ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。




「暗黒大陸」とは、19世紀の中頃まで西欧諸国の人々が、アフリカに対して抱いていたイメージである。西欧人にとっては未踏の土地であり、キリスト教によって教化されていない野蛮な(Sauvage)地域という意味が込められている。近代とは、西欧諸国による、全世界のキリスト教化と植民地支配化が、表裏一体の関係で進行した時代である。その反省から、現代では、ほとんど使用されることがない。山本幸三はこういう事情を理解して「暗黒大陸」という言葉を使っているのだろうか? Noだろう、間違いなく。

スコットランドの宣教師デイヴィッド・リヴィングストンが、始めて「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断した。
ヴィクトリア・フォールを発見したのも彼であったと言われている。当時英国は女王ヴィクトリア統治の時代だったので、こう命名された。もちろん滝は太古の昔から存在していたのであって、地元の住人たちは「雷鳴の轟く水煙」という意味の「モシ・オ・トゥニャ」(Mosi-oa-Tunya)と呼んでいたという。





オスマン・サンコンさんはギニア人。ソルボンヌ大学を出て外交官になった。そんな彼が「ギニアを広めるため」という理由から「笑っていいとも!」のオーディションに応募しタレントに転身。
黒人である事から「とうぜん起こりうる可能性のある差別を先取りして」ギャグにしてしまう。例えば、ギニアに里帰りしていたという話を振っておいてから「すっかり日焼けしちゃった」と落とす。
本来ならこちらの方が乗り越えなければならない小さな壁を、サンコンさんの方が取っ払ってくれたのである。捨て身の芸の恩恵を我々は享受している。
山本幸三だってサンコンさんを知っているはずである。でも、サンコンさんを、どう思って観ていたのだろう? 「あんな黒いの」だったのだろうか。




『日の名残り』は1993年のイギリスの映画。
この映画を観ていて、ほう、E.M.フォースターには、こんな作品もあったのいか、と思った。監督、ジェームズ・アイヴォリー、主演、アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン、という並びから、勝手に勘違いしていたのだ。
終わりのクレジットに、Kazuo Ishiguro、という名をみつけてビックリ。あんな心地よい衝撃はめったに味わえない。
文化勲章を差し上げるなんて騒いでいたけれど、だったら、晋三君はこの『日の名残り』ぐらい観たのかな? 観てない、と思うな。



平和賞授賞式で演説するサーロー節子さん。

サーロー節子(中村節子)さんは、広島に原爆が投下された1945年8月6日、爆心地にほど近い、広島女学院に通う13歳の少女だった。授業は行われておらず、同級生の多くは空襲後の防火帯をつくる作業にあたっていた。彼女は成績優秀者30名くらいが集められた一員として、広島駅近くの北西側にあった第二総軍司令部で暗号解読作業に従事していた。「そんな重大な情報に13歳の女子生徒をあたらせるくらいですから、日本がどれほど絶望的な状態にあったかがよくわかります。」と彼女は語っている。暗号解読の訓練を終え、8月6日は彼女の正規の暗号解読助手としての第一日目だった。建物の二階で暗号作戦の責任者が「元気で、天皇陛下のために一生懸命に働くよう」訓示し、「わかりました。最善を尽くします」と言った時、原爆がさく裂した。
下のサイトからいただきました。
感謝
http://dailyrootsfinder.com
/setsuko-thurlow/



アメリカの西海岸、特に桑港は旧来より日本との繋がりの強い所だ。

日本人街にあるレストラン
大阪屋 綾麻呂(?)と読める。
左の額は棟方志功か。

サンノゼはサンフランシスコの南にある町。ここにも日本人街がある。

1962年8月12日、当時24歳の堀江謙一青年の乗る小型ヨット「マーメイド号」は、サンフランシスコ港に到着した。
この時ほど、日米における行政レベルの差を見せつけられたことはなかった。それは漫画的と言えるほどの落差であった。今回の吉村某の言動で、その差は一向に縮まっていないと感じられた。赤面。
当時はヨットによる出国が認められなかったため、「密出国」という形になった。大阪海上保安監部は家族から捜索願が出された時点で全国の海上保安本部へ“消息不明船手配”を出すと共に“不法出国”についても捜査を始め、幹部は当初取材に対して「堀江君はすぐに身柄を拘束され日本へ強制送還されるだろう」とコメントしていたが、当時のサンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れ、1ヶ月間の米国滞在を認ると報道されたところ、日本国内のマスコミ及び国民の論調も、手のひらを返すように堀江の偉業を称えるものに変化した。その後帰国した堀江は密出国について当局の事情聴取を受けたが、結果起訴猶予となった。
ウィキペディアより

マーメイド号は、今でも桑港の
国立海洋博物館
(National Maritime Museum)
に展示されている。

N響事件で日本を去った小澤征爾さんは、トロント交響楽団のあと、1970年からサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務めた。
日本と桑港とのつながりは古く、すでにかけがえのない歴史が形成されている。何にも分かっていない吉村某が、離縁じゃ、離縁じゃ、などど叫べる関係ではないのだ。
吉村某は、自分の言動が桑港在住の日系人にどの様な影響を与えるか、なんて、考えもしないのだろう。






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ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 その10
                   平成29年12月25日



『歴史修正主義』という言葉について


 ちかごろ『歴史修正主義』という言葉が多用されるようになった。
 たった一回のガセネタ報道を楯に取って、「朝日新聞は反日だ、従軍慰安婦などでっち上げだ」と言いふらすような人たちとか、人数の計算が合わないことを理由に、「明確なエビデンスがない、だから南京大虐殺などなかったのだ」と言いだすような困った人たちが増えてきた。そんな人たちを指すのに、否定的意味合いを込めて用いられる。このような「用語・術語」は、話の度にいちいち対象の説明をする手間が省けて便利なのだが、この「困った人たち」は、『歴史修正主義者』と呼ばれても、いささかの痛痒も感じていないように思われる。
 歴史修正主義だと、何を言う、無礼な、と憤る人に出会ったことがない。逆に、褒められていると勘違いしてる可能性がある。時計が遅れていたので修正した、進路が逸れたので修正した、など、「修正」とは本来あるべき正しい状態に修することなのだ、俺たちは、歴史が誤った方向に導かれるのを「修正」しているのだ、エヘン、と。
 冗談を言うのではない。下手な皮肉を述べているのでもない。辞書を引いても、本文に出てくる最初の言葉をチラ見するだけで全部分かったつもりになるような人々。押しつけられた憲法だからダメ、親孝行が大事という教育勅語がなぜ悪い、と一言ツィートでもって、歴史認識を完了させてしまうほどの超短絡的思考の人たちなのだ。大いにあり得ることである。

 調べて見たら、英語で "Historical revisionism"、独語で "Geshichtsrevisionismus"、という歴史学の用語があって、それの日本語訳が『歴史修正主義』として定着したという経過があるらしいが、よく分からない。
 『歴史修正主義』という言葉を使用するのは、いわゆるサヨクの側の人たちだと思うが、私ぐらいの年齢になると、『修正主義』という言葉がかってどの様に使われていたのかについての生々しい記憶がある。むかし(あくまで "昔" のはなしである)、どの国においても共産主義者の中枢は、急進派に対しては「冒険主義」、穏健派に対しては「修正主義」というレッテルを貼って排撃するのが常であった。それは本来の敵に向ける言葉より多くの憎悪を含んでいた。堕落したブルジョアジーより悪い、その亜流であるプチ・ブルより悪い、と断罪するわけだから、当然様々な悲喜劇が生じた。これだけで文学の一ジャンルが成立したほどである。おしなべて陰鬱で、当然、面白い小説にはならなかった。だから私は『歴史修正主義』という言葉の使用に多少の抵抗感がある。

 でも、この間、おじさんたち、またかよ …… 、と、思わず口にしてしまう不愉快なニュースが、次々と伝わってくるのだが、そのほとんどが、この『歴史修正主義者』たちの仕業なのだ。じゃあ、彼らのことをどの様に呼ぶべきか。そんな戯れ言で誤魔化しながら、彼らの所業を視てみよう。そうでもしなければ、腹が立って冷静に文章が書けないのだ。


その1 山本幸三の場合 『歴史無教養主義』


(毎日新聞 11月25日)
 前地方創生相の山本幸三・自民党衆院議員(福岡10区)が、23日に北九州市内であった三原朝彦・自民党衆院議員(同9区)の政経セミナーで、アフリカ諸国の支援に長年取り組む三原氏の活動に触れ「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言していたことが分かった。山本氏の事務所は「人種差別の意図は全くない」としている。
 山本氏は来賓あいさつで、三原氏の政治姿勢をたたえた上で「ついていけないのが(三原氏の)アフリカ好きでありまして、何であんな黒いのが好きなんだっていうのがある」と述べた。三原氏は国会議員らでつくる日本・アフリカ連合友好議員連盟(会長=逢沢一郎衆院議員)の会長代行を務め、今年7月は現地視察している。
 山本氏は25日、福岡市内で取材に応じ「アフリカが『黒い大陸』と呼ばれていたことを念頭にとっさに出た言葉だった。差別的な意図はないが、表現は撤回したい」と話した。


 失言の2日後に、山本幸三はあわてて言い訳をしているわけだが、理屈も通っていないし、ただ聞き苦しいだけである。このような行為を、古来「恥の上塗り」と言う。
 山本が「何であんな黒いのが好きなんだ」と言ってしまい、騒動になりそうな気配なので、事務所があわてて「黒い」という発言を正当化できる概念を探して、『黒い大陸』という言葉を見つけだし、山本に注入したのだろうが、これでもって「あんな黒いのが」を正当化するのは相当の無理がある。それより以前に、『黒い大陸』という言葉じたい極めて差別的な概念であることに、事務所は気づきもしない。
 山本センセイのためを思う事務所の人間なら、ここはきっぱりと自己の不明をわびて謝罪しなさい、と言うべきだったろう。なぜその程度の市民社会的ルールすら実行できないのだろう。センセイ本人も事務所のスタッフも、差別主義・ヘイト主義というより以前の、単なる無知蒙昧の混沌的世界で浮遊している単なるバカの集団のように思える。

 感じられるのは、山本センセイの黒人差別には「実体が無い」ということである。
 差別もヘイトも、その対象を極めて歪めた状態で捉えているわけだが、山本センセイの黒人差別には、この「歪められた対象」すら感じられない。言い換えれば、対象のすべてを意識・認識の埒外に追いやって平気なのである。だがこれは、最も原初的で、かつ最も悪質な差別である。だから『暗黒大陸』という言葉を平気で言い訳に使うことができたわけである。
 山本センセイは、おそらく、ハリウッド映画を観ても活躍する黒人俳優の名前を覚えようとはしないだろう。ファンキーなジャッズのLPを一枚だって聴いたことも無いだろう。陸上選手がトラックを駆け抜ける肢体の見事さに見惚れたこともないはずだ。何と貧しい人生なのか。一生貧しいままでいればイイさ。自業自得だ。

 よって、山本幸三とその事務所には、 "Historical Revisionist" の訳語として
『歴史無教養主義』
という言葉を与えよう。



その2 安倍晋三と日本政府の場合 『歴史蹂躙主義』


 10月6日、日本政府は、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞に対しシカトを決め込んだ。その前日、カズオ・イシグロ氏の文学賞受賞に関しては、安倍晋三自身が祝福のコメントを発しているにも関わらず。
 安倍はコメントで、イシグロ氏が長崎市の出身であることに触れている。実際イシグロ氏のお母さんは長崎で被爆されたそうで、氏のデビュー作と言われている『遠い山なみの光』は、その戦後間もない頃の長崎が舞台となっている。ICANのノーベル平和賞受賞を黙殺したとき、安倍の心は、そよとも痛まなかったのであろうか。
 この時の政府の発言が何か残っていないだろうかと探したら、こんな記事が見つかった。

(朝日新聞 10月6日)
 日本政府は、核兵器禁止条約採択に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞の報を複雑な思いで受け止めている。核廃絶へ向けた意義を認める一方、核・ミサイルの脅威を高める北朝鮮に触れ「遠く離れた国と、現実の脅威と向き合っている我々とでは立場が違う」ととまどいを見せる外務省幹部も。首相官邸と同省は受賞決定を受けてのコメントを出さなかった。

 この「遠く離れた国と、現実の脅威と向き合っている我々とでは立場が違う」という外務省幹部の発言は許せない。ノーベル平和賞を選考するノルウェー・ノーベル委員会は「北朝鮮と遠く離れているから現実の脅威と向き合っていない」と言っているのだ! つまり「そこで平和賞に選考された ICAN の思想は、核兵器の現実の脅威とは無縁の理想論に過ぎない」と言っているのと同じである。おそらく、 ICAN の主張に謙虚に耳を傾けたことなど一度もないのだろう。「核廃絶へ向けた意義」なんて、これっぽっちも認めていないはずである。ウソをつくな。
 それをそのまま、ああそうですか、と記事にしている朝日も朝日である。そんな立場の不鮮明さ、首尾一貫性のなさが、アサヒ与し易し、と見くびられて、ネトウヨどもの恰好の攻撃対象とされるのだ。

 2ヶ月後の12月10日、平和賞の授賞式でサーロー節子さんが演説を行った。これは素晴らしい演説である。被爆体験と反核・非核運動への意志力が丁寧に述べられた後、後半は『核兵器禁止条約』をボイコットした国々の首長への呼びかけへと進む。(安倍よ、お前に向かって話されているんだ。分かっているのか) そこでは、「抑止力」理論と「核の傘」理論こそ「抽象的な理論」であると指摘され、すぐれて論理的に批判・論駁されてゆく。この二つの理屈こそ、日本政府が長らく信奉し、今回の『核兵器禁止条約』をボイコットする根拠としていたものではなかったか。

 責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「抑止」論なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。
 核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムの不可欠の一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。
                              
(日本語訳はICANによる)

 これに対しても安倍はかたくなに黙殺を続けた。面と向かって批判されれば顔を真っ赤にして激怒してみせるのに、都合の悪い問いにはシカトかよ。何か言わなければマスコミがうるさい、と考えたのだろう、翌日、菅官房長官が定例の記者会見で、申し訳程度の短いコメントを出している。まさにイヤイヤながらの態で。

(毎日新聞 12月12日)
 菅義偉官房長官は11日の記者会見で、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のノーベル平和賞受賞を「核廃絶というゴールは共有している。核軍縮・不拡散に向けた認識や機運が高まることは喜ばしい」と歓迎した。一方で「政府は核兵器国と非核兵器国の双方に働きかける。核兵器禁止条約はこのようなアプローチとは異なる」と述べ、同条約を署名、批准しない方針を改めて表明した。

 おい、おい、これがサーローさんの問いかけに対する返答かよ。答えになっていないじゃないか。無礼極まる。お得意の日本会議直伝の礼節とやらはどこへ行ったのだ。「政府は核兵器国と非核兵器国の双方に働きかける。核兵器禁止条約はこのようなアプローチとは異なる」とは、全くもって意味不明である。サーローさんのメッセージは、きちんと「核兵器国と非核兵器国の双方に」むけて発信されているぞ。誤解の余地はない。「このようなアプローチとは異なる」だと、下手なゴルフ用語など使うな。
 この件に止まらず、最近の日本政府は、国際連合とかノーベル賞だとかの意向に逆らって、己の我を通すことが多くなった。国際連合もノーベル賞も、もともと大きな戦争の反省から生まれた仕組みである。その基本は「非戦・平和」である。その意向との軋轢が多くなったとするなら、その理由は日本政府の変節にしかないのだ。危険な兆候である。

 よって、安倍晋三と日本政府には、 "Historical Revisionist" の訳語として
『歴史蹂躙主義』という言葉を与えよう。



その3 大阪市長 吉村洋文の場合 『歴史遺産廃棄主義』


(毎日新聞 11月23日)
 米サンフランシスコ市のエドウィン・リー市長は22日、市民団体が市内に建てた旧日本軍の従軍慰安婦を象徴する像の寄贈の受け入れを承認した。像は市有物となる。
 これを受け、サンフランシスコ市と姉妹都市である大阪市の吉村洋文市長は「サンフランシスコ市の意思として慰安婦像の受け入れを確定させることになったのは、大変遺憾だ」とのコメントを発表した。その上で、両市の信頼関係はなくなったとして、姉妹都市解消の手続きに入り、12月中に完了させる意向を表明した。
 安倍晋三首相も21日の衆院本会議の代表質問で、リー市長に対し、像の受け入れを拒否するよう政府として申し入れたことを明らかにしていた。
 サンフランシスコ市議会は14日、全会一致で像の受け入れを決議。リー市長は10日以内に拒否権の行使が可能だった。像は中国系の民間団体が主導し、9月に民有地に設置され、10月に土地が市に寄贈された。
 米国で公有地に慰安婦像が設置されるのは米西部カリフォルニア州グレンデール市と南部ジョージア州ブルックヘブン市に続き3例目。


 何と、安倍晋三までサンフランシスコ市に「いちゃもん」を付けていたとは驚きである。さすが筋金入りの "Historical Revisionist" だけのことはある。党派を超えての見事な連携ではないか。だが、待てよ、森友学園問題で追及を受けた時、いらついて、ちっぽけな国有地の払い下げ問題など一国の首相が関わる案件ではない、などと息巻いていたのは、貴方ですよ。その理屈で行くならば、太平洋の向こうの街のささやかなモニュメントの設置なんぞ、日本国政府としてわざわざ口を挟むようなマターではないはずだ。日本の品格をおとしめるような言動は止めていただきたい。

 それにしても、維新なんたらの会とかの吉村某は、一体、どの様な政治理念で行動しているのだろう? あまりにも馬鹿らしくて、この件に関してのニュースはエスケープしていたのだが、時系列を確認してみたら、おったまげてしまった。
 12月12日(火)、「大阪維新の会」(もういい加減『維新』を僭称して歴史的概念を汚すのは止めて欲しい)は「姉妹都市提携の解消を求める決議案」を大阪市議会に提案し、自民・公明・共産などの反対多数であっさりと否決されている。すると吉村某は、「姉妹都市解消に市議会の同意は必要ない、週内に解消を正式決定する」と言いだした。「週内」と言うからには15日(金)ごろまでかと思いきや、翌13日(水)の記者会見で早々と「今日の幹部会議で正式決定した」と曰う。ただしサンフランシスコ市のリー市長が急死したので、先方への通知は、来年6月に市長選が実施された後に行うのだそうだ。

 ん? ん? の連続である。
 「姉妹都市解消に市議会の同意は必要ない」のなら、何故わざわざ「姉妹都市提携の解消を求める決議案」などを市議会に提出する必要があったのか? 
 「姉妹都市提携とか姉妹都市提携の解消とかは、市の幹部会議で決定する」という規定が、いったい何処にあったと言うのか?
 そもそも「姉妹都市提携」とは、お互いの政治的体制は違っても、いや政治的立場が違うからこそ、市民のレベルでは交流して行きましょうという、持続的な文化交流であったはずである。男同士は喧嘩をしても、女同士は仲良くできるもんね。だから「姉妹都市」なんだろう。それを政争の具におとしめるとは野暮の極み、愚の骨頂。女子会に乱れ混んだ泥酔男。
 大阪市のホームページを観ると、サンフランシスコとの姉妹都市提携は、1957年に始まっている。もう60年の歴史があるわけだ。吉村自身も昨年訪問しているではないか。その歴史的営為の蓄積は貴重なものであろう。文化的遺産と言って良い。それを、その時の行政の長であるという理由だけで、反故にする権利は、誰も持たないはずである。

 吉村某の論理をそのまま横展開するなら、カリフォルニア州レドンドビーチ市は、『ひめゆりの塔』を設置している糸満市に対して、そのような反米感情を煽り立てるようなモニュメントを撤去しないなら、海外友好都市の関係を解消する、と言うことが可能となる。
 同様に、ハワイ州ホノルル市は、『広島平和記念資料館』を設置する広島市に対して、同じ理由から、姉妹都市の提携を解消すると言い出すだろう。ホノルルの方だって、 "Remember Pearl Harbor!" と、遺恨の種はあるのだから、収集のつかない事態になりますよ、これは。
 だが、『ひめゆりの塔』や『広島平和記念資料館』で、アメリカ人観光客が追い出された、なんて話はついぞ聞いたことはないし、この私だって、オアフ島のアリゾナ記念館に行ったことがあるが、そこでは日系人らしき人も大勢働いていて、アロハ・アロハ、と歓迎してくれたように記憶する。
 改めて言うまでもないことだが、これらはすべて「歴史的モニュメント」なのであって、個人的遺恨・民族的遺恨を保存・増殖させることが目的の設備ではないのである。残念ながら、ネトウヨと呼ばれる人たちにはこの区別がつかないようなのだが、(まことに失礼な言い方ながら、地方の町会議員さん、村会議員さんならともかく)一国の総理大臣とか政令指定都市の首長が、その真似をすることはないのだ。

 いささか旧聞に属するが、2013年6月、大阪市長であった橋下徹の「当時、慰安婦制度が必要だったことは誰でもわかる」という発言で、サンフランシスコ市が橋下徹の訪問を拒否する、という一幕があった。この件に立ち入る気は無いので、詳細は一切省略するが、それ以来、橋下徹とサンフランシスコ市との間には曰く因縁が続いている。橋下は吉村の前任者であり、彼の属する政治グループの首領でもある。だから吉村は御大のやり方をそっくり真似てみせることで、御大への恭順の意を示したのである。何のことは無い、上位権力者にたいするゴマすり。これが、この騒動の本質なのである。己の保身のため、60年にわたる文化的交流の伝統的遺産を蹂躙して平気なのだ。

 よって、吉村洋文には、 "Historical Revisionist" の訳語として
『歴史遺産廃棄主義』
という言葉を与えよう。


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