ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。







今回触れてみたい映画は
『スペース・バンパイア』です。
1985年:トビー・フーバー監督
原題 "lifeforce"





ハレー彗星の調査に向かった「チャーチル号」は謎の宇宙船に遭遇。船内で人間とおぼしきものが寝ているカプセルを発見する。男2人、女1人。全裸である。「チャーチル号」は3体を回収し地球に向かうが、そのまま消息を絶つ。

「コロンビア号」が救助に向かう。「チャーチル号」の船内は焼けただれたているのに、3体のカプセルだけが無事なのを発見。ロンドンへ持ち帰る。
吸血鬼にしろミイラにしろ、ヤバい休眠体が持ち込まれるのは必ずロンドン。これはヴァンパイア映画のお約束。




さて眠れる全裸女体は大変な美形です。とにかくエロい。演ずるは、フランスのマチルダ・メイさん。彼女の起用でこの映画は、良く出来たB級映画から、繰り返しこっそり鑑賞すべき名画に昇格した。

監視のおじさんが、もっと近寄ってて視たい、と思ったのは当然のこと。すると、この女体はパッチリと眼を見開き、


起き上がる。




彼女に見入るおじさん。たまらず唇を重ねるのですが、


火花がバチバチと飛び散って、おじさんはみるみるうちに干涸らびてしまいます。"Life Force"(生命力)を吸い取られてしまったんですね。





これから先は話を端折ります。ヴァンパイア映画の定石どおり、この干涸らびたおじさん、こんどは別の男の "Life Force" を吸い取るようになるのです。





我らの安倍君がフィギアの若者H君に国民栄誉賞を手渡す映像を見た時、安倍君はH君の「人気と好感度」を必死で吸収しているように思えました。
何だろう、この既視感は? 
で、『スペース・バンパイア』のこの場面を思い出したのです。

安倍政権は、失策と不祥事続きで、たびたび青息吐息になるですが、その度に、何か標的を見つけてそこから "Life Force" を吸い取って延命を謀ってきました。


一昔まえ、鳩山由紀夫氏は、何にも悪いことをしていないのに「火星人」などどと言われていました。それならば、安倍晋三氏を「スペース・バンパイア」と呼んだって、許されるはずですよね。











本文で登場したアスリートたち
東京五輪(1964)の写真を探してみました。



依田郁子さん



飯島秀雄さん



君原健二さん



寺沢徹さん
この写真のみ、1962年福岡国際マラソンのもの。



円谷幸吉さん




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若きアスリートに国民栄誉賞を授与することの非人間性 
                   平成30年07月16日



安倍晋三、ニコニコ顔で、国民栄誉賞を乱発する。


 私にはまったく興味のない話題なのだが、われらの安倍晋三君が「国民栄誉賞を乱発している」と批判されているらしい。賞を政治利用しているではないか、けしからん、と。
 『国民栄誉賞』とは、その名の醸し出す雰囲気どおり、「有名人の人気・好感度を政権側に取り込む」目的で作られたものだ、と私は考えている。もともと「政治利用」がその本質なのであって、今さら憤慨するにも値しないが、安倍君の場合は、その度が過ぎる、無節操すぎる、ということなのだろう。

 だが、今回の場合、政治的利用というより以前に「人として、してはならぬこと」の領域まで、安倍は踏み込んでしまっているように思える。
 二十歳(はたち)を過ぎたばかりの現役運動選手に、国民栄誉賞なるものを授与することは、招来、彼を抜き差しならぬ窮地に追い込むことになるかも知れない、という危惧を、安倍は抱かなかったのであろうか。
 人は大切にしなければならない。人生の先輩は若者の成長を見守ってゆかねばならない。このような人間的な配慮が一切なされていないように思える。政権の支持率を上げることに有効ならば、その他の懸念には一顧だにしない。これが彼のやり方なのだ。この点は黙過するわけにはいかない。少し述べておく義務を感じる。


安倍晋三は、国民栄誉賞をさらに変態させる。


 その前に、どれくらい安倍晋三が国民栄誉賞を乱発しているのか、数値で確かめておこう。
 国民栄誉賞は、1977年、巨人軍王貞治選手の本塁打世界記録樹立を讃えて、福田赳夫が授与したのが、その始まりである。それ以降野田内閣までと、2012年末の安倍第2次内閣以後の2つに期間を区分して、それぞれの期間における国民栄誉賞授与の頻度を計算してみた。
 王貞治さん以降、現在までに、26人と 1団体に賞を授与しているので、合計27回。煩雑さを避けるため、 1団体も 1人と数え、合計27人として計算した。簡単な表にまとめると、次のようになる。



 肌色でマークした部分に注目してください。
 まず、授与の頻度は、
   福田内閣から野田内閣までが、平均「 1年10ヶ月」に 1回。
   安倍第2次内閣では、    平均  「 9ヶ月」に 1回。
 つまり「 2.4倍」になってます! 確かにこれは乱発ですね。

 さらに注目すべきは、受賞者の平均年齢である。上の「 1団体」とは『なでしこジャパン』なので、澤穂希さんの年齢で計算してみると、
   福田内閣から野田内閣までが「60.2歳」、半数以上が物故者への授与。
   安倍第2次内閣では、   「49.3歳」、物故者への授与は 1名のみ。
 何と、10歳以上若くなっている! これは一体どう言うことなのだろう?

 ネット上では国民栄誉賞の受賞者一覧が容易に検索できるので、そちらを見ていただければ良くお分かりいただけると思うのだが、安倍第2次内閣発足直後、大鵬幸喜さんが物故された。受賞者として文句の付けようのない大物である。彼への授与が、安倍晋三が授与した国民栄誉賞の最初となった。(ちなみに、第1次内閣の時には、安倍晋三は賞の授与を行っていない) その直後、それまで当然授与すべき対象者であるのに、その機会を逸したままの感のあった、長嶋茂雄さんに授与された。「ON砲」と並び称された王さんは第1回の受賞者である。さらに「長嶋・大鵬・卵焼き」と言われた大鵬さんへの授与も行われた。あとは時期だけの問題であった。そこで都合良く、現役引退となった松井秀喜さんへの授与とタイミングを合わせたのである。
 つまり、松井さん以降が、安倍君の好みによる候補者選択ということになる。
 この、大鵬さん・長嶋さんの2人を除いた、松井さん以下の5名で平均すると、安倍第2次内閣における国民栄誉賞受賞者の年齢は、さらに「33.8歳」まで低下する

 この極端な年齢低下は何を意味するのか?
 国民栄誉賞の「質」が変わってきたのだろうか?

 ことは簡単である。
 「功成り名遂げた」人たちから、「今、大衆社会で注目を浴び、人気・好感度のオーラーを発散しまくっている若者」に、授与対象者がシフトさせられたのである。これは何も安倍君が始めたことではない。ずっと以前から、この傾向はジワジワと進行していた。『国民栄誉賞』とは「有名人の人気・好感度を政権側に取り込む」目的で作られたものだったから、これは当たり前のことであった。ただ安倍君の場合は、その度が過ぎ、無節操すぎるだけのことである。

 そして今回、安倍は「人間として、してはならぬ領域」に踏み込んだ。

 何が駄目なのか?
 過去に国民栄誉賞を辞退した人が何人かいる。その人の発言に耳を傾ければ、答えは自ずと見えてくる。


国民栄誉賞を辞退した人たち


 よく知られた事実であるが、いままでに国民栄誉賞を辞退した人が3人いる。

  1983年 福本豊さん
  1989年 古関裕而さん
  2001年 鈴木一郎さん
  2004年 鈴木一郎さん(二度目)

 このうち、古関裕而さんの場合は没後の授与だったので、ご遺族が、没後にいただいても意味が無い、と辞退されたのである。
 福本さん、イチローさん、に関しては、スポーツ音痴の私があえて説明するまでもないだろうが、事実確認程度の概要を書かせていただくと、

 1983年 福本豊さん。当時36歳。
 通算 939盗塁の世界記録達成で、中曽根康弘から授与の打診を受けたが辞退。
 辞退の弁;「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」

 2001年 イチローさん。当時28歳。
 メジャーリーグで日本人初のMVPを獲得したことで、小泉純一郎から授与の打診を受けたが辞退。
 辞退の弁;「国民栄誉賞をいただくことは光栄ですが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたいです」
 2004年、メジャーリーグでシーズン最多安打の記録更新をしたことで、再度打診を受けるが辞退。

 上の福本さんの言葉は、親しい人に漏らした冗談であると伝えられているが(ただし、核心を突く冗談である)、その後、松井秀喜さん受賞の際、週刊誌からインタビューを受け、丁寧に辞退の理由を語っている。

「松下電器の人を通じて、政府が国民栄誉賞を考えてるって聞いたから、『立ちションベンもできんようになるがな』っていいましたわ。ボクはあの頃、酔っぱらったら(立ちション)してたからね。国民の手本にはならへん、無理や、ということで断わりました」
「王さんが世界記録を作ったことで創設されたのが第1号。ボクも世界記録やからということでしたが、ボクには王さんのように野球人の手本になれる自信がなかった。野球で記録を作るだけでなく、広く国民に敬愛されるような人物でないといけないという、当時のボクなりの解釈があったんです」
「ボクは、麻雀はするし、タバコも吸うし、悪いことばかりしてましたから。受賞してたら、ちょっとしたことでも、ああだこうだいわれたり書かれたりするでしょう。他の受賞者にも迷惑がかかるから、やっぱりもらわんで良かったです」


  週刊ポスト2013年4月19日号
  https://www.news-postseven.com/archives/20130409_181179.html



自分が、自分を、追い込むからこそ、スポーツは美しい。


 お二人とも、アスリートとしてまさに「脂の乗り切った」時期での受賞打診であった。選手としての人生は、まだ「道半ば」であると認識していた。だから、イチローさんは「まだ現役で発展途上の選手」であるからと賞を辞退し、福本さんも、野球だけでなく全人格的な意味で「広く国民に敬愛されるような人物」ではないからと謙遜して、賞を固辞したのである。

 「功成り名遂げた」人への授与なら、あまり難しい問題は起こらないだろう。なぜなら、彼ら・彼女らの活躍と樹立した記録の数々は、すでに歴史的事実として定着したものなのだから。受けてきた賞賛も歴史的持続性を持ち、評価は固定的なものとなっている。国民栄誉賞が授与されても、そこに新たな賞賛が加わるだけのことなのだ。

 だが現役アスリートの場合は違うだろう。確かに今回は素晴らしい実績をあげたかもしれない。だが、これからも同じように、頂点に立ち続けることが出来るかどうかは分からない。自分の肉体と精神で闘うのだ。トラブルに見舞われる可能性もある。幾多のライバルたちも、それぞれの努力に怠りはないはずである。仮に優劣の差はあっても、ほとんど紙一重の差で拮抗しているのが、トップ・アスリートたちの実力というものであろう。

 アスリートたちは、よく「自分を追い込む」という表現をつかう。今の到達点から「もう一歩」厳しい地点に目標を定め、そのためのメニューを設計し、日々の鍛錬で一つ一つそれを現実化してゆく。その小刻みな達成と、自分の体調と、ライバルの動向を合わせ見て、メニューは絶えず修正されてゆく。
 こんな風に「自分で、自分を追い込む」から尊くて美しいのである。
 「自分」ではなく、「他者」から追い込まれるようになると、スポーツは不健全なものとなる。
 だが、現実の日本を視ると、親、チームの監督・コーチ、伝統、国民の期待、その他様々な「他者・共同性」が個々の選手を追い込んでいる。残念ながら、それが日本の伝統的なスポーツのあり方のようである。いわゆる「体育会的体質」と言われるものも、ここにその根を持っている。

 先日、日本大学アメ・フト部の「悪質タックル問題」がマスコミを賑わした。悪質タックルをした選手が記者会見をした。大人たちが言い逃れをし、逃げ隠れしているのに、あの若者はたった一人で、押し寄せた報道陣の前に立ち、正直に真実を述べ、謝罪した、と賞賛された。彼の好印象の由来は、ただ「正直だった」「潔く非を認めた」からだけではないだろう。「チームの伝統・監督・コーチによって、追い込まれていたことから、自由になる」ことの決意がきっぱりと示されていたからである。それが、清々しく、輝いて見えたのだ。

 「他者・共同性」が個々の運動選手を追い込んではならない。
 ましてや「国家」が、それをしてはならない。


 その、最悪の例を、私たちは知っている。
 いや、安倍君だって、知っているはずだ。


東京五輪 円谷幸吉選手の活躍


 陸上自衛官にして東京五輪男子マラソン銅メダリストだった円谷幸吉さんについては、ここで改めて書くこともないと思うのだが、備忘録程度に振り返っておこう。

 陸上女子では、依田郁子さんが、80メートルハードルで 5位入賞を果たした。女子陸上短距離走での決勝進出は、オリンピク史上これが初めてのことであった。彼女は、スタート前に、鉢巻きを締め、こめかみあたりにサロメチールをベッタリと塗り、後方へでんぐり返りを繰りかえしたりと、今で言う「ルーティーン」で話題になり、市川崑監督の『東京オリンピック』も克明にその姿を捉えている。
 男子では、「ロケットスタート」で有名な男子 100メートル走の飯島秀雄さんが、オリンピック直前の西ベルリンの国際陸上競技会で、世界記録10.0 秒に迫る、10秒1 を記録し、大いに期待されたが、第一次予選で予選最高タイムを記録するものの、第二次予選でゴール直後に転倒、準決勝で敗退、とジリ貧の成績に終わった。
 男子マラソン(女子マラソンが種目となるのは、20年後のロサンゼルスオリンピックから)には3選手が出場した。前年のプレ五輪で競技場に入ってからベルギーのバンデンドリッシュを抜いて 2着になった、君原健二選手と、同じく前年にアベベの世界記録を 1秒上回る世界新記録を出していた寺沢徹選手が、有力視されていた。だが、大方の予想に反して、競技場に 2位で入ってきたのは、この年マラソンを始めたばかりでこれが 4走目の、円谷幸吉選手であった。しかし、彼の疲労困憊ぶりは誰の目にも明らかで、後ろから迫ったヒートリー選手にあっさりと抜かれてしまう。

 だが、この銅メダルが日本陸上唯一のメダル獲得となり、日本中が狂喜した。
 と、同時に、「裸足の哲人」アベベに続いて競技場に入ってきたのに、一度も後ろを振り返ることなく、後続に追いつかれても、追い抜かれても、何の対応も出来ず、喘ぎ、喘ぎしてゴールに崩れこんだ、その無残な負け方を誰もが悔しがった。
 その無念さが、国民の期待を過度に増殖させて行く。円谷はノーマークで3着だぞ、マラソン4走目だ、場数を踏んでペース配分を心得ればもっと強くなれる、まだ24歳じゃないか、円谷、がんばれ、円谷、がんばれ …… 、正直に白状するが、この私だって、それに同調していた。
 そして、円谷自身、次の目標は「メキシコシティ・オリンピックでの金メダル獲得」である。と宣言するのである。


メキシコ五輪直前の、円谷幸吉の自死


 円谷幸吉が自死したのは、メキシコ五輪が開催されることになっていた1968年(昭和43年)の正月明けだった。哀切きわまりない遺書が残されている。沢木耕太郎さんの『長距離ランナーの遺書』(文藝春秋『敗れざる者たち』1976年に収録)の冒頭に引用されていて、誰でも読むことができる。

父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様 お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。


 ウィキペディアによれば、日本文学を代表する二人が、この遺書に最大級の賛辞を送っている

 相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ。 …… 千万言も尽くせぬ哀切である。  −−−川端康成

 円谷選手の死のやうな崇高な死を、ノイローゼなどといふ言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きてゐる人間の思ひ上がりの醜さは許しがたい。それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であつた。 …… そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、“青空と雲”だけに属してゐるのである。  −−−三島由紀夫

 残念ながら、たとえ「文豪」の言葉であるとしても、私は、これらの賛辞に同意することはできない。二人は、「円谷選手が自死を実行したことに対する羨望」を述懐しているに過ぎないように思える。
 川端は「相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる」と言うが、この「純ないのちを生きてゐる」と言う言葉からは、どのような「意味」も受け取ることは出来ない。
 三島の「円谷選手は、“青空と雲”だけに属してゐるのである」と言う言葉にも、何の内実もない。いずれも、意味・概念を失ったコトバが美しく響くように語られ、それが結語となっている。

 円谷は、自衛隊体育学校に入っていたが、中央大学経済学部(夜間部)の学生でもあった。もともと肉体への負荷が大きかったのである。オリンピック後、自衛隊体育学校の方針が変わり、選手育成の特別待遇はすべて廃止される。フィアンセがいたのに、彼女との結婚は「次のオリンピックの方が大事」と妨害をうけ、破談となってしまう。これに抗議したコーチは左遷。円谷は孤立する。さらに幹部候補生学校に入校。さらなるオーバーワークと疲労の結果、左右のアキレス腱と腰を痛め、手術まで受けることになる。もう、走れる状態ではなかったのだ。
 もし、賢明な上司やコーチがそばにいたのなら、円谷に、マラソンに取り組む姿勢の変更を迫ったはずである。国民の期待や自衛隊組織が強いる目標、そんな頸木(くびき)は外して楽になろうよ。人には多様な生き方が可能なのだ。このままでは自滅するだけだぞ、と。

 川端の言うとおり、遺書には、肉親と食べ物が〈美味しゆうございました〉と列挙されている。マラソンなぞ止めて結婚すれば、すぐにでも取り戻すことのできる「日常」の喜びを、彼は「遺書」で回顧するより他はなかった。そこまで、彼は追い込まれていたのである。「国民の期待」などと言うものは、何ら実体のない共同幻想に過ぎない。無視すれば霧散するものなのに。


まとめ


 最初に戻ろう。
 安倍の、若者に対する国民栄誉賞乱発は、実体のない「国民の期待」の牢獄に、優秀なアスリートを追い込む危険をはらんでいる。
 そして、それは、国民が、ごく当たり前のこととしてスポーツ観戦をすることの妨げにもなっている。「ニッポン、チャ、チャ、チャ、」が、その囃子ことばである。あれが嫌いで、オリンピックの中継など観ない、という人もたくさんいるのだ。

 それにもう一つ、福本豊さんの話から、授与の打診は、かって所属していた社会人チームを通じてであったことが分かる。辞退することの自由に心配りをしたやり方だと思う。だから気楽に「立ちションベンもできなくなる」と言葉を返せたのである。
 安倍君はどういう方法で意向を伝えたのだろう。嫌ならば辞退できるような心配りをしていたのだろうか。
 H選手の周りの大人たちは、どう考えたのだろう。私なら、まだ早いよ、と辞退を勧めるけれど。
 それとも辞退したら、若造が生意気な、などど、ネット住民が騒ぐことを憂慮したのだろうか。


     −−若きアスリートに国民栄誉賞を授与することの非人間性 了−− 

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