ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。


『チャイナ・シンドローム』(1979)
監督;ジェームス・ブリッジス

左から
ジャック・レモン(ゴデル氏)
ジェーン・フォンダ(キンバリー)
マイケル・ダグラス(リチャード)



『チャイナ・シンドローム』は原発事故をテーマーにした映画です。と言ってもハリウッド製の娯楽映画なのだ。主人公たち、タバコは吸いまくるわ、セクハラはしまくるわ、髪型・ファッションは古くさいわで、それもそのはず35年以上も前の映画なんです。でも、一度ご覧になってください。寸分の隙もない出来映えです。あらすじは書きません。ネタばらしはルール違反。でも書こうとしても書けない、と言うのが本当のところ。何故なら、サスペンスとしての筋立てが優れているという以上に、登場人物の立場・思想・心理が見事に活写されていて、私の筆力ではとうてい要約できない。

ニュース・キャスター(ジェーン・フォンダ)も原発の制御室管理者(ジャック・レモン)も、自分の立場に縛られている人間として登場します。それが原発事故への対応に翻弄されるうちに、じわじわとその呪縛を解いていく。そして常識人としての枠を超えた行動まで ……

娯楽映画のファンタジーなんです。現実世界では、なかなかあんな風には行動できないだろう。でも、いつしか主人公の行動を応援し、主人公の精神と一体化している。真実の追求と正義の行動をもとめている。これ、人間の本質なんですね。知らないだけで、あんな風に考え行動している人たちだって、たくさんいるんだ。こう思わせてくれる映画です。

あらすじは言わない、て言いましたけれど、前半部分のスチルショットだけちょっとお見せします。では、さいなら、さいなら。 




キンバリーたちに原発の仕組みを説明する広報担当


その時地震が


よくあることだ、心配ないと、言うゴデル


あれ、水位計がおかしいぞ



緊急事態だ待避せよ


特ダネかもしれぬが、放送させない、と上司


調査委員会は事故を現場のミスのせいにしたがる


キンバリーに原発の信頼性を説くゴデル氏


やはり汚染水の漏れが


公聴会にはデモ隊 プラカードの文字はそのまま今でも通用する


廃棄物処理の問題は未解決のまま



事故の実体を説明する専門家


炉心融解したら高濃度汚染物質は ……

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 原発推進論 −− 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 その2
                   (平成28年3月29日)


 前回は原発推進論の多くに共通する特徴を11項目にまとめて、それぞれに短い批判を加えておいた。今回は典型的な原発推進論の一つをとりあげ、その屁理屈の流れにそって批判してみる。より具体的でリアルな批判になるはずである。話を進める中で、前回の11項目のどれに相当するかを指摘する場合は、(特徴の1)、(特徴の2)、という風に書く。でもいちいち参照していただくには及ばない。最後にもう一度11項目を読み返していただく程度で良いかと思う。

見つけた記事の出所は『原子力村』だった


 例題はネットの『産経ニュース』から拾った。そのタイトルがこれ。

   高レベル放射性廃棄物の最終処分(2) 提供:NUMO
   地層処分は技術的に確立、不安の払拭と意義の共有が課題

 「放射性廃棄物処理」でググっていて、たまたま見つけた記事である。冒頭に趣味の悪い背広を着た中年男の写真があって、おまけに顔つきが最も友達にしたくないタイプだから、迷わずこの男を叩くことに決めた。
 男の名は、堀義人。肩書きは、グロービス経営大学院学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー。あらあら、さっそく(特徴の11)ですわ。「やたら横文字の術語を使いたがる。関係している会社組織や本人の肩書きも横文字であることが多い。…… 」と私は書いています。
 この男に松本真由美という女がインタビューする、という形式をとっている。この女もやたら肩書きが多くて正体不明だが、別に知りたくもないので詳細はパス。
 『NUMO』とは『原子力発電環境整備機構』のことで経済産業省が所轄する団体。『原子力村』の構成要素である。小出裕章さんが作った『原子力マフィア相関図』の中にきっちり入ってます。それにしても『NUMO』なんていう悪趣味はもう止めてほしいなぁ、あぁ、気持ち悪い。1980年台に流行った「CI戦略」とやらをまだ嬉々としてやっている。
 それが「提供」したということは、これは広告記事だったのかな。合計5回の連載らしい。つまり『原子力村』の金でサンケイが潤ったということで、恩義を感じたサンケイがホームページに転用して「広報」のお手伝いをした、という流れですか。でもその広告料は『NUMO』の予算から出ているわけで、これって元は税金でしょう? 原発発電費用の原価に含まれて …… は、いないだろう勿論。

 念のため、この記事のテキスト部分を文末にコピ・ペしておきます。私が恣意的な引用をしているのではないことがお分かりいだけるはずです。原発推進論者の犯罪的脳天気さを笑っていただくだけの代物です。

最初の小見出しだけで、その思想の醜悪さが分かる


 記事の最初の小見出しは『環境・エネルギー問題全体を俯瞰した冷静な国民的議論を』である。
 初っぱなから屁理屈のどつぼに嵌まってますね。これは、(特徴の1)の「反原発・脱原発を主張する人たちを馬鹿扱いして蔑む」と、(特徴の2)の「それに対して自分たちは、現代日本の置かれている状況を総合的に踏まえて原発の優位性を主張しているのだ、と威張る」をそのまま体現している。
 「国民的議論を」なんて言って乙に澄ましていますが、普段通りに喋らせればこう言いたいわけだ。「原発問題を喋々する輩はきまって反対派である。そいつらは原発アレルギーだから冷静な議論ができない。アナフィラキシー発作のように感情的に反対・反対と叫び立てるだけである。だが彼らは国民的な支持を得ているわけではない。それに反し我々は、環境・エネルギー問題全体を俯瞰して全国民に冷静な議論を呼びかけている良識派だ」とね。
 何度か書いてきたように、批判とは、批判する対象が主張している内容を正確に引用することから始まる。貴方はこういう風に言っていますが、それで間違いありませんね、という確認が必要なのだ。それが手順である。私は、このホーム・ページ開設以来、ずっとそうしてきた。特殊なやり方ではない。それで当たり前なのだ。しかし、この堀義人に限らず原発推進派の連中は、「反対派はアホだ」というイメージの決めつけから入り、返す刀で(ひどく錆び付いた鈍刀だが)「それに反して、俺たちは賢い」と威張ってみせる。
 一度でいいから「反原発派の冷静でない非国民的議論」とやらを引用してみてみなさい。出来ますか? エッ、出来ませんか? 出来ないのでしょう! 他人の著作の、自分にとって都合の良い部分だけをつまみ食いすることで生計を立てて久しいから、他者の主張の内容に踏み込むという知的基礎能力を失ってしまったのですよ。いや、順序が逆か。もともと知的基礎能力を持ち合わせていないから、つまみ食い手法を選んだ、と言うことか。

原発維持は地球温暖化対策です。おっと、出ました、常套句


 2番目の小見出しは『核のごみ問題の解決が地球温暖化問題の解決に』とある。ここから記事はインタビュー形式になる。堀はダラダラ喋っているが、この小見出し該当部分の内容をこちらで勝手にまとめるとこうなる。

1、原発の廃棄物処理より、地球温暖化の方がより深刻な問題である。
2、原発を停止すれば、地球温暖化がさらに進む。
3、原発の廃棄物は管理可能であり、その量は極めて少ない。
4、廃棄物処理場が決まらないのは、メディアと反原発派が邪魔をするためである。
5、自治体に任せず国が前面に立ってことに当たれ。

 原発を存続させる理由として地球温暖化を持ち出してくるのは、この堀に限らず原発推進派の常套句的論法である。しかしこの竹に木を接ぐような屁理屈を、うん、うん、と納得して聞くためには、生まれて以来育んできた常識的な感覚をすべて捨て去る必要がある。環境破壊という領域に入って論ずるなら、原発による環境汚染もダメならば、地球温暖化もダメ、なのである。地球環境を損なうものはすべてダメ、という原理・原則に徹するから、環境保護という立場(理論の手前にあるもの)がスッキリとしたものになる。これが我々の常識的感覚である。
 そこへ、地球温暖化を防止するために原発は存続させるべきである、と奇妙に捻れた理屈を持ち出されてくると、我々の感覚は「これは変な理屈だ、裏があるな」と直感的に反応する。放射能廃棄物にさえ鈍感な連中が、地球温暖化などに危機感など抱くはずがない! 常識的感覚が疑似科学的屁理屈のウソをとっさに見抜いているのである。

 原発が地球温暖化の防止に有効だ、という理屈の根拠は「原発は石化燃料を燃やさないから二酸化炭素を出さない」という一点に尽きる。これを述べるだけで、原発推進派はすべての論証が終わったような顔をする。誤魔化してはいけない。この説は、前段(A)と後段(B)とから成りたっているが、前と後ろの間には千里の隔たりがある。

 A;「原発は石化燃料を燃やさない」というのは原発の一属性を述べたに過ぎない。だが、
 B;「原発稼働が地球温暖化防止に有効であるかどうか」は地学・気象学の問題である。

 (A)から(B)は導きだせない。 (A)はその通りなんだろうが、(B)をきちんと検証した気象学者など一人もいない。ときおり、怪しげな図表やグラフを掲げて、原発稼働が地球温暖化防止に有効であるかのような印象を醸成しようとする御用学者の論説に出くわすが、それらは一瞥しただけで、希望的予測値を作文したにすぎないことが分かる。

堀さん、それなら聞きますがね


 原発は石化燃料を燃やさないから二酸化炭素を出さないと言うが、原料の採掘から精製、原発設備の建設・稼働・維持・廃炉、汚染廃棄物の処理・保管などの全過程において、一体どれほどの二酸化炭素を排出するのだろう。真面目に計算している例を見たことがない。「無視して良いほどの微量」であるはずがない。言わないことに決めているのだろうか。
 そもそも温暖化というのなら、原発稼働そのものが排出する熱量は考慮に入れられているのだろうか。原子炉で発生する熱量の30%程度しか発電には利用されていないと聞く。原発からの温排水
が海の環境に多大のダメージを与えていることは、どの原発からも報告されている。
 人的営為によって排出される二酸化炭素の総量のうち、何%が石化燃料の燃焼によるもので、そのうち何%が発電によって消費されているのか。発電総量のうち何%が原発によるものなのか。何%が再生可能エネルギーへの転換が可能なのか。これらをすべて考慮にいれて、今停止している原発を再稼働させることで、人的営為による二酸化炭素排出の何%が低減できるのか。
 はい、はい、お答えします、データーありますよ、などとしゃしゃり出てくる輩が沢山いるだろうが、そんなもの所轄分野の広報に使った単一指標だけの数値じゃないか。中味をみれば、石化燃料の出荷先別による想定であったり、多少 "科学的" を装うものだって、教科書に載っている物理学の "定数" に、仮定・推定で適当にあつらえた "係数" を掛け算しただけのものである。何十個並べたって、原発再稼働による二酸化炭素低減量を算定することは出来ない。

 地球を取り巻く熱量の総体は、その部分・部分が熱の吸収と放出を繰り返しながら流動し、昼夜の1日、春夏秋冬の1年、太陽活動周期の11年、等の重なり合う循環を持ち、全体として言わば一つの巨大な "生態系" を形成している。より長期の時間軸でみれば氷期と間氷期の繰り返しがあると言う。そこまで時間軸を拡大すれば科学的分析どころか空想力さえ追いつかないので、さしあたり時間枠を現在(地質学的に言えば現在は "第四紀" にあたるのだそうだ)に固定したとしても、この "生態系" を全体的・包括的に解き明かしたようなモデルはいまだ存在しない。ましてやそれを観測や実験で実証することなど出来ない。あるのは学者の数だけ存在する仮説モデルと、そのモデルと矛盾しないというだけの一片切除的観測データである。
 端的に言えば、地球温暖化と言われているものも仮説の域を出ない。地球が温暖化に向かっているのか、本当の所は良く分からない。大勢は、本当なんだろう、といった気分に傾いているようだが、嘘だという学者もいるし、それどころか寒冷化に向かうことのほうが恐ろしいという学者もいる。だが実験して確かめるなんてことが出来ない以上、とにかく緑地化を進め石化燃料の消費を減らして大気中の二酸化炭素濃度を減らす努力はすべきだろうから、とりあえず地球温暖化という概念は否定しないでおこう。これが常識的な感覚が認めている地球温暖化の概念ではないのか。

原発か、さもなくば温暖化か、は悪魔の選択


 つまり「原発再稼働を認めるのか、それとも、地球温暖化を容認するのか」というような二者択一は成立しえないのである。そんなものは悪魔の選択である。

 原発事故による放射能と汚染物質の拡散、広大な土地の廃墟化、生命の危機、健康被害、遅遅として進まぬ核廃棄物や汚染物質の処理、原発再稼働による汚染スパイラルの再生産。これらは「今ここにある危機」なのである。どんなことがあっても回避しなければならない危機であり、絶対に再生産してはならない危機である。
 福島沖で捕獲した魚から、基準値を超える程の高いセシウムが検出された。
 東京都内の32カ所で、放射性物質による土壌汚染が国の指定基準を超えている。
 福島第一原発の事故処理員のうち、170人が被ばく線量が法定上限を超た。
 福島では子供の健康診断で、甲状腺癌が100人以上発見された。
  …… ……
 具体例をあげるのも気が重い。事故処理で働く人たちや、発病された子供たちには、かける言葉さえ思いつかない。

 一方、地球温暖化など目下のところ一仮説に過ぎない。
 堀は「気温上昇は台風の巨大化も誘発しているとされており、何千人もの死者を出す惨事にもなっています」などとほざいているが(しかもこれが、地球温暖化のもたらす脅威として、堀が持ち出す唯一の例である)、近年台風が強大化したなどというのは、気象観測の密度・精度が上がったことと、ニュースが視覚的・扇情的になったことから来る「創られたイメージ」でしかない。ずっと以前、温暖化が云々される前の、室戸台風(1934年)とか伊勢湾台風(1959年)だって「何千人もの死者」を出したのだ。これは颱風という自然の猛威と治水という人的営為の力関係の問題であり、地球温暖化との因果関係を見出すことは難しく、ましてや原発再稼働とは何の関係もない。

 どうですか、原発再稼働か、地球温暖化容認か、などという二者択一は成立しないでしょう?
 でもね、こんな戯言をぬけぬけと気持ちよく喋って平気なのは、堀くん、君が
(A);初歩的な歴史認識も持たずテレビの映像イメージだけで物事を判断する人間であるからか、(B);とにかく原発再稼働に有利な発言をしたいという「結果が先にある」理屈をこねているからか、のどちらかである。
 どちらかね? これが二者択一というものだ。   


http://www.sankei.com/economy/news/151016/ecn1510160001-n1.html

◆◆地層処分は技術的に確立、不安の払拭と意義の共有が課題
◆ 環境・エネルギー問題全体を俯瞰した冷静な国民的議論を
 国は、今年7月、2030年度におけるエネルギーミックス(電源構成)の見通しの中で原子力発電の割合を20〜22%程度と明記し、今後も活用していく方針を示した。エネルギー安定供給、経済性、地球温暖化対策などの面で、引き続き原発は必要との評価だ。こうした中、原子力発電の利用に当たり、使用済燃料に由来する高レベル放射性廃棄物の処分にも関心が集まっている。この問題をどう考えれば良いのか。グロービス経営大学院学長で、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナーの堀義人氏に、国際環境経済研究所理事の松本真由美氏が聞いた。
◆ 核のごみ問題の解決が地球温暖化問題の解決に
 松本 日本では半世紀近くにわたり原子力発電を利用してきました。それに伴い、高レベル放射性廃棄物の最終処分という問題が生じているわけですが、堀さんはこの問題をどのようにお考えでしょうか。
 堀 ものごとは全体を俯瞰して考える必要があります。最終処分に道筋がついていない原子力発電所のことを『トイレなきマンション』と批判する方もいますが、私は二酸化炭素(CO2)を生む化石燃料利用こそが『トイレなきマンション』状態にあると思っています。今、世界の一番の脅威は地球温暖化です。化石燃料を燃やすことによって温室効果ガスの一つであるCО2が排出されて気温が上昇し、南極の氷河が溶けて海面上昇が起きています。気温上昇は台風の巨大化も誘発しているとされており、何千人もの死者を出す惨事にもなっています。原子力は確かに使用済燃料が出てきますが、きちんと管理することが十分可能であり、実際に世界中でそうなっています。そして、その量は、非常に小さなものなのです。「行き場のないごみ」と揶揄する方もいますが、管理や処分に必要とされる面積は、ほんの小さなものです。国民1人が一生の間に利用する電気に伴う高レベル放射性廃棄物は、ゴルフボール3個分程度のものでしかありません。原子力の利用を今やめれば、地球温暖化はさらに進行し、被害はより深刻化していくでしょう。そういった危機意識を、日本国民のみならず世界中の人たちが認識すべきだと思います。
 松本 地球全体の問題の解決策であり、廃棄物の問題だけで原子力を止める必要はないとお考えなのですね。廃棄物については、いずれにしてもすでに存在しているものであり、処分場を確保する必要があり、私たちがしっかり向き合って解決していかなければならないわけですよね。
 堀 原子力の恩恵を受けてきた私たちの世代で解決すべきことですし、解決できると思っています。原子力という有用な技術もしっかりと引き継ぎ、かつ、廃棄物の問題も解決していく。それが将来世代との関係で必要なことでしょう。
 松本 処分の方法としては、地下深くの安定した地層に埋設して処分する「地層処分」が、確実性や実現可能性の高い方法として国際的な共通認識とされていますが、この地層処分について、どのような見解をお持ちですか。
 堀 環境主義者として知られる英国の科学者、ジェームス・ラブロック氏は、高レベル放射性廃棄物を「自分の庭に埋めていいくらいだ」と言っています。地層処分の安全性や合理性を示すために、こうした発言をしたわけです。地層処分の技術的成立性は科学的にかつ国際的に検証済みです。ただ、そのことと、国民の不安を解消し理解を得ることとは同じではありません。科学的に大丈夫であっても、漠然とした不安が人々にはあります。このあたりをどうするか。地層処分は方法論としては確立していますが、問題の本質は政治的なものだと私は思います。
 松本 政治的、といいますと。
 堀 ある地域が処分場を前向きに検討しているとの情報が出てくるたびに、メディアや原子力発電に反対する人たちが押し寄せ、せっかく前向きに考えようとしていた自治体や住民の方々がしり込みをしてしまうことが何回か繰り返されてきました。こうした部分について、自治体などを矢面に立たせておくのではなく、国がしっかりと前面に立って、その地域や周辺地域の人々にきちんと説明し、地域の将来像を一緒に考えていくことが重要だと思っています。
◆ 国が前面に立った「科学的有望地」の提示に期待
 松本 最終処分は各国にとっても難しい問題であり、現在、処分地が決定している国はフィンランドとスウェーデンだけです。日本ではこれまで、自治体に立候補してもらい、国は受け身の立場でしたが、今年5月に政策を変更し、国が前面に立って、科学的により適性が高い地域、つまり「科学的有望地」を提示し、国民的議論の契機にしていく考えを表明していますね。
 堀 期待したいです。ただ、国が科学的有望地を提示すれば、それがどれだけ「検討の参考材料」のようなものだとしても、抵抗が起こる可能性があります。その際に、強力な“推進力”となるものが必要です。その一つが、この廃棄物の処分が進めば、地球温暖化問題も解決に近づく、ということへの国民の共通理解だと思います。ある地域が国家的な課題を引き受ける場合には、その地元の方々の理解はもちろん、国民的な理解を得ることがすごく重要になってくるでしょう。地元の方々が心の中では賛成でも、地元以外の人たちによる反対運動が活発化して大騒動になると、ほっといてくれ、静かにしておいてくれ、となってしまいます。調査を受け入れようとする地域が出てきた場合に、そのほかの地域の多くの人たちが拍手を送るような状況になるよう、国民的な議論の喚起が不可欠だと思います。
◆ 将来世代のためにいま何をすべきか考え、声を上げていくことが重要
 松本 私は、全国各地のシンポジウムで議事進行役を務めることがありますが、多くの方々が地層処分に反対という会場もある一方で、この問題を自分の事として冷静に考えなければいけないと思っている方たちが比較的多くいらっしゃる会場もあります。
 堀 原子力発電に絡む問題として、高レベル放射性廃棄物の最終処分をどう考えますか―とそこだけを切り取って聞くと、多くの方々は問題だ、難しい、だから原発も反対だ、となってしまいがちです。しかし、この問題が解決しなければ、もっと大きな脅威がある、ということまで合わせて議論すると、前向きに解決していこうという方々が増えてきます。そうした全体論で考えることが大切です。
 松本 堀さんは各界のリーダー的な方々ともお付き合いがあります。そうした方々はオピニオンリーダーとして発信力もありますし、影響力もあると思うのですが、最終処分の問題に関して各界のリーダーに何を求めますか。
 堀 見識のあるオピニオンリーダーがこの問題についてしっかり考え、何が一番重要なのかを考え、逃げないで声を上げていくことが重要です。これは財界や学会の方々、そして政治家の方々も含め、ポピュリスト(大衆主義者)的に動くのではなく、100年後、200年後、500年後の将来世代のためにも、いま何をすべきか考え、声を上げていくことが重要だと思います。
 松本 国とNUMOは、国民や地域の理解を得ながら最終処分問題の解決を進めていこうとしています。期待することは何でしょうか。
 堀 常に発信し、可能な限り多くの人を巻き込んでいくことが大切です。一番良くないのは黙ってしまうことです。私はソーシャルメディアが重要だと思っていますので、ツイッターやフェイスブックなどを活用したコミュニケーションをもっと多くやっていいと思います。特に主婦層を含めた女性がコミュニケーションしやすい方法で、なぜ最終処分が重要なのかを地道に発信していけば、必ず世論が変わってくると思います。
 松本 ビジネスマン層、高齢者層、そして主婦層、さまざまな対象の方がいらっしゃいますので、それぞれの層のご意見や質問にも応える形で、双方向のコミュニケーション活動を続けていく、こうした活動を積み上げていき、信頼を醸成していくことが大切ですね。本日はありがとうございました。


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 −−【その2】了−− 原発推進論 ーー 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 目次へ