ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。








富本憲吉

富本憲吉は、1915年(大正4年)、29歳の時に、安堵村の自宅近くに本焼の窯を築いて陶芸を開始した。ほとんど独学であったらしいが、研究のため、信楽、瀬戸、朝鮮半島を訪問している。
増井は、地元の誇るべき芸術家が高麗青磁と李朝白磁に多くを学んでいることを知るべきである。


今回の記事は惨憺たる内容なので、富本憲吉の作品を何点か眺めて、心を静めてみよう。変な引用のしかたですが、お許しください。



赤地金銀彩羊歯模様蓋付飾壺
奈良県立美術館蔵



色絵四弁花更紗模様六角飾筥
奈良県立美術館蔵



白磁壺
大阪市立美術蔵



色絵赤更紗模様皿
大阪市立美術蔵






































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法隆寺

この見事な建築は、百済から招聘した大工さんの技術力によって建てられた。これは周知の歴史的事実である。



こちらは夢殿。



初代一万円札の「すかし」に採用された。


法隆寺の百済観音像

古くは虚空蔵菩薩と呼ばれていた。
和辻哲郎が『古寺巡礼』で、『百済観音』とよんだあたりから、この名称が一般化したらしい。
高校生の頃、和辻哲郎『古寺巡礼』とか、亀井勝一郎『大和古寺風物誌』を熟読した。試験によくでる文章だと紹介されて、これらの本を知ったのだが、読み始めてたちまち虜になり、大和はあこがれの地となった。それが本格的な読書のきっかけとなったように思う。

増井敬史のようなヘイト主義者は、このような知的冒険をした経験がないのだろう。ただ、それだけのことかもしれない。寂しい話である。合掌。



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ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 その12
                   平成30年01月30日



『少子高齢化が国難』とは、福祉国家という理念の放棄である。


 前回の終わりに、こう書いた。安倍自民党は「少子高齢化が国難」と言うが、このスローガンには何の「状況分析」も「政策」も含まれていない。要は、「福祉国家でありたいという目標を放棄する」と宣言することが憚(はばか)られるので、「やたら数ばかり多い高齢者と、意識ばかり高くて子どもを生もうとしない腐女子」にヘイトを向けた、というだけのことである、と。

 「少子高齢化が国難」というスローガンを批判する人は多い。だいいち、人口動態の何処を捕まえて「少子高齢化」と言うのか? 出生率の低下のことを言うのなら、平成17年に底を打って、以降は堅調に上昇し続けているではないか。欧米先進国諸国の人口ピラミッドと比較して、日本のそれが極端な傾向を示しているわけではない。云々。
 だが、このスローガンを、「福祉国家という理念の放棄であり、やたら数ばかり多い高齢者と、意識高い系腐女子にたいするヘイトである」という指摘をする人は少ないようである。あまりにも悪口やヘイトが充満する社会なので、感受性が鈍化しているのだろうか。安倍自民党は、その首領も、前総務大臣 "T" 女史も、地方議員の下っ端も、寄って集って悪口・ヘイトの大合唱である。マスコミも「コレと指し示す事のできる、認知された差別用語」が使われた場合以外は、決して騒ぎ立てたりはしないようだ。

 安倍自民党は、昨秋、「国難突破」と称して衆院を解散した。衆院選当日の朝、各戸配布された『政権公約 2017 』は、冒頭から、「北朝鮮の脅威、そして少子高齢化。この2つの国難を …… 」と声高に標榜している。そして今、そのパンフは、『 2017 政策パンフレット』とタイトルだけ変えて、そっくりそのまま自民党のホームページに掲載されている。 PDFファイルにしておきました、どうか、ご自由にダウン・ロードして下さい …… 。
 首領の指示に従順な下っ端どもは、これを十二分に活用したのだろう、成人式の祝辞でも、この「少子高齢化国難論」をぶちあげて、挨拶の一つも満足に出来ないのかと、衆人のひんしゅくを買ったのは前回の記事の通り。
 だが、あの地方議員どもだけが、群を抜いて低俗だったわけではない。誰かを悪者にして、その悪口を言うことで自己のアイデンティティを確立するしかない、といった困った政治家が、実は、今の"保守系"政治家においては、ごく当たり前の姿なのである。このことを、私の選挙区から選出されている、自民党代議士 "T" 女史の場合で検証した。

 「 "T" 女史」と伏せ字にしたのは、正月早々、名指しで人の悪口を言うような趣味を、私は持たないからである。ところが先日、彼女がとんでもない所に出現しているのを発見した。これはもう、伏せ字で済ますわけにはいかない。


安堵町町議 増井敬史の "Facebook" ヘッダー


 悪口やヘイトの度が過ぎて、勢い余って、「コレと指し示す事のできる、認知された差別用語」を大声で叫んでしまう。時々そんな御仁が出現する。
 私の家から西北西に10キロほどの所に安堵町という町がある。そこに増井敬史という町議がいるのだが、この20日、この男が "Facebook" にとんでもない投稿をした。これが最悪のヘイトなのである。私の記憶する限り、かの森友学園籠池諄子の場合が最悪のヘイトだと思うのだが、彼女のそれは、これでもか、これでもか、というネチネチしたヘイトの積み重ねで「ヘイトの神髄」を極めたのであったが、増井敬史の場合は、たった一発の記事でその域を凌駕している。
 彼は、「調子に乗ってしまった。迷惑を掛けて申し訳ない」(産経WEST)と言い、投稿記事も削除したらしい。だが、ネットとは恐ろしい仕組みである。「ウェブ魚拓」というサーヴィスがあり、30秒ほどの検索で、私はその画面を見ることができた。

 心の準備もなく、いきなり本文に向かうと、心身に宜しくないと思われるので、まず彼のページのヘッダーから見てみよう。



  "Facebook" で自己紹介をする場合、可愛いキャラクターや動物の写真などを借用して、自分の実像は御簾内(みすうち)に隠すのが普通だろう。私め、はなはだ未熟ものではございますが、一段語らせていただきます、という慎ましやかさこそ、我々の美意識と言うものだ。日の丸を掲げて、此れ見よがしに日本人であることを気取るなら、最低限の日本人的礼節をわきまえよ。
 ところがこのオッサン、テラ光りした自分の顔写真をデーンと曝している。以前に取りあげた、長谷川豊とか、倉山満とか、土屋敬之とかの同類である。「ヘイト主義者は、東アジアの平均的な醜男であるにもかかわらず、自分を大変な男前であると錯覚する」という『ヘイト男の第1法則』がここでも再現されている。

 それにしても、『改憲』、『国会議事堂』、『日の丸』、を並べて、ヘッダーにするなんて、何という精神の貧しさだろう。感性ゼロ、知性ゼロ、脳髄空っぽ。『 2017 政策パンフレット』と『日本会議』のホーム・ページあたりが、彼の人間性のすべてなのだ。
 増井サンよ、あんた、安堵町の町会議員なんだろう。だったら、何で、安堵町の美しいもの、をヘッダーに使わないのか。安堵町と言えば、富本憲吉さんじゃないの。人間国宝だよ。となり町には法隆寺だってある。世界最古の木造建築、ユネスコの世界遺産だぜ。

 『政権公約 2017 』=『 2017 政策パンフレット』の最後の項目は、『6 国民の幅広い理解を得て、憲法改正を目指します。』であった。おいおい、「国民の幅広い理解」どころの話じゃないぜ、下っ端は、こんな風に、「改憲という言葉のイメージ」だけを鵜呑みにして、自分の「政見」だと見得を切っているのだ。


安堵町町議 増井敬史の "Facebook" 本文 ★★ 閲覧注意 ★★



 さて、いよいよ本文に進もうか。
 覚悟は良いですか? もう、想像を絶する非道さですよ。引用も、要約も不可能なので、画面をそのままコピペします。不愉快さを我慢して読んでみてください。



 いかがですか? 驚かれたでしょう。
 これは、もう、論評不能ですね。ここが間違っている、とか、ここが不明確である、なんて指摘できる水準のものではない。「両足を牛にくくりつけて、股裂きの刑にしてやりたい!」なんて、何処からこのような加虐的変態性を獲得したのか、想像するだけでもおぞましい。

 文章の内容は触れることも出来ぬ汚物なので、何故、彼がこのような文言を吐くことが出来たのか? という、彼の「外側の事情」だけを想像してみよう。

1、海の向こうのトランプ氏が、 SNS を上手く使って支持を獲得したと聞き及んで、それならこのオレもと "Facebook" を始めてみたものの、 "Social Networking Service" の「社会的に開かれた」という意味が理解できていないので、気心の知れた仲間内で喋るのと同じ調子で書いてしまった。
2、トランプ氏の攻撃的な口調を「カッコイイ」と感じて、それを真似た。
3、サヨクは建前論ばかり、そのサヨクに屈服した社会は言論的タブーで溢れている、だがオレたちは本音をズバズバと言ってやるのだ、といった「本音が正論」的風潮を、「何を言ってもかまわない」と曲解した。

 つまり、流行(はやり)の猿まねということか。
 だが、嘲笑して済ますわけにはいかない。私は、この一件に、権力の中枢がヘイトを煽り立て、権力の末端が煽られて舞い上がる、というファシズム的力学が働いている、と見ている。


茶番で済ますわけにはいかぬ、ファシズム的力学が作用している。


 増井の記事を、注意して見直していただきたい。「ファシズム的力学」が作用しているさまが見てとれる。
 記事に添えられた写真のなかに、前総務大臣 "T" 女史とおぼしき人物が登場しているのである。黄色の「◎」で囲んだ部分、左の欄に、その部分を拡大しておいた。氏名は明記されていないのだが、SF映画の宇宙船に、たいていは一体添乗しているアンドロイドに問えば、「増井敬史氏と一緒に写っている人は、 99.99% の確率で高市早苗氏です」と答えてくれるだろう。

 以前、日本のネオ・ナチ『国家社会主義日本労働者党』を名乗る、山田一成との2ショットをスッパ抜かれた時、高市は「彼がそのような人物とは全く聞いておりませんでした」と釈明している。増井敬史は選挙で選ばれた町会議員なのであるから、彼との2ショットがいけない、などと言うつもりはない。町会議員であろうが、誰だろうが、2ショットを撮ってならないという理屈は成り立たない。ましてや、政治家とは、2ショットを請われれば断ることの出来ない立場の人なのだから。
 だが、増井敬史が、三人の野党女性議員に対して「嬉々として」憎悪を吐出する文面の横に、近況のスナップとしてこの2ショット写真が掲載されている以上、増井がこれらの写真に写っている人たちに対しても、「この文面とほぼ同じようなこと」を繰り返し述べていたに相違ないことは容易に想像できる。その時、高市は、「増井さん、そのようなヘイトは許されませんよ」とたしなめたであろうか。否であろう。高市は、「増井さん、まったくその通り、同感です。」と応じていたに相違ない。周囲を気にして積極的に言葉を返すことはなかったかもしれないが、微笑みと相づちで増井の放言に「同感です」というサインを送っていたはずである。憶測でものを言うな、と言われるかもしれない。だが、前回に述べたとおり、高市の人心掌握術とは、敵対者の悪口を言うことであったことを、思い出していただきたい。状況証拠は揃っているのだ。
 もう一度、増井・高市の2ショットを見てみよう。表情を崩して大きく笑っているのは高市の方である。だが、この高市の笑いは、営業用の作り笑いのように見える。一方の増井は、喜びを噛み殺したような表情である。今日は高市先生に日頃の持論を述べた。先生は笑顔を絶やさず相槌を打ち、同様の意見を述べられ、最後には、よく勉強されていますね、と褒めてもいただいた、といった満足感がにじみ出ているではないか。


ファシズム的力学 その若干の解析


 私は、この高市早苗や小池百合子らは根っからの極右・反動ではない、と考えている。経歴を見る限り、彼女らの主張や行動に「極右イデオローグとしての」首尾一貫性を認めることができないのである。(ここが、安倍晋三や山谷えり子と違うところである)。彼女らは、保守本流からは少しずれた位置から政治家としての経歴を開始している。その後次第に主流派に接近し、付かず離れずの期間の後、いつの間にか主流派の重要人物へと変貌を遂げた。その都度彼女らは、その時に駆使すべき一番有効な理屈を選択してきたように思える。それは賢明な選択であった。そして最後に、麻生・安倍と続く首長の思想性と気質に感応し、見事に極右に化けた。そしてこの「手段としての極右ぶり」に長けることによって、政治的権力の中枢に上り詰めたのである。

 つまり彼女らは常に冷静、「極右ぶり」においてクール。
 「極右ぶり」はあくまで手段。
 自分は権力の中枢にいて、「煽る側の人間」であることを心得ている。

 一方、下っ端どもはどうだろう。
 成人式の祝辞で「少子高齢化国難論」をぶちあげた県会議員・市会議員たち。「股裂きの刑にしてやりたい」の町会議員。
 彼らは、豹変させるような思想すら持たず、ただ、煽られて舞い上がっている。

 「権力の中枢がヘイトを煽り立て、権力の末端が煽られて舞い上がる、というファシズム的力学が働いている」、とは、こういうことである。

 では、煽られて、度を超したヘイト発言をし、町議という職を失った増井敬史は、単なるバカオヤジなのだろうか?
 増井敬史を、見下げ果てた奴、などと嘲笑して、終わらすことはできない。
 日本人のうち、何十パーセントかは、きっと、こう思っている。

 増井敬史は言ってはならないことを言った。度が過ぎた。時と場所をわきまえなかった。
 だが、増井敬史がああ言った気持ちも分かる。
 確かに野党の女どもは不愉快だ。それに、オレも、チョーセンジンは大嫌いだ。


 増井敬史の言動は、確実に、このような「隠れヘイト主義者」の心情に同調しているのである。
 増井敬史は、「使い捨ての駒」として機能している。
 権力はそれを知っているから、迷惑そうな顔をしながら、ヘイト主義者が舞い上がるのを、容認している。これが「ファシズム的力学」である。増井敬史の茶番を笑える間はまだ良い。いつの間にか、それが大衆一般の熱狂となるのである




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