ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。








『稲田朋美さんと道義大国を目指す会』の風景。『道義国家』が『道義大国』にバーション・アップしてます。おお、最前列を見よ、疑似右翼おばさま・トリオ!


オッサンと爺さんは、教育勅語の唱和。絵にならないなあ。胸を張れ、声が小さい、と怒鳴られていそう。










佐々木盛雄の著作の一例。国会デモの規制に『論』なぞ成立するのかね? 赤信号横断規制論、授業中の廊下走行規制論、などと同水準だと思うな。それにしてもこの絵柄だと、国会前が随分と賑わっていて、オイ、みんなでデモに行こうぜ、面白そうだ、と煽っているみたいだ。



佐々木盛雄が題名をパクった本・映画の数々。

P.F.ドラッカー『断絶の時代』
この「断絶」は大流行した。親子の断絶、夫婦の断絶、なんて風に。忠臣蔵まで『赤穂城断絶』になってしまった。


ルイ・アルチュセール『甦るマルクス』。
それまでの、初期マルクスに傾斜した「主体的な」マルクスの読み方を批判していた。この本はかなり熱心に読んだが、私には、宇野弘蔵の資本論解説と大差ないように思えた。


ダニエル・ベル『イデオロギーの終焉』
この「終焉」も流行ったなあ。とにかく「終焉」と言えば、何か大層なものが終わりつつある、と言う悲壮感の伴うイメージが湧いて、本を読まずとも分かったような気になる困った言葉であった。


三島由紀夫『憂国』(1966)
これは映画のほう。
三島の初期の作品が好きでよく読んだが、だんだんと「豊穣」になってゆく言葉遣いに観念の空回りが感じられ、次第に縁遠くなってしまった。このままでは、三島は自決するのではないか、と友人に言った覚えがある。この映画より、ずっと以前のことだ。








『帝國萬歳憲法発布略図』(一部)
当時は、このような錦絵が盛んに描かれた。


『教育勅語下賜』の錦絵
この絵のように、その場で一番偉い人が天皇の勅を代読し、一同は頭を垂れて拝聴するものであった。子供たちが唱和するなど、とんでもない。また、ポスターやパンフなどに、ピカチューのように貼り付けて良いものでもなかった。森友学園も、明治神宮も、不敬が過ぎるぞ。










平将門


以下『太平記』からの抜粋。
朱雀院の御宇承平五年に、将門といひける者東国に下つて、相馬郡に郡を立て、百官を召しつかうてみづから平親王と号す。官軍こぞつてこれを討たんとせしかども、その身皆鉄身にて矢石にも破られず、剣戟にも痛まざりしかば、諸卿僉議あつてにはかに鉄の四天を鋳たてまつて比叡山に安置し、四天合行の法を行はせらる。ゆゑに天より白羽の矢一筋降つて将門が眉間に立ちければ、つひに俵藤太秀郷に首を取られてんげり。その首獄門に懸けて曝すに、三月まで色変ぜず、眼をも塞がず、常に牙をかみて、「斬られしわが五体、いづれの所にか有るらん。ここに来たれ。首ついで今一軍せん
すごいね。平将門と源義経は、非業の英雄の双璧だろう。


吉川英治『平の将門』
教科書などでの将門の扱いは、きわめて素っ気ないものだったので、私たちはこんな本で、悲劇の英雄の生涯を知ったのである。読みやすくて良い本だった、と思う。


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『教育勅語なぜ悪い? 論』は、なぜ悪い?    その2
                   平成29年04月17日



稲田が偏愛する『道義国家』という概念


 前回、芸人の小薮、防衛相の稲田、それに安倍内閣の閣僚までもが口を揃えて『教育勅語なぜ悪い?』とうそぶくのを引用した。稲田の場合はこうだった。

 教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません。私は教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行とか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして維持している。 (平成29年3月8日、参院予算委員会)

 稲田はこの『道義国家』というタームが大好きなようで、ブログにも「ホテルニューオータニにて、『衆議院議員稲田朋美さんと道義大国を目指す会』を開催させていただきました。」という記事をアップしている(平成28年4月27日)。
 ダークスーツのオッサン・爺さんどもが、小さな紙切れを手になにやら唱和している絵があるが、『教育勅語』であるに相違ない。ステロタイプ的カリカチュアにしかならないだろうに、それを平気で演じてみせる。イメージ力の貧困さに笑わされる。ホテルニューオータニ、ですと! この道義大国ごっこ、高ぅつきましたやろ、稲田はん?
   http://www.inada-tomomi.com/blog/1023

 ところが、前回も指摘したとおり、教育勅語のどこにも「道義国家」に相当する語句は無い、のである。また、どう読んでも、「親孝行とか友達を大切にするとか」は教育勅語の「核の部分」ではない、のである。
 繰り返しになって恐縮だが、前回書いた、私の教育勅語の要約で確認しておこう。

1、皇室が徳をもって治め、臣民は忠義と孝行でそれに応える、これが日本である。
2、教育とは、この忠義と孝行を身につけることである。
3、十一の具体的実践項目で忠孝を体現し、緊急時には己を捨てて永遠なる皇室を守れ。
4、国民はこの忠孝の行動によって天皇の臣民となる。それは祖先から伝わる忠孝の再現でもある。
5、以上は皇室の祖先が残された教訓である。すべての臣民はこれを遵守すべき義務をもつ。

 稲田のこの読み違いは何に由来するのだろう。きっと、稲田は教育勅語を読むのに、たくさん出回っている現代語訳の中から「選りに選って、とんでもない意訳・曲解訳のものを選んだのだろう」と推理した。
 そこで「教育勅語 道義国家」とググってみたら、その正体はいとも簡単に判明した。『国民道徳協会訳』というやつだ。稲田はこれを読んだのだ。その最初の1行はこうだ。

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

 エーッ! ウッソー! これが教育勅語? と叫びたいところだが、ほら、ここに『道義国家』が出てきたでしょう。

『国民道徳協会』こと、佐々木盛夫の正体とは?


 それにしても、この『国民道徳協会訳』と言う名称じたい、いかにも胡散臭いではないか。あたかもそういう名称の団体が機能していて、そのメンバーが共同して「客観的な」翻訳を作成した、というイメージを一所懸命偽装している。例えば、『憲法研究会』が『憲法草案要綱』を作り、『日本聖書協会』が『口語訳聖書』を作ったのと同じように。だが、これこそ、最近の安倍晋三がしきりと繰り返す「印象操作」そのものである。じつは『国民道徳協会』とは、佐々木盛雄という自民党の代議士あがりの男が、自分の著作に箔を付けるために適当に掲げた看板でしかないのだ。
 この男、1960年(昭和35年)に議員を止めてから、次々と著作を出しているが、そのほとんどが『国民道徳協会』が出版するる、という形をとっている。その題名を並べるてみようか。それだけで、この男の正体が分かる。

 『天皇制打倒論と闘う』(1946)、『反共読本』(発行年不明)、『国会デモ規制論』(1968)、『断絶の日本』(1969)、『甦える教育勅語 親と子の教養読本』(1972)、『狂乱日本の終焉/憂国警世の書』(1974)、『教育勅語の解説』(1979)、『日本人のこころの源泉 教育勅語』(1986)、『世直し読本 憲法と教育』(1980)、『修身の話』(発行年不明)、『日本のこころ』(発行年不明)。

 一言で言えば、俗流右翼イデオローグで、アパホテル元谷外志雄の先輩格と看做して間違いない。彼らに共通する無節操さは、本の題名からして、当時のベストセラーのパクリであることからもうかがい知れる。
 P.F.ドラッガー『断絶の時代』(1969)、ルイ・アルチュセール『甦るマルクス』(1968)、ダニエル・ベル『イデオロギーの終焉』(1969)、三島由紀夫『憂国』(小説1961;映画1966)。(大笑い)。


如何にして『国民道徳協会訳』は世に出たか


 上のリストの、甦るマルクス …… 、ではなかった、『甦える教育勅語 親と子の教養読本』(1972)に、佐々木盛雄は『教育勅語』の現代語訳を載せた。これに飛びついたのが明治神宮で、『教育勅語』の正本とか、この佐々木盛雄の現代語とかをパンフレットに仕立てて、境内で無料配布したのである。
 これを伝える朝日新聞の記事が見つかったのでコピーしておこう。活字が潰れて読めない部分もあるが、当時の雰囲気がよく分かる。【昭和48年(1973年)9月8日】
 「口語訳は『国民道徳協会訳文による』とある」とその出所が記されていて、次の二行が引用されている。(右に赤線の部分)

 非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。
 これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく


 これを現在流布している『国民道徳協会訳』と比較してみると、「真心を」が「身命を」に変えられている以外は全て一致している。間違いない、同じモノだ。佐々木盛雄自身も、後の『教育勅語の解説』(1979)で、あれは「著者の謹訳」と述べているらしい。
 『明治神宮』という権威と『国民道徳協会』というブランド偽装が奏功してか、これが一般的に流布していったのだろう。そして四十五年の歳月を経て、稲田朋美らの「思想的よりどころ」となっているのである。



 この新聞記事で注目すべきは、この時すでに、『国民道徳協会訳』は『教育勅語正文』から意味がズレていること、を正しく指摘していることである。(右に青線の部分)

A) 明治神宮で、参拝客に無償で配られるパンフレットがちょっとした波紋をまき起こしている。パンフの中に『教育勅語』の全文が掲載されたうえ「その口語訳が正文と多少ニュアンスが違うのでは……」との意見も出ているからだ。(中略)
B) 勅語の口語訳だが、たとえば「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分が「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません」と"苦労"のあとがみえる(中略)
C) 最近、神宮を訪れた新宿区戸塚町一丁目の大学生は、パンフレットについて次のような疑問を本紙に寄せた。「年配のかたがたで、教育勅語をいまわしい戦争の思い出とともに、心に抱いている人もあろう。都合の悪い部分を国の平和と安全という美名にすりかえることによって、新たな軍国主義をめざそうとする意図とも読み取れる」

 前回、『教育勅語』を25文字に要約すれば「忠孝の実現のため、戦争になれば、天皇のために死ね。」となる、と書いたが、B)の部分は、まさにその中核部分における「意味の希薄化」の "苦労" に触れている。
 C)の大学生の言葉は、いかにも「朝日新聞風」であるが、揶揄することは当たらない。「都合の悪い部分を国の平和と安全という美名にすりかえる」とは、まさに正鵠を射た文言である。現在の「教育勅語復活待望論者」にそのまま当て嵌まるではないか。


教育勅語の「意味の希薄化」−冒頭部分−


 この『国民道徳協会訳』における「意味の希薄化」について、もう少し突っ込んで考えてみる。
 上で引用した『国民道徳協会訳』は、『教育勅語』の冒頭部分であるが、それを『教育勅語 正本』と比較してみよう。正本はどのように「改竄」されているのか?。

(正本)ただし原文に句読点は無い。
 朕惟フニ、我カ皇祖皇宗、國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、コヲ樹ツルコト深厚ナリ。
(国民道徳協会訳)
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

 教育勅語は、読んで字のごとく『勅語』である。『勅語』とは、短く言えば「天皇の勅(みことのり)」、もう少し厳密に言えば「旧憲法のもとで、天皇が大権に基づいて、他の機関の参与をまたずに、直接に国民に対して発した意思表示。」である。(大修館書店『明鏡国語辞典』:小学館『日本国語大辞典』) だから『教育勅語』は「朕惟フニ」で始まり、「御名御璽」で終わる。
 明治天皇が、日常生活や会議の席で、どんな呼称で自分自身を表現していたのか、私は知らない。だが、現人神(あらひとがみ)とされた天皇が、臣民に向かって公式に「勅(みことのり)」を垂れる場面では、「朕」という主語を立てる。「朕」とは、天皇だけだが使用できる一人称主語なのである。
 「将門は朕が不徳と減らず口」という川柳がある。(たぶん山路閑古さんの『古川柳』という本で知った)。平将門は、京都の朝廷朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称した。だから『将門の乱』の最期をこんな風に皮肉られたのである。
 「朕」に相当する口語は無い。だから「朕惟フニ」の口語訳に、どうしても「私」を使うしかないのなら、「天皇である私は …… 」とか「あなたたち臣民の統治者である天皇として、私は …… 」とかいう風に、意味の限定をする必要がある。もしくは、「話している私は天皇である、さて …… 」と、予め名乗りを上げる必要がある。
 何も、『教育勅語』の解読に、訓詁学的煩わしさを持ち込もうとしているのではない。『教育勅語』とほぼ同時に公布・施行された『大日本帝國憲法』を合わせ読めば、この点の重要性はご理解いただけると思う。『大日本帝國憲法』も『教育勅語』と同様、『憲法発布勅語』として公布されたものである。だから「朕、祖宗ノ遺烈ヲ承ケ、万世一系ノ帝位ヲ践ミ、朕が …… 」と「朕」という主語で開始され、「御名御璽」で締めくくられている。書面としての分量には極端な差があるが、この二つは双生児のようなものだ。『大日本帝國憲法』と『教育勅語』の時系列を確認しておこう。
 
 1889年(明治22年)02月11日: 『大日本帝國憲法』公布
 1890年(明治23年)10月30日: 『教育勅語』   発布
 1890年(明治23年)11月29日: 『大日本帝國憲法』施行

 『教育勅語』発布は、『大日本帝國憲法』施行のちょうど一ヶ月前、なのである。そして周知のように『大日本帝國憲法』は『第1章 天皇』から始まり、17箇条に渡り、天皇の規定が続く。

  第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
  第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
  第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
  第4条 (以下 略)


 こんな風に見てくると、『国民道徳協会訳』における『教育勅語』改竄は、次のようにまとめられる。
1; 「神聖ニシテ侵スヘカラス」の天皇が、「朕惟フニ」と語るのを、安直に「私は」と置き換えて良いのだろうか? 仮に、「私」以外に適当な口語がない、という強弁が成り立つとしても、
2; 「我カ皇祖皇宗」の「我」は、「朕(すなわち天皇)の皇祖皇宗」であるはずなのに、「私達の祖先」と「臣民をも含めた日本人全体の祖先」と読める置き換えは、意図的な誤訳である。もっと分かりやすく言えば、「天皇=朕」を、70年頃の新左翼が愛用した「(人民・大衆である)我々はぁ〜」に置き換えているのである。とんでもない「不敬」の訳だ、と言わざるを得ない。よく右翼が黙っているもんだ。
3; 何度も言うが『道義国家』に相当する語句は正文には無い。あえて強引に符合させれば「コヲ樹ツルコト深厚ナリ」だろうが、これは「國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、コヲ樹ツルコト深厚ナリ」の前半と後半を対句にした修辞的表現であって。「コヲ樹ツルコト深厚ナリ」をいくらいじくり回したって『道義国家という概念』は導き出せない。
4; さらには、「私は、 …… と信じます。」という断定を避けた婉曲表現をしているが、正文にそのようなニュアンスは無い。本家の『大日本帝國憲法』と同様、断定、断定、で論を進めている。

 作家の高橋源一郎さんが、『教育勅語』の口語訳を公開されている。彼の『方丈記』の現代語訳(河出書房新社『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』に入ってます)と同様、とことん砕けた今風の話し言葉に訳されていますが、正本の意味はきちんと再現されている、と思う。その出だしの一行分をコピーさせていただく。正本、『国民道徳協会』佐々木訳、と比較していただきたい。

『高橋源一郎訳』
 はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。

教育勅語の「意味の希薄化」−天皇のために死ね、の部分−


 「忠孝の実現のため、戦争になれば、天皇のために死ね。」が『教育勅語』の中核である、と指摘してきたが、上の朝日新聞の記事も、この部分の「意味の希薄化」を「"苦労"のあと」と指摘していた。この中核部分も、(正本)、『国民道徳協会訳』、『高橋源一郎訳』の三つを比較しておこう。

(正本)
 一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ、天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。
『国民道徳協会訳』
 非常事態の発生の場合は、身命を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。
『高橋源一郎訳』
 さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。

 いかがでしょう。差は歴然としていますね。
 では、なぜ、このような、水で薄めて毒気を抜いたような『国民道徳協会訳』が、『教育勅語』として一般的に流布しているのだろう? その訳にある『道義国家』という言葉を、一国の防衛大臣までもが、思想・信条のキー・ワードとして用いているのだろう?

 それには「ネタ本」がある、というのが、私の見方である。
 それは、大川周明『道義国家の原則』1925年(大正14年)、というごく短い論文である。
 次回はここから。

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 −−【その2】了−− 『教育勅語なぜ悪い? 論』は、なぜ悪い? 目次へ