ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。





戦争は殺人である、で思い出すのが『殺人狂時代』
Charles Chaplin(1947)

アンリ・ヴェルドゥが
処刑に向かう前の台詞がこれ。

一人の殺害は犯罪者を生み、
百万の殺害は英雄を生む。
数が殺人を神聖化する。

この台詞は、ベイルビー・ポーテューズの引用である、とされるが、前には前がある。

2500年前の墨子が、
ほぼ同じ言葉を残している。

人一人を殺せば死刑なのに、
なぜ百万人を殺した将軍が
勲章をもらうのか。

どんなに言葉を飾ろうとも、戦争とは人殺しのことである、つまり、軍事費とは人殺しのための予算である、という根本的事実は変わらない。

その言葉が「言葉狩り」の理由となるのなら、その可能性は次の二つしかない。
1、チャップリンも墨子も知らない不教養者であるか、
1、殺人という言葉からリアリティを喪失しているか、
この、いずれかである。















1960年(昭和35年)6月18日
国会議事堂前のデモ隊
下の朝日新聞の写真と同じ


千代田区隼町の空き地をうめつくしたデモ隊。現在の最高裁と国立劇場がある場所らしい。












第56代内閣総理大臣 岸信介
A級戦犯である。東条英機ら7名が処刑された翌日に(何故か)釈放される。
安倍晋三の母方祖父である。

6月15日、18日の2回、赤城に自衛隊の出撃命令を出した。


第61代内閣総理大臣 佐藤栄作
岸信介の実弟
この時は大蔵大臣。

決断出来ない赤城に苛ついて、
この腰抜け野郎と、罵倒した。


時の防衛庁長官 赤城宗徳

佐藤栄作に罵られて、
そこまで言うのやったら、
お前らの好きにせえや、
と責任放棄して逃亡。










当時の新聞紙面を2枚



  


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『改憲論』および『改憲論者』の徹底的批判 −− その2
                  (平成28年8月22日)


 前回は、参院選の結果をマスコミはどのように報道したか、という記事を書いた。実際には憲法に関する議論などほとんど行われていなかったのに、あたかもすべての政党が改憲・護憲の二手に分かれ、それぞれの憲法論を闘わせたかのように総括するのはミスリードである、大衆を教化するのでなく、AかBかの「愚者の二者択一」に追い込むものである、と批判した。改憲論の批判という標題を掲げながら、改憲論そのものには触れなかったわけだ。しかし初っぱなから脇道にそれたわけではない。改憲論そのものを俎上に載せなかったのは、ちゃんとした理由があってのことである。

改憲論をめぐる社会情勢、まずこれと闘わねばならない


 改憲論は昔からあった。
 その中身は昔も今もさほど変わりはない。批判するにもあたらない愚論・俗論である。中位の知的能力を持った平均的な日本人なら誰でも(言い換えれば、中学校で学ぶことを真面目に学んだ者なら誰でも)たやすくその正体を見通すことが出来る。出来の悪い絡繰りでしかない。それを信奉する心情は、歪んだまま凝り固まり成長することを止めた原初的ナショナリズムであり、使われている論法は子供の口喧嘩そのものである。同じ言葉の応酬を繰り返し、だんだんと声高となり、最後は泣きながら殴り合う。そのレベルの稚拙なものである。

 しかし、改憲論をめぐる社会的情勢は大きく変わった。
 以前と同じように、改憲論に出くわせば護憲論を対置しておけばよい、といった悠長な対応では済まなくなっている。一体、何が変わったのか?

 第一に、憲法を守る、とか、戦争に反対する、とか言う輩は、ただそれだけで嘲笑と攻撃の対象にしてよいのだ、という風潮が市民権を得たこと、である。

 第二に、愚直に憲法とか戦争を論じると、たちまち言葉狩りの網に搦め捕られる危険にさらされるようになったこと、である。

 だから、自説に力を持たせて訴求することを可能にするには、まずこの「改憲論をめぐる社会情勢」と闘わねばならない。この間の選挙で野党が負け続けているのは、この社会情勢の変化を見ようとしないからである。彼らには敵の所在や陣形がまったく見えていない。昔どおり、平和憲法を守ろう、とさえ叫べば、一定程度の支持者から拍手をもらえるのだと未だに信じている。仕切り線のどの位置に立つかを考え直さなければならない。一歩下がって、敵の正体を見定め、射程範囲を拡大する必要があるのだ。

 具体例に入ろう。『第一に』の、憲法を守るとか戦争に反対するとか言うだけで嘲笑の対象とされる、というポイントから。

『護憲論者』をあざ笑う者たちへ


 先日 "SEALDs" が解散した。さっそく、長谷川豊とかいう中年男がブログでそれを取り上げ、鼻先でせせら笑い、嘲りの言葉を吐きだしている。読む者の心から人を嘲る感情を引き出して、それを束ねて対象への攻撃に変えてゆく、いわゆる「ヘイト・スピーチ」と同質の文章である。チラ見するのも気分が悪いのだが、その冒頭を引用しておく。

 共産党と朝日グループが仕掛けたバカバカしい若者扇動騒動が終わりました。
 あ、新聞などで言われてる表現の方が分かりやすいです? じゃあ「SEALDs騒動」で。アホらしい。カッコつけてそういう表現をするのも私はあまり好きではありません。繰り返しますけれど、「共産・民進党と朝日グループが仕掛けたバカバカしい若者扇動騒動」が一番正確で分かりやすい表現だと思います。もしくは「サヨクバカ騒ぎ騒動」でもいいけど。
 若者たちには罪はないと思うんですよね。若者たちに知識がなく、大人に利用されるのは世の常。とは言え、見ていて気持ちのいいものではありませんでした。 (以下、略)
【註1】
  【註1】http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/ 
  長谷川は過去に同じブログで「日本では言論の弾圧なんてものは既に存在しない」「(言論弾圧があると主張する)人々の特徴は被害妄想が激しすぎるところ」と書いているらしい。


 2ちゃんねる投稿サイトに特徴的な、あまり本気で喋る気持ちもないんだけれど …… 、という風なナナメに構えた語り口が不快である。他者を批判するなら本気で批判したまえ、長谷川君。生真面目に、愚直に、行動するには勇気が要る。その勇気を持ち得なかったヘタレ野郎が、歩み出した人たちを、何の根拠もなく自分より下位に存在しているとみなして見下し嘲ってみせる。これが、一歩踏み出す勇気を持ち得なかったヘタレ野郎にとっては、唯一の自己確認(アイデンティティ)となっている。君の嘲笑が、劣等感と敗北感の裏返し的表現なのはちょんバレなんだよ、長谷川君。
 それにしても「若者」に媚びた「話し言葉」の何と気持ち悪いことか。「煽動された一部の若者」を嘲笑の標的にして「大多数のバカな若者」に躙り寄っている。それに本人が気付いていないことがもっと気持ち悪い。こう言う言い方をすれば受けるに相違ないと、信じ切っていることがさらに気持ち悪い。

 もし若者が未熟であると言うなら、私は、若者は未熟であるからこそ尊いのだ、と援護しよう。
 浮世の柵(しがらみ)に囚われることのない若者だから、浮世に対する憤りは純粋なものとなる。義憤という言葉があるではないか。だから妥協のないモノの言い方ができる。これを未熟であると退ける大人こそ「未熟な大人」である。彼らの発言と行動を、大人である自分たちに向けてのメッセージであると受け取れないとしたら「大人の成熟」とは一体何だ? 彼らの言葉と行動から逆に、教えられ、励まされて、衰えかけた視力でもう一度現実を見つめ直す機会を得る。これが大人というものだ。 
 長谷川は彼らの言葉を受領し吟味する能力を持たないのだろう、彼らの行動原理が理解できない。だから「共産党と朝日グループ」に煽動された、と解釈するしかないのだ。若者でありえた日々を、マスコミで出世することだけを考えて過ごしていたに相違ない。自身の「小欲」にのみ心を奪われ、世の中に一片の義憤も抱かなかった男の、あまりにも早い精神の劣化(これも2ちゃん用語だ)ぶりを見せつけられた思いがする。
 一年と少しの間だったが、"SEALDs"の活動の軌跡を冷静に見直せば、彼らが「共産党と朝日グループ」に煽動されて行動したのではないことがよく分かる。事実はまったく逆である。既成野党の方が "SEALDs" の行動に影響を受け、励まされていたではないか。たとえ不十分なものであっても、議席獲得という目的にはさほど有効に働かなかったとしても、参院選や東京都知事選で「野党共闘」が成立したのは、"SEALDs"(と、付け加えるならば石田純一氏の)功績である。この「野党共闘」の成立こそ、無限の後退戦を強いられている野党陣営にとっては唯一の救いであった、と言えるのではないか。

 まとめに入ろう。長谷川は、少しでも齢を重ねた年長者なら、自分より若い世代からのメッセージに対してどう向き合わねばならないのかという、基本的倫理を踏み外している。しかし、こんな「大人げない」発言をしているのに、ネット上には長谷川を窘める意見はまったく見当たらない。芸能人なら、ほんの些細なことであっても、不始末・不品行があれば「ブログ炎上」という事態になるのに。彼のブログには一塵の風も吹かず、彼の写真がニヤニヤ笑いを続けている。ちなみに、この長谷川という男、自分がよほどの男前だと思っているらしい。ブログのトップページには、彼のニヤニヤ笑いの写真が6枚も(!)掲載されている。まぁ、これも劣等感の裏返しなんでしょうが。

 次の具体例として、『第二に』の、愚直に憲法とか戦争を論じると、たちまち言葉狩りの網に搦め捕られる、という点について述べる。

言葉狩りに狂躁する者たちへ


 参院選のさなか、テレビの討論番組における、ある発言が標的にされた。

『朝日新聞 DIJITAL』 2016年6月28日
〔見出し〕共産・藤野政策委員長辞任「人殺すための予算」発言で
〔本文〕 共産党の藤野保史(やすふみ)政策委員長(46)は28日、防衛予算について「人を殺すための予算」と発言した責任を取り、政策委員長を辞任した。藤野氏は記者会見で「党の方針と異なる誤った発言で、結果として自衛隊のみなさんを傷つけたことを深く反省し、国民のみなさんに心からおわび申し上げる」と述べた。同委員長は当面、小池晃書記局長が兼任する。
 藤野氏は26日のNHKの討論番組で、防衛費が2016年度当初予算で5兆円を超えたことなどを指摘した際、「人を殺すための予算ではなく、人を支え、育てる予算を優先していく」と発言。同日夕には党広報部を通じて「不適切であり取り消す」との文書を出し、発言を撤回したが、自民、公明両党の批判の的となった。安倍晋三首相は26日、甲府市での演説で「自衛隊に対する最大の侮辱だ」と指摘した。公明の山口那津男代表は28日、新潟市の演説で「血も涙もない共産党に、人々の命や財産を任せるわけにはいかない」と指摘した。
  
http://www.asahi.com/articles/ASJ6X7GZTJ6XUTFK013.html

 暴力とは人を傷つけ殺めることである。軍隊とは国家がその使用権限を持つ暴力装置のことである。「防衛費」と呼び名を粉飾しても、軍事費がこの暴力装置を維持し拡大するための予算であることに変わりはない。だから藤野氏が防衛費を「人殺すための予算」と表現したことには、何の誤りもないのである。もし「防衛費とは何ですか、一言で定義してください」と問われたら、私だって「人殺すための予算だ」と答えるだろう。これが最も本質を射た定義なのだから。
 安倍は「自衛隊に対する最大の侮辱だ」と息巻いているらしいが、筋違い、逆恨みもいいとこである。安倍は、「我が軍」が軍事行動で人を殺したら英雄として崇めよ、殺されたら英霊として祀れ、という隠し持った美意識を汚されたから激怒してみせたのである。しかし、いくら激怒し凄んでみせても、藤野氏の「人を殺すための予算ではなく、人を支え、育てる予算を優先していく」という主張に対する反論になっていない。民生・福祉を優先せよ、という政治的主張に対しては、きちんと政治的主張で応酬すべきなのだ。確かに軍事費は人殺しの予算であるが実世界はきれい事では済まない、現実的には軍備も維持・整備する必要があるのだ、という風に反論すべきなのに、人殺しという言葉を使ったからけしからん、と言葉狩りを始めたわけである。

言葉狩り狂躁者が握りしめている「思い」とは


安倍に限らず、自民・公明の同盟軍がここまでいきり立つのは、次の三つの「思い」があるからだろう。

 一つは、地震や颱風などの災害の際、自衛隊はあれほど活躍してくれているではないか、という思いである。緊急時のレスキュー活動と災害復旧への対応は、国家と自治体が当然保持すべき機能である。だが、自衛隊がその任に当たっているからと言って、国家の暴力装置であるという軍隊としての本質が変わるわけではない。

 二つ目は、武力装備を充実させ軍事力を誇示をすることが、他国からの武力侵略に対する「抑止力」となっているという思いである。これはあまり強固に主張すると「核武装して我が国を守れ」という「核抑止力理論」に直結するイメージを与えるから、表向きは、必要最低限の自衛力を整備するという控えめな表現になっている。しかし本音では、抑止力のためには軍事費を増強するのは当然である、と思っているのである。

 三つ目は、現の証拠に、自衛隊が設立されて60年以上が経過するが、自衛隊の武力が行使されたことは一度もないじゃないか、という思いである。右は、これが自衛のための自衛隊であることの証明であるという実感を持っているだろうし、左は、これこそ平和憲法の効力であると主張する。右と左では意味づけが全く異なるのであるが、自衛隊が武力行使をしなかったという事実認識だけは奇妙に一致しているのである。
 しかし史実は違う。戦後の日本の歴史を振り返ってみると、自衛隊の軍事力が行使される寸前に至ったことがあるのだ。この事実は、たいていの歴史書にはきちんと書かれているし、Wikipediaにも詳説されているのであるが、半世紀たった今では、ほとんどの人の意識には昇ってこない事柄となっている。史実を具体的に書いてみよう。

だったら、史実を確認しようではないか


 それは 1960年(昭和35年)、日米安全保証条約の改定時に起こった。
 この年の 5月19日、新条約案は衆議院日米安全保障条約等特別委員会で強行採決される。採決に反対する社会党の議員団は議場で座り込みを続けていたのだが、時の首相岸信介は、多数の屈強な右翼青年を雇い入れ「公設秘書」として国会内に送り込み、座り込みを続ける議員団を「実力で排除」して採決したのだ。翌20日、法案は衆議院本会議を通過するが、あまりにも野蛮な岸の手法に反発して、野党は欠席、自民党からも欠席・棄権する議員が続出する中での採決であった。
 前年から続いていた「反・安保闘争」は、ここに来て急激に激化する。機動隊と右翼だけではデモ隊を制圧出来ないとみた岸は、フィクサー児玉誉士夫に頼って暴力団の治安部隊化を謀る。6月10日の「ハガチー事件」の後、15日、デモ参加者は 30万人以上に膨れあがり、国会を十重二十重に取り囲む。この時、議事堂正門前にいた機動隊がデモ隊に襲いかかり、東大生樺美智子さんが撲殺される。その訃報が伝わるとデモ隊は一気に「暴徒化した」のである。
 防ぎきれないと判断した岸は、防衛庁長官赤城宗徳に自衛隊による暴徒鎮圧を命令する。自衛隊は即動いた。どのような命令であろうが、命令である以上それを遵守するのが軍隊である。関東地方の戦車部隊は首都を取り囲む形で陣形を作る。市ヶ谷の駐屯基地では実弾を充填して出撃待機の態勢を取った。

 最終的な出撃命令が出なかった理由についてはよく分からない。一所懸命探せば見つかるかもしれないが、時系列を詳しくまとめた資料に出会わないからである。しかしいくつかの資料を突き合わせてみると、だいたいの様子が想像できる。

 岸の指示に赤城が従わなかったからだ、というのが通説である。Wikipediaには、赤城は後にテレビ番組に出演した際、こう述懐したとある。

 仕方なく辞表を懐にして行ったよ。部隊を出す以上勝たなければならないが、それには銃を使用しなければならない。しかし全学連といえども国の若者である。国軍に国民を撃てとは私には命じられない。だから出動を命じられれば、辞表を出す他なかった。だって、軍人たちに聞いたら、素手で出したのでは勝てる自信がないって云うんだもの。

 赤城が嘘をついているとは思わないが、この言葉が岸とのやりとりを正確に再現しているわけではないだろう。いくつかの資料を繋ぎ合わせて再現してみるとこうなる。

 岸が赤城に出撃命令を出す。赤城は(本人の述懐にあるように)国軍に国民を撃てとは私には命じられないと、これを拒む。国家公安委員会委員長石原幹市郎も赤城の側に付く。直接的な責任を問われる「部門長」が渋るのは当然だろう。最終的にはゴー・サインを出さずにはいられないだろうが、後に責任を問われた時に、大勢がそうなったのだからノーとは言えなかったのだ、という事実経過を作っておきたかったはずである。
 首相の言うとおり出撃させるべきだという意見と、長官の言うようにここは慎重にならないといけない、という意見で、閣議はしばし停滞したに相違ない。ここで大蔵大臣佐藤栄作(岸の弟である)が、苛ついて赤城に向かい、さっさと出撃させたらどうなんだ、この腰抜け野郎! と怒鳴ったらしい。この言葉に激怒した赤城は(あるいは、この言葉を待っていたのかもしれないが)、あんたにそこまで言われる筋合いはない、それならお前たちで勝手に決めろ! と怒鳴り返して退出した。赤城がいなくなったのだから出撃命令は出せず、赤城に代わってオレが責任をとるから出撃させようと言い出す根性のある御仁もいなかったから、うやむやのまま閣議は解散した。

 ここで確認すべきは次の三点である。

1、軍隊とは、他国との戦争に備えての軍事力である、と思われているが、より本質的には、国家権力に対する国内の批判勢力を鎮圧するための暴力装置である。現代においては、国と国との(宣戦布告を交わした)戦争が起こることは極めてまれである。反政府勢力の鎮圧、クーデーター、内乱、それに介入する外国の軍隊が、国内の身内を殺しまくっている。この現代社会のありさまをよく見よ。日本だけが例外、なんて考えるうる根拠は何もない。

2、デモ隊に対する武力行使の停止が、閣議の冷静な討論の結果決定されたものではなかった、と言うこと。ほとんど子供の喧嘩のやりとりから、当の防衛庁長官が責任放棄して現場から遁走した。その結果、たまたまそうなっただけ、なのである。第二次大戦末期の日本政府と陸軍上層部の姿が彷彿されるではないか。今の安倍内閣の閣僚たちが、岸内閣の閣僚より知的な判断力を備えているとは思えない。また、それならオレが責任をとってやるからと「日本男児的な男気」が出せる人物がいるとも思えない。男以上に男社会に過剰適合した女どもならたくさんいるが。

3、岸信介は、デモ隊を鎮圧するために、右翼を使い、暴力団を使い、最後には軍隊を使おうとした。自分がそうしたいと考えたことは、どんな手段を行使してもやり通そうとするタイプの人間である。反対されればされるほど意固地になり、敵対者に対する憎悪を吹き出させ、客観性から乖離してゆく。このタイプは、抗争中の暴力団にとっては得難い人材であろうが、一国の首相とするには甚だ不適当である。
 お気づきだろうが、今の安倍晋三のやり方は、この岸信介のやり方に生き写しである。先にアメリカ相手にニコニコ顔で決めてきて、その後日本国内ではごり押しで通そうとする。この手順もまったく同じだ。周知のように岸信介は安倍晋三の母方祖父である。私は人格や世界観がDNAで子孫に伝わるとは思わない。しかし安倍晋三の強引な手法と反対勢力への憎悪は、新安保条約の批准書交換を期に総辞職を余儀なくされ、右翼の暴漢に襲われたりした祖父岸信介への『意趣返し』のように思えてならない。

 「人を殺すための予算」という言葉に気色ばんでみせる人たちへの批判が、思わず長くなってしまった。しかしもう少し、自国民に銃口を向けようとした自衛隊にこだわりたい。出撃の準備をした隊員たちは、一体どう考えていたのか。戦争の本質がさらによく見えてくるはずである。

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 −−【その2】了−− 『改憲論』と『改憲論者』の徹底的批判 目次へ