ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。







魯迅


藤野厳九郎




魯迅の小説といえば、岩波文庫の☆一つで買えるものもあり、国語の教科書にも採用されていたりして、我々にもなじみ 深いものが多い。



『藤野先生』でもっとも頻繁に引用されるのは、次の部分だろう。

一週間が過ぎ、多分土曜日だっただろう、彼は助手をよこして、私に来るようにと言った。研究室に行くと、彼が人骨と多くの単独の頭蓋骨の間に座っているのが見えた。彼はその時ちょうど頭蓋骨の研究中であり、その後、本校〔仙台医学専門学校〕の雑誌に論文が発表されている。「私の講義を書きとることができますか?」と彼は尋ねた。「少しできます」「持ってきて見せなさい」私が書き写したノートを差し出すと、彼は受け取った。そして二、三日後に返してくれて、これから毎週、持ってきて見せるようにと言った。ノ ートを持ちかえって開いてみたとき、私は驚いた。と同時に、ある種の不安と感激に襲われた。ノートの初めから終わりまですべて、赤い色の筆で 添削してあって、多くの脱落していた部分が書き加えてあるだけでなく、文法の間違いまで、みんなひとつひとつ訂正してあるのだ。これが、彼が担任する学科の骨学、血管学、神経学が終わるまで、ずっと続いたのである。


もう一ヶ所、終わりに近い部分を読んでみよう。

出立する何日か前に、彼は私を家に呼んで、一枚の写真をくれた。その裏には「惜別」の二文字が書かれていた。それから私の写真も欲しいのだがと言った。だが、私はあいにくその時写真を撮っていなかったので、彼は、将来写真を撮ったら送ってよこすように、それと常にこの後の状況を彼に手紙で報告するようにと、何度も何度も言った。私は仙台を離れた後、何年も写真を撮っておらず、また状況も思わしくなく、何かを書いたところで彼を失望させるだけだと思うと、手紙を書く勇気が起こらなかった。年月が経過するにつれて、今さら改まって書きにくくなり、そのため、時には手紙を書こうと思ったが、なかなか筆をとることができなかった。このようにして今に至り、ついに一通の手紙も一枚の写真も送らずじまいになった。彼の方から見れば、ひとたび去った後、 音信がまったく途絶えたということだ。しかし、なぜだか分からないが、私は今でもよく彼を思い出す。私が自分の恩師と思う人の中で、彼は最も私を感激させ、私を励ましてくれた一人だ。私はいつも思う。彼が私に対して強く希望し、たゆまぬ教誨を与えてくれたのは、小さく言えば中国のため、すなわち中国に新しい医学が生まれることを願っていたからであり、大きく言えば学術のため、すなわち新しい医学が中国へ伝わるのを願っていたからである。彼の姓名は決して多くの人の知るところではないが、彼の性格は、私の目には、そして私の心の中では偉大である。


魯迅は藤野先生の朱の入った三冊のノートを引っ越しの際なくしてしまうのだが、先生が周樹人(魯迅の本名)に餞別として与えた写真は「今でも北京の家の東側の壁の、机に面したところに掛かっている」のである。

『藤野先生』に描かれている状況は、決して微笑ましいものばかりではない。「中国は弱い国である。したがって中国人は 当然低能児である」からと、試験の及第に問題漏洩の疑いをかけられり、日露戦争でロシアのスパイだとみなされた中国人が射殺される幻燈機の映像をみて,仲間の学生が「万歳!」を叫んだりするシーンもある。
だからこそ、朴訥な藤野先生の誠実さがさらに際立つのである。
子どもの頃の私は、そこに教育者の理想像を見たし、十五 年戦争の蛮行の向こうにほんの少しの光明も見たのである。











話かわって、
子どもの頃から気づいていたのだが、魯迅だけでなく、中国から日本に留学したり、亡命したりした中国の指導者たちは、みなたいそう「男前」なのである。


孫文



周恩来










   ページの上段へ

『森友学園問題』はなぜ決着させることができないのか? 
      −−−−忘れ去られたレイシズム糾弾
                   平成30年06月23日


国会に横行する『ご飯論法』


 『森友学園問題』が国会で討議されるようになってから、すでに1年と5ヶ月が経過する。与党議員の多くは「野党は、いつまでモリ・カケをネタにして、国会審議を引き延ばすのか」と言う。諸悪の根源はテメェらの首領たちにあるのだから、与党議員にそんな台詞を吐く資格はない。だが、力のあるまともな野党なら、「この程度の問題」なら(そうだろう、およそ国難などといった水準の問題ではない)、一ヶ月か長くとも数ヶ月で決着を付けなければならないはずである。いつまで経っても、相手に引導を渡すことが出来ずにいるのは、何故か。
 まず考えられるのは、議論の下手くそさ、である。単純な論点はぐらかしにまんまと乗せられている。大事なのは間髪入れず相手の詭弁を暴くこである。自説を声を荒立てて繰りかえすだけが能ではないだろう。

 小池晃議員;−
 (家計学園が)総理の名を語りですよ、総理との架空の面談をでっち上げですよ、獣医学部の新設を実現しようと言った、と。これね、総理がカンカンに怒らにゃいけないはずなんですよ、利用されたんですから、総理が。それなのに平然としている。これはね、結局加計の言っていることが真実ではなくて、総理自らををかばうものであるということをご存じだから、平然としているんじゃないですか。

 安倍晋三総理大臣;−
 あのー、私は常に平然としております。
(お追従笑い、多数)

  平成30年05月28日 参議院予算委員会集中審議
  https://www.youtube.com/watch?v=9U1FvEQSLXc 02:15あたりから

 国会での質疑応答の合間に冗談や皮肉を差しはさんではならない、という法はない。政治的言語の応酬で空疎に乾ききった空間が、その一言で、少しでも人間的な湿り気を取りもどすなら、それは言語機能の正しい活用方法であろう。だが、この安倍の軽口はそうではない。
 小池議員は、家計学園関係者の発言は「総理をかばう」ための虚言である、それを総理は認識しているはずだ、と迫っているのである。それに対し,安倍は、自分の心理状態を返答として返すのである。これは、ジョークを装った「論点のはぐらかし」である。
 安倍晋三だけではない。昨今の国会では、閣僚と言わず、官僚と言わず、要人の多くがこのような「論点のはぐらかし」を平然と行うようになっている。

 煩雑になるのでこの場では取りあげないが、閣僚の例としては『高度プロフェッショナル制度』に関する加藤厚労大臣の答弁を、官僚の例としては『森友学園問題』に関する佐川前財務省理財局長の一連の証言を、思い出していただければ良いだろう。労働問題の研究家で法政大学教授の上西充子さんは、加藤厚労大臣の答弁を『ご飯論法』だと手厳しく批判している。
 『ご飯論法』とは、すでに『朝日』・『毎日』などが取りあげているので、わざわざ説明することもないと思うが、念のため上西充子さんのツィートから引用しておこう。

 「朝ごはんは食べましたか?」って聞かれたら、「ご飯は食べておりません」って答えるの。パンを食べてたことは黙っておくの。

 まるで中学生が喜びそうな冗談である。私自身にも記憶がある。
 イエスは「人はパンのみにて生くるものに非ず」と言った。そりゃ、そうだろう、やはり米の飯は美味いし、たまにはうどんも食いたくなる。中学生の私は、これは面白い冗談だと思った。だが、三人目あたりから誰も笑ってくれなくなった。
 その後、大人でもこの屁理屈を口にする人がいることに、度々気づかされた。飲酒を控えるようにと言われているのに、ついつい飲んでしまう人がよくいる。「貴方、お酒を飲んでは駄目でしょう」とたしなめられると、「お酒ではありませんよ。これはビールですよ、ビール。」とはぐらかす。前者は中学生の他愛ない冗談であるが、これには人の気遣いを鼻の先であしらう性悪さがある。
 要するに、安倍も、加藤も、佐川も、野党の追求をかわすに長けたつもりでいるらしいが、そこで駆使されている論法は、中学生の駄洒落か、飲んだくれオヤジの屁理屈と同等のものでしかないのだ。

 二つの問題が見えてくる。国会という日本における最高の決議機関の場で、このような稚拙な『ご飯論法が』が堂々と通用し、何のおとがめも無く繰りかえされているのだが …… 、

その1) この『ご飯論法』を駆使する要人たちは、悪びれたような素振りを微塵も見せない。自分たちがその場逃れの言い逃れで、質問者(国民と同義である)を欺いているのに、なんら精神に痛痒を感じていないように観察される。よほど面の皮が厚いのか、カルト集団的思考に捕らわれているのか、それとも単純に底抜けの馬鹿なのか、まったく見当がつかない。
 いや、そうではなくて、たまたま自分が批判の矢面に立たされて「あってはならぬこと」の言い訳をしているが、本当は自分はちっとも悪くない。だって、この程度のことなら、政治家なら皆しているじゃないか。オレは貧乏くじを引いただけのことだ。しばらくは、のらりくらりと、時間を稼いでおけば良いのだ …… 。これが本音かも知れない。

その2) この稚拙さの連続を、野党・ジャーナリズムが、なぜ、完全論破できずにいるのか? 
ディベートの稚拙さだけが原因であろうか? もしそうなら、駅間のビジネス・スクールに通えば良いのだ。
 だが、違うだろう。野党もジャーナリズムも、「問題の核心からズレた議論」しかしない。これこそ、敵にとどめを刺すことが出来ない唯一の理由である。ドラキュラを滅ぼすには、その心臓に木の杭を打ち込む必要があった。では、森友学園問題では「何処に」木の杭を打ち込まねばならないのか? ハッキリしている。教育現場におけるヘイト主義とレイシズムではなかったか?


森友学園問題の本質とは


 私が、大阪府豊中市にとんでもない幼稚園があることを知ったのは、2016年(平成28年)の暮れのことだった。ネット上で散見する幾つかの記事をまとめると、その幼稚園では、次のようなことが行われているらしい …… 、

1) 躾(しつけ)のレベルを超えた園児虐待が行われている。
2) その加虐的教育(早く言えば、単なるイジメ)は、似非日本主義=疑似民族主義に基づく教育の実践であると、合理化されている。
3) それに抗議する保護者には敵対的にふるまい、執拗にヘイト発言をくりかえす。
4) 「似非日本主義=疑似民族主義」を標榜した『安倍晋三記念小学校』の設立を目論んでいる。
5) 学校建設のため、頻繁に「極右的」イデオロークを招いて講演会を開いたり、園児を外部イベントに参加させたりして、そこで強引な寄付金集めを行っている。

 今でも、 "Google" や "You Tube" で検索すれば、多くの実例と証言を見ることができる。私も『ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃』で何度も言及してきた。今さら …… 、の感がないでも無いが、「森友学園問題の原点」とも言える事例を引用しておきたい。

 塚本幼稚園の副園長だった籠池諄子は、あちこちで暴言(ほとんど罵詈雑言の域)を吐いているが、保護者に向かってこう言う。

 入園しようと思っておられる人に「塚本幼稚園はこわい幼稚園よ」「先生は昼休んで、子供はほったらかしよ」「何も知らずに入園したのね」と言ってお金をもらってかもらってないか知りませんが、一緒に旅行しましょう、一緒にタコ焼きパーティしましょとか言って他の幼稚園に引っ張っている不良元保護者がいます。 ……

 風見鶏じゃあるまいし子供の一生が左右されるではありませんか。一人でしっかりと目標を持って生きていく。これは子供に対していっているだけではなく保護者であるお母さん方に言いたい事です。邪(よこしま)な考えを持った(名前は日本人なのですが)在日韓国人である・支那人であるそれらを先導する人、それに金魚のフンのようについてくる人は近づいてきます。自分の身の回りに緊張感を持って妙に接近してくる人には気をつけて、近づけぬことです。 ……

 これは差別じゃ無いかと批判されると、猛然とに反論する。毛筆で書かれた "原文" がネット上で参照できる。


私は差別はしていません
公平に子供さんを預かっています
しかしながら心中
韓国人と中国人は嫌いです
お母さんも日本に嫁がれたのなら日本精神を ……













 そして保護者との遣り取りが昂じると、塚本幼稚園のホームページには次のような文書が掲示されるようになる。


 この文面は、2017年(平成29年) 2月、国会で『森友学園問題』が議論される頃まで、塚本幼稚園のホームページに掲示されていた。ちなみに、「K国・C国」の部分は、当初「韓国・中華人民共和国」と書かれてあったものを後日訂正されたものである。

 誠に残念ながら、この日本という島国においては、今日でも「K国・C国等の人たち」を公然と差別する人たちがいることを我々は知っている。それも相当数いる。だが、いやしくも教育者が「公的な場で」これほどの差別意識を剥き出しにした例を知らない。日本の教育者なら、魯迅に対した藤野先生のようにはいかなくとも、少なくとも表向きは、教え子には分け隔て無く教育愛をそそぐ、という態度をとるのが普通である。心の奥底まではのぞけない。思わず差別的な言辞が露呈する場合もあるだろう。それが、不祥事をして報道されたりもする。だが、一般的には、とにかく差別者として振る舞わないようにしようと、先生たちは心がけている。これはとても大切なことだ。心がけと基本的動作の積み重ねが、長い時間をかけて、思想に変貌するのである。


大阪府 松井知事の対応


 監督官庁である大阪府は何をしていたのか?
 少し時系列をたどってみよう。

 2017年 3月15日、元園児の保護者が大阪府私学課に申し入れ書を提出している。園児に対する虐待・暴言、保護者に対するヘイトスピーチの実態を調査し指導を徹底せよ、というのがその内容である。この数年来、繰り返し申し入れをしたが大阪府は動かなかった。業を煮やしての申し入れ書提出であった、という。
 私の知る限り、大手の新聞が、森友学園問題を「塚本幼稚園という教育現場」における問題として取り上げたのは、これが最初である。今でもネット上で『毎日』と『サンケイ』の記事が読める。注意していただきたいのは、『毎日』も『サンケイ』も、この保護者の「顔」を新聞に出していることである。
  https://mainichi.jp/articles/20170315/ddf/041/100/019000c
  http://www.sankei.com/west/news/170315/wst1703150036-n1.html

 その3ヶ月前、2016年12月、保護者からヘイト文書の現物を提示され、大阪府私学課は事情聴取を行っているが、籠池氏から「保護者と裁判で争っているため答えられない」とあっさり躱(かわ)されてしまって、それで終わり。「とにかく訪問はした」と言う実績を作っただけの、典型的なお役所仕事であった。

 その後、大阪府知事の松井は、森友学園問題にどう対応するのか、という質問を受けている。
 2017年 2月23日、大阪府庁での記者会見が、 "You Tube" にアップされている。 

  https://www.youtube.com/watch?v=9fISmDIgEVI

「教育庁に任せているというが、森友学園問題に関して、知事自身が調査して説明をする責任は無いのか」という記者の質問を途中で遮って、松井はこうのたまう。記者が大手の新聞とか放送局の所属ではないと知ってか、人をなめきった口調である。

 (記者の質問と重なって、聞き取り不能の言葉の後)それは教育長の仕事です。あのぅ、大阪府はね、えー、去年の、あのぅ、議会でね、えー、まぁ、今年度当初から私学の権限については、公私一体でね、えー、教育長という組織がやる、ということを、これはもう決めたわけですから、えー、だから、そのぅ、いま、その権限に基づいて、教育長がしっかり判断をしてゆく、と言うことです。

 信じられないことだが、松井は、「私学の許認可については教育庁に全権限を持たせてあるので、森友学園のことなど、わしゃ知らん」、と言い放っているのである。本当にそう言っているのである。
 よく、細かいことは現場に任せてある、と言う経営者がいる。それは自らの鷹揚さを示すためのポーズであり、そんな社長でも、社員に不正行為があったり、工場が不良品を出したりしたら、自分が前面に立って、私の責任です、と頭を下げるのである。あたりまえじゃないか。

 この松井発言を、メディアは報道もしなければ批判もしなかった。
 在阪ジャーナリズムなど、「屁のつっぱり」にもならないのである。
 この流れの結果、保護者による 3月15日の申し入れ書提出となったと思われる。

  3月31日、やっと大阪府は塚本幼稚園の調査に入る。このニュースは多くのメディアが伝えているのだが、明らかにそれまでの流れとの不整合が発生している。みな一様に、その調査理由を、塚本幼稚園が補助金を不正に受給した疑いがあるから、としているのだ。
 ん? ぅん? 保護者たちが訴えていた、児童虐待とヘイトの問題はどこへ行ったのだ?

 ここから森友学園問題のブレが始まっている。
 ジャーナリズムも野党も、森友学園問題が明るみに出たとき、格好のテーマだと一斉に飛びついた。だが、その時、精査されるべきは、森友学園側の問題であるより前に、野党としての、あるいは、ジャーナリズムとしての自らの姿勢であることを忘れている。

 虐待された園児たちと、自らの顔をさらして訴求に踏み切った保護者たちの側に立つのか?
 否か?


 君たちは、こう、問われていたのだ。


よって、たかって、本質からズレまくる


 森友学園問題を、補助金の不正受給問題としたとき、その本質から一歩ズレた。
 国会において、国有地払い下げの破格ディスカウント問題とされたとき、さらにズレた。
 時間をおいて、財務省の文書改竄問題となったとき、もう本質がどこにあったのか分からぬぐらいズレた。ほんらい詰問されるべき立場の安倍晋三が財務省官僚を叱咤するという、奇妙な逆転現象まで生じた。
 さらに、文書改竄問題に関連して官僚のセクハラ問題が浮上して、もう森友学園問題の本質は全く見えなくなった。

 私は当初から、森友学園問題とは思想的疑獄である、と述べてきた。籠池夫妻と政治家や行政官の関わりが、日本の権力機構中枢におけるヘイト主義の連鎖を浮かびあがらせたのである。
 籠池夫妻とは、「日本に在住する極めて少数派のK国・C国等の人たち」に対する醜悪な差別意識に、骨の髄まで侵蝕された人たちである。その籠池を、内閣総理大臣が、国会の答弁で「私の考え方に非常に共鳴している方」「教育に対する熱意は素晴らしい」と堂々と擁護した。実際、安倍晋三は 100万円の寄付をしているではないか。

 欧米のジャーナリズムが森友学園問題をどう報じたか? 以前も記事に書いたが、もう一度振り返ってみよう。彼らの視点・論点にズレはない。
 
(英)ガーディアン
  安倍晋三と妻 超ナショナリスト学校に現金を渡したと責められる。
(英)インディペンデント
  日本の安倍晋三首相とその妻 極右学校に秘密裏に寄付したと責められる。
(英)タイムズ
  日本の議員らによると、安倍はナショナリスト学校に資金を出すために妻を使った。
(米)ワシントンポスト
  日本の安倍首相 極右学校へ秘密裏に寄付したと責められる。

 日本の野党もジャーナリズムも、こう問うべきであった。

 安倍総理、
 貴方は国会で、籠池夫妻のことを、「私の考え方に非常に共鳴している方」「教育に対する熱意は素晴らしい」と言いましたね。
 つまり貴方も、韓国人・中国人は嫌いなのですね? 
 極右が政治信条なのですね?



 この質問こそ、「木の杭」であり、それを打ち込む込むべき急所であった。
 要は、野党もジャーナリズムも、民族差別・レイシズムの問題に踏み込む勇気を持たなかったと言うだけのことである。彼らは、よってたかって、虐待を受けた園児たちをそのまっま放置し、自らの顔をさらして告発に踏み切った保護者の意志を蔑ろにし、そして、もの言わぬ「在日」にまたしても煮え湯を飲ませたのである。

                  ページの上段へ


     −−『森友学園問題』はなぜ決着させることができないのか?了−− 

            一握の知力 政治・経済_目次