。 なんという〈幸福〉!
  "Allegro assai vivace alla Marcia" になる部分を切り取って貼り付けます。
 当該の音符を赤丸〔〕で囲んでおきました。



 『これで弾ける、ジャズピアノ入門』などと云う本とつき合った経験のある人ならば(私のことじゃないよ)、ここはまさに、ジャズの基本的リズム、「スウィング」や「ビバップ」の説明と酷似していることに気付かれるであろう。そこには、偶数拍子であっても、8分の6拍子を意識せよ」とか、「指定がなくとも裏拍子でリズムをとれと書いてあります。
 モダンジャズは、「西欧音楽と東方的・アフリカ的音楽との融合」などといわれるが、ここでは、まったく同じことが実現している。ベートーヴェンの時代、東方的・アフリカ的というのは、つまりトルコ的である、ということと同義である。


〔長三度〕下方 への転調


 さらに、調性に敏感な人なら、〈ニ短調〉で始まり、〈ニ長調〉に止揚(アウフヘーベン)することで歓喜昂揚となった音楽が、ここで一気に〈変ロ長調〉に転調していることに気付かれるであろう。〈ニ長調〉→〈変ロ長調〉というのは、「長三度下方への転調」である。珍しいとまでは云わないが、型どおりの関係調への転調ではない。それまでの順次昂揚へと向かう音楽進行から、ガラリと豹変する効果を作曲家は狙ったに相違ない。先ほどのリズム処理の意図と同様であろう。

 私は市井の素人音楽愛好家にすぎないから、普段から「調性」に意識的に音楽を聴いているわけではない。じっさい「長三度下方への転調」がどのような「効果」のために使われるのかも分からない。ふと、聴き慣れない転調だな、と感じた程度なのだ。
 そこで検索してみた。すると『3度転調の手法とその演奏表現効果についての考察 ─ベートーヴェンとロマン派の作曲家のピアノ作品を中心に─ 』(京都女子大学:大谷正和教授)という論文が見つかった。やはり専門家も、少しばかり特異な転調だと考えているわけだ。それには「長三度下への転調はどのような効果をもたらすのか」について、何人かの研究者から引用がある。そのままコピーさせてもらう。

  「“翳り”の領域への参入」
  「落着き、静寂、沈潜等を表す」
  「情熱の噴出といった前半に対する、より内省的な地平を開く」
  「眼差しはいっそう深まり、心の内奥を開く時の訪れ」



妄想的解析を開陳する


 なるほど、と納得させられる。ベートーヴェンという作曲家の〈凄さ〉を改めて思い知らされる。
 まことに勝手な解釈を開陳しておこう。ほとんど私の妄想だと言ってよい。だが、ここまで踏み込んできたのだ、たとえ妄想であっても、しだいに強くなった確信はためらわず述べておくべきだろう。

 あの、長調とも短調とも見分けのつかない原始の霧のような冒頭から、『歓喜の頌』に至るまでの道筋は長いものであった。終楽章に入っても歓喜の主題はなかなか出現しない。不協和音のファンファーレとそれの否定、前楽章の回想などが延々と続いて、やっと出現するのは、出し惜しみしするかのような低音弦での単調な四分音符の羅列だ。
 ところが、バリトンの "Freude!" という呼びかけに合唱が応えて本題に入ると、たちまち音楽が走り出し、あっと言う間に〈中くらいのクライマックス〉に達してしまう。動画のタイマーでは、バリトンの呼びかけ("0:24")から、テュッティ(全合唱・全合奏)後の全休止("3:36")まで、わずか "130秒" 。
 あら、もう終わったの? 速いわね ……
 さて、どうする、ベートーヴェン。

 並の作曲家なら、せっかくの高揚感を持続させようと、手を変え品を変え "歓喜の頌" の時間的延長をはかるだろう。でも、下手をすると、そのような繰り返しによる量的拡大は次第に緊張感を失い、手を加えれば加えるほどコテコテのハリボテ細工になってしまう。コレとは言わないが、そんな作品がたくさんありますね。大作曲家と言われている人のものでも。

 でも、ベートーヴェンは違う。ここでアッサリと高揚感を打ち切ってしまう。
 いま形成されようとしている〈市民社会の啓蒙主義的理想〉を歌い上げることを止め、平常心に一度立ちもどる。つまり、共同性に向かった精神がいったん日常的個人としての自分を確認するのである。言い換えれば、舞い上がって抽象化した歓喜に、もう一度自分という肉体を取り戻させるのである。  ← これ、大事なポイントです。

 ここで出現するのが、奇数拍子・入れ子構造・裏拍子、それと、長三度下への転調なのだ。

 見事な場面転換なのだが、それがさほど異質に感じられないのは、これまでの経過のなかで、このリズムと調性がすでに予告されているからだろう。
 快速の奇数拍子が大きく偶数拍子でもカウントできるという「入れ子構造」は、第二楽章スケルツォで。
 変ロ長調は、第三楽章の変奏曲主題の提示で。さらにさかのぼれば、第一楽章第一主題の提示部で。

もう一回、みごとな場面転換


 中間部分の前半が終わると、もう一回、見事な場面転換が訪れる。
 テナーと合唱の最後の音符と重なって(本当に、同時なんです)、管弦楽による歓喜の主題のフガートがはじまる。("5:05〜) ここの部分の疾走感は素晴らしい。J.S.Bach によって完成形態となった西欧古典音楽の対位法のエッセンスが、前へ、前へ、と進む推進力となって現れる。

 ベートーヴェンは演奏者と聴衆を感動に導くために「手練手管」を尽くすのだが、その仕掛けは極めて分かりやすい。もう丸見え、丸わかりなのだ。にも関わらず、それがことごとく決まって、自ずと作曲家の術中に身をゆだねてしまう。これが、ベートーヴェンのすごいところだ。

 第四楽章は間違いなく〈脱宗教 啓蒙主義賛歌 オラトリオ〉である。いままでには存在しなかった〈音楽における新しい共同性〉の創出である。でも、先にみたようにその前半部分を、作曲家は、たった 130秒でアッサリと終わらせてしまった。
 そのあと、全休止をはさんで、ウィーン市民の身体的日常性がたちもどる。これがトルコ風であるのは、当時の市民には〈純粋の〉西欧古典音楽はまだまだ一般的なものではなかったから、だろう。
 さらに、そのあと、今度は間髪を入れず〈純粋の〉西欧古典音楽が出現する。先人たちの営為はきちんと継承してゆきますよ、と宣言しているみたいだ。
 そして、そのあと、再び〈新しい共同性〉の創出に進んでゆく。
 この中間部が「重し」として効くから、〈オラトリオ〉は空虚な幻影となって霧散することなく、明確なメッセージに結実して聴衆の意識に定着する。

 まぁ、このような解析は、所詮、私の妄想でしかない。
 しかし鑑賞もまた創作行為なのだ。音楽というものは、鑑賞者の共感があって始めて完結するものならば、そのプロセスを述べて悪いはずはなかろう。


バッハ・コレギウム・ジャパンの使用楽器を確かめる


 もう一度、演奏動画にもどろう。
 コントラ・ファゴットは、とにかくデカい。管を "Uターン" させて小型化する前の形。現代の楽器のマイルドな音色に比べて、より「鼻の詰まった」ような音に聞こえる。前回の〈6本ペダルのウィーン風フォルテピアノ〉を思い出していただきたい。奏者から見て左から2番目が〈バスーン・ペダル〉であった。(ファゴット=バスーン、である。念のため)山名仁さんのアップしている動画で、バスーンペダルの効果が良くわかるものを見ておこう。この「鼻の詰まった」ような音は、ウィーンの人々の好みであったのだ。



 続いて、ピッコロが大写しになる。モダン楽器に比べて、「キー」の装備が極めて少ないように見える。よく見えないが「歌口」の装着も無いのではなかろうか。これもモダン楽器に比べて音色はより直裁で、原初の「葦笛」(あしぶえ)に近い響きがするように思える。

 こんな風に木管楽器の合奏に、太鼓・シンバル・トライアングル、という打楽器群が加われば、当時のウィーンの人々は、自ずから〈トルコ風〉だと認識したはずである。エキゾチックな音色が、身近な響きとして存在していたのである


トルコ音楽を聴いておこう


 では、そのトルコの楽器を聴いておこう。
 "Ceddin Deden"『ジェッディン・デデン』(祖先も祖父も)という曲が多数ヒットする。トルコ軍楽メフテル(Mehter)の代表曲らしい。じゃあ、この "Ceddin Deden" をさまざまな演奏で。 全部埋め込むと画面が長くなるので、最初の3本はリンクを張っておきます。

◆〔トルコ・ズルナ〕 オーボエの本家筋だろう。民俗音楽学者 小泉文夫さんの蒐集資料。

◆〔トルコ・ダウル〕 大太鼓。これも民俗音楽学者 小泉文夫さんの蒐集資料。

◆〔合奏〕 日本人のサカン竜一郎さんの "The One-Man Band" 。お見事。

◆〔軍楽隊の行進〕 観光ツアー客のためのサーヴィスみたいです。

 以上は、ほんの一例です。たくさんアップされているので聴いてみてください。
 ズンドコ、ズンドコ、ズン、タ・タ・タッ・ター というリズムが身に染みついて、やみつきになります。


出会うのは、第九交響曲の文学趣味的解説ばかり ……


 先ほど、『合唱』最終楽章の〈その箇所がトルコ風であること〉を意識したのは、そう古いことではない、と書いた。では、〈なるほどトルコ風だ〉と認識したのは、何がきっかけだったのか? それがよく思い出せない。確かに、CDというメディアの普及と、オリジナル楽器による演奏が盛んになったことで、楽器の〈素の音〉がよく聴き取れるようになったことが基本にあると思う。だが、誰かの文章を呼んで気付かされたに相違ないのだ。

 そこで、この稿を書くに当たり少し検索してみた。専門家の指摘を確認すれば、より端的に「第九交響曲『合唱』のトルコ音楽的要素」を述べることができるだろう。だが、まったくヒットしない。解説の類いの大半が、歌詞に採用された、シラー (Friedrich von Schiller) の詩の解説に終始している。当然のことながらそれらの解説は、自由を希求する理想、それに至るための不屈の精神、博愛主義、などを強調することになっている。
 確かにベートーヴェンの音楽にはそれの要素が強いのだが、あくまでそれは「音楽に対する文学的意味付け」の確認であり「音楽そのものの解析」にはならない。そのような解説だけを聞かされれば、読み手はベートーヴェンの音楽を聴きそこなうだろう。何だ、古くさい音楽じゃないか、きっと退屈なものだろう、と。

 さらに、いろいろと探してみたのだが、「第九交響曲『合唱』のトルコ音楽的要素」を指摘する文章には出会わない。逆に〈あの部分がトルコ風であると指摘する人がいるが、そうではない〉という記事に出くわした。ビックリである。 Wikipedia の記事である。その箇所を引用しよう。


なぜ、ことさら、トルコ趣味を否定するのか!


シンバルやトライアングルといったトルコ起源の打楽器が使われているためこの部分を「トルコ行進曲」と呼ぶ事があるが、拍子も装飾の付け方も(新しい研究では恐らくテンポも)本来のトルコ音楽とはかけ離れている。『第九』の30年前にベートーヴェンの師の一人であったヨーゼフ・ハイドンが交響曲第100番『軍隊』でこれらトルコ起源の打楽器を使用しており、当時の流行がうかがえるものの、時代を下るにつれ欧州各国の軍楽隊でシンバルやトライアングルは常備されるようになっていた。ベートーヴェンの後の世代となるロッシーニなどはもはやシンバルもトライアングルも軍隊と無関係な音楽で導入している。
                    → Wikipedia : 交響曲第9番 (ベートーヴェン)の項

 いつもお世話になっている Wikipedia の記事に難癖をつけるようで申し訳ないのだが、この記述は全くもって承服しかねる。
 「拍子も、装飾の付け方も、テンポも、本来のトルコ音楽とはかけ離れている」というのだが、どのようにかけ離れているのかは一切触れられていない。そもそも「本来のトルコ音楽」って、いったい何よ、そんな一角獣 (Unicorn) みたいなものが存在するのか? 次回の記事で紹介するつもりなのだが、西欧諸国はこぞってトルコ軍楽隊の音楽を輸入していた時期があった。トルコ大使がベルリンを訪問したさい、歓迎のためにトルコ音楽を披露したのだが、当の大使は、何じゃ、これは、こんなものは我が国の音楽じゃないぞ、と眉をひそめた、という逸話が伝わっている。模倣しようとしたって、完璧にコピーできるもんじゃないんだ。仮に「本来のトルコ音楽とはかけ離れている」ことを指摘できたとして、それが「トルコ指向ではない」ということの証明にはならない。

 この執筆者は、シンバルやトライアングルという打楽器がトルコ起源であることを認めている。しかし、時代が下るにつれ「欧州各国の軍楽隊で常備されるように」なった。さらに「軍隊と無関係な音楽」でも使われるのだから、もはや〈トルコ趣味の現れではない〉というのだ。
 おかしな理屈である。動物園の虎の檻の前で、「この虎はこの動物園で生まれ、飼育員に育てられた。よって、これは虎ではない」と言っているのと同じである。

 そもそも、なぜわざわざ〈トルコ趣味ではない〉ことをことさらに強調しなくてはならないのだろう? 〈崇高な〉ベートーヴェンの中に、何か〈日常的なもの〉〈俗なるもの〉〈非西欧的なもの〉が混じり込んではならない、とでもいうのだろうか。そのような、西洋古典音楽の〈純粋化〉が、大衆から音楽の楽しみを奪い、音楽の政治的利用(=非音楽化)をもたらしたのではなかったか?

 まぁ、 Wikipedia の批判はこの程度でいいだろう。歴史について語るなら、歴史的事実でもって語れ、という原則がある。歴史的事実を確認しさえすれば、手間くさい反論などは不要になる。回り道になるが、ハプスブルグ王家の首都ウィーンとトルコ音楽との関係の、その歴史的事実を確認しておこうではないか。『トルコ行進曲』の謎を解き、『トルコ行進曲』を楽しんで聴く、という懸案の解決が、また先延ばしになってしまったけれど。

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−−【その16】了−−    

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