ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。





ネットで見つかるのは、個人のサイトに貼り付けてある紙面の切り抜きだけである。
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朝日新聞(2013/11/13)


東京新聞(2013/11/13)


朝日新聞(2015/9/1)


毎日新聞(2015/9/1)

















スフィンクスとオイディプス
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前480-470頃



ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル (1808)



ギュスターヴ・モロー(1864)



オノレ・ドーミエ(1879)

















ヤルタ三人衆



連合艦隊司令長官 山本五十六



東京裁判における東条英機

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原発推進論 −− 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 その6
                   (平成28年5月10日)


放射線被曝に関する記事が抹消されている!

 記事を書くのに、新聞社のホームページに転載された記事の引用から始める、というやり方をよくする。新聞社は、そうとう過去のものまで含めて、たくさんの記事をホームページに転載している。それらを閲覧してゆけば、あやふやになりかけている出来事のディテールが確認できるし、適当なものが見つかれば、それがそのまま書こうとするテーマの概要になる。多少なりとも記者の "意識が" 感じられる場合などは、それに賛同するにせよ反対するにせよ、さあ書こう、という気持ちに弾みがつく。
 ところが前回、放射線被曝量について書こうとして気付いたことがある。こと「放射線被曝量」に関するかぎり、アップされたはずの記事がことごとく抹消されているのである。検索結果からたどっていっても、全く別の記事が出現したり、ページが見つかりませんでした、と表示されたりする。検索用語を色々と変えてみても同じことだ。新聞記事はまったく見つからない。何とか「年間20ミリシーベルト以下なら健康に影響なし」とした原子力規制委員会の提言に関わる記事を見つけたが、これは『真実を探すブログ』さんのページにコピーされていたからである。元のサンケイのサイトにリンクが貼ってあるが、リンク切れになっている。同じページには毎日新聞の記事へのリンクもあるが、これも同様である。【注1】
  【注1】http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1170.html
 
 一体何が起こっているのか?
 ジャーナリズムにおいては、記事内容に誤りがあったとか、不適切な表現を含んでいたとかで、後に訂正記事やお詫びの文面が出ることがある。ホームページに転載したものは、そっと削除される場合もあるかもしれない。しかしこれは違うだろう。政治的な「配慮」が丸見えだ。
 原子力規制委員会とは環境省の一組織である。件の提言はその公式見解のはずである。それも我々が固唾を呑んで見守ってきた「生死に関わる」最重要の案件である。定例の記者会見で羅列されるような末梢的一項目ではないのだ。しかも後になってから、あの見解は間違っていましたと、訂正されたものでもない。原子力規制委員会のホームページにダラダラと連載されている記者会見を見れば分かる様に、委員会は(つまり政府は)いまだにあの提言内容を握りしめたまま死守しようとしているじゃないか。それを伝えたはずの大手新聞社の記事がすべて閲覧不能となっている。これは一体どういうことか? 
 フクシマにおける甲状腺癌の発生に関する記事も同様である。『福島県県民健康調査検討委員会』の調査報告とか、『311甲状腺がん家族の会』が設立されたとか、今年になってからの記事はちらほら散見されるが、それ以前の記事は全滅である。検討委員会からの報告と見解は、確か2012年から何度も報道されていたはずである。
 

現実はここまで来ている 報道自由度の低下


 国家レベルの重大な出来事に対して自分なりの認識を持とうとするとき、先ずは政府・地方行政府・所轄機関等の公式の見解を待つ。次はそれをジャーナリズムがどの様に評価して報道するかを見る。他者の様々な意見を求めるのはその次である。個々人のイデオロギーがどの様なものであれ、これが順序である。市民社会がごく萌芽的にでも形成されていれば当たり前のことだ。我々は明治の始めからずっとそうしてきた。はなからタブロイド紙とかネット上のブログ・2チャンネルの記事に頼らねばならぬのなら、辻説法と瓦版の時代に逆戻りすることになる。
 熊本大震災の直後、国営放送のモミィーという木偶人形もどきが何処やらで「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と指示していたそうな。【注2】 現実はモミィーの発言よりさらに先まで行っている。「放射線被曝量」に関して言えば「公式発表」すら隠蔽しようとしているのだ。
  【注2】http://mainichi.jp/articles/20160423/k00/00m/040/126000c

 この相変わらずのモミィー発言は、度し難いまでの(しかし権力の側に立つ人たちに、いつの時代にも普遍的に存在した)大衆蔑視思想であるが、今という時期において看過できないのは、彼が何も分からぬまま演じているこの茶番が、時代を極めて悪い方向へ導くために機能しているからである。つまり、ごく常識的な発言をしているという風を装いながら(おそらく本人もそう思っているに違いない)、ジャーナリズムと大衆を現実から遠ざけ悪しき政治的局面に引きずり込もうとしている。
 新聞各社も同じ事。なぜ大事な記事を抹消したのだ、と詰問されても、いいぇ、いいぇ、他意あってのことではありません、すべての記事をいつまでも残しておくわけにはいきません、順次削除していっただけです、などと澄まして答えるだろう。
 以前「世界報道自由度ランキング」が大きく下落したことや、国連の『表現の自由に関する特別報告』を蔑ろにしている、という記事を書いたが、ああ、ここまで来ているのか、と納得せざるを得ない。【注3】
  【注3】『「 …… が分かりました」で分かること − 自滅するジャーナリズム その2 』(平成28年2月27日)

何故原発について書くのか?


 私は今、原発推進派に対する批判を書き綴っているが、これは特定のイデオロギーが私を駆り立てているからではない。原発とは問題以前のこと(●●●●●●●)である、自分の生き死にそのものに関わることであると、本能と感覚が訴えるからである。フクシマから遠く離れた土地で生活していても、あの震災と事故の後はまこと寝起きが悪い。飯を食っていても、犬と田舎道を歩いていても、モーツァルトのCDを回していても、フクシマの汚染はどうなるのだろう、再稼働云々と騒がしい若狭湾はどうなるのだろう、という疑念が吹き出てきて暗澹たる気分に陥ってしまう。
 だから正しい情報が欲しい。なるほどまだまだ大変な状況だがきっと良くなる、希望を持って良いのだ、と思いたいのである。しかるに、国家権力とジャーナリズムが情報を独占し公開を阻んでいる。その責任者たるものが「住民の不安をいたずらにかき立てないよう」そうしているのだ、などとほざくのを聞くといたたまれない気持ちになる。自分の子がパンを求めるのに石を与える者があろうか、魚を求めるのに蛇を与える者があろうか、という言葉を思い出す。【注4】
 この場面で、パンを! 魚を! と強く主張するとどうなるか。以前、例題として取りあげた堀義人の台詞どおり「原子力発電に反対する人たちが押し寄せ」などと、たちまち "政治主義者" に仕立てあげられてしまうだろう。これは右翼もどきの常套手段で、こちらは原初の生存権的な立場(注5)からモノを言っているのに、お前たちは反日思想に侵されているから訳も分からぬまま反原発と叫ぶのだ、と汚い唾とともに嘲りを返してくる。よくよく注意していただきたい、人は「外部から思想を注入されて」行動するのだという発想は、先のモミィーと同じく大衆蔑視思想そのもである。自分が自立的思想のひとかけらさえ持たぬからといって、他人までそうだと勝手に決めつけるな。
 【注4】マタイによる福音書7章9節・10節
 (注5)日本国憲法 第25条〔国民の生存権、国の社会保障的義務〕
   1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


悪しき二者択一論の罠に嵌るな

 
 原発推進論者の批判も今回で6回目だ。読み返してみると、自分の思いとか考えがほとんど述べられていないことが分かる。徒労感が先に立つ。しかし、原発推進論者たちのほとんどすべてが、原発の現実を語らず、イエスか、ノーか、の悪しき二元論に我々を引きずり込もうとしているのだから、相手の土俵に踏み込めば当方の物言いも当然空疎にならざるを得ない。

 お前はイエスなのか?
 原発推進は国家的事業である。御上の言うことは謹んで拝聴しろ。何も考えるな。何も言うな。何も知ろうとするな。とにかく今夜は、大人しく寝ろ。よし、よし、良い子だ。

 それとも、ノーなのか?
 一平民の分際で国家的事業に邪魔立てするとは不届き千万。何だお前は、反日か、左翼か、キョーサントーか、過激派か。(これらの区別も付かないようだが …… )

 こんなモノはスフィンクスの問いと同じで、まともに答えようと努力するとこちらが食われてしまう。だから端的な超現実論をサッと投げ返して議論を終わらせるのが正しい。オイディプスのように、たった一言で、と言う訳にはいかぬが。

まとめ --- 原発再稼働 忌まわしい過去との類似性


1、 原子力利用とは、第二次大戦の末期、強大国の元首たちが最終兵器として核兵器の開発を競い合ったことから具体化したものである。戦後まもなく東西対立の冷戦構造に向かうなかで、核の平和利用という概念を米大統領アイゼンハワーが提唱する。これは、いち早くお宝を手に入れた先頭グループがお互いを牽制し合い、さらに二番手・三番手グループのお宝確保を妨げることを意図するまやかし(●●●●)を含んだものであった。抗争するヤクザ同士の一時的な手打ちのようなものだ。
 これにより、表立っての核兵器の製造は憚られるようになったのだが、その代わり原子炉・原発の開発競争が始まる。核兵器こそ持たないが、いつでも核兵器を作れる潜在能力があるのだと誇示するために。つまり「核抑止力の秘密兵站基地としての原発」という陣形だ。これは実質的には核兵器製造と同じ思想の上にあるから、他国に遅れをとることなく設置数を増やすことが至上命令となる。作ったは良いがその後はどうなるのか、どの様な問題を解決せねばならないのか、についてはまったく考慮が払われていなかった。
 これは、太平洋戦争の初期、日本軍が四方八方へ前線を拡大していた有様と酷似している。日本軍は、中国奥地・ビルマからインド・ニューギニアからオーストラリアにまで侵攻しようとした。仮にその地を武力的に制圧したとして、一体その後どうするのか? 占領後どの様な問題に取り組まねばならぬのか? これらの具体的な戦略・戦術がないまま猪突猛進が是とされた。出合い頭に相手をぶん殴ることが戦争、とでも錯覚していたのだろうか。

2、 原発の運営が始まって程なく、現場では、原子炉を維持していくことがどれだけ大変か、が認識されるようになる。さらに将来、原発を廃止するとなるとそれがどれだけ困難か、ということも見えてきた。今のうちに何とかせねば、と焦りまくった人たちが沢山いはずである。そりゃ、そうでしょう、日々吹き出てくる問題は現場が収めねばならぬのだから。
 ところが日本は世界に名立たる官僚支配国家である。原発運営は国家的事業であるから、すぐさま官僚支配のなかに組み込まれる。組織を作り、人員を配置し、法で守り、予算を獲得する。政府・官庁・民間・大学が一団となり「原子力村」化する。こういう組織の真骨頂は「今年行った通りのことを、少し増殖させて来年も行う」ことにある。権力を掌中に収めているにもかかわらず、方針・政策を変更する能力を持たない。自らの組織を廃止させるなど「あってはならないこと」なのだ。考えようによっては独裁政治より質がわるい。独裁者には実行力があるじゃないか。
 かくして、使用済み核燃料の再処理が一切進行していないことが象徴的に示すように、もっとも切実な問題に関しては、来年へ、また来年へと、先送りされ続けて来たのだ。
 これは、真珠湾攻撃の僅か半年後の昭和17年(1942年)6月、ミッドウェー海戦の敗北によって戦争の主導権を失ったにもかかわらず、さらにはその翌年、暗号文まであっさりと解読され連合艦隊司令長官山本五十六が撃墜死したにもかかわらず、方針に何の検討も加えることなく、戦場の兵士たちに延々と続く後退戦を強いたのと酷似している。

3、 こんな風に半世紀近くが経過して、ほとんどの原発が順次耐用年限を迎えることとなる。さてどうするのか。使用済み核燃料の再処理構想は破綻した、これ以上廃棄物の量を増やすわけにはいかない、遅きに失したが停止している原発はすべて廃炉とする、と言うより他はないのだ。小泉純一郎の言うように「日本の最高責任者である内閣総理大臣が、原発は止めます、と言えばよいだけ」なのだ。
 しかるに原子力村の住人たちは決してそうは言わない。安倍晋三も言わない。何故なら、廃炉作業に必要な技術力が不十分なことに加え、実際に取りかかれば積算不能なほどの膨大な日数と費用がかかることが分かっているからである。そのことが白日の下に晒されることが怖いのである。原発は安全だ、発電コストが安い、等々、吹聴してきたことが全部ウソであったことがばれてしまう。自分が組織の責任者である間だけは「廃炉」が具体化しては困るのである。だから「再稼働」させたいのだ。そうなれば「廃炉問題」が少しは先送りできる。
 繰りかえす。原発再稼働の隠された目的は「廃炉問題の先送り(●●●●●●●●)」である。誰もが、廃炉問題を切り出す役目を押しつけられたくない、と思っている。このオレが責任を取らされるのは嫌だ、恨みを買うのが嫌だ、とビビりまくっているのだ。
 これも太平洋戦争末期の状況と酷似している。昭和19年(1944年)11月から日本本土への空襲が激化する。グアム・サイパン・テニアンから飛び立てば、「B-29」による日本本土への往復が可能になったからである。同じ頃、勝負ありと見た連合国の首脳たちは、戦争終結へ向けての工作を具体化させる。ソ連の参戦も含めて、これらの情報は複数の外交ルートによって日本へもたらされていた。しかしこの期に及んでも、政府と軍の首脳たちの誰一人として「終戦」を言いださなかったのである。もしこの時に戦争を終わらせていたら、沖縄戦で20万人もの人たちが死ぬこともなかったし、日本の主要都市のことごとくが焦土と化すこともなかったし、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下もなかったのである。終戦後、東京裁判でその理由を聞かれた首脳たちは、あの時はそれが言い出せる状況ではなかった、と答えている。

 『日本会議』や安倍晋三は、ことあるごとに「伝統ある美しい日本の精神」みたいなことを言う。安心しろ、その神髄は純粋無垢なまま今日も健在だ。これが「誇りある日本」であるなら、「自虐史観」こそ我々が取るべき姿勢に相応しいと言えるのではなかろうか。

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 −−【その6】了−− 原発推進論 ーー 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 目次へ