ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。








1945年(昭和20年)7月、ベルリン郊外ポツダムに三首脳が会す。左より、チャーチル英首相、トルーマン米大統領、スターリンソ連共産党書記長。この5ヶ月前の『ヤルタ会談』では、米大統領はルーズベルトであったが、会談後の4月に死去。副大統領のトルーマンが昇格していた。ポツダム宣言にスターリンが署名していないのは『日ソ中立条約』が存続しているという建前があったから。蒋介石の承諾は電話で済ませたらしい。昭和天皇の玉音放送は、「米英支蘇四國ニ對シ」受諾の旨を通知したと述べている。



1945年(昭和20年)8月15日正午、皇居前、玉音放送にひれ伏す人たち。このような写真を何回も見ているうちに、放送で語られたことの意味を理解したような気持ちになってしまう。私も今回初めて『大東亜戦争終結ノ詔書』の文面を読んだ。














1945年(昭和20年)8月30日、厚木飛行場に降り立つマッカーサー。『ポツダム宣言』受諾のわずか2週間後である。



マッカーサーと言えばコーンパイプ。





で、思い出すのがポパイ。ほうれん草を呑み込む時も、コーンパイプを咥えたたままだ。陸軍・海軍を問わず、流行っていたのな。













幣原喜重郎
合計4回、外務大臣を務めた。1930年(昭和5年)にロンドン海軍軍縮条約を締結。軍部から「軟弱外交」と非難される。一貫して国際協調路線をとるが、軍拡路線に抗しきれず一時引退。戦後は、親英・親米の実績を買われて、首相に担ぎ出された。憲法制作過程で、マッカーサーに平和主義憲法の提案をした、と伝えられる。それでは『松本私案』を許したことと思想的に矛盾するが、この時期の時系列は書物によってバラバラであり、正確な再現は困難である。いずれにせよ、幣原が反軍国主義の良心派であったことに間違いはない。



高野岩三郎
相当な「カゲキ」派であった。『憲法草案要綱』の提出後も、これに飽き足らず『日本共和国憲法私案要綱』という私案を発表。天皇制を廃止して、一気に共和制に進めとアジッテいる。教師としても優れた人だった様で、お弟子さんからは多くの『マル経』の学者を輩出している。



森戸辰男
高野岩三郎の弟子の一人。ロシアのアナキスト、クロポトキンの研究で教職を追われる。これがいわゆる『森戸事件』。監獄にも入ってます。
クロポトキンと言えば、ロシヤを揶揄した有名な戯れ歌がありましたが、あの「クロパトキン」は日露戦争時のロシアの軍人で、全くの別人です。でも、調子が良いので歌おうか。まさか、プーチンが怒って来るこもはないだろう。
リッ、リッ、陸軍ノ、乃木サンガ、凱旋ス、スズメ、メジロ、ロシヤ、野蛮国、クロパトキン、……、以下は略、下品になるから。
もしかしたら「凱旋ス」は「外戦ス」
かも知れない、
















 
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『改憲論』および『改憲論者』の徹底的批判 −− その10
                   平成28年12月20日



 先日、テレビをザッピングしていたら、どういった会議か会合かは知らぬが、自民党の某議員が憲法改正について話しているのに出くわした。取り立てて名前を記す必要もないだろう。ドングリみたいな頭部の形状がやけに印象的な男であった、とだけ言っておこう。曰く、現憲法は、アメリカ進駐軍によって強制されたものであると言う歴史的事実に疑いは無く、云々。
 ああ、まだ、こんな理屈を繰り返しているのか、テレビに映っているんだぜ、もっと気の利いたことを喋ったらどうなんだ。いや、その以前に、口調が気に入らない。こう言った場合にはこう言っておけば大過ない、といった「使い回し原稿」の読み上げ口調。自分の信ずるところを他者に分からせようとする気迫が一切感じられない。政治家の喋り方ではないのだ。
 You Tubeには、11月17日の『衆議院憲法審査会』の内容がアップされている。飛び飛びに再生してみたが、こちらも同じだ。野党も含め、使い回し原稿の読み上げ口調であることは、あのドングリ頭と変わらない。もはや有効な「政策」を案出する能力を失った政党が、自党を特徴付ける「疑似政策」として『改憲・護憲』というフレーズを盗用している。

 この連載も今回で10回目である。『その2』で、改憲論自体は批判するにもあたらない愚論・俗論である、闘うべき相手は改憲論をめぐる社会情勢である、と書いたが、やはり改憲論そのものを俎上にあげなければ、連載を終えることは出来ないようだ。そこで、「改憲論の典型的なパターン」と「改憲論の不思議で奇妙な特徴」をいくつか拾い上げ、それぞれに批判を加えることにする。まずは、ドングリ頭の言う「現憲法は進駐軍に押しつけられたものである」から入ろうか。


「現憲法はGHQに押しつけられたものである」という理屈は、
                      改憲の根拠になるか?


 これは論理水準の恣意的混交、つまり詭弁である。
 押しつけられたものであれ、自前で調達したものであれ、良いものは良く、悪いものは悪い。
 当たり前じゃないか。論じられるべきは「憲法そのもの」である。憲法を政治的概念でもって正当に論じきることである。そこに「押しつけられた」などという日常会話的感覚を持ち込んで来て、「憲法そのもの」の正否判断とすり替えてしまう。論理水準の恣意的混交、最も低劣な詭弁でしょう、これは。
 子供が病気をすれば保護者は医者に連れて行く。必要ならば、苦い薬を飲ませたり、注射をしてもらったりする。子供は嫌がるが「押しつけなければならない」のである。だが、子供に「押しつけた」からといって、保護者の行為は「悪い、改めなければならない」とされるのだろうか。
 この喩えは、日常生活・日常感覚領域のものであって、政治的議論とは別次元のものである。この水準で政治を論ずることは出来ない。この喩えが成立したとしても、だから、日本国憲法は自主的・主体的に作られたものだ、などどは言えない。だが、ドングリ頭を初めとする「現憲法は進駐軍に押しつけられたものである」論者は、政治的議論をするりと日常会話的感覚に滑り込ませて平気である。だからまず、日常会話的感覚で反論しておかねばならないのだ。まことに面倒くさい。


『松本試案』と『ポツダム宣言』


 では「歴史的事実」を確認しよう。
 GHQの占領政策はいわば「間接統治」であった。自分達が統治の主体となるのではなく、旧来からの大日本帝国政府の仕組みはそのまま温存して、それに指示を出すというスタイルをとった。
 終戦の2ヶ月後、1945年10月、GHQは日本政府に新憲法を作るように指示を出す。
 これを受け、翌1946年2月8日、幣原喜重郎内閣は『憲法改正要綱』をGHQに提出する。草案を作ったのは『憲法問題調査委員会』。憲法担当国務大臣松本烝治の名を取って、『松本試案』と呼ばれている。
 だがGHQは即座にこれを拒否。理由を一言で言えば、この草案では日本が『ポツダム宣言』を受諾したことにならないから。
 『ポツダム宣言』の5条・6条を確認しておこう。最初の外務省による翻訳に現代語訳を添えておく。

五 吾等ノ條件ハ左ノ如シ
吾等ハ右條件ヨリ離脱スルコトナカルベシ 右ニ代ル條件存在セズ 吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ
(我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。)
 
六 吾等ハ無責任ナル軍國主義ガ世界ヨリ驅逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本國國民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ
(日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。)


 日本政府が、『ポツダム宣言』の発信者(アメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席)に、この『宣言』を受け入れましたと受諾の意向を伝えたから、戦争は終わったのである。天皇の玉音放送も、「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」と『ポツダム宣言』を受託したことを真っ先に述べている。
しかるに『松本試案』は、「天皇主権」や「国体維持」など、従来の『大日本帝國憲法』の根幹をそのまま踏襲したものだった。『宣言』が真っ先に「除去」と「駆逐」を求めている「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力」と「無責任な軍国主義」が、無反省に並べられていた。GHQが、はい、ご苦労さん、と言って受け取れるような代物ではなかったのである。

 横道にそれるが、我が安倍晋三は、2015年5月20日、国会の党首討論会で「私も詳らかに承知をしているわけではございませんが、私もまだ(ポツダム宣言の)その部分を詳らかに読んでいるわけではないので承知はしておりませんが…」と言い訳がましい発言をしている。「つまびらか」とは「かなり大部な書物などをその細部に至るまで」という意味だと理解する。しかし『宣言』はたったの13項目だ。見開き2ページにすっぽり収まる分量だ。全文を熟読吟味しても10分もかからない。つまり「詳らかに読んでいるわけではない」というのは真っ赤なウソで、安倍はチラ見もしていないのである。玉音放送の文言だって確認してはいないだろう。あのドングリ頭だって同じことだ、と想像できる。こんな輩が、戦後レジームの超克とか憲法改正とか叫んでいるのである。
 これを、為政者たちの無知とか不勉強とか言って済ますことが出来るのなら良い。だが、そうではない。『ポツダム宣言』受諾という歴史的事実に対する無視・無関心、および『ポツダム宣言』は受諾したが本心から納得したわけではない、といった仄めかしは、極めて政治的な意味を発信しているのである。アメリカの政界とジャーナリズムにいた多くの親日派は少なからず「ムッとした」はずである。安倍とその追従者たちが「『ポツダム宣言』非受諾」の雰囲気を撒き散らし始めたころから、アメリカにおける親日的発言は激減したように思える。欧州においても、日本に対する「好感度」が低下したという調査結果が何度も報じられた。そして何よりも、先の戦争で日本の侵略を受けた国々・地域の人々は、すわ、日本軍国主義の復活か、と疑い始めたのである。もし、東アジアに軍事的な緊張があるとするなら、その原因の一つは、間違いなく日本政府首脳の思想的変節にあるのだ。この、いまだ第二次大戦の敗戦が受け入れられない、という心理に対しては、もっと言っておくべきことがあるが、どんどんと論旨からズレていくので、これに止めておく。元に戻ろう。


「押しつけ」の理由にされる『マッカーサー草案』


 『松本試案』提出の5日後、2月13日、GHQのホイットニー民政局長は外相官邸を訪れる。出迎えたのは吉田茂(外相)・松本烝治(憲法担当国務大臣)・白洲次郎(終戦連絡事務局次長)ら。彼らは『松本試案』に対する返答があると思っていたが、それは呆気なく拒否され、代わりに『マッカーサー草案』を手渡される。ホイットニーは、この内容で新憲法をまとめなければ国際世論は収まらないぞ、と駄目を押す。
 その後しばらくの間、白洲や松本は、繰り返しGHQに再考を懇願するが、当然のことながら拒否される。政府部内での意見調整が出来なかった幣原は、GHQへの返答期日である 2月22日 に、『マッカーサー草案』を天皇に奏上。天皇は、たとえ天皇制そのものが廃止されるような内容であっても受け入れる、という意思を示し、やっと草案の受け入れが決まる。

 かのドングリ頭をはじめとして、改憲論者たちが、「日本国憲法はアメリカ進駐軍によって強制されたものである」と、鬼の首を取ったかのように繰り返すのは、この「経過」の上辺だけをとらえて、「歴史的事実」と見なすからである。
 だが「経過」は、政治力学の問題として正しく読み解かねばならない。「たった5日後」、『毎日新聞』が『松本試案』をスクープし、これを見たマッカーサーがホイットニーに草案作成指示を出した日から数えても「たった9日後」、という時間の短さに相手の「邪悪な意図」を深読みするのは誤りである。本筋とは関係の無い所で「因縁を付ける」ような行為である。
 GHQは、日本政府首脳が判断停止状態であること、いわゆる「頭が真っ白状態」であることを見抜いていた。何度訂正を強いても、持ち込んでくる改正案は旧来のものと大差ないだろう、と読んでいた。だから予め準備した草案を強要した。では、いつ頃から、GHQは草案を準備していたのか。以下に述べる、高野岩三郎らの『憲法研究会』による『憲法草案要綱』は、1945年の年末にはGHQに持ち込まれ、直ちに英訳され、翌1946年1月2日には、評価すべきものというレポートが作成されている。それより以前、1945年のあいだに、担当者は『憲法研究会』のメンバーと接触しているのである。これくらいの先読み・先取りが出来ないようでは、戦争に勝てるはずがないのだ。GHQはセオリー通りに事を運んでいるのである。

 また、日本政府は反対できる立場になかった、という点については、日本は戦争に負けたのだから当然のことなのである。どんな御託を並べようが、戦争は勝った側だけが正義を主張できるのだ。これが戦争のリアリズムである。「日本国憲法はアメリカ進駐軍によって強制されたものである」という理屈こそ、敗戦処理という「歴史的事実」のリアリズムを喪失している。70年経った今となって、平常時の日常感覚で経過を貧しく作文したものに過ぎない。当時をリアルに再現できる人たちの多くは、鬼籍に入ってしまった。そんな今だから、吹聴できる法螺話なのだ。

 もっと、内実に踏み込んでみよう。
 もし『マッカーサー草案』が、「意図的に、アメリカの利益になるように、熟練の専門家によって不備・瑕疵の無きよう用意周到に作られた」ものであるならば、あるいは、「日本と諸外国からの反対を無視し、強圧的に押しつぶして成されたもの」ならば、「押しつけられた論」にも幾ばくかの根拠はあっただろう。
 だが、実際は違う。マッカーサーの命を受け、草案作成の実務にあたったのは、コートニー・ホイットニー民政局長をリーダーとする25人のメンバー。ところが、このニュー・ディーラーと呼ばれたスタッフには、憲法学の専門家は一人もいなかった。法学の専門家と言えば、弁護士の実務経験者が数人いただけ。これがチームの全容である。つまり、押しつけようにも、押しつけるべき憲法のイメージなど、誰も持っていない素人集団だったのである。

 確かにマッカーサーには、大きな意図があった。絶対に譲ることの出来ない条件があった。その条件を満たした新憲法を早急に制定せねばならない理由があった(このマッカーサーの意図に関しては、後述)。
 だが、マッカーサーの意図が、GHQのエゴイズムだけに因るものであり、ただ、それだけの目的でもって内容が練られたのだとしたら、出来上がった草案は奇妙に歪んだものとなっていただろう。しかし作られた草案は、今日的視点から見ても素晴らしいものである。
 例えば『基本的人権』という概念について考えてみよう。我々はこれを当たり前の概念だと思っている。だが、法整備の先進地域であるはずの西欧の憲法をみても、『基本的人権』を明確に規定しているものは滅多にないと言う。なぜなら、キリスト教国においては、基本的人権は神との関係において予め定められているので、人間社会の概念である憲法で扱うべき概念ではない、神の領域を侵すことになる、という考えがある、とモノの本には書いてある。
 また、『公民権』についてはどうだろう。あの時代、一体どれだけの国が、男女同権を実現し人種差別を乗り越えていたのだろう。衆知のように、アメリカにおいてさえ、黒人の公民権運動が盛り上がるのは、それから20年後のことになる。なるほど、だから、わざわざ国際連合で『世界人権宣言』(1948年12月)を発する必要があったのだ。
 この草案は、時代の世界情勢の、はるか先を見越したものになっている。憲法の素人集団が、いや素人だかこそ、いまだ世界に存在しない憲法草案を作り得たのだ。中島誠之助さん流に言うならば、彼らは「とても、いい仕事をした」のである。

 このように、きちんと追認してゆけば、ドングリ頭や、安倍や、改憲論者が言うように「押しつけられた」と言うような理屈は成立不能であることが分かる。
 次に、素人集団である彼らが、何を参考にして作業を進めたのか、を追認すれば、この「押しつけられた」論のナンセンスさがさらに顕著になってくる。

『マッカーサー草案』の骨格となった『憲法草案要綱』


 彼らは、例えば、自国アメリカの憲法に変更・修正を加えて日本国憲法の草案を作る、といったような安易な手法を取らなかった。それをしようにも出来なかった。なぜなら、マッカーサーの指示の第一は「天皇制を残せ」だったから。欧州において一般的な「共和制」の憲法を骨組として借用することは出来なかったのである。
 では、彼らは何に草案の典拠を求めたのか? 参照する書物によって少しずつブレがある。和集合的に拾い集めて、サッサと篩(ふるい)に掛ければ、つぎのようになった。(主・従・補)と、重要度のうランク付けをしてみた。素人による「無礼・御免」の簡略化だが、これで一気に明確になると思う。

(主)『憲法草案要綱』:日本の法学者グループ『憲法研究会』が作成したもの。
(従)ヨーロッパ諸国の現行憲法
(補)『国際連盟規約』・『大西洋憲章』・『国際連合憲章』など

 『憲法研究会』は、1945(昭和20)年10月29日、憲法学者高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された。メンバーは、高野岩三郎、馬場恒吾、杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄、室伏高信、鈴木安蔵、の七名。森戸辰男はあの『森戸事件』で東大から追われた人である。つまり、戦時中は忍従を強いられたリベラル派の学者たちである。彼らは『憲法草案要綱』をまとめると、12月26日に内閣に提出している。
 『国立国会図書館』のホームページにその全文がある。憲法の骨格になる部分を箇条書きにした、まさに「草案」の「要綱」だけの短い文章である。数行だけ抜粋しよう。【註1】

根本原則(統治権)
一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス
一、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル
国民権利義務
一、国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス
一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
一、男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス
一、国民ハ民主主義並平和思想ニ基ク人格完成社会道徳確立諸民族トノ協同ニ努ムルノ義務ヲ有ス

 驚かれた方も多いと思う。文語表現で(当時は当たり前)術語も多少異なっているが、内容はほとんど日本国憲法そのものだ。抜粋した部分は、主権在民、象徴としての天皇制(専ラ国家的儀礼ヲ司ル、と書かれているが)、基本的人権、男女平等、民主主義・平和主義、等々が定められている。
 歴史書や憲法について書かれた本の多くは、GHQのニュー・ディーラーたちが参考にしたものの一つとして、『憲法草案要綱』の名を挙げているが、素直に読めば、これこそ日本国憲法案の骨格になった中心文書であるように思える。上のリストに(主)というマークを付けた理由である。

 『憲法研究会』がこれを内閣に提出したのが、12月26日。つまり、先に述べた『松本試案』が、『憲法問題調査委員会』で検討されている最中のことなのだ。『憲法問題調査委員会』まで文書が回付されなかったのだろうか? 届いてはいたが、憲法担当国務大臣松本烝治らは読まなかったのだろうか? あるいは、読んでも理解出来なかったのだろうか? いずれにせよ、日本政府は折角の『憲法草案要綱』を無視する形となった。
 『憲法研究会』メンバーの杉森孝次郎は英語が堪能だったので、これをGHQに持ち込んでいる。日本政府とは違って、GHQは即座に反応した。『国立国会図書館』ホームページの『資料と解説』から引用する。

 なお、この要綱には、GHQが強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた文書が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。【註2】

 こんな風にして『憲法草案要綱』は、『マッカーサー草案』を作成中のニュー・ディーラーたちの手元に届くのである。ここには『ポツダム宣言』を十分に尊重した内容、しかも『立憲君主国』としての憲法の組み立てが見事に示されている。おお、これだ、とニュー・ディーラーのメンバーは叫んだに相違ない。

 日本政府が無視したものに、GHQは即座にその価値を認めた。そして、きちんと活用した。当時の政治家・軍人達の「民度と文化力」の差が歴然と出ている。日本の側で成すべき仕事を、GHQに代行させたわけだ。本来なら「面倒をかけて申し分けない」と詫びるべきなのに、何を血迷ったか、今度は「押しつけた」と言い出す。70年経っても、日本政府与党の「民度と文化力」水準は変わらないようだ。
 このテーマはまだ続く。新憲法制定を急いだマッカーサーの意図、それに、帝国議会での審議・採決について述べておかねばならない。

【註1】http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052/052tx.html
【註2】http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052shosh

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 −−【その10】了−− 『改憲論』と『改憲論者』の徹底的批判 目次へ