ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。





私たちの日常会話は無自覚なものです。ほとんど無意識に喋っています。しかし社会の中で何かのテーマについて語ろうとすると、何がしかの「構え」を取ります。その例を、映画『チャイナ・シンドローム』で確かめてみます。





原発の取材に来たキンバリーは「エネルギー補給上最高に効率的な」と言うべきところを「最高に利己的な」と言い間違えます。普段の取材と違って使う言葉がむつかしい。それに原発のレポートと言うことで少し緊張しているのです。



「燃料に使うウラン・ペレットの模型です」と広報官。ガムかキャンディーのように取り出して、皆に見せます。



模型とは分かっていても、指先でおそるおそるつまむキンバリー。



「ウラニウムか、原爆の原料だろ、説明はなかったがね、次の部屋は放射能の雨だぜ、ペレットを飲んでみろよ」とキンバリーをからかうリチャード。



リチャードはふざけて模型を口に含みます。彼は、ウラン・ペレットの模型が登場したこと自体に、違和感を感じているのです。広報官がそれを指でつまんで説明をするとき、実際のウラン・ペレットの危険性が緩和されたイメージが醸成されていることを、見抜いているのです。
キンバリーは「取材にきたのよ(広報官と)と仲良くしてね」とリチャードをたしなめます。この時点では、彼女は取材を成功させることだけを考えています。原発に関しては「世間一般で言われている有用性」と「ごく当たり前の恐怖感」の両方を感じています。



映画は、ウラン・ペレットの模型という(超小型の)小道具一つで、三人の立場・思想性・相手に向かう「構え」を見事に描き分けてみせます。
 
私が、この堀という中年男に嫌悪感をいだくのは、この「構え」が見えてこないからです。正体不明のものは気味が悪い。彼は、聞き手にどんな人を想定しているのか、何を訴えたいのか、そもそも本気で訴えたいのか、そのあたりが想像できない。






写真【A】

これが70,000ヶ所ある。


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 原発推進論 −− 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 その3
                    (平成28年4月8日)


リアリティが完璧に欠如した放射能汚染論


 堀義人という中年男の原発推進論を批判している。
 前回は、地球温暖化を防止するために原発は存続させるべきである、という奇妙に捻れた理屈を批判した。今回は、原発の廃棄物は管理可能でありその量は極めて少ない、という妄言を取りあげる。堀は言う、

  …… 原子力は確かに使用済燃料が出てきますが、きちんと管理することが十分可能であり、実際に世界中でそうなっています。そして、その量は、非常に小さなものなのです。「行き場のないごみ」と揶揄する方もいますが、管理や処分に必要とされる面積は、ほんの小さなものです。国民1人が一生の間に利用する電気に伴う高レベル放射性廃棄物は、ゴルフボール3個分程度のものでしかありません。 ……
  …… 環境主義者として知られる英国の科学者、ジェームス・ラブロック氏は、高レベル放射性廃棄物を「自分の庭に埋めていいくらいだ」と言っています。地層処分の安全性や合理性を示すために、こうした発言をしたわけです。地層処分の技術的成立性は科学的にかつ国際的に検証済みです。ただ、そのことと、国民の不安を解消し理解を得ることとは同じではありません。科学的に大丈夫であっても、漠然とした不安が人々にはあります。このあたりをどうするか。地層処分は方法論としては確立していますが、問題の本質は政治的なものだと私は思います。……

 こういう文章を前にすると、きちんと批判しようとする当方の意志力がみるみる失せていくのを感じる。相手の人格に対する嫌悪感が先に立ってしまうからだ。
 この男には原発とか放射能汚染とかに関わるリアリティが完璧に欠如している。今こうしている間にも放射能汚染によって塗炭の苦しみをなめる幾多の人々がいる。重篤な病に侵された人、自分の家や田畑を失い立ち戻ることさえできぬ人、汚染や風評により生業が成りたたなくなった人、一家の離散、地域社会の崩壊、我が身を危険にさらしながら汚染現場で働く人。誰だって、放射能汚染について語るなら、もし自分の発言をこの人たちが聞いたらどう思うだろうか、と考える。当然言葉使いには気を遣う。聞く人の神経を逆撫でするようなモノの言い方をしてはならない。どうしても際どい表現をするしかないのなら、そう主張したい自分の意志力を強く表現する。聞いてください、理解してください、私は真剣なのです、となりふり構わず必死で喋る。なぜなら放射能汚染の渦中にある人たちの心に届かないならば、放射能汚染について語ることなど何の意味もないからである。それがリアリティというものだ。

 しかるに、この堀という中年男のものの言いようはどうだろう。
 原発による汚染のリアリティを「使用済燃料の管理」の講釈に平然と置き換えている。これ自体がペテンである。しかもその内容たるや「高レベル放射性廃棄物のガラス固化と地層処理」という質の悪いおとぎ話である。またしてもペテンである。堀は「実際に世界中でそうなっています」というが、目下のところ地層処理を実行しているような国は世界に一つもない。先端を行くフィンランドでさえ、オルキルオトの地層処分施設の操業開始を2022年に設定した、というレベルである(注1)。さらに堀は「地層処分は方法論としては確立していますが、問題の本質は政治的なものだ」とウソを重ねる。やれば出来るのだが、出来ないのは「メディアや原子力発電に反対する人たちが押し寄せ」てくるからだ、と。何とまあ、ペテンの三連発である。

(注1)『諸外国における高レベル放射性廃棄物の処分について』(2015年版)より
   【発行】経済産業省 資源エネルギー庁
   【制作】公益財団法人 原子力環境整備促進・資金管理センター
 原子力村の住人たちは、実質的な仕事は何もせずに、このような色刷りパンフレットばかり制作して税金を浪費している。ググってみると、コピペしまくったパンフレット類がわんさか出て参ります。腹立ちまっせ、ほんま。


放射能汚染の現実を語れ


 左下の写真【A】を見ていただきたい。大きな黒い袋が道路わきに積み上げられている。中味は汚染された土壌や瓦礫である。福島県内にはこのような放射性廃棄物の仮置き場が70,000ヶ所以上あるという(注2)。これが現実である。放射能汚染について語るなら、まずこれを語れ。現実化するはずもない絵空事にうつつを抜かすことを止め、今ここにある困難を語れ。
 この現実は、堀が得々として喋っている、使用済核燃料という「高レベル放射性廃棄物」処理の問題とはさしあたって無関係である。原発の通常運転とか廃炉工程から出る「低レベル放射性廃棄物」の処理とも無関係である。これらは今の日本が抱える未解決の大問題であるが、この難題を招来させた者どもが責任をもって解決すべきことである。被災者に向かって垂れるべき説教ではないはずだ。
 今、被災者を苦しめているのは、すでに襲来した悲劇である。しかも人為的災害である。「きちんと管理」されていたはずの稼働中原発3基が、「想定外の出来事」によって呆気なく炉心溶融を起し多量の放射能を噴出させた。その結果がこの70,000ヶ所の仮置き場なのだ。これで放射能汚染が無くなったわけではない。はたして何処まで効果があるのか分からない。しかし何か手を打たねばならない。祈る気持ちで行われた作業だったと思う。その「除染」した分をやむを得ず置いてあるだけだ。
 「きちんと管理すること」で安全を確保するという教条的お伽噺が崩壊してこの現実となった。その現実に向かって、堀は「きちんと管理」すれば良いと言っている。何たる論理の循環。
 堀よ、「自分の庭に埋めていいくらいだ」という台詞に賛同するのなら、トラックでもレンタルして(お前の年なら、普通免許で4トンまで乗れるはずだ)袋の10本でも持って帰れ。埋めるなり、ばら撒くなり、お前の好きな様にしろ。お前たち風の分類をするなら、この袋など「超低レベル汚染物」のカテゴリーに分類されるはずだ。数年もすれば「身体にまったく影響のないレベル」になるんだろ? 
(注2) 『星の金貨プロジェクト』さんのページより転用 http://kobajun.chips.jp/?p=22672

 堀だけではない。すべての原発推進論者にもう一度言っておく。「きちんと管理する」という言葉を便利に使うな。安倍晋三はかって国会で原発のバックアップ電源の不備を指摘されながら、経済産業省と原子力安全委員会が「きちんと管理」しているから大丈夫、と質問者を一蹴している。「きちんと管理」とは「現場にまかせている、現場ががんばる」と同義である。かたや現場の方は、ルーティン・ワークで対応できない事態になると「マニュアルがない」と平気で言いだす。数年たってから「マニュアルがあるのを忘れていた」と言いだす場合もある。つまりこれは、がんばれば何だって出来るという最悪の精神論と、他者に責任を転嫁するための自己免罪論の複合物でしかない。

世論操作のための創作イメージ


 このように堀が、放射能汚染の現実に対して、絶対に成立し得ない理屈を申したてて平気なのは何故か? 理由は明白である。 放射能汚染のことなど真剣に考えたことがないからである。官僚支配と現政権の政策におもねることで保守派の論客であると偽装し、自分とその組織に箔を付けたいがためである。実際「安倍一族」にはろくな学者も評論家もいない。その一隅を占めるのはたやすいと踏んだのだろう。失礼なことを言うな、根拠があるのか、だと? お喋りのお粗末さがその証明である。
 「国民1人が一生の間に利用する電気に伴う高レベル放射性廃棄物は、ゴルフボール3個分程度」には笑ってしまう。ジェームス・ラブロック氏が言ったのか、『NUMO』の下っ端が言ったのかは知らぬが、これって科学的な論説のスタイルではありませんね。世論操作のための創作イメージそのものじゃないですか。堀は聞いた通りを繰り返している。よほど操られやすい性格なんだろう。
 私、ちょっと計算してみました。ゴルフボールの直径を43ミリ、日本の人口を1億3000万、と
すると、総容積は約16,380立米。何と、50メートル・プールの15杯分だ! これをガラス原料といっしょに高温で溶かしてステンレス製の容器(キャニスターというらしい)に入れるから容積はさらに増える。それを30〜50年間冷却し続けて放射線量を減らしてから、地下300メートルの地下に埋める。これって、そんなに簡単なことですか? 「管理や処分に必要とされる面積は、ほんの小さなものです」なんて涼しい顔で言えることか?
 そもそも、使用済み核燃料をこの「ゴルフボール3個分」に凝縮するって、誰がするの? 何処でするの? 少しずつイギリスとフランスに運んでやって貰っている、というのが現状でしょう。今、手元には2010年の資料しかないのだけれど、それによると、その時点でキャニスターへの封入が済んだのは僅か1,700本。2010年までに発生した使用済み核燃料を全部処理すればキャニスター24,100本分になり、2021年には40,000本程度になる、と言う。これ「原子力村」の中核にいる『電器事業連合会』のデータで喋ってます。原発反対派がアナフィラキシー発作を起こして大げさに叫んでいるデータではありません。念のため。

またも出ました、民主主義の根本否定


 引用部分の最後で、堀は「地層処分は方法論としては確立していますが、問題の本質は政治的なものだと私は思います」と言う。質問者が「政治的、といいますと?」と尋ねるのにこう答える。

…… ある地域が処分場を前向きに検討しているとの情報が出てくるたびに、メディアや原子力発電に反対する人たちが押し寄せ、せっかく前向きに考えようとしていた自治体や住民の方々がしり込みをしてしまうことが何回か繰り返されてきました。こうした部分について、自治体などを矢面に立たせておくのではなく、国がしっかりと前面に立って、その地域や周辺地域の人々にきちんと説明し、地域の将来像を一緒に考えていくことが重要だと思っています。 ……

 前々回に指摘した関経連のお歴々がそうであったように、マスコミの表面に出てくる原発推進派の亡者どもは「言ってはならぬこと」を平気で言う。かっての石原慎太郎もそうであったが、彼の場合は「言ってはならぬことをあえて言って、大向うをうならせる」という確信犯的な意図が含まれていたように思うが、昨今の原発推進派はそうではない。自分が言ってはならぬことを喋っている、ということに全く気付いていない。自分の立場と喋っている内容の両方に無自覚である。ここまで人格と意味を喪失した言葉は、読み手側でどんなに意味の補填を行っても、読み下していくことが困難である。 批判のしようもない。どこから手を付ければ良いやら …… 、

 「ある地域が処分場を前向きに検討しているとの情報が出てくるたびに、メディアや原子力発電に反対する人たちが押し寄せ」なんて、一体どういう意味? 胡散臭いぞ。
 「ある町役場が処分場の誘致を検討した。その計画を知った地元住民が町長と町議会に説明を求めた」という文章なら理解できる。しかるに「ある町役場」を「ある地域」と意味増殖させ、その一方で、「地域住民」を「役場に押しかける暴徒」と矮小特殊化させる。これによって、「ある町役場」は一般的で常識的なのだが、「地域住民の一部」が非常識なカルト集団である、というイメージが捏造される。古くさくて汚い手口だ。
 しかし、どんなに言い回しに小細工を加えたところで、「メディアは政府や行政の批判をするな、国民は黙っていろ、署名運動・請願・デモをするな、ビラを配るな、本を書くな、ネットに記事を載せるな」と言っている事実には変わりはない。ダメを押すのもはばかれるが、これは「表現の自由」とか「基本的人権の保障」とかに触れる発言ですよ。つまり憲法違反なのだ。 お前ら「憲法」という言葉を聞くだけで「アレルギー反応」を起こすようだが、その原因は、戦後の日本がどの様にして民主主義の理念を育ててきたのかという歴史的事実に、無知なだけである。いや、無知を装っているだけか? 確かに、いい年をしたオッサンだろ、お前たち。

 「せっかく前向きに考えようとしていた自治体や住民の方々がしり込みをしてしまう」だと?  「前向きに考え」ているのなら、誰が何と言おうと自分の意見はしっかりと主張できるはずだ。「しり込みを」するヘタレの方を叱れ。いや、その前に、ここで言うような事実が本当にあったのか? 核廃棄物処理場を「おらが村」に招致しようなんて言う「住民の方々」なんて何処にいたんだ? いるとすれば、穴掘りの仕事があると喜んだ土建屋さんぐらいじゃないの。廃棄物処理場を、新しい公共事業の一つ、ぐらいに考えている人たちじゃないの。

 「その地域や周辺地域の人々にきちんと説明し、地域の将来像を一緒に考えていく」なんて、安倍の言い回しと一緒だ。「オレはきちんと説明した、理解しない奴は非国民だ」という恫喝を言外に含んでいる。「一緒に考え」るというのは「おれと同じように考えろ、第二案は無いぞ」ということだ。だから「国がしっかりと前面に立」つ必要があるのだ。「国家権力よ、暴力装置としての本性を現したまへ」という呪文である。
「きちんと説明」されたって「一緒に考え」たって、駄目なモノは駄目。ホーム・ルーム風に甘く偽装した建前論は、安倍本人がその幻想を潰しにかかっているではないか。あの醜悪な国会中継を思い出せ。

 ここまで書いてきて、ああ、今回も不毛だったな、と嘆息する。不誠実な人格を批判したって、得るものは何もない。噴出してきた低品位の怒りをどう処理したものか。でも、書くことを止めるわけにはいかぬ。次世代にツケを回すわけにはいかない。

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 −−【その3】了−− 原発推進論 ーー 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 目次へ