ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。








 長引く不況、鬱積する閉塞感、それに未曾有の災害が加わる。市民社会の低迷に出口がないと感じられると、必要以上に近隣諸国に対する緊張感と少数者への憎悪が煽られる。そして、他ならぬ一般市民が真っ先に「暴徒制圧」にむかうのだ。残念ながら、これは何度も繰り返されてきた歴史の事実である。

この漫画は、第二次大戦前夜、ナチス・ドイツが新聞に載せたプロパガンダ漫画。やせこけたポーランド人家族(左)と肥え太ったユダヤ人夫婦(右)が対比的に描かれている。ポーランド侵攻を正当化するために、反ユダヤ主義が煽り立てられてたのだ。






他国に例を求めるまでもない。
それよりずっと以前の日本の話。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が起こる。混乱のなか、朝鮮人が井戸に毒を入れた、婦女暴行を繰り返している、暴徒化している、等々のデマが流れる。自警団が結成され、それに軍や警察も加わって、朝鮮人を無差別に虐殺するという事件が各地で起こった。

 元谷外志雄のように南京大虐殺はなかった、と言い張る人がたくさんいるが、この朝鮮人虐殺もなかった、と言う人もいる。歴史書の記述を見ておこう。あえて岩波とかアサヒとかの出版物を避けて、歴史教科書で有名な山川出版社の本を選んだ。筆者は伊藤隆という超保守派の歴史学者である。念のため。

関東大震災による極度の混乱の中で、この機会に乗じて朝鮮人が立ちあがり暴動を起したというデマがどこからともなく広がり、的確な情報を失っていた民衆の間に受け入れられていった。朝鮮人や社会主義者が放火をしている、井戸に毒を投げ込んでいるといったまったく根拠のないデマは、異常な心理状態に陥っていた被災民に信じられ、各地で自警団を組織し、朝鮮人をみつけると捕らえたり殺したりするという驚くべき事態が発生した。その結果、ほぼ6000人といわれる朝鮮人が殺されたといわれる。
(山川出版社『日本歴史大系5 近代U』p.250

 なお、この文章は『「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜでたらめか』というサイトからいただきました。多くの資料が提示されていて、お勧めです。
http://01sep1923.tokyo/









安倍・麻生のヘラヘラ笑い
3月1日 参院予算員会の風景

質問者は共産党の小池晃議員
彼はしごく真っ当な質問をしている。この笑いの瞬間、小池氏が質問していたことは、これ。

「麻生大臣。これ、適正な対価なんですか。そういう、適正な対価なんですか、このやり方が。あのね、あなたの財産じゃないんですよ、国民の財産なんですよ。みんなね、汗水ながして税金払ってるんですよ。笑ってる場合じゃないでしょう。」

この写真は産経のサイトにあった。産経も何を考えているのか分からない。安倍・麻生に同調してキョーサントーをからかっているのか? それとも、安倍・麻生に秘めた悪意をいだいているのか? 
























私の住む奈良県の郡部でも、ときおり黒塗りのワンボックスカーが、大音量で軍歌を流しながら国道を走っている。聞けば、首都圏におけるヘイト・デモは、だんだんとヘイトの度合いを増幅させているらしい。
ネットで拾った写真を幾つかコピーしておきます。自分のホームページをこんな汚い図柄で汚したくはないが、マスコミもとばっちりを恐れてか、まともに報道しないようなので。
もう、びっくり。殺せ、殺せ、の連呼じゃないか。コピーしていて、腹立たしくて、情けなくて、涙がこぼれました。








































もちろん、これらのヘイトデモを批判する人たちも、きちんと意思表示してます。



















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ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 その1
                   平成29年03月10日



衆院予算委員会 突然のテレビ中継中止


 私はテレビの国会中継を観るほどの忍耐力を持たないが、主要な国会討議は必ずテレビ中継されるという慣習は尊いものだと思っている。国会運営の中身を「観る気になれば、観ることができる」というのは、民主主義がきちんと機能していることの証左であろう。しかるに、某国営放送は、2月27日の衆院予算委員会を中継しなかった。来年度予算案が採決されるという、まさにその日の審議を。予算委員会における予算案採決は必ずテレビ中継されなければならない、などといった法律など存在しないだろう。しかし、予算案採決の中継は、去年も、一昨年も、いやずっとそれ以前から定例化されていたはずだ。それが、突然の中止である。何らかの作為を感じるのは当然のことだ。

 安倍晋三は、森友学園に関する質問に対し、何度も「印象操作だ」とか「レッテル貼りだ」とかいった怒号を返していたらしいが、2月17日の予算委員会では「まるで私が関与しているかのごとく、ずーっとそういうイメージ操作を予算委員会のテレビ付き質問を使って延々繰り返している」と息巻いた。だから、この中継停止に関しても、安倍が「関与している」と疑われるのは当然のことである。あんたの差し金だろう? と詰問されれば、安倍はしゃかりきになって否定するだろうが、安倍自身が直接圧力を加えたにせよ、他の誰かが手を回したにせよ、某国営放送の自主的判断であったにせよ、事の本質は変わらない。国家権力と国営放送がグルになって、今まで培ってきた民主主義の伝統を踏みにじったのである。



その夜、安倍晋三は


 その2月27日の衆院予算員会の後、安倍は、東京・赤坂の「赤坂飯店」で、報道各社のキャップとオフレコ懇談をしている。この懇談会は、第二次安倍政権発足以来の定例行事となっているらしい。おおかた、報道各社への恫喝と懐柔がその目的なのだろうが、この日の内容を『FLASH』(光文社)という写真雑誌がすっぱ抜いた。

【標題】 安倍首相が番記者に「国有地売却なんて首相案件じゃない」発言
【本文】 2月27日、衆議院本会議で2017年度予算が可決された。この日も、学校法人・森友学園への国有地払下げ問題が国会で紛糾したのだが、夜、安倍首相(62)は、意外な場所にいた。
 東京・赤坂の中華料理店「赤坂飯店」で、報道各社のキャップとオフレコ懇談していたのだ。本誌は、そこで語られた内容を一部入手。森友学園問題について、総理は問題がないと発言していたという。
 「森友の土地はもともと沼地で、ゴミ捨て場になっていたそうだ。掘れば何が出てくるかわからない土地。公益性の高い施設を作るには、ゴミを撤去しないわけにはいかない。森友学園の周辺にも国有地があり、豊中市に公園として払い下げられている。当初の評価では14億円だったが、撤去費用は10億円ほど国が負担し、実際に豊中市は2000万で国から買っている。財務省からは特別な問題はないと説明を受けている」
 民進党が執拗に追及することに、不服そうな言葉もこぼした。
 「2012年、民主党政権のときだが、森友学園の教諭は文科大臣賞を受けているそうじゃないか。質問で出てきたら言おうと思っていたけど、民進党も自分で気づいているのか、今日は国会で聞かれなかった」
 運営する塚本幼稚園で、安倍首相を礼賛する教育をおこなっていた籠池泰典理事長についてもこう話した。
 「籠池氏に会ったことは、はっきり覚えていない。『なんか、しつこい人だなー』という程度には覚えているけど。ひょっとしたら、民進党でもしつこく言い寄られて、籠池と付き合っている議員がいるのではないか」
 この日の国会では、安倍首相が2015年に大阪でテレビ出演したとき、首相と籠池氏が会ったどうかが焦点になっていた。首相は「会っていない」の一点張り。
 「2015年9月に私が大阪に行ったときのことが、本件とからんで問題になっている。まったく無関係なのは首相動静を見ればわかる。大阪にいる間、番記者がずっと同行していたわけだし、森友学園の関係者と会う時間なんてない。国有地売却の話なんて、首相が関わる案件じゃないよ」
 メディア関係者とのオフレコ懇談は、午後7時から始まり、午後9時半過ぎに終了した。およそ2時間、安倍首相はマスコミ関係者に不満をぶちまけ、家に戻っていった。
  http://smart-flash.jp/sociopolitics/17091



安倍の本音から確認できること


 最後の「家に戻っていった」という「落ち」がとても面白い。文体の、やたら推敲を繰り返していない、という不統一感が、ニュース・ソースのリアリティを高めていて、安倍が酔いの勢いで吐露した「本音」の雰囲気を良く伝えているように思える。
 森友学園と関係のある人間は政治家にも役人にもいっぱいいる、民進党だってそうじゃないか、何で、選りに選って、このオレだけが、攻められなければならないのだ、オレは一国の総理大臣だぞ、大阪の小さな幼稚園の園長が如きと、何故それほど昵懇になる必要があるのだ、猫の額ほどの国有地売却など、オレの知ったことか …… 。
 確かに、この安倍の「本音」には現実的な根拠がある。地方自治体と、中央官庁と、政治家と、それに「出入りの業者」(イヤな言い方だ)が加わって、お互いの便宜を図る。この構図は日本国中何処にでもある。これこそ現実世界の実態である。政治家は当事者であるから、自分のしていることは公言しないし、他の政治家の動向も黙認する。素面でも本音を漏らすことで有名な麻生太郎は「代議士には地域の色々な陳情が来る。それを聞かないと代議士は何のためにいるのか」と公言して憚らない。この「便宜の度合い」が過ぎた場合、あるいはチクリがあってマスコミが飛びついた場合、「不祥事発覚」という騒ぎになる。だから、官庁・役人は、慎重に錯綜した手順を踏む。東京オリンピックの施設建設や築地市場の豊洲移転に見られるように、不手際・不祥事が発覚しても、誰が「悪代官」で、誰が「越後屋」であったのかが分からなくなるようにするために。

 予算委員会のニュース映像をチラ見したことがある。共産党の小池議員が、森友学園への国有地売却価格が安すぎると質問するのに、並んで座る安倍と麻生が、エヘラ・エヘラと笑っているのである。小池議員が、笑っている場合じゃないでしょう、と声を荒立てても、ヘラヘラ笑いを止めない。キョーサントーよ、何時まで青っちょろい建前論を繰り返すのだ、世の中の現実の厳しさはテメェらでも分かっているだろう、この件が済んだら、他にオレ様たちを追及するネタもないんだろう、万年野党め、 …… ヘラヘラ笑いがこう言っている。
 
 極めて不愉快にさせられるが、冷静になろう。この安倍の「本音」をめぐって、きっちりと確認しておくべき事実がある。それは、「安倍晋三にとって森友学園問題とは、国有地払い下げの問題でしかない」ということである。安倍が執拗に繰り返すのは、この常識外れのディスカウントにオレは関わっていない、という、くどくどしい言い訳だけである。
 だが、待てよ。
 確かに、この土地払い下げ価格には驚かされたが、我々が暗澹たる気分にさせられたのは、もっと別の問題であった。塚本幼稚園の異様な運営のされ方、園児や保護者に対する常識外れの対応、意見を述べる保護者に対する執拗な攻撃、偏執狂的なヘイト文書のまき散らし。その運営者が、実は、安倍晋三・昭恵夫妻の信奉者である、という事実。そして、後になってから必死で否定しようとしているが、安倍夫妻は籠池夫妻の思想的同行者であるという事実
 野党もマスコミも、籠池泰典・籠池淳子が極めて悪質なヘイト主義者であり、今も全くそれを改めようとしないことに対して、きちんとした批評・批判を展開していない。籠池夫妻のヘイト主義を、表向きは穏便に容認し、実質的には同調してきた安倍晋三や日本会議に対しても、対決姿勢を示そうとしない。土地払い下げの違法性追及と、政府要人関与の暴露にのみ熱心である。「森友学園問題とは、国有地払い下げの問題でしかない」という「安倍の本音」に、批判の中身を限定してしまっている。教育者や政治家の、理念・思想性・倫理性を問うという、批判の水準を喪失したままだ。こんなお手軽な、チョコチョコとジャブだけを放って3分間を浪費するだけの批判が、力を持つ訳がないのだ。
 これ以上の同行・擁護は不利益につながると見た日本会議と安倍晋三は、にわかに、森友学園からの離脱に転じている。離脱が済んでほとぼりが冷めた頃、追跡する相手を見失って、袋小路で呆然とたたずむ間抜けな追っ手の姿が予見される。安倍と麻生がニワニヤ笑うわけだ。



日本会議、手のひら返しで籠池殺し、だが ……


 毎日新聞は、ある日本会議の関係者が「森友学園の考えは神道でも保守でもなく、ネトウヨに近い。あれが日本会議の活動と思われるのは心外だ」と述べた、と伝えている。これ以上森友学園(籠池泰典・籠池淳子)を庇いきれぬと見て、切り捨てにかかっているのだろうが、「ネトウヨ」の総本山が、今まで自分に投げかけられてきた「ネトウヨ」という言葉を、今度は自分の末寺や檀家に浴びせかけてヘイトしている! 主客の錯綜ぶりがとてもシュールで可笑しい。昔の映画の、あるパターンを思い出した。強盗殺人を犯したグループがあり、そのうちのドジな何人かが逮捕される。捕まった男が叫ぶ。殺った(やった)のはオレじゃねぇ、ジャックだ、あいつはとんでもねぇ凶悪犯だ。
 この記事は小さくて、この「日本会議の関係者とは誰か」も明かされていない。「オフレコ」扱いの記事なのだろう。だが、日本会議のホームページにもこんな記事がある。週刊文春と週刊新潮に掲載されている「学校法人森友学園の土地取得に関する記事には著しい事実誤認があり、本会の名誉にも関わること」なので抗議した、と。何が「著しい事実誤認」なのかというと、籠池泰典は「日本会議大阪」の「運営委員」ではあるが「代表」ではない、というのである。(『オピニオン』2月21日) この「公式見解」もまた可笑しい。籠池が間違いなく「日本会議大阪」の構成員であることを、逆に宣言しているじゃないか! それとも、「代表」でさえなければ、何をしても良いのか? 何の言い訳をしたいのか、意図不明の記事である。

 だが、今頃になって日本会議が、森友学園など知らぬ存ぜぬ、そんなのカンケーねぇ、と言いだしたところで、森友学園の方には、長い間森友学園が日本会議の重要な構成員であったことの記録が削除されずに残っている。塚本幼稚園のホームページには『教育講演会』というコーナーがあり、今までの講演者の名前と講演風景の写真がずらりと並んでいる。安倍昭恵は? 削除したのだろうか、載ってないぞ。でも、他のメンバーはすごいよ。百田尚樹、曽野綾子、平沼赳夫、青山繁晴、竹田恒泰、渡部昇一、中西輝政、櫻井よしこ、田母神俊雄、中山成彬、米長邦雄、エトセトラ …… 、エトセトラ …… 。ミレニアム右翼オールスターズじゃないか。みんな気持ちよく喋ってます。ちょっと講演のタイトルをコピーしようか。

  百田尚樹 「日本危うし。将来を担う子供達の時代を見据えて」
  青山繁晴 「日本の出番をつくる」
  櫻井よしこ「日本よ、勁(つよ)き国となれ」
  武田恒泰 「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」
  田母神俊雄「国防理念なき日本民族の将来」
  中山成彬 「日教組の影と功罪」

 日本、日本、また、日本 ……。講演のテーマなんぞ、他にもいっぱいあるだろうに。幼稚園主催の、保護者に向けた講演会なんだろう? ちったぁ「教育」について語ったらどうなんだ。少しは礼節を弁えよ。右翼とか民族主義者とか言われて、いい気になるな。単なる馬鹿者集団じゃないか、お前ら。日本に長らく居住していれば、誰だって、それこそ「原住民」だろうが「在日」だろうが、日本の良いところも悪いところも十二分に知り尽くしている。わざわざお前らに「日本とはなんであるか」などど説教される筋合いは無い。今頃になって「あれが日本会議の活動と思われるのは心外だ」だと? 日本会議オールスターズにこれだけ講演させておいて、そのエキスが一滴も籠池夫婦の脳髄に染み込んでいないのだとしたら、それこそ日本会議の「思想性」の質を疑え。



続いて安倍晋三も、手のひら返しで籠池殺し、だが ……


 一方、安倍晋三の方も、森友学園からの逃げの体勢に入っている。
 2月17日の国会では、籠池泰典について「いわば私の考え方に非常に共鳴している方でですね」「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」と、まだ朋友扱いしているのに、その一週間後には、「パンフレットをちらっと見せられただけ」「学校がやってることの詳細はまったく承知していない」「この方は簡単に引き下がらない人」「非常にしつこいなかで、うちの家内が苦し紛れに『総理やめたら気が変わるかもしれませんね』ということを講演等のやりとりのなかで言ったことはあるけど、小学校に自分の名前を付けることを私自身は微塵も考えたことはない」、と手のひら返し。
 日本会議も安倍晋三も、籠池泰典のことを「付き合う相手を間違えた」風にいうけれど、「付き合う相手を間違えた」のは籠池の方だぜ、きっと。
 だが、安倍夫婦と籠池夫婦の精神的交流がどのようなものであったのかを示す証拠は、ネットのあちこちに残されている。一例として、『産経WEST』(2015年 1月 8日)の【関西の議論】を選ぼう。服部素子という署名の入った記事である。安倍首相夫人が登場するのは前半だけだが、ご用マスコミまで巻き込んでの蜜月ぶりが良く分かるので、長くなるが全文をコピーする。これを読む限り、籠池は、安倍晋三・日本会議の極めて正統的な追従者であるように思える。2月17日の、安倍の国会答弁の通りだ。だが、ここに至っての手のひら返し、籠池の心中、察するに余りある。ひとかけらの同情心も湧いてこないけれど。

【標題】  安倍首相夫人・アッキーも感涙
      園児に教育勅語教える“愛国”幼稚園
      「卒園後、子供たちが潰される」と小学校も運営へ

【リード】 「教育勅語」や「五箇条の御誓文」の朗唱、伊勢神宮への参拝・宿泊…。大阪市淀川区に超ユニークな教育を園児に施している幼稚園がある。塚本幼稚園幼児教育学園。安倍晋三首相夫人が同園を訪れたとき、園児らのかわいらしくもりりしい姿を見て、感涙にむせんだという。さて、その塚本幼稚園の籠池泰典園長が、小学校運営に乗り出している。現代教育のゆがみをも映し出すその理由とは−。

【本文】
【小見出し】昭恵夫人「安倍首相に伝えます」
 「夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹(きょうけん)己を持(じ)し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ…」。園庭に2〜5歳の園児約150人の大きな声が響く。
 教育勅語(正式には「教育ニ関スル勅語」)は、明治23(1890)年に発布され、第2次世界大戦前の日本政府の教育方針の根幹となった文書。なぜいま、教育勅語なのか。
 「子供に学んでほしいことは何か、とつきつめたとき、その答えが明治天皇が国民に語りかけられた教育勅語にあったからです」と籠池泰典園長(61)の答えは明快だ。
 あどけない幼児が大きく口をあけ、難しい言葉を朗唱する姿を初めて見た人は一様に驚き、感動する。安倍首相の昭恵夫人もそのひとりだ。
 昭恵夫人は昨年4月、同園の視察と教職員研修のため訪れたとき、鼓笛隊の規律正しいふるまいに感動の声を上げた。さらに、籠池園長から「安倍首相ってどんな人ですか?」と問いかけられた園児らが「日本を守ってくれる人」と答える姿を見て、涙を浮かべ、言葉を詰まらせながらこう話したという。
 「ありがとう。(安倍首相に)ちゃんと伝えます」


【小見出し】子供と教師が「なあなあ」でいいのか
 同園は昭和25(1950)年の開園。全国初の学校法人立幼稚園だという。
 籠池園長の就任は61年。他の幼稚園関係者との会話の中で、前職の公務員時代に抱いていた思いが頭をもたげてきた。
 「教育関係者と接していたとき、教師と教え子の“なあなあ言葉”での会話を聞いたり、教師のジャージー姿を目にしたりするにつけ、違和感を覚えました。根底に幼児期の『徳育』の欠如があるのでは、と感じたんです。園の先生たちと話していて、改めてその思いが強くなったんです」
 そんなとき、平成7(1995)年1月、阪神大震災が起きた。
 「あのときの日本人の行動には、人としての矜持があった。この矜持を育むことこそ教育。それから当園の教育の根幹を12の徳目に置き、『教育勅語』や『五箇条の御誓文』の朗唱を始めたんです」
 12の徳目とは、親や先祖を大切に▽兄弟姉妹は仲良く▽夫婦はいつも仲睦まじく▽友達はお互いに信じ合い▽自分の言動をつつしみ▽広くすべての人に愛の手を差しのべ▽勉学に励み職業を身につけ▽知識を高め才能を伸ばし▽人格の向上につとめ▽広く世の人々や社会のためにつくし▽規則に従い社会の秩序を守り▽正しい勇気を持って世のため国のためにつくす−−その基となっているのが「教育勅語」なのだという。
 また、基礎体力作りとしての剣道、スイミング、ラグビーや、日本の伝統文化を身につけるための将棋、そろばん、論語、書道。また、創造性を養うものとして、鼓笛隊や大正琴、日本太鼓も授業に組み入れた。

【小見出し】せっかく身につけたことが…
 籠池園長は現在、大阪府豊中市に私立小学校「瑞穂の國記念小學院」の建設を進めている。開校は平成28年4月を予定。目指すのは「礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる」教育だ。
 なぜ小学校運営なのか。籠池園長は説明する。
「集合時にだらだらとしていたり、子供が先生と友だちのようにしゃべったりというのが『普通』になっている小学校に、当園を出た子供たちが入っていくと、自分の根っ子に不安を持ち始めるんです。せっかく、当園で身につけたことが潰される…。それで小学校をつくることにしたんです」
 たしかに、記者が小学生だった昭和の時代は、普通の公立の小学校でも登下校時に先生にあいさつするのは当たり前で、わざわざ「あいさつしなさい」と注意された覚えもないし、先生との会話は敬語だった。
 新設する小学校は木造2階(一部3階)建て。敷地面積は約8700平方メートルで、教室にはそれぞれ6・6平方メートルの畳敷きのバルコニーを設ける。江戸時代にあった岡山藩の藩校「閑谷(しずたに)学校」をイメージした講堂1階は、板張りの間と和室があり、修身や茶道などの授業が行われる。

【小見出し】批判や嫌がらせにも揺るがぬ決意
 実は、幼稚園運営だけでも苦労は多い。日の丸を掲げ、君が代を斉唱し、皇族が関西に来られると、園児を連れて奉迎に出向く…という教育方針への批判の声は多いという。正面からの批判ならまだともかく、園の玄関に掲げた日章旗を盗まれるといった嫌がらせを受けたことも。
 「でも、そういう時代はもう過去になったと思います。古来、日本人は八百万(やおろず)の神を崇め、祀ってきました。子供のころ、よこしまなことを考えると『神様が見てる』という言葉が、常に心を射ました。そういう教育を行う小学校にしたい」
 籠池園長は笑顔の中にも決意を込めてこう語った。

  http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080001-n1.html

ヘイトとは何か、を考える


 長らく『改憲論及び改憲論者の徹底的批判』という記事を書いてきた。せいぜい五・六回程度の連載になるだろう、と思って書き始めた。改憲論者の理屈は他愛ないものであるし、さほどのヴァリアントがあるわけでも無い。第一、私自身が、憲法とか歴史に関しては常識的な知識しか持ち合わせていないのだから。
 それがズルズルと長くなり、十回を越えてもまだ終わらすことができないでいる。それは、改憲論者たちが、次々とヘイト発言をまき散らすからである。あるいは得意げに、ヘイト発言を擁護する側に立ってみせるからである。記事をお読みいただければお分かりになる通り、改憲論批判と題していても、内容は絶えずヘイト発言批判に横滑りしている。ヘイト発言が次々と出現する以上、記事を終了できなかったのだ。
 改憲論は単なる理屈であるから、極論を言うなら、無視しておいてもかまわない。だが、ヘイト発言となると看過するわけにはいかない。それは人間の根源的な倫理性に対する攻撃である。オマエハ、人間デアルコトヲ、ヤメヨ、という呪いの言葉である。呪いは伝播する。だから、私に向かって投げかけられた呪いでなくとも、亡者たちの心臓には木の杭を打ち込んでおかねばならぬのだ。

 改憲論とヘイト発言の結びつきには、前々から気付いていた。
 少々ややこしい話になるが、全ての改憲論者がヘイト発言をするわけではないが、ヘイト発言をする者は決まって改憲論者である、という不可逆的循環が成り立つことを確認しておきたい。
 改憲論者といっても様々な人がいる。法大系上の瑕疵を極小化するために条文の精緻化を試みるといった、いたって生真面目な改憲論もある。彼らはヘイト発言が飛びかうような市民社会とは隔絶された世界の住民である場合が多いようだ。(私の偏見か?) 私は、現憲法とは、太平洋戦争敗戦後の日本が選択した一つの「理念」であり、その歴史的判断こそ尊いものである、と信じているから、そのような訓詁学的作業に反対する立場にはない。学問とか研究とかには、そのような作業が不可欠である。もっとも私は、その方面には関心もないけれど。
 問題なのは、「ヘイト主義者」は必ず「改憲論者」である、という場合の「改憲論」である。この場合、事の本質は、彼らがヘイト主義者である、という部分にある。何度も指摘してきた通り、彼らが口にする改憲論は、そうだ、そうだ、と唱和するための「囃しコトバ」程度の意味しか持たない。だが、昨年来、この日本社会のあらゆる場面で、改憲論と渾然一体となったヘイト発言の噴出が続いている。許容できる範囲を越えたように思える。だから、いま、改めて、ヘイト主義の正体を突き止めておく必要がある。

  ヘイト発言をする者は、なぜ、改憲論者なのだろう?
  ヘイト発言をする者は、なぜ、原発推進論者なのだろう?

  そもそも、ヘイト発言とは何か?
  ヘイト発言をすることによって、発言者はどのような心理的充足を得るのだろう?
  ヘイト発言を成立させている、社会的構造とはどのようなものか?
  ヘイト発言とは自然発生的なものなのか? 
  ヘイト発言を意図的に煽り立てる意思力が存在するのではないか?

  ヘイト主義が奇妙な「日本」的概念を信奉するのは何故か?
  日本、日本、と言う割には、日本的伝統に対して無知なのは何故か?
  日本、日本、と言う割には、日本的美意識を欠いているのは何故か?
  日本、日本、と言う割には、日本語の使用が出鱈目なのは何故か?
  ヘイト主義が、「うろ覚え」と「聞きかじり」で事を済まそうとするのは何故か?

  ヘイト主義が、国家権力の中枢に収まっているのは何故か?
  それを、野党・ジャーナリズム・アカデミズムが批判できないのは何故か?

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 −−【その1】了−−  ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 目次へ