ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。









これは自民党の選挙ポスターだが、


コカコーラの看板を思い起こさせる。


道が出来、建物が建つところには、コカコーラの看板が先回りする。


日本の裏通りとて、同じこと。






1962年、二つの製薬会社から栄養ドリンクが発売された。大正製薬から『リポビタンD』、田辺製薬から『アスパラ』。
『タナベのアスパラ』は弘田三枝子さんのCMソングでヒット商品となったのだが、その歌詞の最後は「アスパラで生き抜こう」であった。

これに対して異議を唱える人が出た。いくら薬効灼かと言えども「生き抜こう」はチト言い過ぎではないか、生き死にに関わる病がアスパラで治癒するわけではなかろう、と。
製薬会社は素直にその意見を受け入れ、歌詞は「アスパラでやり抜こう」と変更される。中学生だった私も「アスパラでやり抜こう」のほうがしっくりするなと思った。この歌詞変更が話題になって、『アスパラ』の売れ行きはさらに伸びたのであった。メデタシ、メデタシ。

当時は、薬屋さんも、広告屋さんも、これくらいの見識を持ち合わせていたのである。安倍も電通の担当者も、じっくり『アスパラ』を味わって、自分たちの日本語レベルを反省すべきであろう。









































1952年(昭和27年)
『サンフランシスコ講和条約』



1965年(昭和40年)
『日韓基本条約』



2002年(平成14年)
『日朝平壌宣言』





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ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 その8
                   平成29年11月17日



赤地に白くは、コカコーラ


 『この国を、守り抜く。』

 極太ゴシック体の8文字が、赤地に白抜きされている。
 街角で目にする自民党の選挙ポスターは、その文字数と色使いで、 "Coca Cola" の看板を思い起こさせる。あながち勝手な連想でもないだろう。 "Coca Cola" のヴィジュアルは、企業のCI(Corporate Identity : コーポレート・アイデンティティ)戦略の先駆的成功例として、多くのマーケティング講座の教科書に取りあげられていた。マーケティング理論は成功例を踏襲する。電通の担当者が最も怠惰で無難なヴィジュアル提案を行ったのは、自民党幹部連中の凡庸なる多数派志向感覚を見抜いていたからである。


この国を、守り抜く。は、ヘイト主義の到達点


 それにしても、『この国を、守り抜く。』とは、何と奇っ怪な日本語であることか。安倍晋三も、日本会議も、ネトウヨどもも、二言目には、日本、日本、と言うくせに、その日本語感覚はフリーで使える翻訳ソフトとおっつかっつのものである。
 確かに辞書の「抜く」には、「動詞の連用形に付けて、補助動詞的に用いる。終りまでする。し通す。すっかり … する。し切る。」という語義項目があり、「難工事をやりぬく」「がんばりぬく」「ほとほと困りぬく」などの用例が載っている。「守り抜く」を独立の見出し語に立てている辞書もある。
 でも、「守り抜く」対象を「この国を」とするなら、それは、チトおかしい。用例に見る使われ方からも、常識的感覚から言っても、「守り抜く対象が巨大にすぎる」のである。例え自民党が第一党であるにせよ、単なる政党が、つまり政治家の集まりにすぎないものが、いくら頑張ったところで、「一国」を守り切れるわけがない。「守り抜く」というフレーズを使いたいのなら、「我が党は、一度立てた公約を守り抜きます。」といったあたりが相応だろう。これならばきちんとした日本語なのだが、この公約すら「守り抜いた」ことなどなかったではないか。

 日本語の常識的感覚とは相容れないにもかかわらず、安倍晋三らが、この国を守り抜く、この国を守り抜く、と連呼出来るのは、彼らの念頭にある『この国』とは、現実の日本ではないからである。いやしくも政治家なら、『この国を』と言うとき、真っ先に思うべきは、『この国の現実』であろう。

1、産業・実質経済の空洞化。ワーキング・プア層の拡大。
2、メドの立たない核廃棄物・核汚染物質処理と廃炉。再稼働による諸問題の先送り
3、限度を超えた首都圏集中。地方自治体の消滅危機と社会的インフラの荒廃。

 私は真っ先に心に浮かんだものを三つ並べただけで、気がかりな項目を列挙して行けば、この数倍にも膨れあがる。これが『この国の現実』である。それに対して、『守り抜く』などといった、場違いで脳天気な術語を添えて粋がっている場合ではないだろう。悔やみの口上に、このたびはお目出度うございます、と言うレベルの不謹慎さである。相手からどやされること必至である。だから安倍晋三の街頭演説は、時・所の告知も出来ず、親衛隊に十重二十重に防御される必要があったのだ。

 では、安倍晋三らが、『この国の現実』から目を逸らせ、その代償として夢想する『この国』とは何か。改めて言うまでもないことだが整理しておこう。

1、それは「反日勢力が破壊しようとしている日本」という幻想である。
2、『反日勢力』という概念自体、彼らが「仮想敵」として想定した幻想である。
3、『反日勢力』とは「戦後民主主義を堅持しようとする人たち」に対する揶揄的幻想である。

 つまり、日本の現実に対して有効な政策を打てなくなった安倍自民党が、戦後民主主義を仮想敵に想定することで、政策もどきを捏造した、という構図である。戦後民主主義的なるものを次々と破壊し(この間、彼らが強行採決した法律群を思い出せ)、それに抗議する国民を「こんな人たち」と呼び捨て、日本会議やネトウヨや在特会の露骨なヘイト主義の追い風に乗って、自らは『反日』を叩くことだけが唯一のアイデンティティである政治屋に成り下がった。


安倍自民党は『北朝鮮の脅威』に逃げ込んだ


 選挙ポスターはひとまず置いて、投票日当日の朝、各戸配布されたパンフレット『この国を、守り抜く。/ 自民党 / 政権公約2017』の話にもどろう。
 前回、このパンフは、「手前味噌」と「言いっ放し」で埋め尽くされているが、最初と最後のページは、支持者の心情に訴求する政治的アジテーションになっている、と述べた。それも、聞く者の政治的良心ではなく、大衆心理の愚昧なる部分、つまり、劣情に訴求するヘイトである、と。
 表紙の裏、最初のページは、安倍晋三のメッセージである。それは次のように開始される。

北朝鮮の脅威、そして少子高齢化。
この2つの国難を前に、今、政治には、明日を守り抜く重大な決断と実行力が問われています。
国民の信託なくして、前に進んで行くことはできない。
私は、衆議院を解散し、政権の行方をかけて、皆様の信を問う決心をしました。


 開口一番「北朝鮮の脅威」と安倍は叫ぶ。だが、冷静に事態を観察している人は、キム何某の妄動は、脅威どころか、安倍自民党にとっては「北朝鮮の恩恵」として働いたことを理解している。偶然そうなった、のではない。内閣支持率30%以下という壊滅的危機から逃れるには、国民の怨嗟の矛先を「内憂」から「外患」に向けるより他はない。そうなることを狙って、安倍自民党は解散・総選挙の日程を巧妙に設定したのである。
 今年の春からの、安倍自民党の国会運営に関しては、改めてここで述べる必要もないだろう。閣僚・議員たちの相次ぐ失言・放言・立ち往生、審議省略と繰り替えされる強行採決、そして他の何より、安倍自身の「もり・かけ」スキャンダル。丁寧な説明なんぞはついぞ行われることなく、這々の体で衆院解散に逃げ込んだ。
 さあ、国会は終わりだ、これで一息つける。もう「内憂」には触れるな。訴求すべきは「外患」だ。だから安倍は、挨拶抜きで、つまり、国会の混乱に対する一片のお詫びや釈明もなく、脅威だ、国難だ、と煽り立てる必要があったのである。


『危機』は存在するのか?


 このように言うと、それじゃ、日本と北朝鮮との間に危機はないというのか、と気色ばむ人もいるだろう。それに対しては、危機が無いとは言えない、危機はある、だが、安倍晋三が言うような危機は無い、それどころか、安倍晋三の方も、キム何某の向こうを張って、危機を煽り立ててばかりいる、と答えておこう。14日の新聞によれば、安倍晋三は、東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議で、「さらなる経済制裁と北朝鮮包囲網の形成」を訴えた、とある。とっさに、『ABCD包囲網』という言葉を思い浮かべたのは、私だけではないだろう。第二次大戦前、日本に対する経済制裁を、日本側はこう呼んで、盛んに国民の危機意識を煽ったのである。経済制裁と言えば聞こえが良いが「兵糧攻め」じゃないか。兵站活動は軍事行動ではない、とする詭弁と同じ論法である。

 いまの日本と北朝鮮との関係を言い現すのに、危機、脅威、国難、などという、むやみに闘争心を鼓舞する扇情的な言葉は使うべきではない。良識と品格を誇る国家の首長ならば、なおさらのことであろう。ここは、ごく客観的に「上手くいっていない」、「最悪である」、とでもいうべきである。

 では、なぜ、上手くいかず、最悪なのか。
 それは、双方が、近隣国を敵視することで自国民の結束を高めるという、最低のナショナリズム扇動を行ってきたことの結果である。ただ、それだけのことである。深刻な経済的対立があるわけでもなければ、植民地支配をめぐって争っているわけでもなく、国境紛争で両国軍が対峙しているわけでもない。度々戦火を交え、何世紀にわたりお互いが占領と非占領を繰り返し、祖先から受け継いだ憎悪と遺恨を、増幅させて子孫に伝えるというような悲惨な歴史を持つわけでもない。ただ、双方が歩み寄り、相手の懐に入るという外交努力を放棄して、後ずさりしながら罵りあっているだけ。これが、上手くいかず、最悪であることの理由である。


いま少し、歴史を確認しておこう。


 1952年(昭和27年)発効の『サンフランシスコ講和条約』で日本をめぐる戦後処理は終わった、と言われている。この時、大韓民国は講和会議への参加を望んだが、署名国としての資格も、オブザーバーとしての参加も許されなかった。平たく言えば「お前の国は日本と戦ったわけではない、日本の属国に成り下がっていたではないか」と、虚仮にされたわけである。

 その後、1965年(昭和40年)に締結された『日韓基本条約』で日韓の戦後処理は終了したと言われる。これにより、日本は韓国に有償3億ドル・無償2億ドルの経済援助をするが、その代わりに韓国は日本への戦争賠償を放棄することになる。さらにその第3条で、大韓民国政府が朝鮮にある唯一の合法的な政府であるとしている。つまり北朝鮮は国家として認めない、という共通認識によって、日韓は和解したのである。
 以降、日本のパスポートには、次の一行が記されることになる。

  This passport is valid for all countries and areas
  except North Korea(Democratic People's Republic of Korea)
.
  このパスポートは全ての国と地域において有効です、
  ただし、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を除いて、だけれど。

 1991年(平成 3年)、韓国と北朝鮮は同時に国連に加盟。この時日本は特段の反対もしていない。これは事実上北朝鮮を国として認めることになるわけだが、政府は何の見解も示さなかった。おそらく、これと関連してのことだと思うのだが、同じ年に、上記パスポートの渡航先適用除外条項は削除される。

 2002年(平成14年)、訪朝した小泉純一郎と金正日によって『日朝平壌宣言』が出される。これには「日朝国交正常化交渉の開始」が謳われているから、国交正常化は今後の課題であるが、その前提として事実上北朝鮮を国として認めることになるわけである。だが、2004年(平成16年)の第2回会談が不調に終わって以降、せっかくの宣言も有名無実化してしまう。

 この流れからみても、もし日本政府が北朝鮮と真摯な外交交渉を望むなら、まずこの「北朝鮮を国家として認めるのかどうか」という第一課題に立ち戻る必要がある。だが、残念ながら、安倍晋三を初めとする今の日本の政治家どもに、この課題に踏み込む器量があるとは思えない。過去を美化するわけではないが、明治の政治家なら、不退転の意志でこの課題に立ち向かったであろう。

 この歴史的遺物にきちんと向き合わねばならぬという課題は、今の北朝鮮がキム何某によって蹂躙されているという事実とは、あくまで別の問題である。今のキム何某の妄動がどんなに許しがたいものであっても、そのことによって歴史的事実が「チャラになる」ことはないのだ。ましてや、在日韓国人、在日朝鮮人の人権とは何の関係もない。これは論理が成立するための条件であり、物事の可否判断より以前の常識である。ヘイト主義はこれを混同させる。そのヘイト主義が『嫌韓・嫌朝鮮』をがなり立てるからこそ、その通奏低音に乗って、安倍晋三は開口一番「北朝鮮の脅威」と歌うことが出来たのだ。


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